夢占いの館にて ――4――

 赤い屋根のこの洋館が回廊館と呼ばれる宿泊施設であったという話は先ほどしたけれど、どうも旅行雑誌で紹介されていた写真から見た印象を語れば、夢占いの館は思ったよりも小さなものであり、回廊館は思ったよりも大きなものだった。

 赤い絨毯の敷かれた広い廊下は天井も高い。ただなによりも目についたのは、館の内側に続く壁が一面ガラス張りだったことだ。各部屋は館の外側にあるイメージだ。


 部屋へと案内してくれる道すがら、猫魔さんが説明してくれた。

 文字通り、〝回〟という漢字の通りに、廊下が一周している館、それで回廊館とのこと。というのも、話を聞きながら内側に続いているガラス張りの窓を眺めれば、同じようにガラス張りとなった廊下の向こう側が見える。そして、ちょうど廊下が一周する館の真ん中に立っている真四角のコンクリート造りの部屋こそが、夢占いの館なのだという。


 旅行雑誌でも紹介されていたことを思い出す。ただ写真で見ただけでは、館の構造もわからなかったために不可解だと思っていた。囲われた館。それをひと目見ることでようやく腑に落ちた。

 〝回〟という漢字に例えるならば、南側が玄関ロビーに食堂の併設される位置、夢占いの館へと続く通路もここにある。東と西側には客室が四つずつ用意されているらしい。北側には備蓄倉庫や館関係者の部屋があるとのことだ。基本スタッフオンリー、立ち入り禁止指定だと猫魔さんに注意を受けた。


 そんなこんなで案内を受けながら、部屋へと辿りつく。西側に面した手前からふたつ目のドアの前で猫魔さんが足を止めた。キャリーケースを置くと、エプロンのポケットより取り出した鍵でドアを開ける。


「どうぞ、こちらです」


 ドアを押さえたまま感じのいい笑顔を浮かべて、ぼくらを手招きしてくれる。御石さんが入って行くのに連れられて、ぼくと凍も足を踏み入れた。「わぁ」と声を上げた御石さんの後ろで、やはり用意された部屋はひと部屋かなどと、ちょっとした心配事を浮かべてしまったのだけれど、その心配も無用だった。


 ベッドがふたつ並ぶ一室。ダイニングテーブルと椅子もセットで並んでいる。それだけでそこらのマンションの一室よりも広い印象を受けた。そして、部屋の中には階段も併設されていて、ロフトのようになった二階部分にも寝室がひと部屋あるようだ。バスルームやトイレはひとつずつ各部屋についているとも聞いた。もうその時点で、普段暮らしている病室とは比べものにならないほど大きい。さらには光源である太陽光を取り込む窓は、大きくて天井まで届くほど。カーテンも機械式、窓の横に置かれるパネルを操作して開閉するらしい。吹き抜けとなった天井は廊下と同じくやはり高い。空調のために回り続ける大きなプロペラを見上げてボーッとしてしまった。


「いわゆる、スイートルームって感じじゃない?」


 振り返る御石さんは目をキラキラさせながら口にして、笑顔のまま猫魔さんがそれにこたえた。


「はい、当館ではそういったお部屋を用意させていただいております」


 とびっきりの笑顔で頷く猫魔さんに、御石さんは引きつった笑顔を浮かべながら俯いた。


「あはは、これは自腹じゃ縁がないかも……」


 小声でそう言っていたけれど、横で聞いていたぼくと凍には聞こえた。たしかに、と内心頷いてしまう。剣野義さんの付き添いという条件つきの招待でなければ、一生縁もなかったような部屋だろう。一泊二日二食つき。旅行雑誌には価格まで書かれていた気はするが、医院長室で話をしたときはそこまで意識していなかったので思い出せない。逆に、いまさらそのようなことを聞くのも恐ろしい。


「部屋の鍵はひとつしかないので、失くされませんように。全室オートロックとなっておりますのでご注意ください。マスターキーはありますが、もしものときはわたしをお呼びください。あ、後、夢占いの希望のほうを取っておかなければ」


 案内を続けながらそう言った猫魔さんは、ポケットより取り出したスマートフォンを操作すると顔を上げた。


「一応、宿泊者様の希望は聞けるようにスケジュールも調整いたします」


 そうか。夢占いを受けるかどうかは希望制だった。


「えーっと、わたしは受けたいけど……」


 恐る恐るといった感じで一番に手を上げた御石さんはちょっと遠慮しがち。それもそうか、あくまでも保護者として付き添いできたという立場。ぼくも凍も様子をうかがっていただけに、そうなるのも頷けるけれど、ぼくらより楽しみにしている雰囲気はずっとしていた。だからちょっとばかり微笑ましくて、ぜひ御石さんには占いを受けてもらいたいと思った。


「わたしも受けたい」


 凛とした調子で続いた凍に、御石さんも安堵の息をついて頷く。

 ぼくはどうしたものか。少し悩んだけれどたしか旅行雑誌でも、ふたり一組で、と紹介されていたはず。凍と御石さんがペアで受けるとなれば心配もいらないだろう。夢占い、その実態は気になるところではあるけれど、凍に視てもらえればそれでいい。この場合は、凍を視てもらえれば、か。


「……ぼくは大丈夫です」

「そうですか。ではそのように。お時間の希望など大丈夫でしたら、こちらで調整しますね」


 手元のスマートフォンを操作してメモするようにした猫魔さんが、微笑みながら顔を上げる。


「はい、お任せします」


 代表してこたえてくれたのは御石さんだった。夢占いがどのようにして行われるのかもわからないので、任せておくのがいいと判断したのだろう。御石さんの返事を聞いた猫魔さんはにこにことしたまま、スマートフォンをエプロンのポケットの中にしまった。


「ではそのように。夕方また皆様がお揃いになったお時間で、詳細の説明やスケジュールのご紹介をさせていただきたいと思います」


 そう言った猫魔さんはきれいな角度で頭を下げると、部屋のドアを開けた。


「ごゆっくりお寛ぎくださいませ。なにかありましたら、内線を鳴らしてくださいね」


 笑顔を振りまいて、猫魔さんはもう一礼して去って行った。


◇◇◇


 自然な流れでぼくが二階のロフト部分の一室を使うことになったのだけれど、それにしたって女性ふたりと同室、妙に広い部屋には気持ちが落ち着くはずもなかった。凍もどこかそわそわした様子ではあって、ぼくなんかよりも館全体にある、張り詰めたような空気を感じ取っていたのかもしれない。普段と違う空気というのはそういうものか、などと他人事のように納得する。

 そんなところで一階に荷物を置くなり、館の様子を見ておきたいという凍に連れられて、ぼくは部屋を出た。御石さんは部屋で休んでいるとのことだ。運転疲れもあったのだろうことはわかる。体が沈むようなふかふかのベッドに寝転んで手を振っていた。

 凍の左手を取ると、斜め後ろをついてくる。部屋はオートロックだと言っていたので、念のために部屋の鍵はぼくが預かることにした。ドアを出たところでがちゃりと鍵のかかった音が聞こえる。


「さて……」


 館を見ておきたいと言い出したのは凍だけれど、当然彼女は目が見えない。ぼくに確認させるためではあるが、凍としてもなにか気になることがあるということだろう。


「蒼起、どんな印象?」


 部屋を出るなりそう言った凍に、ぼくは横目でこたえながら歩きはじめた。探検というほどのものでもないけれど、まあ、白輝さんも言っていた通り散歩か。


「緊張するよ。見慣れないものばかりに」


 赤い絨毯敷きの廊下は歩くたびに靴が沈み込む。回廊館と呼ばれる館。大きな洋館と聞いただけでは、築年過ぎた古びたもののようなイメージを覚えるけれど、どうも埃っぽい空気もないし、壁や柱、天井も経年劣化を感じさせるものではない。

 凍は興味あるのかないのかわからないように「そう……」とひと言返事をし、後ろをついてくる。


 とりあえずどこを目指すかなんて決めはせず、ロビーとは逆方向に廊下を回ることにした。まさに回廊と呼ぶにふさわしい回る廊下を。

 猫魔さんに案内された通り、ぼくらの部屋から北上すると客室ドアがふたつあった。歩いた感じ、感覚としては部屋の大きさは等間隔。ぼくらが泊まるあの規模の部屋が片側に四つずつあるらしい。廊下を振り返ってみると、おおよそのことしかわからないが、一辺三百メートルはある気がする。それだけで回廊館の規模と部屋の大きさもわかるというものだろう。それを過ぎて角を曲がると、倉庫と表札のかかるドアが見える。北側にある部屋の数々は、スタッフオンリーだと聞いていた通りだった。


 同じように続く北側廊下を歩くこと数分。やはり片面がガラス張りだったことも目立つ。廊下をどれだけ進もうと、中庭にある夢占いの館と呼ばれる四角い箱が見えていた。箱と表現するのが正しいような、どうも人が住むようには見えない暗い色をしたコンクリート造りの真四角の石の塊だ。外から見たところ扉のようなものは見えない。ロビーから一直線にこれまたガラス張りの通路が続いているところが確認できた。


「あれが、夢占いの館か」


 どうにも外から見ただけでも閉塞感がある。さながら刑務所の中の檻のようにすら見えてしまう。それは囲まれているからか。


「そんなに変なの?」


 見えていない凍は首を傾げながら聞いてくる。ぼくの声にある不安を強く感じ取っているようだった。


「いやまあ、話を聞いたときから変だとは思ったけどさ」

「……そうだよね。夢占い、ねぇ」


 説明するまでもない。笹良から話を聞いた時点で、凍も同じように疑問に思ったことらしい。


「中庭にあるんだっけ」


 廊下を曲がった感覚から判断したのだろう。凍は右手に広がるガラス張りの向こう、中庭にある夢占いの館へと顔を向ける。見えてもいないはずなのに見るようにして、彼女が足を止めたのにつられてぼくも足を止めた。

 静まり返る廊下には同じような空気が続いている。スタッフオンリーだと注意を受けた北側には、猫魔さんはおろか他の客の姿も見えなかった。

 そういえば、他に客はどれほどいるのだろう。

 そんなことを考えていると、凍がぼくの顔を見上げながら口を開いた。


「蒼起、ひとつ、確認だよ」

「なに?」

「魔眼は女性にしか開眼しないの。それが後天的に開くものだったとしてもね」


 突然の話だった。だけれど、凍の言いたいこともすぐわかる。

 辺りに人の気配はないタイミング。だから、凍は今しかないこのタイミングで伝えてくれたらしい。


 秘見弥の血にある魔眼の力は先天的なものだったという。その名を継ぐ女性の目には不思議な力が生まれつき宿った。そこに例外はない。後天的なものであったとしても、それは女性にしか現れないということ。瀬月がそうであったように。


 ならば、と考えてしまうことがある。

 夢占い師。旅行雑誌で紹介されていた占い師、夢目沢といったか。まだ顔を合わせてはいないけれど、彼は男性だった。魔眼が開くことはないということだ。

 占いはただの占い。『夢を視る』だなんて言うけれど、魔眼も関係がない……。果たしてそうだろうか……? 単純に考えればそうなるかもしれないけれど、どうもぼくとしてもそれでは納得できない部分がある。笹良から話を受けた後に、医院にあるパソコンを借りて独自に調べたところ、どうも本当に、この夢占いというやつはよく当たると評判らしい。『まるで深層心理を覗いて進む道を示してくれたようだった』と語っている人の成功体験レポートまであった。


「だから蒼起、よく見ておいて。その夢占い師を名乗る男のことは」


 そのつもりだった。そんな予感があるからこそ、凍は興味を示したのだ。

 ぼくとしてもこの夢占いの館にはなにか大きな秘密がある気がした。

 それはただの予感ではあったけれど、魔眼――光り目――そういった大きな力に纏わって、歪んでしまった違和感だったのかもしれない。


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