甘い香りに誘われて
@atsushi-atsushi
甘い香りに誘われて
花の様な香りのする彼。
香水なのか柔軟剤の香りなのか、彼自身が発する香りなのか・・・。
その花の香りに取りつかれたミツバチのように、私は彼の虜になっていた。
その花はそこにずっとは咲いていてはくれなくて、たんぽぽの綿毛の様にふわふわと飛んでいってしまう。
今どこにいるの?
今私は、あなたの香りを見つける。
彼と出会ったのは偶然でも必然でもなくて、ただのマッチングアプリだった。友達の美紀曰く、今はマッチングアプリで出会うのは当たり前なのだそうだ。
美紀とは高校の時からの付き合いだ。
高校の入学式の時、体育館での入学式。たまたま隣に居たのが美紀だ。美紀は校長先生が話をしている時、私に声をかけてきた。
「ねえ。なんかこの話つまらなくない?」
茶髪に染めた髪の毛の先端を指でくるくるさせながら私を見てそう言った。
明らかにダルそうな声でそう言う彼女に私は「そうね」としか言えなかった。
初対面の相手にこんな態度で話しかけられる彼女に私は少し怖気づいてしまったのだった。この子とは仲良くなれそうにないな。同じクラスじゃなきゃいいな。なんて思っていた。
入学式が終わり、初めての教室に向かう途中で後ろから声をかけられた。
「ねえ、さっきの子だよね?」
私は後ろを振り返った。
「そうだ。さっきの子。名前なんていうの?私はシミズミキ。宜しくね」
私は一瞬フリーズしてしまった。
さっきの子だ。
私はこの状況に困っていた。急に話しかけられて、ましてや高校生活初日で緊張もしている。それなのにそんなに軽々しく話かけてくるなんて。
「あ、日本人はシャイなんだよね?」
「え、あなたは日本人じゃないの?」
やっと発っせた言葉だった。
「ああ、日本人だけど、私帰国子女なの。ずっとアメリカに住んでたのよ」
だからか。私は合点がいった。こんなに最初からフランクに話せるのは日本にずっと住んでいた私には無理だ。
「私はサキミヤカオルっていいます」
これが美紀との出会いだった。
美紀は明るくて誰とでも仲良くなれて、そして人との壁を作らない。
だから美紀の周りにはいつも人が居て、私みたいな物静かで積極性のない人にとっては憧れの存在でもあり、また鬱陶しくもあった。
それでもあの日から今日まで十年間、仲良く居られたのは美紀のお陰だと思う。
そんな美紀が勧めてきたマッチングアプリ。
最初は嫌だった。
でも美紀の強引な勧めに断る事が出来ず、勧められるがまま始めたのだった。
そして出会ったのが徹だった。
登録してすぐにメッセージがきた。
「ほら、メッセージきたよ。返事返しなって」
美紀が登録作業を全部してくれて、登録してすぐにメッセージがきたというのだ。
「え。ほんとに?どうしよう。なんて返せばいいの?」
「とりあえず初めましてから始まって、そこから趣味の話とかすればいいんだよ」
「でも・・・」
「ささ、ものは試しだよ」
それから一週間くらいメッセージをその人として初めて会う事になった。
顔の写真は事前に交換していた。
普通。
それが最初に写真をもらった時の印象だった。
でも、メッセージをやり取りしていく中で、彼は優しくて包容力のある人なんだなと思った。
それでも最初は会うのを躊躇った。メッセージでは優しいけど、実際は変な人が来たらどうしようとか、お金を騙されるような事があったらどうしようとか。色々考えた。でも会う事になったのはやっぱり美紀の後押しがあったからだった。
「大丈夫だよ。怖い事になりそうになったら逃げればいいから。大声だしちゃえばいいんだって」
そんな芸当は私には出来ない。
それに男性に力で勝てるなんて出来ない。無理やり連れていかれたら終わりだ。
そんな気持ちのまま、私は待ち合わせ場所で待っていた。
待ち合わせ十五分前。私はいつも早くに到着する。
「あの、先宮さんですか?」
私は声のする方を向いた。
そこには写真で見て知った顔が居た。
「あ、はい。斉藤さんですか?」
「そうです。ごめんなさい。結構待たせちゃいました?俺も早く来たつもりだったのに」
優しい目をした彼はそう言った。
そしていい香りのする人だった。
彼からはふわっと香る良い香りがした。
「いえ。私もさっき来た所なので大丈夫ですよ」
それが私達の初めての出会いだった。
その日はランチをしてカフェに行き十六時頃には解散した。
私は帰りの電車の中で彼の事を考えていた。
素敵な人だな。
私の頭から彼が離れなかった。
また会いたいな。
でも私なんて駄目だよね。
そんな事を考えているとスマホが振動した。
カバンから取り出して画面を見ると斉藤さんからだった。
『今日はとても楽しかったよ。良かったらまた会いたいなって思ったよ。迷惑だったらごめんね。でも俺、先宮さんの事気になってます。初めて会ってこんな事言うのおかしいって思ってる。けど、伝えたいと思ったから』
それを見て自然と笑みがこぼれた。
私もよ。
私は自分の気持ちに驚いた。
まだ会ったばかりじゃないか。それなのにこんなにも彼の事が気になるなんて。
あの香りのせいだ。
私を惑わす花の様な香り。
それでもよかった。
彼と会おう。沢山会って沢山話して。
彼の優しい目と、花の様な良い香りと。
それから私の人生は変わったのだと思う。
洋服も、髪型も付ける香水だって私は彼好みに仕上げるようになった。
どんな女性が好きなの?
どんな髪型が好きなの?
どんな、どんな、どんな・・・。
彼はその度に、「うーん。こんな人かな?あ、でも薫みたいな人が好きかな」そう言ってくれた。
こんな人。それをリサーチして私はそれに合わせた。
今までの人生で好きになった人はいた。
けど、その恋達は実らなかった。
だから私には恋愛は向いていないのだと思っていた。
付き合った人もいた。
けど、その人達は私が好きな人ではなかった。
けど、今回は違った。
徹は私の好きな人。
そして・・・。
「ねえ、私達って付き合ってるの?」
ベッドの上で私は徹に尋ねた。
徹と出会って一年以上が経過していた。
それなのに徹は私に付き合ってくれとは言ってくれなかった。
最初はそれでも良かった。
会ってくれさえすれば、徹が私の事を見ててくれさえすれば。
それだけで良かったのに。
でも私は彼の物になりたかった。
「うーん。眠いから寝るよ」
そう。
いつもそうやってはぐらかされる。
最近はlineの返事も遅くなってきていた。
最初の頃は頻繁にやり取りをしていた。
朝起きたらおはよう。
お昼休憩の時はお疲れ様。
仕事が終わってお疲れ様。
夜寝る時はおやすみなさい。
それが段々と返事の速度が遅くなり、おはようもおやすみも無くなった。
返事の遅さを聞くと、「ごめん。最近仕事が忙しくてさ、返そうと思っているんだけど疲れて寝落ちしちゃったりしてさ」と言われる。
時には既読がついても一日返事がない時もあった。
そんな時、私の心は風船に破裂寸前まで空気を入れたような、そんな気持ちになった。でも少しして、空気を抜いて萎れてみたりもする。
なによ。
その風船を捨ててみたくなったりもした。
それでも徹から返事があると、その風船は元気さを取り戻し、陽気に宙を彷徨う。
『今度いつ会える?』
私は徹にそう送った。
また一日待った。
『うーん。今週は忙しいから来週の土曜日なら大丈夫だよ。なかなか会えなくてごめんね』
『いいの。大丈夫。じゃあ来週の土曜日会いましょう』
そして会えば私達は身体を重ね、彼はそのまま寝息を立てて寝てしまう。
私は彼の寝顔を見て心が温まるのを感じる。
そして彼の腕の中で私も眠りに落ちる。
目を覚ますと、隣に徹は居なかった。
「徹?」
私は囁いた。
「なに?」
足元から声が聞こえた。
私は上半身を起こした。
「ああ。そこにいたのね」
「俺は君の側にいつでもいるよ」
「ありがと」
でも私の心はざわついていた。
私達の関係って一体なに?
それは禁断の言葉のようで私は聞けなかった。
それを聞いたら徹が居なくなってしまうようで。
「俺お腹空いたよ」
「じゃあ何か作ろうか?」
私のアパート。
ここに住んで三年になる。
「うん。薫の手料理が食べたい」
少し甘さのあるその声に私の心は舞い上がる。
「何か食べたいのある?」
私は陽気にそう言った。
「うーん。じゃあハンバーグ。一緒にスーパーで買い物しよっか?」
それから二人でスーパーへ行き、食材をああだこうだと言いながら選んだ。
これから先もずっと、こんな時間が続けばいいのにな。
私はそう思いながら徹の横顔を見ていた。
「なに?」
私の視線に気づいたのか徹はそう言った。
「ううん。なんでもない。さ、早く帰ってハンバーグ作ろう」
荷物は徹が持ってくれた。
持とうか?なんて言わない。自然と荷物を持ってくれる。そんな些細な優しさを持っている徹が私は好きだ。
そんな時間が続けばいい。
それだけでいいんだ。
自分にそう言い聞かせてみたけれど、やっぱり駄目で。
私の風船は爆発したのだった。
徹と会って身体を重ねたその日。私はベッドの上で徹にこう言った。
「赤ちゃんが出来たみたいなの」
徹は私の方を見た。
「え?」
「だから、赤ちゃんが出来たみたいなの」
私は天井の一点を見つめていた。
隣でどんな顔をしてこの発言を聞いているのか見る事ができなかったし、緊張もしていたからだ。
「えっと、ちゃんと検査したのか?」
「うん。三か月だって」
「嘘だろ?」
私の心は氷ついていた。
その時、あの花の香りが私の鼻をかすめた。
あ、この香りだ。私の好きな香りは。
その香りが喉を通った瞬間に私の緊張はほぐれていった。
「どうでしょう・・・」
私はくすっと笑った。
「おいおい。冗談かよ。そんな冗談やめてくれよ」
徹は安堵のため息をついた。
「嘘。じゃなかったら?」
「嘘なんだろ。ならそれでいいじゃないか」
私の笑顔は顔に張り付いたお面だった。
「嘘じゃない」
徹は初めて怒った。
「もうそんな話は辞めろ。もう帰る」
徹はそう言って床に落ちていた自分の洋服を拾い上げ、着始めて。
「なんで怒るのよ?」
その問いには答えず、徹は洋服を着るとそのまま玄関に向かって出て行ってしまった。
私はその背中は見て、それから天井を見た。
「よう美紀」
「あ、徹。ごめん待たせて」
「お前いつも遅刻するよな」
「ごめんって。で、薫とは最近どうなのよ?」
「まあ立ち話も何だし、あそこの喫茶店でも入るか?」
「そうね」
二人は喫茶店に入り各々の注文をした。
「それにしても一年ぶりくらいか?」
「そうね。私達が会ってるのもし万が一薫に知られたりしたらまずいでしょ?」
「お前さ、薫とは友達なんだろ?その友達を騙すだなんて悪い女だよな。俺だったら絶対お前みたいな女と付き合わないぞ」
「なによ。あんただってあんないい女と寝れるんだから悪くはないでしょ?それに私は騙してなんていません。薫みたいな子は少し遊んだ方がいいのよ。友達として心配してやった事なの」
「でも・・・」
徹は声のトーンを落とした。
「どうしたのよ。やっぱり好きになって付き合いたいとか?あんた奥さんいるんだから無理でしょ?どうするのよ奥さんは?」
「うん。付き合いたいとは思ってないよ。でも・・・」
「何よ?」
「子供、出来ちゃったみたいなんだ」
「え!?マジ!?」
こうして私は女王蜂になった。
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