夢占いの館にて ――5――
回廊の北側を回って、ぼくらの部屋がある対岸側へ。東に並んだ客室ドアを眺めて歩くこと数分したところで、ロビーの近くまで戻ってきた。これで廊下を一周回ったことになるだろう。
説明にはなかったけれど、回廊館と呼ばれる建物は上から見た形がほとんど正方形に近いようだ。客室にしても並びはシンメトリー。さすがに勝手に中まで確認するような真似はしなかったけれど、ドアが等間隔に並んでいたので同じような間取りをしているのだと思う。
そうして凍とふたりで話も済ませて、ひと通り館の造りがわかったところでロビーに戻ってきたわけだけど、そこには人影が見えた。握った凍の手にじんわりと力が入るのが感じられる。緊張または警戒。そういった合図でもある。
結った髪を肩にかけるエプロンドレス姿の女性。特徴的な服装は後ろ姿でもすぐにわかる。猫魔さんだ。肩を揺らしてなにかと語らうようにしている雰囲気なことが気にかかった。腕を丸めてなにかを抱え込んでいるようにも見える。
「もう、まーちゃんは……」
小声でなにかを呼んでいる。驚かせるのも悪いかと迷っている間にも、声を発したのは横に並んだ凍だった。
「猫魔さん」
姿が見えているわけでもないだろうに、そこにある気配ひとつでぴたりと当てて見せた。
「あら」と顔を上げて振り返った猫魔さんは、腕にネコを抱えていた。茶トラといえばいいのか。キャラメル色をしたきれいな毛並みに、ぴょこんと揺れるふたつの大きな耳。
まん丸の瞳をじろっと向けて、もう一度ぴょこんと耳を動かした。そうして、口を開けて牙を見せる。
「シャー!」
「あ、こら。まーちゃん!」
まーちゃんと呼ばれたネコは、かわいい顔からは想像もできなかったような声を上げて、猫魔さんの腕より飛び出した。そのまま膨れ上がった尻尾を揺らして、あっという間に廊下のほうへと走って行ってしまう。
「あ、あぁ……」
猫魔さんはその行方を見送って肩を落とした。ネコはすっかり廊下の向こうへ姿を消してしまう。なんと声をかけたらいいのかと迷う猫魔さんとネコのやり取りに、ぼくはすっかり言葉を失った。
「ネコちゃん?」
ただ、凍はその雰囲気も耳で感じ取っていたのか、首を傾げてそう訊ねた。
「あ、はい。すみません……。アレルギーの方とかいますかね……?」
申し訳なさそうに俯く猫魔さんに、凍は首を横に振る。ぼくも特にそういったアレルギーはないはず。御石さんがどうかはわからないけれど。
「普段は自室から出ない子なんですが、今朝脱走して……お客様の前に出すとこうなっちゃうので」
どうも猫魔さんが飼っているネコらしい。「あはは……」と苦笑いを浮かべて、彼女は顔を上げた。
「かわいい子でしたね」
「そうなんですけどね……。人見知りで困っちゃうんです」
笑顔を浮かべてこたえてくれるけれど、放っておいていいのだろうか。
「追わなくていいんですか?」
「館から出ることもないと思うので、またどこかですれ違ったら保護しようと思います。お腹空いたら戻ってくるだろうし……」
のんびりとした様子で猫魔さんは顎に指を当てて頷いた。
「それはそうと」と話を切り替えるように、彼女は笑顔も切り替えた。
「やはり、お部屋は落ち着かれませんでしたか?」
その笑顔は仕事モード。お客様の心配に切り替えたようだった。
「いやまあ、普段狭いところで暮らしているもので」
嘘をついても仕方がないので本心をこたえておいた。ぼくが浮かべた苦笑いに、猫魔さんも苦笑いの調子だ。
「回廊館、回ってみたかったので」
続いてこたえた凍に、彼女は明るい笑顔を作って頷いた。
「それはそれは! だからそちらからお見えになったのですね」
廊下のことを指しているのだろう。どこか嬉しそうにした猫魔さんに凍が「えぇ、そうなんです」と頷いたところで、「からんからーん」とベルの鳴る音がロビーに響いた。
「あら、お客様です。すみません、失礼しますね」
そう言った猫魔さんは一礼すると、ぼくらに背を向けてポケットよりスマートフォンを取り出して、小走りで受付のほうへと向かって行った。
正面玄関の扉が開いた様子もない。それにベルが鳴った音は彼女自身から聞こえていたような気がした。どうも詳しいことはわからないけれど、エスカレーターのあるログハウスと連動してスマートフォンが来客を知らせてくれる仕組みらしい。こんな山奥にあろうともハイテクな機能だ。
「お客様かぁ」
凍はなにか考えるようにして俯いた。
「なにかあったか?」
「いや、一応わたしたちは剣野義さんの付き添いってことになってるんだよね?」
「そのはずだけれど」
「剣野義さん、まだ来てないんだよね……」
多分、そうだろう。
「それに、他にお客さんってどれくらいいるんだろう」
それは先ほどぼくも思ったことだった。白輝さん辺りに探りを入れれば教えてもらえるだろうか。潜入する側の刑事である彼女ならば、さすがに今晩の宿泊者人数くらいは把握していそうだ。
そう考えているところで、凍と握った手がぴくりと揺れた。
「おぉ、これはこれは……今夜の迷える子羊たちかな」
ロビーより館の中庭へと続く通路からひとりの男が現れた。
白いフードがついた丈の長いローブを赤い絨毯の上に引きずって、その内側にはグレーのスーツを着こなす男だ。耳に纏わりつくような声には、どこか写真通りの印象の悪さがついて聞こえた。指にはめた金色の指輪が三つ。嘘臭さに紛れる笑顔を浮かべる男。八重霧とはまた違う意味で、信用したくないようなタイプの笑顔だった。見ようによっては、清潔感ある爽やかさも見えるのだろうけれど。
旅行雑誌に紹介されていた名前もはっきりと覚えている。夢目沢 志士郎。夢占い師。凍がよく見ておいてと言っていた男だ。
「……どうも、こんにちは。お世話になります」
一瞬、言葉が出てこなかった。だけれど、とりあえずの礼儀として当たり障りのない挨拶をする。
「ふぅん」と口元を嫌らしく吊り上げて笑った夢目沢は、凍の顔を一瞥して、その顔に巻かれている白い包帯を目に入れて頷いた。
「こちらこそ、ゆっくりしていってくれたら嬉しいねぇ」
白い歯をにかりと見せる営業スマイル。凍の眼を頼らずとも直感する。腹黒い笑顔だ。凍がぎゅっと力を込めて、手を握ってくる。
「あら、夢目沢様。もう、集中のほうはいいのですか?」
なんとこたえようかと迷っていたら、ちょうど背後から近づいてきたのは猫魔さんだった。
恐る恐る顔を向けると、猫魔さんは大きなボストンバッグを手にしており、その横には剣野義さんが並んでいた。
「どうも」と目配せすると、剣野義さんは怯えたようにして頷いた。怯えたようにして――それもまた妙だなと思ったが、一瞬、その視線が夢目沢のほうへ向いていた。
「こっちは、おうけぃさ。夢乃、客人たちの案内を頼むよ。説明も時間通りでいい」
「はい。承知いたしました。では、剣野義様、こちらへ」
夢目沢と猫魔さんは簡単に言葉を交わしただけ。ぼくらの部屋がある廊下側へと歩き出した猫魔さんに連れられて、剣野義さんも背中を向ける。だけれど、その一瞬、たしかに凍のほうへと目を向けた。なにか言いたそうにして。
微妙なさじ加減。ちょっとした違和感。震えるような視線には、口にできない意思が含まれている気がした。そんな空気を凍も感じ取ったのだろうか。首を傾げてなにかを言いたそうにしていたけれど、目の前にいる男はにかりと笑って手を広げた。
「お客人も全員揃ったみたいだねぇ。今夜もどんな夢が見られるのか。楽しみだ」
どうにも胡散臭いセリフを吐いて、ぼくらのことは見もせずに背を向け、夢占いの館へと帰ってゆく。白いローブを引きずって「あっはっは」と豪快に笑う背中には、やはりなにか影が見えたような気がした。
だけれど、別にぼくの目は凍のそれのように特別製のものではない。だからそれはただの印象でしかない。旅行雑誌で見た男の笑顔のまま、その通りの悪い印象だ。
清潔感ある外見には別に怪しさが滲み出ているわけではないけれども、凍のそばに居続けたぼくには、どうも微妙なニュアンスからも伝わって来る、人間の本性というものが見えるときがある。
「やっぱり……ただものじゃない」
そう言った凍の言葉の意味はわからない。どういった意味でただものではなかったのかが、ぼくには説明できない。だけれど、凍も特別説明しようともしなかった。口に出そうともしなかった。
「剣野義さんの視線……」
ボソッと呟く凍に、ぼくも頷いた。
「剣野義さん喋らなかったのに、いたのわかったのか」
「うん、一度会ってるから」
凍はやはりあの視線にもなにかを感じ取っていたらしい。ぼくは凍のように語るための眼は持ち合わせていない。だから思ったままを口にした。
「怯えてるようだった」
「怯えてる……」
剣野義さんは本来、自殺してしまったウェイトレスの女性と夢占いの館へ来る予定だった、と笹良は言っていた。ぼくと凍はその代わりの付き添いだ。八重霧に聞いたところでも結局、その点についてはっきりとしなかった。剣野義さんが一体なにを考えて凍に連絡を取ったのか、ということは知っておかなければならない。
だけれど、あの様子、あの場ではどうも聞ける気はしなかった。
「全員揃ったって言ってたよ」
去り際に夢目沢はそう口にした。
「あぁ、言ってたな」
凍も気にしているようだし、その辺りはやはり後で白輝さんに確認しておくべきなのだろう。
「夢占い師……だったんだよね。さっきのが」
凍は夢目沢が去って行ったガラス張りの連絡通路へと顔を向けて呟く。
「そう雑誌では紹介されていた」
凍は旅行雑誌を目にできたわけではないだろうけれど、きっと笹良から事細かに説明されてはいるはずだ。ただそれでも写真の印象なんてものはわからない。そこは杖であるぼくが確認してやるしかない。
「…………」
凍は無言のまま、夢占い師の去って行った連絡通路を、夢占いの館のほうを見つめていた。その白い包帯の下でなにを視ていたのか。ぼくには考えてもわからないことだけれど、そっと手を取って、ただそうしている彼女が満足するのを待っていた。
◇◇◇
部屋へと戻り鍵を使ってドアを開けたところで、御石さんは起き上がって椅子に座っていた。優雅に足を伸ばして、スマートフォン片手に誰か友達とでもメッセージのやり取りをしているのか、笑顔を浮かべてすっかり疲れもなさそうな顔をしている。
「あ、おかえり。どうだった?」
ぼくと凍の顔を見比べるなりそう言った御石さんに、凍は「ただいま……」と少し疲れを見せてうなだれた。
「あらら、疲れちゃったか」
廊下を一周歩いてくるだけにしても相当な距離があったのは明白だ。それにロビーのところでは普段よりも多くの人と触れ合うことになった。気を張り詰めるところがあったのもたしかだ。
「いやまあ、ちょっと出くわしまして」
御石さんに隠し立てする必要もない。凍の代わりにそう説明してやると、御石さんはスマートフォンを机の上に伏せて置いて、「なるほどねー」と頷いていた。そのまま立ち上がるなり、ぼくの横で肩を落とした凍を支えてベッドに座らせた。
その説明だけでなにに出くわしたのかわかったのだろうか。御石さんの考えも全くわからないところではあるのだけれど、ただそんなふたりをボーッと眺めた。
「包帯巻きなおす? きつくない?」
「大丈夫。ありがとう、志摩ちゃん」
揺れるスカートの裾を蹴って座った凍は「はぁー」と大きくため息をついた。そのため息の大きさにも納得だ。ぼくも近くにあった椅子に座ったところで、同じようなため息が漏れ出た。
「御石さんは、休めましたか?」
時間にしてもそう経っているわけでもないけれど、そろそろお昼の時間か。
「休めたよ。っていうかこの部屋にいたらダメになりそう」
苦笑いを浮かべながら立ち上がった御石さんに、「あはは」と同調する笑いでこたえておいた。ふかふかのベッドに、体が沈み込むようなソファー。ちょっと確認したところでは、足を伸ばして入ることもできそうな大きなバスタブまで完備されている。
――プルルルルッ!
そんな調子で話をしていると部屋に備えつけられている内線が鳴った。駆け足で寄って受話器を取ってくれた御石さんは、「はいはい」と頷きながら返事をしている。
一体なんなんだろうか、とぼくも凍も固唾を呑んで耳を澄ませた。そんなぼくと凍の顔を確認するようにした御石さんは電話口で会話を続けている。
「あら、それは嬉しい。どうしようかと考えていたところだったんです」
言葉通り嬉しそうな笑顔でこたえる御石さんが、話の最後だろうところで「では、お願いします」と受話器を置いた。電話の相手が猫魔さんであろうことはわかったけれど、それ以外のことは想像もできない。
「なんですか?」
「なんだって? 志摩ちゃん」
だからぼくと凍はほとんど同時のタイミングで聞いてしまった。そんなぼくらの顔を見比べて、「あはは」と柔らかい笑みを浮かべた御石さんは、続けて説明をしてくれた。
「お昼ご飯、サービスでつけてくれるって」
それは嬉しい申し出だ。昼の予定など考えずにきてしまったところもあったし、なによりこの山奥ではコンビニも車で三十分の距離。レストランなんて見つけることもできないだろう。
「猫魔さん、気が利くね」
凍も立っている御石さんを見上げて嬉しそうに笑っている。
「きっと、好きなんだな……あの笑顔」
それはぼくが覚えた印象の話で、ぽつりとこぼしてしまったひとり言ではあったのだけれど、凍は「うん、そうだよ。きっと」と頷いてくれた。
人を喜ばせることが。人に喜んでもらえることが。そういったサービスを提供することが。
ペンションという形をとるこの館で、唯一歪んでいないように見える笑顔だとぼくは思った。言ってしまえば天職というやつなのかもしれない。同い年の彼女がそういうものを見つけられていることが素直にすごいと思った。別に羨ましいとは思いもしなかったけれど。
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