赤紅玉と祭司
第4話
ヨバが件の調査結果を手に店へ現れたのは、三週間ほど経ったあとだった。あの、リシェマの商人が
「お前の言ったとおりだったよ、サエル。あいつはリシェマの富裕層に売り込みを掛けていた。既に何件か契約も結んでたようだから、あとでこちらが色を付けて売り直す条件で証拠を預らせてきた」
「いいね。向こうの富裕層と繋がれたのはありがたい」
商売で難しいのは、良い切っ掛けを作ることだ。そこだけはリシェマの商人に感謝をすべきだろう。多少損をしても契約の実績を作れたのなら、二度目からは段違いに売りやすくなる。
「で、これからはどうすればいいんだ? 考えがあるんだろう」
「ないわけじゃ、ないんだけどね」
老いた目を輝かせるヨバに、確かめ終えた契約書を丸め、卓に置く。
「羊皮紙盗難事件のことは、もちろん耳に入ってるよね?」
「ああ。サエルのおかげで皆が助かったって大喜びしてる」
笑顔で答えるヨバは、まるで我がことのように誇らしげだ。実際、あのままニブラムの父親が捕まっていたら、同じ罪でほかの職人達や鉱山所有者達も捕まっているところだった。あの兵士達なら「皆で結託して納入数をごまかしただけでなく、銀を盗んだ」と罪を着せていただろう。
「さすがにちょっと、目立ちすぎたと思ってね。リシェマが関わることに、首を突っ込むべきじゃなかった。だから今回は、これ以上僕が関わるのはやめようかと思ってる」
犯人達の船は予想どおり国境手前で見つかり止められたが、乗っていた連中はそのままリシェマへ返された。リシェマ人がサマティラで罪を犯しても、サマティラの法では裁けない。それが、「決まり」だ。
「もちろん、見捨てるわけじゃないよ。集めた証拠をまとめて、詰め所にいる隊長へ持って行けばいい。あの人なら、全てうまく解決してくれるはずだから」
「あの若造が? いつも建物の陰で昼寝ばかりしているぞ?」
悲痛な表情で訴えるヨバに、苦笑する。皆に怠け者だと思われているらしい。
あのあと少し調べたら、マセルという名で富豪の息子であること、産まれてすぐ父方の部族に預けられて育ったこと、国王擁立のあと戻ってきて隊長の職に就いたことなどが「すぐに」知れた。まるで準備されていたかのような卒のない履歴を元にそれとなく周りを探った結果、皆が知らないうちに産まれていたことと、父親はメナムに程近い場所に拠点を構える砂漠の民であることが分かった。
「信じて、ヨバさん。あの人は僕が知る限りでは一番まとも……ではないけど、信じていい人だ」
「そうか。まあお前がそう言うなら、そのとおりにしよう。確かに、目立ちすぎれば変な輩にも目をつけられる。やっぱりお前は賢いな。私の息子達も、お前のようであれば良かったんだが」
ふと光の消えたヨバの瞳に、視線を落とす。ヨバの息子は二人いたが、一人は放蕩の限りを尽くして勘当され、もう一人は悪友との縁が切れず酒に溺れて死んだ。娘二人は共に堅実な男へ嫁いでいるのが、せめてもの救いか。
「すまないな、年寄りの悪い癖だ。じゃあもう行くよ、善き友よ」
諦めたような笑みで目尻に皺を走らせ、訴えに必要な証拠を一式を抱えて店を出て行った。
「気になることがあったんだろう。良かったのか?」
「うん。隊長なら、僕が何を疑問に思ったのかくらいすぐに分かるだろうし」
私の正体に気づいているとしても、リシェマに売る気がないのは続くこの平穏が答えだ。あれは脅迫ではなく、警告だったのだろう。感謝はしている。
「……やっぱり、惚れたのか?」
とんでもない発言をした叔父に、掴んだばかりの原石が、ごとんと卓に落ちた。
「えっ、ちょっ、そんなわけないでしょ!」
思わず素に戻ってしまった言葉遣いに、慌てて口を押さえる。
「あの一件からぼんやりと物思いに耽っているようだし、さっきもヨバに勧めたじゃないか。お前も年頃だし、もしや助けられでもして恋に落ちたのかと」
「頼むから、ありえない心配をしないで」
深い溜め息をついて顔をさすりあげ、また溜め息をつく。最近大人しくしているせいで気遣わしげな視線を向けられているのは分かっていたが、まさかそんな向きだったとは。
「この前の一件で肝が冷えたのが事実だよ。リシェマの連中が関わってるなんて思ってなかったから。しばらくは大人しくしてたいんだ」
「そうか、分かった。そういうことにしておこう」
いまいち納得しているようには聞こえない答えに、手の内から顔を上げる。裏へと入って行く背中を見送って、また溜め息をついた。
渦中の人物が戸を叩いたのはその晩、遅めの夕飯を食べる頃だった。
義父は満面の笑みで隊長を迎え入れ、食卓を囲ませる。あまり見たことのない笑みに、全く「そういうこと」にしていないのがよく分かった。
「悪いな。昼間に動くと目立つんだ」
ちらちらと灯りが揺らめく食卓で、斜向かいの隊長がぶどう酒を傾ける。
「真面目に働いてないからですよ。それで、ヨバさんの鉱山の件ですよね」
答えていつもの汁を掬い、豆を噛み締めた。義父は放っておいたらどこかで羊でも下ろして来そうに見えたが、ひとまずは大人しくパンをかじっている。
「説明が足りないところがありましたか?」
「いや、問題なかった。ただお前の見解を聞いておきたくてな」
尋ねた私に、隊長は訪問の理由を答えながらパンを裂く。心が浮き立っているであろう義父には申し訳ないが、予想どおりの理由だ。
「表面的には簡単な事件だ。質のいい
パンを口へ放り込み、汁を口に運ぶ。態度も声も相変わらず気怠いが、過不足のない分かりやすい説明だった。挟む必要もない口にぶどう酒を流し込んで次を待つ。
「ただ、もしヨバがお前に相談せず鉱山を売ってたら? どうせ向こうは国に守られ罪に問われることなく採掘を続けるだろうが、労働はたとえリシェマ人でも強制できねえ。誰がリシェマ人が騙して手に入れた鉱山で働く? 普通に考えれば、現場を捨てるだろ。それが分からない商売人がいるか?」
「いませんね」
「じゃあ、なぜこんな損するようなやり方をする?」
隊長はぶどう酒を手に、質問を重ねた。答えるのは構わないが、私に目立つなと言った人間がそれを聞くのか。それとなく窺った義父は、嬉しそうにこちらを窺っている。この人に気づかれていると言ったら……いやな予感しかしないから、やめておこう。
「僕は、リシェマから怪しまれずに大量の人間を連れ込む理由を作りたかったのではないかと思っています。鉱夫達に逃げられたのなら、連れ込んでも致し方ないことだと思われるだろうし、言い訳にもなりますから」
「なぜ大量の人間を連れ込む必要があるのか、理由は考えたか?」
ここまで考えていたのを分かっていた様子で、また質問を重ねてぶどう酒を飲む。私は、いつからこの人の部下になったのか。
「半年先に控えた祝祭の裏で何かをするつもりではないのかとは思いましたが、確証はありません」
溜め息交じりに答え、パンを食いちぎる。
「あの商人がリシェマで契約を結んでいた相手の名に、見覚えのあるものはあったか」
「いえ」
「全員レアブの側近だ。この前の盗みといい、連中はサマティラの内側から崩していくつもりらしい」
口をもぐもぐさせながら頷き、汁椀を傾けた。
民を扇動する手段にはさまざまなものがある。悪い噂に治安の悪化、思想の刷り込み。祝祭が民の手によって破壊されるよう、仕向けるつもりか。
「その辺りも含めて考えると、これをヨバに気づかせたのが盗みの一件を解決したのと同じ『聡明で有名な奴』ってのは、まずいんじゃないか?」
ああ、と気づいて汁椀へ落としていた視線を上げる。この周辺なら、皆が私を頼るだろう。上手くいかなかった理由がまた私だと気づかれたら、確かにまずいことになる。
「ここから先は、俺の独り言だが」
隊長は義父に注ぎ足されたぶどう酒を片手に、私を物憂げに眺める。相変わらず、私の底まで見透かすような視線だ。
「レアブがカロブ王の娘を取り逃がしたのは、その聡明さを侮ったからだと言われてるのは知ってるか。たかが十歳の娘ではなかったのに、見くびったとな」
ようやく察したらしい義父は、向かいで表情を凍らせた。さっきまでの何かを待ちわびるような浮かれた色は、もうどこにもない。
「『失われた王女』がもし生き延びていたとしたら、そろそろ舵の方向を変える必要があるんじゃねえかと思ってるんだが」
まるで値踏みするかのように私を眺めたあと、隊長はぶどう酒を呷る。そちらがそういう話をするなら、こちらも応じるしかないだろう。
「じゃあ、僕も独り言を。史記の、サマティラ王擁立の箇所をご存知ですか。『リシェマの混乱の間に、サマティラの民は王を立てた。部族の長の中で最も力のあった富めるダナンである。ダナンは妻リデとの間に二人の息子キエブ、ケッサムと五人の娘クア、コナ、セジ、ツヤ、ネムを、二番目の妻オマとの間に息子ノラムを持った。ダナンはリデとその子供達を連れて部族を離れ、街を目指した。』とあります」
「よく覚えてるな」
ぶどう酒片手に切り出した話に、隊長はパンを頬張りながら鼻で笑った。
「はい。そして史記の通りダナン王は一番目の妻とその子供達を連れてここへ来て、子供達は王宮の要職に就いたり役人の妻になったりしています。でも、二番目の妻と息子についての記述は今のところありません。なぜでしょうか」
「当然、二番目の妻と子だからだろう」
隊長の答えに頷く。確かに、同じ家族でも重んじられるのは先のものだ。最初の妻、長男、長女。リシェマでもサマティラでも、家の全ては概ね、長男へ引き継がれる。
「確かに、普通に読めばそう捉えます。最初にリデが子供を産み、続いてオマも子供を産んだと。でも、二人が子供を産んだ順番については書いていないんですよ。つまりリデの二人の息子は、オマが息子を産んだあとに産まれた可能性もあるんです。リデに娘しか産まれなかったために、オマを迎えたのかもしれない」
そしてダナンの部族は首都の遥か西方、首都よりメナムの方が近い場所に住んでいる。ダナンの長男が誰なのか嘘をついたところで、首都の人間は誰も気づかないのだ。
「リシェマのように神の声を聞く者が王を選ぶのでなければ、サマティラの王座はその長男に引き継がれると考えます。でもサマティラは王を擁立して間もない若い国です。どのような混乱や問題が起きるか分からない、王宮さえできあがっていないところに、命より大切な長男を連れて行くでしょうか。私が親であれば、来るべきその日まで部族に守らせておきます。ただもし長男がどうしても来たいとせがむのなら違う名を与え、素性を分からなくして呼び寄せます。決して目立たぬようにと言い聞かせて」
揺れる灯りの向こうに、これとは読み取れない表情を見る。舵取りの向きを変える時期が来ているのは、私だけではないだろう。
「もしノラムが王宮周辺にいるのなら、彼には次期王の自分ではなくしがない宝石商の息子が持ち上げられ頼られることに、危機感を持っていただきたいですね。まあ、独り言ですが」
汁椀を持ちつつ窺った私に、隊長は口の端を持ち上げて皮肉げな笑みを浮かべる。
「ヨバが相談を持ち掛けたのは、最初からお前じゃなくて俺だったことにする。それでいいか」
「はい。皆が僕ではなくあなたを頼ってくれるようになれば、僕は静かに生活できます」
無事落着した話に安堵して、汁を平らげる。隊長も納得した様子で、最後のパンを口へ運んだ。唯一落ち着かない様子の義父が、私達を見比べるように視線を滑らす。この件については、改めて触れない方がいいだろう。知らなくてもいいことは、意外と多い。
「『本物は本物が分かる』とは、よく言ったもんだな」
「それはこちらの言葉です」
軽く笑って腰を上げた隊長に、私も義父に目配せをしてから続く。この先は、二人の方がいいだろう。灯りを持って先に立ち、表へ向かった。
「顔を出さずに手伝えることがあれば、いつでも。表立って首を突っ込みたくはありませんが、見て見ぬふりをしたいわけじゃないんです」
「そうだな。これから祝祭までは何があってもおかしくねえ。知恵が必要な時は貸してくれ」
予想より素直に受け入れられたのには驚いたが、個人的な感情を優先させていないのだろう。民を守りたい願いや祈りは、同じだ。
戸口まで見送って再び裏へ戻ると、義父がしょんぼりしていた。
「だから、そういうのじゃないって言ったでしょ」
「そうだな。でももし『あの方』が」
「ダメだよ、義父さん。『あの人』は、これからも隊長だ」
腹の中で認め合っても、口に出していいことではない。渋々頷いた義父に苦笑しながら、空いた皿を片付けに掛かった。
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