がっこうのひみつ

からこげん

がっこうのひみつ

「校長、お呼びだてして申し訳ありません」


 学年主任と1組担任、2組担任の3人の教師は、緊張した面持ちで私を迎えた。


「先生方に定規で打ち掛かったのは、1年の生徒たちで間違いないんだね」


「はい、暴れた子たちは全員、教室の中で待たせています」


 学年主任の鼻の上にかろうじて乗っている黒い眼鏡は、片方のつるがおかしな方向に曲がっている。


 1組担任の赤い眼鏡はレンズにヒビが入り、2組担任の縁なしメガネは鼻当てがひとつ外れていた。


「君達のメガネ、生徒たちにやられたのか?」


「定規を手に襲いかかってきて……気がついたときには、眼鏡を取られていたんです……」


 1組担任の声は震えていた。


「メガネを壊すのが流行るなんて、どういうことなんでしょうねえ」


 2組担任の顔には引っ掻き傷がついていた。


「とにかく、校長先生からしっかりとお話していただきましょう。あの子たちも校長先生のことはとても怖がって……いえ、あの、尊敬しているようでしたから」


 学年主任はずり落ちそうなメガネを抑えながらそう言った。


 剣道の全国大会に何度か入賞したことのある私は、「怒ると木刀で相手を打ちのめす怖い校長先生」と生徒たちの間で噂されているらしい。


 実際の私は、稽古や試合以外の場所では、竹刀すら人に向けたことはない。


 だが、「怖い校長先生」というイメージをあえて利用するために、木刀を持ち歩くことはある。


 たとえば、今回のように、先生たちの手に負えないやんちゃな生徒を諭すような場合には。


「校長先生、お願いします」


「お願いします」


 1組と2組の担任が、メガネを抑えながら頭を下げる。


 頷いた私は、教室に踏み込んだ。


「おや、誰もいないね」


 椅子や机が散乱している教室の中に、生徒の姿はどこにも見当たらなかった。


「そんな馬鹿な……!」


「さっきまで、ここに、全員ちゃんと居たんです……本当です!」


「おかしいな、どこから逃げたんだろう……?」


 学年主任、1組担任、2組担任が教室に駆け込んできた。


「本当に、どこにも居ないようだ。木刀なんて、必要なかったね。とりあえず、皆でここを片付けようか」


 私は学年主任に木刀を渡し、ひっくり返った机に手をかけた。


 その瞬間。


 教壇の中から生徒たちが飛び出してきた。


「こうちょうせんせいのめがね、もらったぜ!」


 私を取り巻いた小学生が、定規を振り上げる。


「校長!」


「おう!」


 学年主任が投げた木刀は、生徒の頭越しに私の手に収まり、一閃ですべての定規を打ち払った。


「ずるいぞ!」


「あんなことできるなんて!」


「きいてないぞ!」


「学年主任の先生は、校長先生に次ぐ剣道の達人だよ」


 1組担任が、生徒たちをしっかりと捕まえた。


「1組の先生と僕も、校長先生に弟子入りしているんだ。さっき眼鏡を壊されたのは、君たちを油断させるための作戦だ」


 2組担任が、残りの生徒を捕まえて椅子に座らせた。


「だましたんだな!」


「だから、おとなはしんようできないんだ!」


「そうだ、そうだ、せんせいのくせに、うそをついていいのかよ!」


 生徒たちは、口々に私たちを罵った。


「……私はね、君たちがしていることを全部知っているんだよ。君たちが教壇に隠れていたのも、最初から知っていた」


 重々しくもったいぶった口調で私は言った。


 言葉で攻撃すれば、こちらが怯むと思っていたのだろう。生徒たちの表情は、驚きから不安げなものへと変わった。


「この学校には、そこら中にたくさんのカメラが仕掛けてあるんだ。もちろん、この教室にもね。きみたちが悪いことをしたら……もしも、また先生の眼鏡を壊すようなとをしたら……私は、すぐに駆けつけるよ」


 木刀を手に胸を張って立ち、じっとひとりひとりの顔を見る。


 生徒たちはきょろきょろとあたりを見合わしたり、お互いにぶつぶつと文句を言い合ったりしていたが、やがて根負けしたようにうなだれ、「もう悪いことはしません」と約束してくれた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「あんなにうまくいくなんて思いませんでした」


「あの子たち、1組の先生や僕まで剣道の達人だと思い込んだようです。嘘をついたのはちょっと気が引けてしまいますが……」


「構わないでしょう、これで私たちに手出ししなくなるでしょうから。咄嗟のお芝居でしたが、打ち合わせ通り上手くいってよかったですね」


 生徒たちが帰った後の教室で、3人の先生が喜び合っている。


「それにしても、あちこちにカメラが仕掛けてあるなんて……嘘だとわかっていても、ドキッとしてしまいましたよ」


「嘘も方便ですよ」


 私は学年主任に微笑みかけた。


「先生の判断力と行動力は本当に素晴らしかった。そういえば、次の大会の審判長がまだ決まっていないんですよ。先生を推薦してもいいですか?」


「えっ……ええ、はい、もちろん……」


 学年主任の顔がぱっと輝いた。


「ありがとうございます、あの……」


「いえいえ、こちらこそありがとうございます」


 丁寧な口調で学年主任との話を打ち切った私は、1組担任と2組担任を振り返った。


「ちょうどいい機会だから先生たちにもお願いします。ふたりとも、なるべく早めに有給を消化してください。ふたりが同じ日でも構わないですよ、学年主任と私がちゃんとフォローしますから」


「え……いいんですか?」


「……ありがとうございます、嬉しいです」


 ふたりは顔を見合わせ、赤くなった。


「今日のことで、保護者から問い合わせがあるかもしれません。面倒をおかけしますが、よろしくお願いします」


「大丈夫です!」


「もう慣れましたから!」


 すっかり元気を取り戻したふたりと学年主任は、楽しげに冗談を言い合いながら、あっという間に荒れた教室を片付けた。


 学年主任は前々から自分が審判長をやるべきだと周囲にこぼしていたし、1組担任と2組担任は1ヶ月ほど前から秘密の交際を続けている。


 3人とも、自分から言い出す前に望みが叶って嬉しいのだろう。


 それぞれが欲しがっているものが与えられる職場なら、誰もが満ち足りた気分で仕事に打ち込むことができる。ごく自然に親愛や尊敬を抱き合い、進んで集団に貢献する。


 そういう職場を作るために、いつも木刀を持ち歩く必要はないし、監視カメラを学校中に取り付ける必要もない。


 職員室に盗聴器をひとつ。


 それだけで十分だ。

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