魔眼を持つ少女 ――1――
ぼくは彼女の杖であり、彼女はぼくの杖だった。
まだ朝日も昇らぬ早朝、一本の電話で叩き起こされ、呼び出された彼女に付き添うこととなった。
鳴らないサイレンは赤い光だけでもけたたましい。西から東へ、東京を横断する真夜中のハイウェイドライブで運ばれる。薄暗い空の下へ走った光を黒いガラス張りのビルばかりが出迎えた。
ぼくらを乗せたグレーのセダンが、都内一等地に立つビルの前で停車する。
最新式の高速エレベーターを備える高層ビルのようだけれど、目的地は一階に入る高級レストラン。と言っても、なにも優雅に朝食を、という気分できたわけでもない。ぼくらはそんなところに縁はなかったし、迎えにきた車もリムジンではなくいわゆる覆面パトカーで、なにせ早朝だ。店が開いている時間でもなかった。
眠らない街も朝には眠る。停まった車内の中、カーナビに記される時刻は午前五時を少し回ったところ。通勤時間よりも早いためだろう、道には起きてきた人の姿も見えない。だけれど、赤い回転灯がゆらゆらと寝静まる街を揺さぶっていた。
「ちょっと待っていてください」と告げて、ここまで運転してきたワインレッド色のスーツを着た男が車を降りて行く。その後部座席で、ぼくらは言われた通りにただ待った。
欠伸を噛みしめて横に座る彼女を見てみるけれど、ジッとしていてその表情はうかがえない。目元を隠すように巻かれた白い包帯が一番に目につくからでもある。
背中まであるストレートの黒髪は、少しばかりの光でも流れるように反射して輝く。肌は白くきめ細やかで、そうやって動かないでいると精巧な人形のようですらある。小さな鼻と口、整った顔立ち――だけれど額の下、何重にも巻かれた白い包帯が彼女の目元を覆い隠す。ちょっと長めの包帯はリボンのように結ばれているのだが、彼女は今日もフリルがあしらわれた黒いワンピースを着ている。よく黒い服を好んで身につけるものだから、白いそれは余計に目立った。
「眠くない?」
「大丈夫、ようやく入ってきた手がかりだから」
やんわりと聞いてみたところ、彼女は欠伸もせずにぼくの右手をぎゅっと握り、透き通る声でこたえてくれた。
「事件が目の前とあれば、目も覚めたところだよ」
口元を綻ばせてこちらを向いた。
『
彼女はその両眼に『魔眼』を持つ。特殊な力を宿した瞳は、はたから見てもわかる形で封印されているというわけだ。彼女は言葉通りの意味で目が見えない。瞳に力を宿したからなのか――。その理由が今のぼくにはわからないけれど。だからぼくは彼女の杖だった。
「……そっか」とこたえたところで、トンッと軽く、車の窓が叩かれた。凍は音のしたほうへ顔を向け、そっとさまよわせる右手で車のドアの取手を探している。ただ、それよりも早く向こう側よりドアが開いた。
「お待たせしました。眠くないですか?」
丁寧な調子でそう言ってはにかんでいるのは、
三十代だと聞き及びはしたが、実年齢は聞くに聞けない。機会もなければ聞きづらい。女性が放っておかなさそうな顔立ちをしていると思ったのが第一印象。ただ、仮面を貼りつけたような笑顔には嘘臭さが混じって見えて、まるで近づくな、信用するな、と先に予防線を張っているようですらある。
ステッキと呼ばれる杖をくるりと回してつく時代錯誤の独特な雰囲気は、縁がなければすり合わせたくないような袖をしているけれど(スーツの下から覗く白いワイシャツの袖にフリルがついている)。
まあ、縁があったのだから仕方がない。
「別に大丈夫です。八重霧さん、案内して」
静かな調子で返事をする凍に手を引っ張られ、ぼくも車を降りた。彼女の空いている手は八重霧が取ってエスコートしてくれる。見た目に似つかわしい紳士的な対応だ。
そのまま引っ張られて高層ビルへ一歩入ると、静けさと合わさって妙な不安が押し寄せた。小綺麗な薄暗いエントランスには人っ子ひとりおらず、吹き抜けとなった高い天井はぽっかりと大口を開けているようだった。
入口に掲げられていたのはイタリアの国旗、そこから察するにイタリアンレストランなのかもしれない。黒いレンガを積み重ねて雰囲気が作られた通路を抜ける。その先に広がるレストランホールには、立ち入り禁止だとわかりやすく区切るために黄色いテープが張り巡らされていた。
八重霧がテープをくぐって行くのに連れられて、凍とぼくも現場へと入った。
白いクロスのかかる丸いテーブルが並ぶレストランホール。だいたい二十人ほどの客が入るのだろう。それなりに開けていて、座席の間も広めに取られているような印象を受けた。テーブルとセットになるだろう椅子は片づけられ、端にまとめられている。
その中でたったひとりの警官が、慌ただしそうに鑑識だかの作業を続けていた。ただ、八重霧はずかずかとお構いなしにステッキを腕に抱えたまま進む。
妙な静けさには不気味さもあって、それに、ぼくらにしてみれば場違い感もあったのだけれど、ぼくと凍はただその後ろをついて歩いた。
ホールを抜けて奥まったところにあるパーテーションの向こう側へ。照明が少し落とされた薄暗い厨房へと入れば、途端にトマトソースだかデミグラスソースだか、食欲のそそられる香りが鼻孔をくすぐった。
ガス台の上に並んだ鍋の数々、レンガ造りの大きなピザ窯。つまみのたくさんついたオーブンやレンジも目に入った。銀色の業務用冷蔵庫が立ち並び、様々な器具が吊るされた調理台が目に飛び込んでくる。
そうして、はじめて目にするものばかりを追い続けた結果、情報量が多すぎて眩暈がしてきた。なにも全部覚える必要はないのだけれど、記憶がないぼくは、見たものを全て覚えようとする悪癖があるらしい。他人事だけれど、他人のような自分の特性なのだから仕方がない。
考えを改めて、もとい首を振って意識を持ちなおして、なにやらもうひとりいた警官と話し込んでいる男性の姿に目を留めた。
わかりやすく縦長のコック帽をかぶる初老の男。染みひとつない白で統一されたコックコートが様になる出で立ちに、彫りの深い顔立ち。目元に入った皴と眉間に寄らせた皴とで、悩んでいるとも怒っているとも取れるよくわからない顔をして腕を組んでいる。
苛立ったように落ち着きなく足を震わせているところを見るに、怒っているのかもしれない。
凍の手を離した八重霧が声をかけて近づくと、敬礼をした警官が下がって行く。
ぼくと凍はちょっと離れた場所から様子をうかがった。やはり場違いな気はして、一般の客も立ち入らないだろう厨房の中では余計に居たたまれなくなった。だけれど横にいる凍は、見えていないはずの眼差しを据えたようにして、ふたりから顔をそらさないようにジッとしていた。
八重霧はそのままコック帽の男と話をしている。少しして、ぼくらに振り向き手を招く。そうされれば断る理由もなく、凍の手を引いて近づいた。
「こちら、わたしが連れてきた助っ人。凍さんと蒼起くん」
八重霧が紹介するようにぼくらのことを手のひらで指し示す。
「はぁ……?」とあからさまに見下されるような返事をされて、
それもそうかと納得だ。どこの学生かもわからない若者風情が警察の助っ人だなんて――と彼の目には映ったことだろう。まあ、ぼくと凍は十七歳。別にその見立ては間違ってもいない。学生ではないけれど。学生服でも着ていたらこの場にもう少し相応しい格好でいられただろうか。よれた長袖シャツにジーンズという格好は、いかにも似つかわしくない。
「こちらが依頼人、このレストランのオーナーシェフ、
八重霧はぼくと凍に対してもコック帽の男を紹介した。依頼人。この事件の関係者。一体なにがあったのかは、ここまで来る車内で少し聞きかじった。
今朝になってこのレストランで死体が見つかった、とのことらしい。
第一発見者はレストランオーナーの男だと聞いていた。要するに剣野義さんということになる。
死んでいたのはこのレストランに務めるウェイトレスの女性。死因は服毒。見つかった場所は、まさにこの厨房。
店の戸締りはしっかりなされていて、死亡推定時刻も夜中のうち。店の鍵を持っていたのは、亡くなったウェイトレスの女性とオーナーの彼。遺書が見つかっているために警察も自殺と見ているが、それでもこの一件には不可解なところがあったとか。
見渡したところ死体らしきものは見当たらない。既に運ばれた後なのだろう。
「はぁ……まったく、なんでこう、不運が続くのか……」
深いため息をついた剣野義さんに、八重霧は真っすぐと視線を向けている。凍はというとぼくの手を取ったまま微動だにせず、その包帯の裏側からなにを視ているのだろうか。
「こんな子たちに、なにを任せようって言うんですか?」
剣野義さんは苛立ったことを隠すような素振りもせず、声を荒げて八重霧へ問う。やはり怒っていたらしい。
「遺書、見つかったでしょう?」
「えぇ、ありましたとも。だったとしてもね、レストランで服毒自殺なんて、洒落にならないんですよ」
それもそうだろう、と思ってしまった。苛立つ理由にも納得だ。噂は立つ。火のないところにだって煙は立ってしまう情報社会、火の元があれば当然か。
剣野義さんは「はぁ……」と深いため息をもうひとつ吐いて、コック帽を外し、頭を抱えていた。
凍のほうを見てみれば、ぼくの顔を見上げてまるで目配せするようだ。目は見えないけれど、それでも言いたいことがわかる。自殺には不可解なところがある。ぼくらが呼ばれた理由もそこにある。ただの自殺、ただの事件であるならば、無関係である凍を呼ぶ必要なんかないのだから。
「八重霧、遺書って?」
そこが本題なのは火を見るよりも明らかだった。だから代わりにそう口にしたところで、八重霧はぼくと凍を見比べるようにし、肩をすくめてから返事をした。
「ただ、ひと言。『契約に則る。
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