第2話

 あの夜私は部屋を抜け出し、宝物庫で月明かりに石を透かして楽しんでいた。昼間とは違う輝きをうっとりと眺めていた時、辺りが急に騒がしくなり始めた。慌てて確かめた窓の向こうで人の争う声と悲鳴が聞こえ、松明が忙しなく行き交うのが見えた。襲撃なのも、その相手もすぐに察せた。前王アビムと息子のレアブが父の即位を快く思ってないのは、私でも知っていることだった。でも奴らが計画もなしに襲撃をするわけがないから、あちらへ戻っても……家族は助けられないし、自分が戻れば殺されるのも分かった。私が死ねば、全てが終わってしまうことも。

――もし私に何かあったらサマティラへ逃げ、宝石商のエハブを頼りなさい。彼は私に恩がある。必ずお前の歩みを助けてくれるだろう。

 父は、ずしりと重い肉厚な手で私の頭を撫でながら言った。

 私はすぐに上着を脱いでいくつかの宝飾品を包み、宝物庫を出た。でも当然、正門と裏門は奴らの兵が見張っている。思いついたのは、地下水路。その頃はちょうど、サマティラからぶどうを運び込む船が連なる時期だった。

 影を縫うようにして隠れながら地下へ下りると、船着き場にはぶどうを山のように積み上げたままの二艘の舟が停まっていた。そしてその一艘に、酒を呷ってくつろぐ船頭を見つけた。

 私はその船頭と交渉し、一塊の金と引き換えにサマティラへの脱出を手伝わせた。ぶどうの中へと潜り込んでリシェマを脱出するまでは約四日、鳥のようにぶどうを啄みながら多くの時を過ごし、国境を越えた報せに外へ出た。そして地へ降り立つ前に船の上で名を捨て、髪を切り落として男になった。

 船頭は「宝石商のエハブ」を知らなかったが、顔の広い祭司を紹介した。でも祭司もエハブを知らず、代わりに鉱山主を紹介した。エハブの名だけ知っていた彼は首都へ向かう旅団に私を追加してくれたものの、同時に私の身分を怪しんだ。「旅の途中で野盗に襲われ家族を失った息子」と偽ったが、礼にと差し出した宝飾品があまりに良いものだったからだ。

 産まれた時から宝物庫で育った私は既に絶対的な審美眼を備えていたが、民の生活には疎かった。あれほどのものを持つにはどれだけの富が必要なのかを知らなかったのだ。簡単に差し出せるようなものではないことも。それに私の習得していたサマティラ語も、民の発音とは少し違っていた。

 リシェマの王交代の噂はまだサマティラまで届いていなかったが、駆け巡るのは時間の問題だった。王が殺害された噂から、王女が逃げ出したことが除かれるとは思えなかった。私の首に高額の金が懸けられたのは容易に想像できることで、結局、旅団からは途中で抜け出し一人で首都を目指した。

 首都までの道のりは子供の足で約一ヶ月、途中からは怪しまれないようナツメヤシの実を仕入れて売りながら目指した。その過程でこれまで疎かった民の生活にも詳しくなり、物の価値も分かるようになった。エハブの元へ辿り着いた頃にはすっかり日に焼けて砂埃に塗れ、民らしい発音を身につけていた。


 義父は翌日には、商人の取引先を見つけてきた。予想どおりヨバの鉱山より質の悪い赤紅玉しゃっこうぎょくしかとれない鉱山で、その原石はヨバに預かっていたものとよく似ていた。

「あの鉱山で採れているものをそのままリシェマに流しているから、ごまかすために同じだけ質の悪い原石が必要だったわけか」

 台に置いた原石を見比べながら、義父は納得したように言う。

「そういうこと。二つの鉱山を結ぶ道のどこかで荷馬車をすり替えているはずだから、そこも押さえられるようにすればいい。ただ、気になることがあるんだよね」

 御者がすり替わる瞬間を押さえれば、言い逃れはできない。問題は程なく、きちんと処理できるだろう。ただ。私が原石の違いに気づかなかった時のことを考えると、違和感が湧くのだ。

「騙してあの鉱山を手に入れたって、向こうの名前で採掘が開始されれば全て分かる。余程の金を積まなきゃ、リシェマの商人に騙されたと知った鉱夫達は働かないよ。原石はサマティラで売り捌かないにしても、正規の価格で交渉する方が得だ」

「リシェマから鉱夫達を連れてくるつもりなんじゃないか」

「余計金が掛かるのに? どうしてわざわざそんな損することを選ぶ?」

「そうだなあ。言葉が通じるし、考え方が近いから扱いやすいとか」

 確かにそれはあるだろう。隣国だから発音の似ている単語はちょくちょくあるが、会話になれば通じない。ただ、それだけではない気がする。

「多分、この話には何か裏がある。『金の損をしてでも得たい何か』が。ヨバさんが調べた結果を待とう」

 椅子に腰を掛け、棚に置かれたの髄玉ずいぎょくの原石を手に取る。赤紅玉しゃっこうぎょくより透明度の低い赤から橙で、縞が入る。表に並べて置いているのは店を華やかに見せるためだけでなく、商談に使う標本として便利だからだ。客の誰もが宝石商のように石の名前や見た目を知っているわけではない。うちがこの方法を取り入れてから、真似をする店が増えた。

「お前のおかげで仕事は随分楽になったし、商人として素晴らしい信用を得られたことには本当に感謝してる。でも、そんなものはお前の存在に比べれは塵に等しい」

 最近、特に増えてきた類の小言だ。煩いとは思わないが、苦手ではある。切実な視線を真正面からは受けられず、手元の髄玉を柔らかい布で磨いた。

「『最後の星』と呼ばれたお前が、その輝きを隠すのは難しいことだとは分かっている。でも、私は怖いんだ。リシェマの王は、六年経つ今もまだ失われた王女を執拗に探し続けていると聞く。我が王もあの男のせいで、眠れぬ日を過ごしていることだろう」

 父が王になると、サマティラの部族達との小競り合いは減った。神はリシェマの王以外に人の王を立てることを許さなかったが、父は認めたかったのではないだろうか。そうでなければ、リシェマにとって異教徒の国であるメナムと親交を結ぶはずがない。

 サマティラは結局、リシェマの内乱に乗じて自分達の王を立てた。レアブはこれを認めたが、対等な外交は行われていない。サマティラの国土の面積はリシェマの約半分、同じほど少ない民の多くは遊牧民だ。富める国ではない。何より、我らの神が「人の王はリシェマの王のみ」と宣う以上、サマティラの王は教えに反する存在であるからだ。

 もし私がサマティラに潜んでいることをレアブが知り、「王が隠した」と難癖をつければそれだけで虐殺の理由になる。レアブのことだから、サマティラにいる十六歳を全て殺させるくらいの命令は出すだろう。でも。

「ごめんね、義父さん。何も裏なんてないことを祈ってる。でも僕が気づくってことは、きっと何かあるんだ。父が父の道を歩んだように、僕も僕の道を行かなきゃ」

「……そうだな、分かっている。お前の父は、決してお前を隠せとは言わなかった。分かっては、いるんだよ」

 義父が私に、かつて喪った娘を重ねているのは知っている。また喪う悲劇を恐れていることも分かっている。俯く義父の肩を抱き、掛ける言葉を探す。見つけられず、また小さく詫びた。

「すまない。多分、これが届いたせいもあるんだろう」

 義父は細かく頷きながら体を起こし、卓の端に置いていた手紙を差し出す。滑らかな羊皮紙に綴られていたのは、王宮への呼び出しだった。

「多分、王妃様が周年の祝祭で身に着けられる宝飾品の話だ」

「うちが選ばれたんなら、名誉なことだよ。早く行かないと。店番はしとくから」

 促した私に義父は、ああ、と答えて裏へ入って行く。幕の向こうへ影が消えるのを待って、溜め息をついた。

 王の在位を祝う祭は半年ほど先、雨季に入ったあとだ。サマティラの実りであるぶどうやざくろの収穫を終えた頃。未だ建設中の王宮を見ると忘れてしまうが、あれからもう六年も経つのだ。今は誰が神の声を聞いているのか、モリヤの消息は知れない。でも私だけ残されたのにも、意味はあるはずだ。私はここで、私にできることをしなければ。

 支度を整え裏から出てきた義父は、質の良い亜麻の一式を身に着けて乳香の良い香りを漂わせていた。四十代も半ばになり白いものが交じり始めた顎髭も丁寧に梳いて、公的な訪問に相応しい装いだ。

「それほど遅くはならないだろうが、頼むな」

「うん、いってらっしゃい」

 肩で大きく息をして、義父は店を出て行く。少し残る香りを深くまで吸い込んだあと、卓に置かれた赤紅玉しゃっこうぎょくの原石を手に取る。商人が、ただ馬鹿なだけならいいが。

 溜め息をついた時、サエル、と近くに住むニブラムが店に駆け込んで来る。ひょろりとして背が高く下がり眉が特徴的な、二歳年上の善き友だ。

「大変なんだ、ちょっと来てくれ!」

「どうした、何があった?」

 青ざめた顔で手招きをするニブラムに、石を置いてあとを追う。店を出れば途端に差す強い日差しに目を細めたあと、賑やかな雑踏の中を乾いた土を踏みながら急ぐ。

「兵士達が来て、納めた羊皮紙の数をごまかしたって言うんだ」

「そんなこと、あるわけないだろう。僕も手伝ったんだ、間違いないのは分かってる」

「それなのに来てるからおかしいんだよ。父さんが連れて行かれる!」

 ニブラムとその父親は羊皮紙を作る職人だ。高級品ゆえに納入先はほぼ王宮と富裕層、ほかには商人達が重要な契約時に利用する。我々庶民が使う紙は専ら莎草かやつりぐさから作られたものだが、そちらもサマティラでの普及率は低い。メナムやリシェマに比べて識字率が低いためだ。

 父さん、とニブラムの呼ぶ声が聞こえて、土埃を扇ぎながら視線を前にやる。くすんだ赤の頭巾を被る二人の兵士が、ニブラムの父親を連行するのが見えた。

「ちょっと、落ち着いて!」

 乾いた喉に咳をして、一足早く言い合いを始めているニブラムと兵士達を止める。兵士達は私に気づくと、一人が小さく舌打ちをした。

「またお前か、サエル」

「睨まないでください。僕だって、好きで首を突っ込んでるわけじゃありませんよ」

 小競り合いの度に駆り出されるから、役人や兵士にはすっかり疎まれている。もちろん私だって、全ての連行を理不尽だと止めているわけじゃない。ただ、とにかくやり口が強引すぎるのだ。

「今回ばかりはどうにもならんぞ。こいつは羊皮紙を納める箱の下に石を詰めてごまかしてたんだ。まさか銀を盗んだのもお前か?」

「銀? 羊皮紙だろうと銀だろうと、そんな馬鹿なことするわけないでしょう。数を確かめて木箱に詰めたのは僕ですよ」

 状況報告には驚いたが、そんな分かりやすく信用を失うような真似を王宮相手に誰がするのか。ましてや銀なんて。うんざりしたように答えた私を、兵士は忌々しげに指差した。

「それなら、お前が片棒を担いだというわけだな」

「するわけがないと言ってるんです。犯人は僕でも、ニブラム達でもありません」

「じゃあ誰だ」

 それを調べるのが仕事だろう、と言いたくなる口を閉じ、考えを巡らせる。ここでいくら説明したところで仕方ないのはいつものことだ。

「分かりました。僕が犯人を探し出しますから、連れて行ってください」

「それはだめだって!」

 驚いたように止めるニブラムに苦笑する。

「大丈夫。掛かっても二日くらいだろ。義父さんにもそう言っといてくれ」

「すまないな、サエル。私では、潔白を証明できない」

 兵士達の手から解放された腕をさすりながら、ニブラムの父親がすまなげに託す。いいよ、と笑って引き受け、兵士達と共に照りつける日差しの中を王宮を目指した。

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