第2話 クマは黙して語る・2

 持ち主は存外に早く見つかった。

 雨から逃げるように駅に駆け込んだ私は、そのまま駅員室の窓口にテディベアを差し出した。

「このクマを知ってる人はいないかな?」

 駅員室に目星をつけた理由はただひとつ、クマの耳に付いたイヤータグだ。正確には、そのタグについた切り込みに思い当たるものがあった。

「そのテディベア……」

 奥に座っていた駅員がガタと椅子を鳴らして立ち上がる。すぐさま窓口に駆け寄ると、私が説明しないうちからイヤータグを確認した。

「間違いない、この切り込みは私が入れたものです」

 彼はそう言うと傍らから改札ばさみを取り出す。自動改札が主流になった今ではほとんど見かけなくなったアイテムだ。

 切符にこの鋏で切り込みを入れることで切符の使用開始を表していた。自動改札の登場で入鋏にゅうきょうする駅は少なくなったが、遅延証明書にこの切り込みを入れる駅がいくらか残っているという。

 駆け込んだこの駅もそのうちのひとつだ。

 この改札ばさみ、実は駅によって切り込みの形が異なる。半円型もあれば四角や三角の形をしているものもある。実はこの形は駅ごとによって違うのだ。つまり、見る人が見ればこの形だけでどこの駅か分かる。

 駅員は手元にあるメモ用紙に改札鋏で切り込みを入れた。テディベアのタグについている王冠の形と同じものがそこに残る。

 目の前の駅員は、私の顔色を窺いながら恐る恐る尋ねてきた。

「娘に……会ったのですか?」

「いや、置いてあったよ。あの橋の上に」

 駅員室のあたりから少しだけ見える歩道橋を私は指さす。

 それを聞いて「ああ」と彼は短く声をあげた。

「このテディベアは3年ほど前に娘に贈ったものなんです。私と離れることを嫌がった娘に、離れていても私のことを思い出せるように、私の代わりにと」

 自分の身代わりであることを証明するために、彼はイヤータグにこの駅固有の切れ込みを入れたのだろう。

「……必要なくなった、ということでしょうね」

 駅員は寂しそうにうなだれた。

「そうじゃないと思うけどな」

 私はすぐさま否定する。

「必要がなくなったのなら捨てればいい。捨てずともシリアルナンバーのついたテディベアなんて、ネットオークションに出せば買い手はつく。保存状態もとてもいい、きっと大事にされていたんだろうな。それをわざわざ橋の上に置いたんだ。心当たりがあるんじゃないのか?」

「心、当たり……」

「あの歩道橋の行く先は独身寮しかない。あんた、そこに住んでるんだろ? 娘さんはこのクマを俺じゃなくてあんたに見つけて欲しかったんだと思うよ。見つけてくれと言わんばかりに、往来のど真ん中に置いてあった」

「そうですか」

「結果的に俺が先に手に取ってしまったけれども。父親以外が拾うことは考えなかったんだろうな。いずれにしてもこのクマは何らかのメッセージを託されているはずだ」

「メッセージ……あっ」

 駅員はハッとして顔を上げた。

「娘に言ったんです。それでもどうしてもつらくなったら、きっとこのクマさんがメッセンジャーになって私を呼んでくれる、そのときは駆けつけるからねって。相手はまだ5歳の子供だしもう会えないだろうから、そのとき限りの気休めのつもりで口にしたんですが……まさか覚えていたなんて」

「子供は意外と覚えているもんだ。枯れていくばかりの俺たちとは違ってなんでも吸収するからな」

 このテディベアは8歳の少女の「たすけて」をつぶらな瞳で代弁しているのだ。小学校2年か3年くらいか、会えない父親に伝言をするためにきっと一生懸命に考えたのだろう。

 駅員は深々と頭を下げてきた。

「ありがとうございました。貴方に拾ってもらって、本当に良かった。大事なことを忘れるところでした。仕事が終わったら妻に早速連絡をとってみます」

 そういうことだろうとおおよその察しはついていた。娘さんが直接駅も独身寮も尋ねてこないのは親に止められているからだろう。

 私は名刺を差し出す。

「困ったことがあったらうちの事務所に連絡して。いい弁護士くらいなら紹介してやれるから」

 私は軽く挨拶すると駅員室を後にする。

 駅の外はいまだ雨が降っている。仕方がない、新しくできた地下道を使うとしよう。さて、あの並びにおもちゃ屋はあっただろうか。久々にクマのぬいぐるみを買いたくなった。

 託すメッセージはもう残っていないけれど。

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クマは黙して語る 四葉みつ @mitsu_32

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