夢占いの館にて ――3――

 夜の世界から朝の世界へ。エスカレーターの終点にあったログハウスから外へ出ると、その落差に目が眩んだ。


「夢の世界はまた後で、ってね。わたしもそうやって案内されたんだ」


 白輝さんは楽しそうに笑って、先頭へと躍り出る。

 改めて年齢を聞いてみれば、二十二歳とのこと。大学を出たばかり、それで警部補って……、と思ったけれど、どうも光り目に関する部署には人もいなくて、繰り上げ式に空いている席に納まったというだけの話らしい。警察内部の事情にはわからないところが多いけれど、光り目に関してならばわかることもある。それだけ警察内部でも隔離された話であるということだ。

 魔眼に関わる人間など少ないほうがいいに決まっている。だから、事情を知っている八重霧と白輝さんがその中でも特別だというだけだ。


 と、話を戻して、ぼくは「誰に案内されたんですか?」と訊ねた。っていうか白輝さんはなにをしていたんですか、という感じではあったのだけれど。


「散歩散歩。だってこの辺りなにもないんだよ? だから誰か早く来ないかなって見に下りたところだったんだよ」


 手を広げてそう言う白輝さんにつられて振り返れば、先ほどまでいた駐車場が遙か下のほうに見えるだけ。広がる木々、緑一面の山の遠景が広がっていた。ちょっと上ってきたためだろう、それはそれで壮観ではあったのだけれど、本当になにもない。


「案内してくれたのは、ほら、猫魔ねこまさんってメイドさん。熊も出るから気をつけて、なんて言われたけどね」


 笑いながら言うけれど、それは笑い事ではないかもしれない。一番近くのコンビニまででも車を走らせて三十分はかかるらしい。それだけ人里から離れて、ひっそりと、というよりはぽつりと孤立したようにして、その館は山の中腹に構えられていた。


 木々生い茂る森の中、開けた白い石レンガの広場に続いて、赤い屋根の大きな洋館が姿を現した。白い壁に大きな窓がいくつも並び、手入れの行き届いた庭先、スロープと階段のついた玄関に、大きな両開きの扉が口を開けてぼくらを待っていた。

 絵本なんかで見るような印象で、魔女が住んでいます、と言われても信じられる。いやそれは冗談ではあったのだけれど、この場合、冗談ではないのかもしれない。魔眼が関係しているかもしれないのだから。

 エスカレーターから降りるときに自然と空いた手で凍の手を取る形にはなったのだけれど、じんわりと手に力がこもっている。緊張しているのかもしれない。


「猫魔さんはわたしたちのことは出迎えてくれないのかな?」


 御石さんが疑問に思ったようにして口にすると、白輝さんが返事をした。


「あぁ、三人が来る少し前にもう一人お客さんがきたところで、猫魔さんはそっちの案内のために先に館に戻るって感じで」


 どうやら白輝さんの言うところの散歩は、途中までは猫魔さんと一緒だったようだ。


「あ、ほら、ちょうど!」


 と白輝さんが代わりにぼくらの先頭に立って案内してくれているところで、開けっ放しになっていた館の扉より女性が姿を現した。濃紺色のワンピースに白いエプロン。雑誌でも紹介されていたいわゆるメイドさんの格好をした女性が、写真で見た通り印象のいい笑顔を浮かべてぼくらを出迎えてくれた。


「あら、お客様が。白輝様おかえりなさいませ。案内までしてくださったんですね」


 スカートの裾を摘まんで片足を下げて軽く礼をする。カーテシーと呼ばれる挨拶法の一種で、慣れた動作には優雅さが溢れ出ていた。ぼくとしてはかしこまってしまい、どうしていいのかわからず軽く頭を下げるしかなかったけれど。


「ようこそ、いらっしゃいませ。当館の案内人をさせていただいております。猫魔 夢乃と申します」


 顔を上げる猫魔さんはやはり優しい笑みを浮かべている。季節遅れの春の風が吹いたように、花が咲き誇るような印象を覚えた。ぼくがそのまま見惚れている間にも、御石さんが一歩前に出て代わりとばかりに、保護者らしく挨拶をしてくれた。


「足桐で予約をしています。保護者付き添いの御石です」

「足桐様ですね。うかがっております。三名様……とのことで」


 白いエプロンからスマートフォンを取り出す猫魔さんは、なにやらその小さい機械の中にまとめられていることを確認するようにして、返事をしていた。そして、すぐさま顔を上げて笑顔を浮かべる。


「お荷物お持ちいたします」


 近づいてきた猫魔さんは優しい笑顔のままに、ぼくが呆気にとられている間にキャリーケースを受け取っていく。そんなやり取りを横でにこにこと眺めている白輝さんは、ぼくと目が合うなり白い歯を見せて笑う。一体なんの合図だかはわからないけれど、ぼくは凍の手をぎゅっと握りしめた。


「えっと……」とキャリーケースをふたつ手にして、猫魔さんはぼくのことを見つめてなにやら口ごもった。ちらちらとぱっちりする黒い瞳が泳ぐようにして、ぼくと凍を見比べている。


「わたしのことは気にしないで。普段通りの案内で大丈夫です」


 なにか言いたいのだろうことはわかったけれど、ぼくや猫魔さんが口にするよりも早く、凍は先手を打ってそう言った。目に巻いた白い包帯はそれだけやはり目立つ。白輝さんは八重霧から凍の事情を聞いていたからこそ、あのような反応であったのであり、猫魔さんのこの反応がごく一般的だと言える。


「そう、ですか。お聞きしていなかったもので、お気を悪くされていたらすみません」


 少し心配そうに眉を寄せた猫魔さんに、凍は「いえいえ」と首を振って、明るい声でこたえていた。慣れていると言えばおかしな話かもしれないけれど、凍は特段気にした様子もない。むしろ逆に、気にされ続けることのほうが気に障るらしい。


 凍の返事を聞いた猫魔さんも「でしたら」と元通りに笑顔を浮かべると、「どうぞ、こちらへ」と改めてぼくと御石さんにも手招きをするように、背を向けて歩きはじめた。慣れた手つきで軽々とキャリーケースをふたつ持ち上げて、館へと入って行く。御石さんが続いて入って行くのを眺めて、いよいよ館を目の前にして、ぼくはもう一度その館全体を見上げて足を止めた。

 なにが待ち受けているのか、やはり緊張感が拭えない。そんなぼくの横に並んだ凍も、ただ無言のままに館を見上げるようにして立ち止まる。

 一息ついて、凍の手を引いて一歩を踏み出した。


「足元段差あるけど、スロープのほう回ろうか」

「階段?」

「そう、幅が広めの五段」

「じゃあ、大丈夫」


 簡単な言葉のやり取りだったけれど、それで凍は把握したらしい。ぼくが気にかけながら扉前の階段を上ると、彼女はぼくの足取りを察知してその横をついて上った。これも凍の持つ超感覚だ。


「へぇー、噂通りだ」


 それを見て、ぼくの右手側に立つ白輝さんは感心したように頷いた。大方、八重霧から聞いていた話のひとつなのだろう。驚かされるところがあるのは頷ける。


「別に、そんな誇らしいことでもないよ」


 凍は薄っすらと笑みを浮かべてこたえるけれど、白輝さんは「うんうん」と首を横に振って笑って言った。


「わたしは八重霧警部から、凍ちゃんを見守るように仰せつかっているからね。しっかりそのお勤めは果たさせてもらうよ」


 それがどのような意味合いだったのかは、ぼくからは特に聞けなかったことなのだけれど。続けて、白輝さんは館を見上げて口にした。


「ドキドキだね、なにが待っているのか……」


 まるでぼくが覚えた緊張感を読み取ったようにして、凍に微笑みかけてくれた。


◇◇◇


 この赤い屋根の洋館が『夢占いの館』だと思ったのだけれど、どうやらそうではなかった。『回廊館』と呼ばれるものらしい。

 入った玄関口、広がった場所がロビーと呼ばれる場所だ。赤い絨毯が敷き詰められた広間に、高い天井に吊り下がるばかでかいシャンデリアと大きな置時計が印象的だった。

 外から見たところでは二階建てくらいの大きさがあるかとも思えたけれど、どうも回廊館は一階部分しかないようだ。高い位置にある窓の掃除などが大変そうだな、と見上げれば、そんなぼくの横顔を見た白輝さんに笑われた。


 ちょうど玄関口を入ったところにあったのは、受付カウンター。調度品が並べられた棚に大きな瓶には花が生けられており、来客用のふかふかとしたソファーが並んでいた。

 ぼくと凍はそれに腰かけて、受付カウンターのところで宿泊に関してのやり取りをしている御石さんと猫魔さんを待つことにした。


「へぇ、凍ちゃんははじめて来るところとかに不安はないの?」

「大丈夫です。なんとなく雰囲気はわかるし、それに蒼起が目の代わりになってくれるから」

「あはは、ふたりの信頼関係ってのは、ばっちりなんだね」


 その間にも、すっかり手が空いて暇をしていた白輝さんと凍は意気投合している。横並びのソファーに並んで座るふたりは、昔馴染みの友達のような距離感で話を続けていた。

 実のところ、凍は病院に引きこもっているようなものだから、同性の友達というやつがいない。瀬月のことを上げればいるにはいるが、それでも訳アリだ。世話をしてくれる御石さんにしたって、友達と言うにはまた違うだろう。だから、そのようにして笑顔で話を交わしている凍のことを眺めていると、なんだかこちらまで微笑ましくなってくる。

 空っぽになった両手を眺めて少し寂しくもなったけれど、嬉しくもあった。


「お待たせー」


 そんなことを考えていると、間延びするような声で寄ってきたのは御石さんだった。横にはキャリーケースをふたつ持つ猫魔さんが控えている。話はついたらしい。


「お部屋のほうへご案内いたします」


 丁寧な調子で頭を下げる猫魔さんにつられて、ぼくらは同時に立ち上がった。


「んじゃ、また後で訪ねに行こうかな」


 白輝さんはにこにことした調子で話を切り上げ、手を上げる。


「はい。いつでも」

「じゃあ、またね」


 凍が笑顔でこたえると、白輝さんはロビーより向かって右手に続く廊下へと消えて行った。


「では、ご案内しますね」


 笑顔で白輝さんの背中を見送って、猫魔さんと御石さんが向かったのは、それとは逆、左手に続く廊下のほう。ぼくは凍の手を取るとその後に続いた。


「こちらに食堂があります。またディナーの案内は別途させていただきますね」


 ロビーの一角には両開きの大扉が構えられた部屋があった。その前を通り過ぎて廊下を進む。

 赤い絨毯敷きの広い廊下はそれだけで雰囲気がある場所だった。これから一晩を過ごすことになる夢占いの館へいよいよ足を踏み入れた、そんな実感がわいてきたところだ。

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