第5話

 リシェマの商人が捕まった報せが街に流れたのは、その翌日だった。

「あいつら、ちゃんと仕事することもあるんだな」

 うちの店へ報告に来たニブラムは、棚から手にした銀鉱石を眺めながら嘲笑交じりに言う。羊皮紙盗難事件の恨みは続くだろうが、致し方ない。無実の罪を疑うとはこういうことだ。

「ヨバさんが被害に遭わなくて良かったよ」

「だよな。ほんと、リシェマにはろくな奴がいねえな」

 けっ、と憎々しげに返すその姿を見守っているのもリシェマ人だが、言えるわけはない。同じ神の土地で同じように暮らしながら命の扱いに差ができてしまう。神が人の王を拒み続けたのは、こうなると分かっていたからだろう。人の王を立てても良いと知れば人は、国の数だけ求めるに決まっている。それが争いの種になるのは誰でも想像できることだ。長く生きれば、それだけ争いも長く続く。神が人の命を縮めたのは、慈しみだったのかもしれない。

 溜め息をついた時、店の戸が開いて納品帰りの義父が姿を現す。

「おかえり。大丈夫だった?」

「ああ、問題なかった。いい出来だって喜んでたぞ」

 義父は顔を伝う汗を拭いながら、卓にぶどう酒の壺を置く。

「これはお前に、だそうだ。今度食事に来いと言ってたぞ。娘と会わせたいらしい」

「えー、またサエルかよ」

 不服げに口を尖らせたニブラムには、溜め息をついた。

「お前は、そうやって仕事をほっぽりだしてるからだ。仕事のできない男に声が掛かるわけないだろう」

「今は事件の報告に来たんだよ。じゃあ、帰るよサエル」

「ああ、ありがとう」

 ニブラムは銀鉱石を棚に戻し、手をひらりと振って帰って行く。

「街の様子はどうだった?」

「事件の話で持ちきりだ。商人は宿屋にいたところを捕まって、朝早く連れて行かれたらしい。取り調べが済めば、数日中にはあちらに引き渡されるだろう」

 義父は椅子に腰を掛けつつ、状況を伝える。サマティラでリシェマ人がサマティラ人を騙しても殺しても、レアブは軽い罰金刑しか科さない。リシェマでリシェマ人を殺せば死刑だが、サマティラ人を何人殺しても死刑にはならない。王擁立の代償を今は皆が引き受けているが、いつかは争いになる。

「何事もなければいいんだけどね」

 呟いて、満たされたぶどう酒の壺を裏に運ぶ。明日辺り、隊長が報告に来るかもしれない。棚に在庫を追加して、また表に戻った。


 隊長が姿を現したのは、予想より一日遅い夜だった。ただ、普通の報告でないことは既に私も知っていた。あの商人が、死んだのだ。

「リシェマ人の取り調べに許されるのは一日だけだが、あの商人は黙って何も話さなかった。昨日の夜は規約のとおりリシェマ人の祭司達の宿舎に預け、今日半日で口を割らせてからリシェマに引き渡す予定だったんだ」

 商人は、祭司達が暮らす宿舎での夕食中に突然苦しみだし、倒れて死んだ。毒が盛られていたらしい。

「ただ、全員が同じ鍋の汁を吸い、同じ壺のぶどう酒を飲んだらしい。パンも盛ってある皿から各々が自分の分を取った。それで、どうやって商人を殺した?」

 隊長は前回と同じように食卓でぶどう酒を傾けながら、私に尋ねる。

「口裏を合わせてるってことは?」

「祭司達が揃って神を畏れないなら可能かもな。でも全員俺じゃなく天を仰いで神に潔白を訴えてた。さすがに、全員揃って欺くのは罰当たりだろ」

 確かに、彼らが潔白を訴えたい相手はいつでも神だけだ。

「じゃあ彼ら以外の誰かが、となると給仕達だけど……商人の椀に汁を盛ってすぐ毒を落とす、のは無理ですね」

「ああ。汁もぶどう酒も、皆が見ている前で注いでいた。不審な動きをすればすぐに分かる。特に、給仕はサマティラ人だ。一挙一動を見張られてただろうよ」

 自嘲交じりの説明に小さく頷いて、ぶどう酒を傾ける。祭司達も給仕も毒を盛ったとは考えにくく、皆が同じものを口にしている状況で、商人だけが毒で死んだ。商人の皿に、前もって毒が塗られていた、か。

「どんな毒かは?」

「毒で死んだのは確かだが、種類は分からねえとは言ってる。砒素ひその症状と似ているとこはあると。薬師は、毒性のある種を砕いてスパイスのように振り掛けたんじゃないかと言ってた。俺は砒素じゃねえかとは睨んでいるけどな。でも、砒素だろうが種だろうが、どのみち食事に入れねえと無理な話だろ」

 口にされた可能性に、代わり映えしない野菜と豆の汁から視線を上げる。確信があるのか。

「使われてた食器は銀だ。俺は前に、砒素が銀食器を黒くしたのを見たことがある。今回も盃と皿が黒ずんでた」

 ああ、と納得して頷く。なぜかは分からないが、確かに砒素は銀の質を変える働きがあると読んだことがある。あれは確か、メナムの書だった。リシェマよりメナムの医師の方が、毒物には詳しいかもしれない。

「砒素が色を変えたのなら食事と酒に入れるしかないですが、それはありえない。銀食器にあらかじめ砒素を塗っておく方法もあるけど、変色してしまうから食べる前に気づかれる」

 同じものを食べながら、商人だけ砒素を口にする方法。砒素と銀食器。銀か……もしかしたら。

 顎を叩く指先を止めて隊長を見ると、視線が合う。

「誰が殺したかはひとまず置いておいて、何が殺したかなら」

「なんだ」

 即座に返された声に頷く。実際に見て試したことのないものを出すのは不安だが、致し方ない。

「見たことはありませんが、黒星鉱こくせいこうという鉱物なら可能かもしれません。昔メナムで採掘され、加工しやすく銀に似た光沢が美しいため装飾品や食器に利用されたことがあったとか。ただ毒性が強く、それによる死者が続いたので扱われなくなり、採掘も行われなくなったとメナムの書で読みました。確か、砒素に似た毒性を持っているはずです」

「銀との見分け方は」

「加工しやすいとあったので、まず銀より低い温度で緩むものを探せば良いのでは」

 答えた私に、隊長は食事半ばに拘わらず腰を上げた。

「でも、書で読んだだけなので自信はありません! 銀に似ている鉱石だって、探せばまだたくさんあるでしょうし」

 慌てて私も腰を上げ、裏打ちのない不安を伝える。見たことすらない、手応えのないものを答えにするのは勧められない。

「それは分かってる。でも銀にそっくりで人を殺せる毒を持つ鉱物を新たに探し出すより、お前と同じ文献を読んで実行した可能性の方が高いだろ。過去に確実に殺せた実績があるんだ」

 納得できる意見に、ああ、と頷いて腰を下ろす。

「確かにそうですね、見直しました」

「まあお前より……十年は長く生きてるだろうからな、経験則だ。助かった」

 少し細くなった視線を一瞬私の胸辺りに落としたあと、見送りを待たず表へ出て行った。

 次は、うちも黒星鉱の食器でもてなすか。

 肩で大きく息をして、置き物のように黙々と食事を続ける義父を見る。

「慌ただしい食事になってごめん」

「いや、いいんだ。何がとは言えないが、とても頼もしくてな。我々のような弱い者を切り捨てないありがたさを噛み締めていた。殺された商人も、決して立場の強い者ではなかったはずだから」

 義父は、少し寂しげに言葉を継ぐ。騙されているうちは敵でも、殺されたと聞けば思うことは変わる。失敗したら民など切り捨てればいいと、それを正しいと思う者もいるのだ。

「一番上に立てば、とても裾野までは目が届かなくなる。でも裾野で一緒に暮らした記憶や経験は、上に立ったあとも胸に残る。隊長は多分」

 口にできない言葉を飲んで、汁椀を傾ける。冷めた流れを喉に落として、長い息を吐いた。


 翌日は店を義父に任せ、一日裏で事件に集中することにした。

 食器の確認を終えるまでに私が考えておくべきことは、「誰が」それを商人の前へ置いたのか、だ。

 机にいくつか石を並べて、まずは位置関係を取る。商人が赤紅玉しゃっこうぎょく、犯人が虎黄玉こおうぎょく、祭司達は七人いるがまとめて緑芳玉りょくほうぎょく、給仕が髄玉ずいぎょく、隊長が青紺石せいこんせきだ。

 サマティラで罪を犯したリシェマ人は、基本的には最寄りの祭司達の元へ預けられる。その後祭司達の手から書面と共にリシェマの兵士達へと引き渡され、本国で処分を受けるのが規約だ。つまり、あの商人が捕まればあの祭司達に預けられるのは「分かっていた」。犯人はどこかのタイミングで宿舎に入り、前以って準備していた皿を食卓に並べたのだろう。動かした石を眺めて、先の動きを考える。

 商人の前にあの皿を置いてもおかしくないのは、給仕か祭司だ。赤紅玉しゃっこうぎょくの前に虎黄玉こおうぎょく緑芳玉りょくほうぎょく髄玉ずいぎょくを置く。

 でも犯人が私と同じメナムの書を読んだとすれば、給仕はありえない。リシェマ王宮の書庫に、サマティラの民は入れないからだ。よしんば入れたとしても、識字率の低いサマティラでメナム語を理解できるような民は富裕層の一握りだ。給仕などしていないだろう。髄玉ずいぎょくを除けば、残るは虎黄玉こおうぎょく緑芳玉りょくほうぎょく

 第三者が忍び込めない状況なら、考えられるのは祭司のうちの誰かだ。つまんだ緑芳玉りょくほうぎょくを目の前に動かし、小さく唸る。神の怒りを畏れない祭司がきっと、七人の中にいる。

 仕留めるには、仕掛けるしかない。青紺石せいこんせき緑芳玉りょくほうぎょくを払い、長い息を吐いた。


 呼び出しに応えて、今日も隊長は店の戸を叩いた。

「すみません、お忙しいところを」

「いや。どのみち報告ついでに来るつもりだったから気にすんな」

 返しつつ椅子にどかりと腰を下ろした顔つきには、さすがに疲労が見える。

「先に報告だが、お前の考えたとおりだった。銀よりかなり小さい火で歪んださかずきと皿があった。お前が言ってた黒星鉱こくせいこうかどうか試すわけにはいかねえけど、当たりだろうな。お前の手紙にあったとおり、ひとまず結果はまだ出てねえことにはしてある」

「ありがとうございます。これで殺したものは分かりましたね。では、続いて『誰が殺したか』ですが」

 切り出すと、隊長と義父は少し前のめりになって次を待つ。いや、まだだ。それは、これから探すのだ。彼らの懐へ入って。

「隊長に、信仰心を発揮していただきましょうか」

 にこりと笑った私に、隊長は怪訝な表情を浮かべた。

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