珠と王

第7話

 祝祭用に依頼されていたシュの装飾品一式は、無事開催の三月ほど前に仕上がった。羊皮紙事件やら毒殺事件やらで留守が多く図案以外は義父と仕入先のウーに任せてしまったが、納入された品は文句なしの素晴らしい出来だった。鮮やかな紫を艷やかに引き立てる磨きはもちろん、繊細な金の細工もたまらなく美しい。職人の誇りが詰まった完成度の高い逸品だった。

「……何度見ても完璧だね。こんなに美しいシュの一式は見たことがない」

 感嘆の息を漏らしつつ、最後の確認を終えて首飾りをそっと布張りの箱に納める。

「お前のその言葉が一番信用できるよ。王妃様もきっとお喜びになる」

「今日はお目通りがあるんだよね?」

「ああ、直接お会いしてお渡しすることになっている」

 既に支度を整えた義父は、落ち着かない様子で迎えを待つ。今日は物が物だけに、隊長達に王宮までの警備を頼んである。うちの店でこれほどのものを扱うのは初めてだろう。ヨバやほかの富豪に頼まれるものとは、やはり格が違う。

 店の戸を叩く音がして、隊長と兵士達が姿を現す。

「お世話になります。箱が三つありますので、お一人一箱でお願いします。傾けないように、大事に扱ってください」

 注文を出した私に、兵士達はおそるおそる箱を手にする。箱も中身のシュに合わせてタヤの絹を貼りつけた豪華なものだ。王宮へ納めるに相応しい。

「では隊長、よろしくお願いします」

 託した私に頷き、隊長は兵士達と義父を促して外へ向かう。

 毒殺事件のあと隊長は株を大きく上げ、今は昼寝する暇もないほど忙しくしているらしい。以前なら私を頼っていた周りも今は隊長を頼り、娘達もこぞって熱を上げていた。賢いだけのひ弱な男より、やはり富豪の息子で見目が良く立派な髭を湛えた男の方がいい。

 隊長には街ですれ違う度に恨めしげな視線を向けられるが、これでいいのだ。上に立つ者の技量が知れ渡れば、罪を犯す者も減る。私がちまちまと事件を解決するより、余程効果的だ。

 一群を見送って、店の戸を閉める。舞い上がった土埃を軽く扇ぎ、義父が帰るまで裏で石の選別を行うことにした。


 でも、義父は帰って来なかった。

「投獄って、どういうことですか! どうして義父が」

 隊長が店の戸を開けるや否や、駆け寄って問い詰める。

「落ち着け、それをこれから説明するって言ってんだ」

 宥める隊長の声に、行き場のない震える手で顔を覆った。胸を落ち着かせたくて深呼吸を繰り返すが、恐怖と不安は増すばかりだ。

「……どうすればいいの」

「大丈夫だ」

 不安に揺れる声に応え、手が崩れ落ちそうな体を引き寄せる。沈み込むように体を預けて、私より穏やかな胸の音に自分の音が倣うのを待った。

「落ち着いたか」

 やがて聞こえた低めな声に顔を上げ、見下ろす視線を確かめる。頷いて、ゆっくりと離れた。

「すみません、取り乱して。また急に失ってしまうのかと思ったら……抑えられないほど、恐ろしくなってしまって」

「そうだな、簡単に忘れられることじゃねえ。ただ今回はまだ、どうにかできる余地があるはずだ。聞けるか?」

「はい、大丈夫です。話してください」

 安易な言葉に逃げない隊長に安堵し、こめかみに滲む汗を拭いながら卓の向こうへ戻る。

「王はエハブに騙され、屈辱を受けたと思っている。宝飾品が気に入る入らねえ以前に、見た瞬間に『これはシュではない』と言って激高した」

「そんな、あれは間違いなくタヤで最高の……ああ、そうか、なんてこと」

 気づいた可能性に、椅子へ落ちるように座る。瞬く間に後悔が湧いた。

 私のせいだ。王宮に呼ばれた時にもウーとの取引の時にも、ろくに関わって来なかった。きちんと話をしていれば、確かめられていたことだ。

「王は、シュは白いはずだと仰ったのでは?」

「そのとおりだが、なぜ分かった」

 予想どおりの答えに項垂れ、膝の上で組んだ手に力を込める。

「全て、僕のせいです。事件のことでこちらのことに関わらず、確認を怠りました。シュには、二種類あるのです」

 深い溜め息をついたあと、痛む胸を宥めながら口を開く。

「一つ目は、この度納品したタヤ産のもの。タヤで『シュ』と呼ばれるのは、あの鮮やかな紫が特徴的な美しい石です。サマティラはタヤと国交がありますので、シュを知っている民はタヤのものを思い浮かべるでしょう。そして二つ目は、王がシュだと仰ったセン産のもの。センで『シュ』と呼ばれる石は白を含んだ柔らかい紫が特徴で、最高級のものは紫の混じらない白だとされています。ただサマティラはセンとの国交がありませんので、入って来ません。ですから、同じ名前のまま存在しても困らなかったのです。義父も、まさかセン産のシュだとは思わなかったのでしょう」

 タヤのシュの最高峰は、白を感じさせない鮮やかな青紫。センのシュの最高峰は、紫を感じさせない穏やかな白。私はどちらも、あの宝物庫で手にしたことがある。同じ名で呼ばれながらもまるで違う色の石は、どちらも同じ程に美しかった。

「なるほど、そういうことか」

「僕が参上して、ご説明申し上げれば」

「いや、それは勧められん」

 隊長は頭を緩く振ったあと、突然頭巾を脱いで額の汗を拭い上げる。黒々とした長い癖毛が肩先で揺れた。髭も髪も長い、男らしい男だ。私も少し前から伸ばし始めたが、解くと女にしか見えない気がして結んでいた。

「王は気難しい方だ。無骨で実直、武に優れた王だが反面、優雅さに欠け教養が浅い。そしてそのことを深く恥じ、人に触れられるのを何より嫌ってる。たとえ相手が宝石商だろうと、民からの指摘なんて受け入れられるわけがねえからな」

「だから、それほど激高されたのですね。義父が『シュも分からない王』だと嘲笑ったと勘違いして」

 経緯と問題点は理解できたら、次は解決策だ。どうにかして王の劣等感を刺激せず、その誤解を解かなければ。

「そういうことだ。悪いな、サエル。王妃は気に入って、必ず着けるとは言ってた」

「光栄です。そのお言葉が聞けて安堵しました。ただ、今のままでは叶わないでしょう。義父も戻っては来られません。どうにかしなければ」

 王妃自身に気に入られたことだけが救いだ。奥ゆかしく穏やかな方だとは聞いている。多分、義父を助けようとしてくれるはずだ。

「それにしても、王がセン産のシュをご存知だったとは」

「確かにそうだな。俺は、タヤ産のシュすら初めて見た」

「リシェマならセンとの国交がありますから、もしかしたらリシェマとの交流の席で目にしたのかもしれませんね。レアブに妻の装いを自慢されて、それ以上のものをと思われたのかも」

「まるで子供だな」

 鼻で笑う隊長に、思わず諫める視線を向ける。

「笑うところではありません。妻を蔑まれたのですよ。剣を抜いていてもおかしくはない場面です」

「そういうもんか。悪い、俺も疎いもんでな」

 確かに王の傍に仕えていなければ、その辺りのさじ加減は身につけられないかもしれない。ただあとを継ぐなら、そろそろ外交も覚えた方がいいのではないだろうか。

「目下からの言葉だと遮られるのなら、対等かそれ以上の方に頼むしかないでしょうね」

砂漠の民うちの部族にはいねえぞ」

 即座に返された身内の答えに、頭を横に振った。

「もう少し視野を高いところに置いて、第三者として状況を俯瞰してみてください。祝宴に招かれている国は、リシェマだけではないでしょう。でもタヤ王にお願いするのでは解決しません。客観的にタヤ産とセン産のシュを認められる、最も歴史の長い国があるでしょう?」

「メナムか」

「そうです。メナムのアテナン王を頼ります。あの方は宝飾への造詣が非常に深い方ですし」

「確かに、力を貸してもらえるなら心強いが」

 無理ではないか、と視線が伝える。確かに一介の宝石商のために王を動かすのは、簡単なことではない。あれこれ手を練ったところで、最後は賭けになるだろう。

「羊皮紙事件に毒殺事件、レアブがサマティラを揺さぶり王を苛立たせているのは間違いありません。祝宴でもし王が苛立ちを抑えきれず剣を抜くようなことがあれば、戦いの理由とされてしまうかもしれません。王の苛立ちを静めるのは、レアブを牽制し国同士の均衡を保つためでもあるのです」

 リシェマがサマティラを制圧し一国とすれば、サマティラの西方に接するメナムにとって脅威となるのは間違いない。レアブが王になってから、リシェマとメナムの仲は悪化を続けている。レアブがサマティラ制圧をメナム攻略の布石としているのなら、絶対に阻止しなければならないのだ。

「もう少し策を練ったあと、『わたくし』が一筆したためます。王には会ったことがありますし」

 それに、と続けたあと少し間を置く。懐かしい感触を胸に思い出し、苦笑した。

「なんだ」

「私は、メナムへ嫁ぐ予定だったのです。生存報告を信じて、力を貸していただけるといいのですが」

 二度、夫になる相手と会ったことがある。アテナン王の次男で、二つ上の利発な子だった。共に書を読み、王宮の中を駆けた。あの頃は「明日」が消えるなど、想像したこともなかった。

「今はまだどうにか男の振りができてるが、二十を過ぎればそうもいかねえだろ。どうするか考えてんのか」

「メナムかタヤの取り引き先を頼ろうと思っています。あちらなら女として暮らしても見つかることはありませんし、私の目も役に立つはずです」

 宝石商として築いた信頼は、必ず力になるだろう。

「メナムじゃ女は外で働けねえし、タヤだと召使い並みの扱いだぞ」

「知っていますが、そこをどうにかして生き抜くのですよ。私は確かに非力ですが、それを補える武器を与えられています」

 女だからといって、与えられるものを甘んじて受け入れるつもりはない。神は豊満な肉体や色気の代わりに、私に絶対の審美眼と少しばかりよく回転する頭を授けられた。

「あなたもせっかく株が上がったのですから、この流れに乗じて妻をお迎えになってはいかがですか。今なら声を掛ければどこの娘でも靡くでしょう」

「俺はいいんだよ。声掛けてすぐ靡くような奴には興味ねえし」

 振られた話を振り返すと、明らかに気のなさそうな素振りで項の辺りを掻く。これは、あれか。

「もしかして、割礼の具合が良くなかったクチですか」

「おっ前、馬鹿か! 鞭打ちだぞ!」

 途端に顔を赤らめた隊長に、ああ、と気づいて苦笑した。そういえば、兵士だった。「女なら」捕まってしまう。

「すみません。ニブラムといると、あいつそんな話ばっかりするもんで、つい」

 男の口調に戻して答え、がさつに笑う。

 普段は下世話なところを巡回する会話に呆れているが、たまにはいいこともある。少し楽になった胸に、ここにいないニブラムに感謝した。

 ともかく、と仕切り直すように咳をして、改めて隊長を見上げる。

「僕は策を練りますので、義父をよろしくお願いします。健康な人ですが、長く投獄されて元気な人なんていませんから。メナムと連絡を取り何かするにしても、おそらく祝祭に間に合うかどうかのぎりぎりになると思います。必ず助けると、それだけ伝えてください」

「俺に王を諌めろと言わなくていいのか」

 伝言を託した私を、隊長はじっと見下ろす。

「あなたは、あなたの思うように。それくらいには信頼していますから」

 黒肖石こくしょうせきのような深い黒の瞳を見つめ返して笑むと、少し揺れた。

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