第3話
「ああ、久しぶりだなサエル。今日はなんだ」
役所の陰で涼んでいた隊長が、私に気づいて物憂げに尋ねる。できれば会いたくなかったが、それを顔に出すわけにはいかない。
「こんにちは、隊長。先日納入した羊皮紙の木箱が、石で嵩上げされてたそうで」
苦笑でごまかしつつ答えると、ああ、と頷いてあくびを漏らす。いつ見ても眠そうだが、隊長だけあって育ちの良さは垣間見える。庶民でもなれる兵士と違い、上役にはそれなりの家柄が必要だ。
「羊皮紙を木箱に詰めたの、僕なんですよ。信用を失うのに、そんな馬鹿なことするわけないじゃないですか。あと、銀も盗んでませんよ」
「ねえよなあ。帰してやれよ」
「そういうわけにはいきません。こいつは犯人を探し出すと言い切りましたんでね」
黒々とした髭を撫でながら出した隊長の指示を、ふてぶてしく一人の兵士が拒む。上役の命令は絶対のはずだが、緩いのと若いのとで舐められているらしい。彼らは二十代半ばの坊っちゃんなんて使いものにならないとでも思っているのだろうが、とんでもない。ここで一番怖いのは、間違いなくこの人だ。
「分かってねえなあ。こいつが探し出せば、お前らが無能だって証明になるんだぞ。『私達は犯人探しもろくにできない役立たずです』ってな」
「では、隊長には犯人がお分かりになると?」
挑発するように尋ねた兵士に、隊長は長いまつげに縁取られた垂れ目を少し細める。サマティラ人でも西部に多い、メナム系の顔立ちだ。浅黒い肌と黒い瞳は同じだが、鼻筋がすっきりとして先が尖っている。
それにしても、怖いもの知らずとはよく言ったものだ。居た堪れなくて、思わず一歩あとずさった。
「じゃあ、今回は俺も参加しよう」
「えっ」
思わず声を漏らした私に、隊長はにたりと笑う。面倒くさいことになってしまった。兵士達だけなら気にせず証拠を探せるが、今回はそういうわけにもいかない。
「俺もそろそろ銀探しを手伝わねえとお叱りを受けそうだからな。お前と一緒にいれば仕事してるように見えるだろ。じゃあまず、現場だな」
腰を上げて指示を出した隊長に、兵士達は役所の建物へと足を向けた。
「分かったのは今日、箱が書庫へ届けられたあとだ。担当者が箱を開けて気づいた。そのあとすぐ我々を呼んで、残りを確かめた。全てが同じようになっていたのはこの目で見た」
「木箱は、届けられてすぐ開けたんですか?」
「ああ、そうだ。届いてすぐ開け、異変に周りを呼び、我々を呼んで、駆けつけた我々がほかの箱を確かめた。どの箱も同じように、上の十枚ほどだけ残されて下は石になっていた」
捜査に問題がなかったことを強調するように、歩きながら一人が答える。
「倉庫での保管に問題はなかったのか」
「数枚くらいなら隠れて持ち出したって分からないかもしれませんが、千枚近いんですよ? 誰かが持って出れば、さすがに門番が気づきます。夜中に盗みに入るにしたって、一度には無理ですよ。かと言って数枚ずつ盗むにしても、納入されたのは三日前です。間に合いません。こいつが上からしか確認されないのをいいことに石を詰めたとしか考えられません」
相変わらずの決めつけに眉を顰め、隣の兵士を見上げる。予想よりがっちりとした厳つい肩と、白髪交じりの縮れた髭だ。ニブラムも髭を生やし始めたし、そろそろ私も考えなければならないだろう。リシェマでもサマティラでも、男はみな髭を蓄えている。長い髪と豊かな髭は男の魅力に繋がるらしい。まあ、それはともかく。
「お言葉ですが、羊皮紙の納入を彼らが勝ち取るのは簡単なことじゃありませんでした。品質管理や取り扱いの努力を評価されて選ばれた名誉を、自ら手放すような真似をすると思いますか? 可能性が高いのは、寧ろ蹴落としたいと思っている連中でしょう」
「じゃあ、奴らがどうやってしたって言うんだ? 透明になって、兵士達の間を羊皮紙を抱えてすり抜けて出たとでも?」
「案外、そうかもな」
反対側で笑う隊長へ視線を移すと、思惑ありげな目つきとぶつかる。やりにくいが、仕方ない。肩で大きく息をして、件の書庫へ入った。
待っていた担当者から兵士と似た説明を受けたあと、許可を得て木箱の蓋を開ける。ふと鼻を掠めた臭いに、眉を顰めた。
「これは、どういう」
掴んだ羊皮紙の束は歪に縮み、私が知っているものとはまるで違う質感になっていた。
木箱の中を見れば、理由は察せる。詰め込まれた石が湿っていたのだ。
「……信じられない、なんてことを」
もちろん再び乾かせば使えるようにはなるだろう。でももう、納入した商品とは別物だ。使う前にだめにされてたなんて、ニブラム達にはとても言えない。
「それで? 何か分かったのか?」
後ろから聞こえたふてぶてしい声に感傷を収め、溜め息をつく。絶対に、犯人を見つけなければ。羊皮紙を置いて中へ手を伸ばし、石を二つ三つ掴む。どれも灰色でごつごつとした角の目立つ……思わず一つを掴み直して日差しへ翳し、じっと見つめた。
「どうした」
「ああ、いや。これは
「なんでそんなことが分かるんだ」
「口で説明するより見た方が早いから、裏の川へ向かおう。その木箱を一つ持ってきて」
疑いの眼差しを向ける兵士に顎で指示を出し、石を手に王宮の裏手にある川を目指す。頭の中で既に犯人像は定まりつつあるが、そうなると少し面倒くさいことにはなる。
「もう犯人が分かってそうな顔だな」
早足で進む私に合わせて歩きながら、隊長が水を向けた。そちらの方が、まるで分かっていそうな口ぶりだ。
「隊長は分かったんですか?」
「お前の顔を見て、まずそうな相手だなってのはな」
返答に思わず足を止めそうになって、慌てて踏み出す。こういうところが苦手なのだ。また、義父に叱られる。適当なところで任せて、さっさと帰ろう。
王宮裏に流れる緩やかな川は、かつてリシェマから私を運んできた流れでもある。サマティラの王宮はリシェマのそれを真似、流れの一部を引き込む形で倉庫内に船着き場が作られていた。リシェマから王宮への荷を運んできた船は、その流れに乗って船着き場に船を止めて荷下ろしや、必要なら荷積みを行う。
「乾季で水嵩が減っている分、分かりやすいね」
改めて見渡した河岸は、今となっては見慣れた景色だ。
「手に持っている石と、この河原にある岩を比べてみて」
「色が違うな。あとは、形か?」
「もう一つ。似たような大きさの石を探して持ってみて」
隊長に一つ石を投げ、乾いた河岸に視線をやる。隊長は素直に腰を屈めて石を手に取り、気づいた様子で私を見た。
「軽いな」
「そう。羊皮紙の重さをこの石で出すなら、あんな量じゃ無理だ」
頷いて、私も腰を屈める。河川敷を占めるのは、赤茶けた土の色に塗れた明るい色の石が殆どだ。
「サマティラの河岸で主に見られる石は、火山の噴火で吐き出されたものなんだ。それが上流から流されてくるうちに、流れに磨かれて角が取れてこんな風に丸っこくなった。これは木箱に入ってたのと同じ
見つけ出した一つを手にして、また隊長に投げる。
「丸っこいでしょ。サマティラは下流域だから、
「じゃあ、この石は」
背後から口を挟んだ兵士に振り向き、厳つい手が持つ石を見た。懐かしい、と思うべきなのだろうか。
「この川をずっと遡った先にある、リシェマのものだよ」
「なぜ言い切れる? サマティラの荒れ地から取ってきた可能性だってあるだろ」
「すぐ近くにこれだけ石があるのに、わざわざ荒れ地から取ってきて濡らして使う? あとこの辺の荒れ地じゃ、この色の
「じゃあこれがリシェマの石だったとして、どうやって持ち込んで羊皮紙と入れ替えたんだ!」
苛立ったように尋ねる兵士に、溜め息をつく。
石や鉱物のこと知らなければ想像すらできないのかもしれないが、彼らは兵士だ。少しくらい、目の前にある事件と結びつけて考えなかったのだろうか。
「考えてよ、そんな難しい話じゃない。できる奴らがいるだろ」
眉を顰めつつ、書庫で日に翳した石も隊長に投げる。隊長は石を少し傾けたあと、気づいた様子で日に掲げた。
「……銀か」
「そう。木箱の石に交じってた銀鉱石だよ。その
まあ木箱がいきなり空になっていれば、盗まれたと思うのは仕方ない。ただそこからの捜査が杜撰すぎるのだ。
「多分、被害に遭ったのは羊皮紙だけじゃない。でも、すぐに見つかってしまう食料品には入れてないだろうね。僕が盗むとしたら、羊皮紙のほかには亜麻と
「今すぐ倉庫の木箱の底を全て改めさせろ。あと、船を調べて追わせるんだ」
隊長の指示に、兵士達は木箱を置いてすぐに走って行く。詫びは聞けなかったが、これ以上遅れをとるよりはいい。上流へ戻る旅は、下流へ向かうよりも時間が掛かる。今追えば、国境を越える前に捕まえられるだろう。あとは、国同士の問題だ。
「まるでリシェマの河岸を見たことがあるような口ぶりだったな」
「生まれはこの顔のとおりリシェマに程近いサマティラ北方ですし、幼い頃には少しだけあちらに預けられていたこともあったので」
予想していた探りを受け流して、帰路を選ぶ。もう私がここにいる必要はないだろう。二日どころか半日も掛からなかった。これくらいなら、義父も心配しない……わけはないか。
「少しだけ、か」
行きと同じように隣を歩きながら、隊長が意味ありげに答える。夕暮れが近づき長く伸び始めた影は、隣の方が随分長い。不意に肩を掴まれて、思わず足を止めた。
「生き延びたいのなら、これ以上名を上げるな。髭の生えない理由を探られれば厄介だぞ」
耳元で囁くように告げたあと、隊長は道を分かち役所へと戻って行く。
初めて形を持って迫った危惧にどくりと胸が鳴り、吸い込んだ息は浅く途切れた。
……気づかれている。
背に張りついた不安と恐怖を宥めるように、震える指先をさすり合わせる。皮膚は固くなったし小傷も増えたが、太くも分厚くもならない指だ。滑らかなままの喉を辿るように撫で、荒い息を吐く。被った布で首を隠すように巻き、覚束ない足を街へ向けた。
店に戻ると、心配そうな義父とニブラムが待ち構えていた。
「ニブラム、大丈夫だよ。君もおじさんも捕まらない。多分誰も詫びには来ないだろうけどね」
「ああ、サエル。ありがとう、なんて礼を言えば」
「いらないよ、僕は友のためにできることをしただけだ。おじさんに早く伝えてあげて」
感謝に目を赤くしたニブラムに苦笑で答え、手で追いやる。ニブラムは改めての礼を残したあと、急いで家へ帰って行った。良かった。これで、良かったのだ。
「サエル、顔色が悪いぞ」
「うん、ちょっと疲れてね。今日はもう休むよ」
言えないことを飲み込んで頷き、義父の傍をすり抜けて裏へ入る。
「そういえば、呼び出しは何だったの」
被っていた布を取り、上着を脱ぐ。こもっていた熱が抜けて、首の辺りが涼しくなる。今日はこのまま、何も考えずに寝よう。泥のように眠れば、少しくらい楽になるはずだ。
「やっぱり、祝祭に王妃様が身に着ける宝飾品の依頼だった。
「いいんじゃない。ウーさんなら、最高級の
適当な返事を投げながら、寝台に潜り込む。
「無事に戻ってきて良かった。本当に心配したんだぞ」
熱を確かめるように額に置かれた手は、父の手を思い出す重みだった。でもそこに込められているものは、多分違う。
「分かってるよ、ごめん」
急に怖くなった、と言っても義父なら許してくれるだろう。
だから言ったじゃないか、もう首を突っ込むのはやめなさい、誰か来ても裏に引っ込んでいればいい、私がいくらでも追い返してやる。
返してくれるだろう優しい言葉まで、ありありと想像できる。でも、私には許されないことなのだ。
――世を照らし民を救え、シャヤ。
父の声を、託されたものを忘れたことはない。
「頼むから、私を置いて行かないでくれ」
「大丈夫だよ。もう大人しくしてるから」
泣きそうな声で訴える義父の手を握り、宥めるように答える。
世は広く、救うべき民は多い。でも、救いとは目の前の一人を悲しませても行うべきことなのか。これまでにない痛みを伴う父の声に唇を噛んで、目を閉じた。
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