魔眼を持つ少女 ――2――

秘見弥ひみやという名を知っていれば、その眼は見ない』――。


 ぼくがそう教えられたのは、なにも横にいる凍のことを指して、ではなかった。

 それは、魅入られるからか魅入ったからなのか。今となってはもう定かでもない。歴史の果てに記されることもなく、遺されることもなく、ただ残った連なる名。


『秘見弥』の血を引く女性は――その目に『魔眼』を宿す。


 ぼくが教えられたその言葉も、世の裏側に潜んだ彼女ら一族を知っているものたちがそう覚えているだけの話だ。

 高級レストランで服毒自殺をしたという女性。特にとの繋がりがあるわけでもなかったというのが、警部である八重霧の調べであったらしい。白紙の印刷用紙に手書きで記された遺言。それは紛れもなく、亡くなった彼女の字であることが証明されている、とその場で教えてくれた。


「秘見弥……」


 話を聞いてぽつりとこぼした凍は、声色からわかる不安の色を浮かべていた。そうしてぼくの手を離すと、顔に巻いた包帯へと両手をかける。


「一体なんだというのだ……彼女は、ただのウェイトレス、どうして、わたしのレストランで……」


 苦悩する剣野義さんにはどうやら話が見えていないようだ。八重霧は「ふむ……」と唸りながら、口元に手を当ててその表情をうかがっている。

 剣野義さんに嘘をついている様子は見えない。ぼくの目から見ても。


「『本家』の人間だ。だからわたしに確認させたい、と?」


 凍は顔に巻いた包帯をするすると解きながら、ちょうど八重霧が立つほうへと顔を向けた。

 彼女には空間を把握する力がある。目が見えていなくとも、人の声や立てる音、においをたどって、調子がよければ物の位置すら認識したようにして、その場の空気を把握してしまう空間認識能力――『超感覚』がある。


「えぇ、そうだろうと思いましてね。もらったほうが早いかと」


 八重霧は凍には見えもしないのに、胡散臭いほどの作り笑顔を浮かべて頷いた。


「そう、それは正解だよ。わたしもそこに名前がある意味を知りたい」


 凍は笑って返す。

 世に出ることはない彼女ら一族は警察との繋がりもないと聞く。八重霧にも秘見弥の当てなんてものは、凍くらいしかないのだろう。

 凍もその血を引くものだ。彼女は――彼女が『本家』と呼ぶその場所から勘当された身。追い出され、追放され、絶縁されたというだけで。


 凍はそうこうしているうちに、顔に巻いていた包帯を解ききった。

 つむる形のいいまぶたにはきれいにまつ毛が立っている。包帯という封印から解き放たれて、凍自身も凛と立つ。

 彼女はそのまま左手で左眼を抑えるようにしてから右眼を開いた。ぱっちりと開く大きな目はやはり形がよく、しかし、彼女の瞳が映すのは、ぼくらが見ているこの世界ではない。


――紅い光が満ちる。


 さながらパトカーの回転灯のような、澄み切って穢れも曇りもない紅い光が、薄暗い厨房を照らすようにして広がった。

 彼女の瞳から発せられたその光には、魅入り魅入られるほどのなにかがあるのだろう。ぼくはおろか、八重霧と剣野義さんも見惚れるようにして目を見開いた。

 凍はさまよわせた視線を剣野義さんへと向ける。その眼光に言葉通り睨まれた彼は、怯んだように半歩引き下がり、手にしていたコック帽をふぁさりと落とす。

 凍は地面に直立した白いコック帽を、まるで見えているかのようにして目で追った。


「な、なんなんだ……」


 驚き声を上げる剣野義さんに、八重霧が「まあまあ」と制するよう手を出して声をかけた。


「これが、わたしが彼女を助っ人に呼んだ理由です」


 説明するより見せたほうが早い。その通りだ。

 彼女は口で語るより、その眼で語ってくれる。


「剣野義さん。遺書の内容に覚えは?」


 凍は静かな声で問いただす。

 紅い瞳に見つめられた剣野義さんはうろたえるようにした。ただ、額から流れる汗を手の甲で拭って、恐る恐るといった調子で言葉を紡ぐ。


「あ、あるわけが、ないだろう……」


 凍のことを子供だと見下した様子もすでにない。揺れ動くようにして戸惑って、怯えているのがぼくにすらわかった。

 紅い光は凍にそれを見せていることだろう。

 凍が右眼に持つのは、ルビーのように輝く紅い魔眼。人の心の動きを読み解く異能を宿すもの。嘘をつくとその緊張が体に表れる、なんてことはよく言うけれど、凍の右眼はそのような心の動きを映すらしい。


「嘘をついている様子はない」


 そう静かにこたえた凍に、横で話を聞いていた八重霧が「そうですか」と頷いた。


「秘見弥を知っていますか?」


 今度はぼくから聞くと、剣野義さんはふるふると体を震わせる。その目を凍の眼から離すことはなく、慌てたように首を横に振ってこたえてくれた。


「知らないっ……だから、わからない……と」


 警察にも散々に問い詰められたことなのだろう。死体が見つかったというのに、現場に出入りしている警官の数が少ないように感じたのは、その名が関わっていたためか。八重霧が直々に迎えにきたのも直接その名が出ていたからだ。


「嘘はない」


 凍はまたしても静かに口にして、八重霧も頷いていた。


「そうでしたか、やはり」

「だから本当のことを、こたえていると言っているだろう……こ、こちらとしても、困っているんだ」


 冷や汗を流し壁に背をつけた剣野義さんは、凍の紅い光より目をそらし、八重霧にこたえた。


 ごく稀に、秘見弥の血筋だけが持つはずの魔眼の力を持ったものが生まれることがある。

『光り目事件』――。そういったものらが関わった事件をそう呼ぶのだと、いつだったか八重霧は言っていた。警視庁の中で彼が担当しているのがまさにそれだ。

 今回も秘見弥の名前が関係していることで、彼に白羽の矢が立ったということだろう。本質を知らぬものからしたら、『秘見弥』も『光り目』も変わらない。そこには大きな差があるというのに――だ。


「やれやれ」と首を振ったのは八重霧だった。

「これでまた、振り出しに戻ったようなものですよ」


 手にしたステッキをついて、首を振って手を振って、ちょうど腰の高さほどの調理台に腰を乗せた。料理人の前でそれはいかがなものかと口を出そうと思ったが、面倒にもなってやめておいた。

 凍はまだなにか言いたそうにしていて、ぼくの手を取るなり八重霧に視線を向ける。


「遺書は見せてもらえる?」

「えぇ、構いませんよ」


 思ったよりも軽い返事だった。八重霧は立ち上がり作り笑いを浮かべたまま、懐より折りたたまれた紙を取り出す。そんなところにそのまま遺書をしまっていたのか、と彼の倫理を問うような疑問も出たけれど、どうやらそれはただの印刷された写真だったらしい。広げた写真をぼくに見せてくれた。

 読みやすい字で書かれていたのは、つい先ほど八重霧が口にした通りの文言。『契約に則る。秘見弥には逆らえない』という文字。


「間違いなく、秘見弥だ、と」


 凍が確認したかっただろうことを確認してやると、彼女は「そう……」と小さく返事をこぼして、その眼を閉じた。

 紅い光は閉ざされる。凍の瞳も閉ざされて。「ん!」と右手にしている包帯の束を突き出して、ぼくに巻け、とそう言って。


 仕方なく包帯を受け取ると、彼女は背中を向けた。大した重みはないのに重たく感じるのは勝手な妄想だろうか。まあ、そんなものは手にしているよりも持ち主に返すのが先決だ。

 だからその顔、目の上の辺りから巻いてやった。くるくると林檎の皮を包丁で剥くのとは逆向きの要領で、彼女の瞳を封じるために包帯を巻いてやる。ぼくがやると幾分か汚くなってしまう。あまり器用ではないので勘弁してほしいところだ。


「八重霧さん、その亡くなった女性の身元は?」


 包帯を巻いていると凍が口を開いた。


「わかっていますよ。ただ入院したお母さんとふたりきり、交友関係などにも怪しいところは見られなかったのです」


 怪しいところは見られない。

 本当にそうなのだろうか。


「あぁでも、最近お金に困っていたんでしたよね?」


 八重霧は思い出したかのように眉を上げて言う。その眼差しの矛先となったのは剣野義さんだ。


「あ、ああ……給料を上げてほしいって相談は受けた」

「それが、ひと月前でしたっけ?」

「そう、だったはず……だが……」


 だが……? とそこで区切られた言葉に、話の続きが気になった。


「それも必要なくなった、と相談を一週間前に受けた」


 壁に背をつけたまま静かに頷いた剣野義さんの言葉には、ぼくの目から見ても嘘を言っているようには見えないし、嘘をつく必要もなさそうだ。


「また、どうして?」


 にこにこと作り笑いをする八重霧はこたえがわかっているような素振りで聞いている。一度その話も事情聴取をした際に聞いているのだろう。


「援助してくれる人が見つかったからだ、と……」


 剣野義さんは静かに語って口を閉じた。


「母親の入院費に困ったってこと?」


 くるくると包帯を巻いている凍が首を傾げるものだから、巻いていた包帯も斜めになった。ぼくが「あ、ちょっと」と口を出すと、凍は「ごめん」と笑う。


「そうですね。彼女はひと月前に突然入院することになった母親の介護に困っていたみたいです」


 介護と八重霧は語る。そこに思い悩む事情があったにせよ、しかし、なんでまた死を選ぶ必要があったのかと考えてしまう。

 他人事のように考えてしまうけれど、他人事なのだから仕方がない。


「援助……『契約』ねぇ……」


 凍はそれらを聞いて考えるようにしていた。


「なにか思い当たることでも?」


 八重霧は胡散臭い笑顔を浮かべて聞くが、凍は「いえ、なにも」と冷たく返すのみ。期待外れだったのか、彼は肩を落とし、考えるように俯いてしまった。


『これでまた、振り出しに戻ったようなものですよ』――彼がさっきそう語っていたのは、紛れもなく事実なのだろう。

 凍の力を手がかりにしようと考えたのだろうけれど、どうも本当に第一発見者である剣野義さんは、その遺書の内容にも心当たりがなかった様子だ。そこに秘見弥の名があろうと事件性はないように思えたのだが、どうも八重霧はそう考えていないらしい。

 そんなこんなでちょうど包帯が巻き終わる。蝶々結びにしてやれば、白いリボンを巻いているかのようだ。やはり元通りきれいに巻けた、とまではいかなかったものの、凍の両眼は完全に塞がれた。


「ありがとう、蒼起」

「どうってことないさ、いつものことだ」


 彼女が口元を緩ませて微笑むと、ぼくも自然と笑顔で返す。


「一体、彼らは……」


 そうしているぼくらを見て、不思議そうに呟いていたのは剣野義さんだった。それもそうだろう。多分、おおよそなんの説明もなしに凍の魔眼を直視して、その眼に問いただされもしたのだから。


「あぁ、言っていませんでしたね」


 そうこたえたのは未だこの件について悩んでいる様子の八重霧だった。


「秘見弥 凍。といっても、そこに書かれていた名前のとは別人かと思われますが」


 その名を聞いて、その名の本当の意味もわからなかっただろう剣野義さんはもう一度凍に目を向けた。目を見開いて驚いたようにして……、そして今、秘見弥の名に含まれた意味を知ったのだろう。

 紹介に預かった凍が、形のいい胸を張ってから続けた。


「わたしは『魔眼』を追っているの。そこにある真実を見届けるために」


 その言葉に嘘はないのだろう。凍はいつだってその眼で真実を語る。


 そう言った彼女は、秘見弥の名を継ぐものとして、その道を行く。

 ならば、ぼくは彼女にとってなにでったのか。記憶を失くしただけのが、彼女にとってなんだったのか――。

 それはきっと、ぼく自身が見つけなければならないことだった。

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