第8話
メナムへの手紙には、まず私が生きていることと「シャヤ」の証明としてあの
『もしこの
そう結んだ手紙に添えたのは、万が一の時に備えて余分に作成しておいた首飾りの部品だ。涙の形に磨かれた照り輝くこの
私から直接アテナン王へ送るのはあまりに不審で、そこはまた隊長を頼った。王宮から伝令として送られたのなら、確実に受け取られる。
それでもサマティラの西部に接すメナムの首都へ手紙が届くまで、おそらく二週間は掛かるだろう。読んで、折り返して二週間。そこから祝祭までは二ヶ月ほどしかない。アテナン王が私の願いを叶えてセンへ
――世を照らし民を救え、シャヤ。
この状況で私の生存を明らかにするのが正しかったのか、分からない。父なら、なんと言うだろう。でも、私が義父を助けなければ。
這い寄る不安と恐怖に震え始めた指先をさすり合わせたあと、裏で帳簿の巻きを解く。納入と共に代金が支払われると思っていたから、狂いが出てしまった。ウーへの支払いは終えているが、職人達にはまだだ。もちろん事情は知っているだろうが、彼らにも生活がある。なんとかしなければ、このまま新たな一式の作成など依頼できない。とりあえず、稼ぐしかないだろうが。
不意に店の戸を叩く音が聞こえて、腰を上げる。表へ出て義父の収監以来閉ざしていた戸を開けると、ヨバだった。半月ほどリシェマへ出掛けていて、今回の一件には立ち会っていない。
「ああ、サエル。大丈夫か。私が留守にしているうちに、大変なことになっていたようだな」
「はい。王との間で少し行き違いがあったんです。今、どうにか義父を助けようと方法を考えているところです」
迎え入れて端的な説明をすると、ヨバは心配そうな表情で頷く。優しい手が宥めるように私の腕をさすって、なんとなく泣きそうになった。
「余計なことかと思いはしたが、職人達への代金は私が代わりに支払っておいた。この先も、金の心配はいらない。お前はエハブを助けることに集中してくれ」
続いた言葉に驚くと、ヨバは穏やかな笑みを浮かべる。
「……なんてお礼を言えばいいのか」
「礼などいらん、善き友よ。これまでお前がどれだけ私を助けてくれたと思っているんだ。あの鉱山だって、もし騙されて手放していたらとんでもない額を失うことになっていた」
確かにそうだが、あれは私にできることをしただけだ。見過ごせなかったから手を出しただけで、見返りが欲しかったわけではない。
「街の皆も、お前に救われたことを忘れてはいない。お前のためなら皆が働く。お前が皆にしてくれたように、皆もしたいと願っている。まあ、お前ほど賢いものはおらんがな」
ヨバは
「全てを一人で抱える必要はない。孤独になるな」
優しく諭す声に、滲むものを抑えきれずしゃくりあげる。抱き締める腕に逆らわず、胸を借りて泣いた。
アテナン王からの返事が届いたのは、予定より四日ほど早い夜だった。メナムでは手紙や伝令を運ぶ仕組みが発達しているせいだろう。ありがたい。
「どうなんだ、了承か」
「条件付きの了承、と言うにもまだ問題がありそうですね」
久しぶりのメナム語の流れから、斜向かいに座った隊長へと視線を移す。
「ハシェン王子が外遊中で、数日中にリシェマからサマティラへと入るようです。解決に備えてセンへ
無事に会えても、ハシェンの判断で却下される可能性もある。ただその前、会うには条件が添えられていた。アテナン王らしいといえば、そうかもしれない。遊び心と残酷さは紙一重のところがある。
「『見えども見えず、着れども着ず、装えど装わぬ』ように行くのが条件です。私が『私』だと、完全には信じていただけていないのでしょう」
「……謎掛けか?」
眉を顰め、訝しげに尋ねる隊長に、頭を横に振る。これは、解かねばならないものではない。
「いえ、そのままですよ。見えるが見えない、着ているが着ていない、装っているが装っていない姿で行かなければならないのです」
「できるのか」
「するしかありません。簡単に考えれば、たとえば『装っているが装っていない』は壊れた宝飾品を身につければいい。でもそれで王族と会うのは礼を失します。ただ条件を満たすだけではならないのです」
求められるのは、不完全であって完全であるもの、だ。
「最高級の亜麻と
浮かんだのは屁理屈のような答えだが、致し方ない。完璧さを求めている余裕はなかった。必要なのは全身を隠すほどの荒く織った亜麻と
ここからはとても出発できない刺激的な格好になるだろうから、「さる御方」としてヨバの屋敷から向かうのが最適だろう。ヨバには、素性を明かす必要がある。
「あと、あなたには警備を兼ねて付き添っていただく必要がありますね」
「なぜだ」
再び訝しげな表情を向けた隊長にも、大いに関係のある話だ。
「王子の滞在予定先は、あなたの親とされている富豪の家です。それに私はヨバの屋敷から出るつもりですが、『見えるが見えない』ように亜麻を被る下はほぼ裸で向かいますから。ほぼ素っ裸です」
以前それとなく平らな胸を一瞥した恨みは忘れていない。隊長は私の視線から逃れるように他所を向いたあと、項垂れた。
「お前は、俺をどうするつもりなんだ」
「どうにも。当日が楽しみですね」
最初は怖くて避けていた人だが、今は。
……まあ、いい人だ。
一瞬途切れた思考を繋ぎ、顔をさすり上げる隊長に笑う。早速、下準備に取り掛かることにした。
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