銀と羊皮紙
第1話
『石工のデナルは神の声を聞いて彼の地にリシェマを建国し、最初の王となった。四十年国を治めたあと再び神の声を聞いて次の王を探し、農夫のアビムを見出した。デナルはアビムにその座を譲ったあと、程なく天に召された。デナルの死後、神の声を聞く役目は預言者モリヤへと継がれた。
アビムは妻イナとの間に三人の息子ナテム、サラム、レアブを持った。しかしナテムは流行病で、サラムはレアブが石で打って殺した。アビムは四十年国を治めたあと息子レアブに座を譲ろうとしたが、神は許さなかった。モリヤにより見出されたのは、羊飼いのカロブだった。
カロブは部族の長として妻ラセと二人の息子ヤスリム、トルデとともに暮らしていたが、モリヤに従い家族と羊を連れてリシェマの王宮へ迎いその座に就いた。モリヤはラセが子を産むと預言し、翌年言葉どおりに娘シャヤが産まれた。
神はアビムとレアブにも十分な恵みを与えたが、アビムとレアブはカロブとラセ、息子達を殺した。シャヤが逃げたと知ると、カロブの部族と国にいる十歳の娘を全て殺した。そしてレアブを王座に就かせ、イナと共に喉を突いて死んだ。』
「サエル、ちょっと来てくれ」
「はい、行きます」
聞こえた義父の声に史記を巻き取り、腰を上げる。乾燥した埃っぽい空気を扇ぎつつ、目の粗い麻の幕をくぐって店へ出た。
「ああ、ヨバさんいらっしゃい」
「元気そうだな、サエル」
義父の向こうに恰幅の良い髭面を見て挨拶をすると、ヨバは金の指輪をはめた手をもたげて笑顔で答える。浅黒い肌に黒々とした瞳と髪(ヨバはだいぶ白くなっているが)、大きな鷲鼻のサマティラ人らしい顔立ちだ。今日も質の良い亜麻の頭巾を被り、衣を身に着けている。この辺りでは一番の富豪だが、仕事の話は決して他人任せにしない商売人でもあった。
「それで、今日は何?」
義父の傍らから覗き込むと、卓の上に
「ちょっと、見てくれないか」
義父に言われていくつか手に取った原石は、どれも決して質が良いとは言えないものだった。
「全部だめだよ。メナムへ売るにしても、王族には無理だね。いいとこを探して削り出して数を嵌め込めば、見た目で買ってくれる人はいるかも。手間は掛かるけどね」
「やっぱりそうか。最近、収穫量も質も落ちてきてるみたいでな。手放した方がいいって勧められてるんだ」
ヨバは残念そうに頭を横に振って、溜め息をつく。
「どこの鉱山?」
「いつものとこだ。お前に見てもらってだめそうなら、リシェマの商人に売るつもりらしい」
義父の答えに湧いた違和感を確かめるため、再び原石を二つ三つ掴んで窓際へ向かう。扉を開けてしゃがみ込み、差し込んだ日差しに石を透かした。
「……違うよ、これはあの鉱山のものじゃない。
一息ついて体を起こし、原石をヨバに投げる。ヨバは驚いた表情を浮かべながら、慌てて受け取った。
「大方、リシェマの商人に金を積まれて管理人が裏切ったんだろうね。あの鉱山の
「ああ、ありがとうサエル。やっぱりお前の目は素晴らしいな。じゃあ」
早速動き出そうとしたヨバを、待って、と止めた。年寄りはせっかちで困る。
「リシェマの商人を捕まえたいなら、鉱山の管理人を捕まえるのは待った方がいいよ。責任を押しつけて逃げられる」
「なら、どうすればいいんだ」
ヨバは足を止め、肉厚な眉間に皺を刻みながら答えをせがむ。肩で大きく息をして、指先で顎を叩いた。逃さないために必要なのは、証拠だ。
「これまでどおりに掘り出した質のいい
言い逃れできないように、商人が築いた信用を盾にする。商売をしているものが、得意先を騙したとは言えないだろう。
「
続いて義父へ伝えた策に、義父は諦めたように頷く。卸業の我が家も信用第一の商売人だ。一番の得意先であるヨバは富だけでなく問題も持ち込むが、何度恩を売っておいても損はない。
「頼むぞ、エハブ。サエルもありがとう。善き友よ」
ヨバは私達に礼を残して、帰って行った。
さて、と聞こえた声に扉を閉めつつ振り向く。それほど大きくない石造りの店内には、取り扱っているものを並べる簡素な棚が二つと、表と裏を仕切る大きな卓が一つ。以前は商売に不要なものまで所狭しと並べていたし、客は用があると裏を覗いて呼んでいた。安いものと高級品をまとめて表に並べる不用心さで、盗まれることも少なからずあったらしい。今は役所と契約し、高級品は金を払ってその倉庫に保管してもらっている。
「あまり首を突っ込むなと言っただろう」
予想どおりの小言に頭を緩く振り、まだ黒々とした瞳を見返す。義父もサマティラ人だが、リシェマとの国境にほど近い北方の村の出だ。アビム王の妨害を避けるためサマティラを経由してリシェマの首都を目指していた父に、助けを求めて声を掛けたのが出会いらしい。
――その年は日照りが続いた上に
父は義父の話を聞くとすぐに村へ向かい、連れていた全ての羊を与えたらしい。
――お前の父は、私に「私は神により全てを与えられるが、しかし人の王は全ての王ではない」と言った。だから神が我が子らに困難をお与えになるのは止められないが、救いを求めるのは許されるだろうと。私はその時、どのようなことがあっても必ず助けると誓った。不思議と、その時が来ると「分かった」んだよ。
義父が少し寂しげにその話をする度、私は父が正しく「人の王」として役目をまっとうしたことを噛み締める。もちろん寂しいし悔しいが、これが父の受け入れた道なのだ。
「分かってるけど、ヨバさんの窮地は見過ごせないよ」
「近頃、みんなが娘をうちに嫁がせようとしてる。サエルはひ弱だが賢いから食えなくなることはないってな」
その斡旋は義父にだけでなく、こちらにも来ている。まあ表では今年で十八になる予定だから、早すぎるわけではない。笑顔を向けるかわいらしい娘達に、なんら不満はなかった。ただ私に、彼女達と結婚できない理由があるだけで。
――私は、今日から男になる。
決意を胸に髪を切り落としてから六年、私は男として生きている。
父から継いだ焦げ茶色の髪と
「適当なところで、『割礼の具合が良くなかった』って言えばいい」
割礼はサマティラでもリシェマでも伝統的な慣習だが、事故も少なからずある。男が結婚できない理由としては、普遍的なものだった。
「お前、そんな言葉を!」
この国では女が下世話な話をするのは「はしたない」と、それだけで処罰の対象だ。
「僕は男だよ、義父さん」
こちらは完全にそのつもりなのに、義父はまだ振り切れていない。優しい人だ。
苦笑で返し、再び裏へ戻った。
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