夢占いの館にて ――6――
数分して、部屋のベルを鳴らした猫魔さんがサービスワゴンに乗せて料理を運んできてくれた。
部屋のダイニングテーブルに赤と白のチェック柄のシートを敷いてくれる。その上にきれいに磨かれた真っ白の皿を並べて、バスケットより取り出したサンドイッチを乗せてくれる。黄緑色のレタス、赤色のトマト、桃色をしたハム。色とりどりをパンで挟んだ見た目にも美味しそうなサンドイッチだ。
「わぁ」と歓声を上げてスマートフォンで写真を撮りだした御石さんに、凍は目で味わえないことを恨めしそうに顔を向けている。猫魔さんはそんなふうにするふたりのことを見て、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「簡単なものしかご用意できませんが……」と少し申し訳なさそうにして、猫魔さんは退室して行ったけれど、全然そんなこともない。十分すぎる。言ってしまえばこれだけで高級レストランで提供できそうな見栄えだ。
御石さんが凍を椅子に座らせて、ぼくもその横に座った。「早速いただきましょうか」と御石さんはフォークとナイフを手にしたけれど、ぼくは行儀なんてことは考えず、迷わず手で掴んでひと口頬張った。
しゃっきりとしたレタスの歯ごたえに、瑞々しさ溢れるトマトの甘さが口の中に広がった。ほんのり絡められているソースの味も合わさって、ハムの塩気がアクセントに効いている。パンもふわふわだ。市販のものではないだろう。どうも自家製、焼いたものらしい。
記憶のないぼくが言ったところで信用もない言葉になるけれど、今まで食べたサンドイッチで一番おいしかった。
「おいしい……」
「んー! 本当!」
御石さんもひと口運ぶなり頬を押さえている。
凍は「むー」と口を尖らせていた。
そうだった。思わずかぶりついてしまったけれど、彼女のことも考えてやらねばなるまい。
ぼくはそっと凍の皿に乗せられているサンドイッチを(こっちはフォークとナイフをしっかりと使って)食べやすいサイズに切り分けてやった。凍の手にフォークを握らせてやれば、テーブルの上の状況を把握したようにして、ひと切れに手を伸ばしていた。
「おいしい!」
頬を緩ませてもぐもぐと満足そうに食べている。
猫魔さんの料理の腕に関しても旅行雑誌に書かれていたけれど、これはたしかにと頷いてしまう。サンドイッチひとつにとってもその片鱗が見えている。
そうして、ぼくらは昼ご飯をごちそうになった。普段とは違う空気に緊張もしていたはずなのに、端的に言ってしまえば、あっという間に平らげてしまった。
◇◇◇
時刻は正午を回ったところ。内線を鳴らせば、空いた皿を片付けに、猫魔さんが再びサービスワゴンを押して部屋へとやってきた。皿を重ねながら、にこにことした調子でテーブルを拭いている。
「おいしかったです。ありがとう猫魔さん」
凍は笑顔を浮かべて満足そうに感謝を伝えている。その顔を見た猫魔さんは手を止めて、さらに嬉しそうに頬を上気させて頷いた。
「いえいえ、喜んでもらえて、こちらとしてもこれ以上のことはありません」
「ごちそうさまでした。パンも手作りなんですか?」
御石さんが感謝を重ねると、猫魔さんはよくぞ聞いてくれましたとばかりにこたえる。
「はい、酵母からこだわっていまして! お口に合ったようなら光栄です」
キラキラとした笑顔は活力で満ち溢れている。本当に心の底から、ぼくらが喜んでいることを喜んでくれているらしい。
敷いていたシートを折りたたみ回収して、テーブルの上に残ったパンくずを拭った猫魔さんは、空いた皿を乗せたサービスワゴンを押す。
「あ、そうでした。夕方十五時に、ロビーに集合でお願いいたします。夢占いのご案内をいたしますので」
手をエプロンでぱっぱっと叩いた猫魔さんが振り返る。
夢占いの案内。いよいよか、とも思った。
「わかりました」
御石さんがこたえたところで、笑顔を浮かべた猫魔さんは「では、失礼します」と頭を下げる。
「ごちそうさまでした」
ぼくもひと言返したところで、にっこりと細めた眼差しを改めて向けてくれた。正直言えば、その向けられた表情に胸はどきりと高鳴った。
凍には悟られまいと平常心を装ったのだけど、猫魔さんが部屋を出て行く背中を見送ったところで、なにか言いたそうにする凍の気配を悟ってしまった。彼女の前ではごまかしも効かない。その瞳を閉じていようとも。だから弁明も特にしようとはしなかったのだけれど、別にその機会も訪れなかった。
部屋を出て行った猫魔さんと入れ違うようにして、部屋のベルが鳴った。
御石さんが「はいはーい」とドアを開けに行くのを後ろから眺めて、鍵を開けたところでドア口より顔を出したのは白輝さんだ。
御石さんが自然な動作で部屋の中へと招くと、白輝さんは「どうだい、調子は?」と腰に手を当てて凍へと声をかけた。
「お昼をごちそうになったところで」
「あはは、わたしもさっきもらった。どうしようか迷っていたところだったし」
朗らかに笑う白輝さんは約束通り、ぼくと凍を訪ねてきてくれたらしい。
◇◇◇
席を外していようか、と気を遣ってくれた御石さんが入れ違いに散歩へと出て行った。
ぼくと凍が横に並んで白輝さんとは顔を合わせる形で、先ほど食事をしたテーブルへとつく。
「志摩ちゃん、ほんと気遣い上手で」
「御石さんには悪いことしたかな? お昼の後のタイミングで。別に同席してもらってもよかったんだけど」
そう首を傾げながら笑っている白輝さんは、ひとりで部屋に爽やかな風を吹かせる。その笑顔になんとも言えない安心感を覚えた。外と繋がりの少ないぼくや凍にとって、数少ない縁だということもあったのかもしれないけれど。凍もすっかり、白輝さんには気を許している調子だ。
「あの、白輝さん」と話を持ち出したのは凍からだった。
「凍ちゃん、白輝さんなんて堅苦しいのはやめてほしいよ。そう、正架って呼んでくれていいよ」
相変わらずの朗らかな調子で笑っている。
「じゃ、じゃあ正架ちゃん……?」
少し戸惑うようにする凍もこれはこれで珍しい。年上の同性相手にどう接すればいいのかわかっていないのかもしれない。
「うん、いいね」と笑顔で白輝さんは頷く。
「蒼起くんも、白輝さんなんて他人行儀な呼び方しないでよ?」
釘を刺すようにして、ぼくにも視線が突き刺さった。と言われても……、と考えてしまうところではあったけれど。八重霧の部下ならばいいかと、どこか彼のせいにしながら口を開く。
「正架さん、で……」
妥協案を提案するように呼べば、彼女はそれでも笑って頷いてくれた。
「おっとっと、話がそれちゃった。それで凍ちゃん、なんだい?」
正架さんはテーブルの上で腕を組んで、身を乗り出して笑顔を浮かべている。なんでも聞いてあげるよ、そんな調子でいるお姉さんの空気を振りまいて。
「えっと……」と少しこたえづらそうにした凍だったけれど、思い切ったのかそのまま聞いていた。
「八重霧さんは、どうして剣野義さんの頼み事を聞いたの?」
単刀直入に。あらぬ探りを入れるよりも、聞いてしまったほうが早いと判断したのだろう。
ただそれを聞いた正架さんは、「うーん」と姿勢を後ろへと崩して天井を見上げた。これでもかとわかるほどに悩んで見せている。
「光り目。当然わたしは魔眼のことも知っているんだけど……」
知っている。それは秘見弥のことも含めて、ということだろう。凍がどうして目を封じているのかもわかっている。
「話していいって言われていたか、忘れちゃった」
どうにも無責任な言い方ではあったけれど、正架さんはそう言った。言ってしまったからには話してくれる気らしい。
「光り目も関係ありそうってことだったんだけどね。この夢占いの館には、もう一件疑いがあってね。捜査の手が入るチャンスとしては好都合だったみたい」
その詳細までは話してくれないようだけれど、疑い――正架さんははっきりとそう言った。ぼくらが知り得ないなにかがまだあるらしい。一体それはなにか。それも魔眼が関係しているというのか。そこまで話したなら詳細も教えてほしいとは思ったのだけれど。
「んー、勝手に巻き込んでもわたしが怒られそうだから、やっぱり言わないほうがよかったか」
とのことらしかった。もう聞いてしまったんですけどね。
ただやはり、この館はただの占いの館ではないらしい。
「剣野義さんがどうして凍に頼ったか、なにか聞いていますか?」
八重霧に直接聞いたときは、『わからない』とはぐらかされてしまったところ。正架さんもなにかは聞いているはずだ。
「それは本当にわからないんだよね。この前のことは口外禁止。そういうやり取りはされていたはずだけど、あのシェフは、なにか八重霧警部と交渉する材料を持っていたのかもねぇ……」
それは正架さんの推測であろう。じゃあやはりわからないってことか。
「今度はわたしから聞いてもいい?」
正架さんが身を乗り出してくる。凍は「は、はい」と恐る恐るといった調子で頷いた。なにを聞かれるのか。ぼくにこたえられることなんて限られるけれど。
「ふたりは、いつから一緒にいるの?」
凍の閉じられた目、白い包帯の向こうを見るようにして正架さんはそう口にした。
いつから。それはぼくも知らないことだった。
少し悩んで口を噤んだ凍ではあったけれど、ごまかしたくも、嘘もつきたくなかったらしい。
「もうずっと……初めて会ったのは十年前」
それは記憶のないぼくも初耳だった。
ぼくは十年、凍の横にいた。ぼくの知らない十年という距離分、今は横に並んで座っているはずの凍が、ただただ遠ざかっていくような気がした。今ここにいるぼくはその事実を知らなかった。否、ただ忘れているだけなのであろうけれど、それでも知ろうともしなかった。いつから一緒にいたのか、なんてことは。
呆然と、ただ呆然と考えてしまった。その横顔を目ざとく捉えられていたのだろう。
「大丈夫? 蒼起くん、聞いちゃまずかった?」
心配するように揺れる正架さんの眼差しに、ぼくは意識を取り戻す。
ただの他人事。やはりそうとしか思えなくて。
「いや、まあ、ぼくも聞いてなくて」
ぼくの記憶がない話なんかも当然八重霧から聞いているのだろう。正架さんは「そっか……」と頷くと、ぼくのそんな気持ちも察したようにしてくれた。
ぼくは知っていた。ぼくと凍の間には踏み込んではならない間合いがずっとあったことを。そこに踏み込んだ正架さん、それでもこたえた凍。凍がなにを考えているのかはどうにもわからないけれど、ぼくのほうへと顔を向けた凍は、どこか寂しそうに目を潤ませているように見えたのだ。白い包帯に閉ざされた眼は見えないはずなのに。
きっと、ぼくが知らなければいけないことも、その間合いにある。それはわかっていたのだけれど、結局、今も今までも聞くことはなかった。
「そうだ。正架ちゃん。聞いておきたいことがあったんだ」
話を切り替えるように顔を向けた凍に、正架さんも一歩引いたようにして、その話に乗った。
「なんだい?」
「宿泊者って何人いるの? 一応知っておきたくて」
話に置いていかれそうにもなったけれど、それはぼくも知りたかったところだ。
「あー、そうだね。わたしと、凍ちゃんたち三人。夢占いの館の従業員は、夢占い師の夢目沢さんと猫魔さん。他に客は、三人かな? レストランシェフで、今回の依頼人である剣野義 鶏冠さん。ジャーナリストの男、えっと、
正架さんは包み隠さずに、その名までをも教えてくれた。ぼくら以外の客は三人。夢占い師は『全員揃った』と言っていた。つまり、今この夢占いの館にいるのは九人の人間ということだ。
「意外と多いんだな……」
回廊館を一周して部屋の数は確認していたので、それだけの人が泊まる余裕があるのはわかっていたけれども。剣野義さんとぼくらくらいのものかと想像していた。
「まあ、人気の宿でもあるらしいからね。皆が皆、夢占いを受けるのかはわたしも知らないけどね」
「正架ちゃんも……魔眼ってわかって受けるんですか? 夢占い」
正架さんは首を振って笑っている。凍はそうだと確信しているのだろう。
「一応ね。これでも光り目事件を追う側の人間だから。まあ、この館にはまだ事件は起きてないけど……」
なんだかその言い方は、ただ横で聞いていただけのぼくの思考に妙に引っかかった。
「魔眼は女性にしか開眼しない……」
凍がもう一度確認するようにして呟くと、正架さんも頷いてこたえた。
「うん、知ってるよ。秘見弥や魔眼のことについては」
担当する警察の人間だということもあって、ぼくなんかより余程詳しいようだ。
夢占い師は男だった。あの容姿あの声で実は女でしたなんてトリックはないだろう。凍はその点に関してずっと違和感を覚えているらしい。
「まあ……夢占いを受けてみれば、視てもらったらわかるかなぁ」
凍は自分を納得させるように口にする。正架さんも「そうだね」と笑ってくれた。
「わたしがいるのは凍ちゃんの安全を守るためでもあるから。もちろん、蒼起くんと御石さんも、だけどね」
片目をパチッと閉じて見せる正架さんに、凍も笑顔で頷く。
どうしてそこにぼくや御石さんを含める必要があるのかは気になったけれど、それが正架さんの持つ正義なのだろう。市民を守るという警察官として正しい正義感。そこには魔眼も光り目も関係なく、ゆえに歪むこともない、正しい正義感なのかもしれない。
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