ハモ――水属性系男子・魚水海里の事件簿Ⅱ――

水涸 木犀

ハモ [theme2:ぬいぐるみ]

 俺がバーの扉を開けると、先客がいた。

 オープンと同時に店に入ることが多い俺にとって、先客がいるのは珍しい。しかしよく心得ているバーテンダーは常連のために定位置を開けておいてくれたらしい。いつも通り一番奥の席に座り、二つ隣に座っている先客の様子をちらりと見やる。

 オフィスカジュアルというやつだろうか。深い葡萄色のブラウスを着た、落ち着いた雰囲気の女性だ。とはいえ年はそこまでかさんでいないだろう。たぶんアラサーの俺と同じくらいか、それより少し若いくらいだ。カシスオレンジらしき飲み物をかき混ぜながら、小さく息をついている。


 それ以上他人を観察しているのも野暮だと思い、バーテンダー――塩見しおみという名の、俺の腐れ縁だ――に「いつもの」と頼んでコートを脱いだ。

 すぐに運ばれてきたジントニックを口に含みながら、今度は塩見の様子を観察する。彼はもの言いたげな女性客のほうに身体を向けている。彼女から話を切り出すのを待っているようだ。さすがコミュニケーション能力が高い男は違う。俺だったら沈黙に耐えられずに何か話しかけて、余計口をつぐませてしまうのがおちだ。

 女性はカシスオレンジを一口含んでから、深く息を吐きだした。

「最近、伯父が亡くなったんです」

「それは、ご愁傷様です」

 塩見は拭いていたグラスをテーブルに置き、頭を下げる。こういった細かい動作がきちんとしている辺りも、彼の好感度を上げる要因なのだろう。しかし、女性は塩見のほうを見ることもなくひたすらカシスオレンジを見つめていた。

「伯父は、詩人でした。そんなに有名ってわけでもないんですけど、何冊か詩集を出しています。……それで、このまえ遺産配分があって親戚一同、集まることになりました」

 何だか重い話になりそうだなと思いながら、俺は目の前のジントニックに集中する。爽やかな香りが鼻腔を伝い、少しばかり気分が明るくなった気がした。それでも二席隣の彼女は話をやめる気配がないし、狭い店内だ。彼女の話はいやがおうにも耳に入ってくる。

「幸い、きちんとした遺書が残されていて、親族でもめることもなく財産の配分は終わりました。……でも、私に遺されたものが、少々解せないものだったんです」

「近年は遺された遺産でもめるという話もよく聞きますからね。それが無かったのは幸いですが、あなたは不服だったのですか?」

 塩見の問いかけに、女性はいいえ、と首を横に振る。

「不満ではないんですが、ちょっと不可解で。……私に遺されたのは現金と、黒猫のぬいぐるみでした。首に赤い、水玉模様のバンダナを巻いた」

「ぬいぐるみ、ですか。それは貴方が伯父さんの家で遊ばれていたとか?」

 普通に考えればそうだろう。自分の姪が遊び相手として気に入っていたおもちゃを、思い出の品として贈ろうと考えても不思議ではない。しかしこの問いかけにも、女性は首を横に振った。

「違うんです。私が伯父の家に行くときは大抵おつかいで、ぬいぐるみで遊んだ記憶なんてないんです。だからなんでそんなものを伯父が持っていたのか、不思議で。しかも話はそれだけではないんです」

 女性はカシスオレンジを一気にあおり、もう一杯追加で注文を入れた。早速カクテルを作り出す塩見の手元を見ながら、彼女は言葉を紡いでいく。

「貰ったぬいぐるみを一応洗濯しようと思ってバンダナを外したんです。そうしたら中から、伯父のものと思われる手書きのメッセージが出てきました。書かれていた文章はこうです。“ハモのみち、その先にあるのは黒歴史。さりとて捨て置くわけにもゆかぬ”」

「ハモのみち、ですか。謎かけのようですね」

 二杯目のカシスオレンジを差し出しながら、塩見は穏やかに告げる。瞳は興味深そうに輝いていた。そういえば彼は、謎解きの類がいっとう好きな部類の人間だった。そんなことをぼんやり思っている間にも、女性の話は続く。

「やはり、店員さんもそう思いますよね。私宛にあえてぬいぐるみを遺したのは、このメッセージを伝えるためなんじゃないかと思って色々考えたんですが、さっぱり思い当たる節がなくて。これまで出版された詩集をざっと確認したんですけど、ハモが出てくる話はないんです。だから本当にこれ、本当に私宛だったのかも疑問に思えてきて。親族に確かめようにも、もし伯父の秘密のメッセージだとしたら申し訳ないので勇気も出ずに、それっきりになっているんです」

「難儀ですね。でもお客さんのおっしゃる通り、これはあなた個人に宛てたメッセージな気がしますね。きっとあなたなら解けると信じて、この文章を遺したのでしょう」

 柔らかな塩見の言葉に、女性は頭を抱える。

「やっぱり私宛ですよね。そうなんです。このぬいぐるみは私にって、遺言書に明記されていましたから。だから謎が解けないのがもどかしくて。伯父はいったい、私に何を遺そうとしていたのか」


「ハモのみち、は黒くて曲がりくねったみちのことじゃないですかね」

 女性が放った一文の意味をずっと考えていた俺は、ある漢字が頭の中に浮かんできて連想されたことを口にしていた。塩見が面白そうな顔をして俺のほうをみる。

「お、お得意の魚へん漢字で、何か思いついたか?」

 女性もこちらに視線を向けたようだ。目が合うと気まずいことこの上ない――今まで話を盗み聞きしていたことが咎められたらいたたまれない――ので、俺は塩見のほうだけを見て言葉を続けた。

「ハモが魚のハモだとしたら、魚へんに豊かと書きます。豊かという字はぱっと見だと想像できませんが、『曲がりくねる』とか『黒い』とかいう意味をもつんです。ハモ自体が曲がりくねった黒い魚っていう意味ですから。だから件の文章は、くねくねした黒い……暗く曲がった道の先に、黒歴史があるみたいな意味になるんじゃないんですかね」

 顔は塩見のほうを向けつつ、言葉は女性に向かって放つ――俺は塩見相手に敬語なんて使わない――と、女性はしばらく考えているようだ。しばらくして小声で「あっ」と声を上げる。

「もしかしたら……きっとそうです。私と伯父しか知らない場所がありました。次の休みに、行ってみようと思います」

「思い当たる節があったのですね」

 塩見の問いかけに、女性は大きく頷く。

「はい。私がお使いの途中で見つけた場所で。なんだかあそこしかないという気がしてきました。今度こちらのバーに伺ったときに、結果を報告しますね。あの、ありがとうございます。ヒントを教えていただいて」

 女性がぺこりと頭を下げてきたので、俺も無言で頭を下げる。ここで「いえいえ! お構いなく」なんて一言言えたらスマートなのだろうが、俺にそんな芸当はできない。しかし俺が反応を返したことで、彼女は満足したようだった。二杯目のカシスオレンジを飲み切って、席を立つ。

「お酒、美味しかったです。また寄らせてもらいます」

「ええ。またのお越しをお待ちしております」

 薄いベージュ色のコートを羽織り、女性は店を後にした。


海里かいり、今日もお手柄なんじゃないのか?」

 店の扉が閉まるなり、塩見がにやにやしながら俺の顔を見る。相手は立っているから、見下ろされる気分になるのが少々癪だ。俺は小さく首を横に振る。

「ハモって聞いたら魚のハモしか思いつかなかっただけだ。知ってるだろ。俺の知識が魚へん漢字に偏っていることは」

「まあな。でもそのおかげで、さっきのお客さんは何か手がかりが得られたみたいだぞ。結果報告が楽しみだな。海里も同席しろよ」

「あの人がまた同じ時間に来たらな」

「つれない奴だな」

 塩見はぼやいたが、仕方ない。俺は夕食を食べるためにこのバーに来ているのだ。塩見にお悩み相談をしに来る人々の会話が耳に入ってくるのは副次的な要素で、決して主目的ではない。お客さんの相談相手二号として、塩見に勝手に指名されてしまったら困る。

 幸いなことにその日は軽い雑談程度のお客さんばかりで、俺は塩見からも存在を忘れられるレベルで静かに夕食を取り、帰宅することに成功した。


・・・


 一週間後、いつものようにバーの扉を開けると、一週間前と同じ席に同じ女性が座っていた。彼女は右隣の席に大きめの手提げバッグを置き、机上に数冊のノートを置いている。扉の開閉音でこちらの存在に気づいたのだろう。俺の姿を見やるなり、立ち上がり深く頭を下げてくる。

「この間、ハモのアドバイスをくださった方ですよね。あのときは本当にありがとうございました」

 突然お礼を言われて、俺は動くこともできなくなりまごついてしまう。

「ああ、こいつちょっとコミュ障気味なんで、慣れないことをされるとああやって固まるんです。十分感謝の気持ちは伝わっていると思いますよ。海里、ほら、いつもの席まで来いよ。メニューも、いつものやつだろう?」

「……ああ」

 塩見のフォローのおかげで――若干失礼なことを言われた気もするが――フリーズから立ち直った俺は、ぎくしゃくした動きで女性の後ろを通り過ぎてコートを脱ぎ、一番奥の席に座る。女性は俺たちのやり取りに少し関心を持ったようだ。

「常連さんなんですか?」

「ああ。しかも中学時代からの腐れ縁でね。近くに住んでいるので、こうして夕飯を食べに来るんです。売上に貢献してくれるので、助かってますよ」

 俺に代わって塩見が質問に答える。まあ、何も間違っていないし想定外の事態が起きると、俺の口は思うように動かなくなるからこれでいいのだ。そう自分に言い聞かせていると、目の前に見慣れたグラスが置かれた。

「ほいジントニック。……それで、その様子ですと吉井よしいさんは、伯父さんの探し物、見つかったようですね」

 女性の名前は吉井さんというらしい。いつの間に聞き出したのかは知らないが、そんなことはどうでもいい。女性は大きく頷くと、机上に置いた数冊のノートを指で示した。

「はい。そちらの常連さんの言葉で、ピンと来たんです。私の家と伯父の家の間にある、裏山にできた細い洞窟のことじゃないかって」

「曲がりくねっていて、黒い。確かに洞窟のイメージには合いますね」

 塩見が頷きながら相槌を打つ。

「そうなんです。洞窟って言っても短くて、すぐ行き止まりなんですけど。この前の休みの日、早速中に入ってみたら、突き当りに木箱が置かれていて。伯父の名前が書かれていたので持ち帰ってきたんです。中にはこれらのノートが入っていました」

 女性はノートのうち一冊を手に取る。ぱらぱらとめくり、90度回転させた。どうやら横罫線が引かれたノートを、縦に回転させて使っていたようだ。縦書きで何かしらの文字が記されているのが見て取れる。

「記された年月を見る限り、どうもこれは伯父が学生時代に書いた詩のようなんです。家に置いておくと伯母さんや、編集者の方に見つかるかもしれない。とはいえ捨てるのは忍びない……そう思って、洞窟の中にしまっておいたんじゃないかと思います」

「なるほど。詩人さんの過去の詩ですか。……確かにご本人にとっては黒歴史かもしれませんが、捨てにくいものでもあったのかもしれませんね。それだけの冊数があるのであれば、出版もできそうですが。そういったご予定はあるのですか?」

 塩見が問いかけると、吉井さんは首を横に振る。

「いいえ。きっとこれは、私と伯父だけの秘密なんです。だから遺書でぬいぐるみを託し、首元のバンダナにメッセージを忍ばせるという回りくどい方法をとった……これは、私への個人的なプレゼントだと思うことにします。ずっと大切にとっておくつもりです」

「それがいいかもしれませんね。きっと伯父さんも本望でしょう」

 塩見は穏やかに同調した。

「そういっていただけると私も安心できます。この度は、本当にありがとうございました。店員さんと常連さんのおかげで、大切なものを見つけることができました」

 再度立ち上がり、深々と頭を下げる女性を塩見は手で押しとどめた。

「いいんですよ。自分は話を聞いただけですし。役に立ったとしたらそこの海里でしょう。とはいえ友人が役に立ったようで、自分も鼻が高いです」

「……お役に立てて、良かったです」

 調子の良いことを言う塩見に若干イラっとして、その勢いを使って俺も頭を下げつつ、声を発することができた。顔を上げると、本当にうれしそうに微笑んでいる吉井さんと目が合った。面識の薄い女性と目が合うのが苦手で、すぐに視線をそらしてしまったが。


 後日、「あの時のお礼」として吉井さんから俺と塩見宛に伯父が生前に出版したという詩集をもらったのは、また別の話である。

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