【KAC20232】僕と君のアンカーポイント

尾岡れき@猫部

僕と君のアンカーポイント



 雨にトラックのヘッドランプが乱反射したことだけは、鮮明に憶えている。そして差していた傘が舞い上がった。

 雨の音ばかり、耳につく。


(……何があった?)


 あぁ、そうか。道路の中央にいた猫を助けようと、ガラにもなく思ったのだ。

 目を開ける。

 白い回廊に中央で、呆けていた。

 目をぱちくりさせる。


(これって?)


 回廊を進む。その奥に、地平線が見えた。

 そんな不思議な感覚に悪酔いを憶えて――。


「ようやく、酔いから目を覚ましたか」


 足下からの声に目を丸くする。白猫が、俺を見上げつつ、同じペースで歩みを進めていた。


「え? へ? え?」

「まぁ、少年。貴様が困惑するのも十分に理解する。まどろっこしい話は苦手だから、単刀直入に言おう。少年の行為は無駄だった」

「へ……?」


 目が点になるとは、こういうことを言うのか。


「少年が助けたと思っている猫だが、あいつは猫又だ。これから別世界を渡る瞬間だったのだ。迷惑をかけた」


 猫がそうやって、頭を下げる。


「え? へ――異世界転移?」

「ふむ。少年も、そういう物語に憧れを抱くタイプか。それは、重ねて残念だったな」

「は?」


「世界と世界の質量は、つねに等しくあるべきなのだ。君の魂を別世界に渡らせるとしたら、その質量に見合った変化が必要だ。そう、例えば贄を捧げるような、そんな何かが。例えば大震災で万単位の死者か。もしくは戦争でも良い」


「はい?」


「簡単に言えば、単純に世界渡りはできないということだ。だが、困ったことが起きた。想定外のアクシデントで、猫又の転移に少年は巻き込まれた。その結果、今、【狭間の回廊】にいる」

「それは、つまり……?」


 そう聞いたものの、猫の言っている意味がまるで理解できない。


「少年の魂は、転移に巻き込まれた。結果、世界間の質量が変わった」

「それって、どうなるの?」

「その影響で重力が極限まで収縮された」


 ごめん、全然わからない。


「恒星規模のブラックホールが、君がいた地点を座標に発生すると言えば分かり良いか?」


 その一言に、俺は血の気が引く。真偽の程は定かじゃない。ただ、喋る猫。地平線の見える回廊。それだけで、自分の常識じゃ図れない場所なんだと、言い聞かせる。

 自分の街にブラックホールが生まれるのだ。全てを吸い尽くす、恒星の成れの果て。それは言うなれば、終末。全ての終わりが来ると言っても良いんじゃないだろうか。


「問題は、君の世界だけで、ことが終わらないということだ。連鎖的に、隣接する世界までも収縮する。その影響は、あまりにもデカいと言わざる得ない」


 コクコク、俺は頷くことしかできなかった。


「つまり、安易に世界転移はしてあげることができないんだ。少年の魂が消えてしまえば、説明した通り、隣接する世界を吸い込んで、消し去ってしまう。その事態は、できれば避けたい。でも、君の魂は深く傷ついた。放っておいたら、そのまま消滅してしまう。結局は、ブラックホールが座標点に誕生してしまう」

「そんな、どうすれば――」


 少なくとも、平々凡々ながら青春を謳歌していた街だ。自分はこういう状況になってしまったから、諦めがつく。でも、両親。それからクラスメート。そして先輩や、先生たち。そんな親しくしていた人達の顔が、走馬灯の如く、瞼の裏でチラつく。

 そして――。


(いや、なんで梨々花が出てくるのさ?)


 最近じゃ口喧嘩が絶えない、小学校からの悪友の顔がチラついた。


「……あぁ、少年。そんな、大仰なものじゃないからな?」


 俺の思考を見透かしたのか。白猫に言われるが、俺は意味が分からず首を傾げる。


「魂の傷が癒えるまで、仮住まいで息を潜めてくれたら、それで良いのさ」


 猫はそして「おあー」と鳴いたのだった。






■■■






「なんで、目を覚まさないのよ」


 何度目かの言葉を投げられた。病室で寝ているのは

 毎回のことだが、ベッドに寝ている自分を見ていると、鏡を見続けているような。妙に落ち着かない気分になる。


 ぎゅっと梨々花は、猫のぬいぐるみを抱きしめる。

 気恥ずかしい――。


 もう見慣れたとは言え、まだ持っていたのかよと、再三思う。


 児童館でのクリスマス会。プレゼント交換を行ったのだ。それは良い。ただ、問題は参加人数が奇数だったということで。もちろん、先生達もプレゼントを用意して、孤立する子が出ないように、対策を取ってくれてはいた。でも、プレゼント交換で上がったテンションを抑えるのは、先生達でも至難の業で。


 今でも、目に焼きついている。

 梨々花のしょんぼりとした顔が。


 だから、母さんに相談をしてぬいぐるみを作ることにしたのだ。製作期間、三日。ハンドメイド作家の指導は、それは「鬼」と言いたくなるほどだった。指に針を刺しつつ、なんとか梨々花に、その不細工なぬいぐるみを渡したことは憶えている。


 引っ込み思案だった彼女が、明るくなった。少し、大人びて。綺麗になっていくのを目の当たりにしながら。俺の前では軽口を叩く。口喧嘩なんか日常茶飯事で。高校生になってもそれはまるで変わらなかった。


 ただ、以前よりも彼女が周囲にとっての憧れになった。言い寄られ、告白をされ。そんな光景を、俺自身も見かけていた。近くて、遠い存在になった。だから、初恋の感情なら、とっくの昔に飲み込んでしまった。


「バカなんだから……」


 ぼそっと梨々花が呟く。


「バカ。子どもを助けようとして、自分が飛び出すなんて――」


 世界から世界を渡ろうとした瞬間の猫又。どうやらトラック運転手には、幼女に見えたらしい。結果、跳ねられたのは俺だけ。俺が起きれば、彼の後悔も少しだけ和らぐだろうか。過労での長距離運転。少しだけ、運転手に同情してしまう俺だった。

 と、梨々花がぬいぐみを抱きしめる。


「蛍汰は本当に――そう思うよね、けーちゃん?」


 とぬいぐるみに囁く。

 ちょっと、梨々花。そんなに強く抱きしめないで。あのね、胸が。お前、意外に胸が大きい……いや、ちょっと、頬でスリスリ触れない――そ、それ、キスだから。そこ唇だから。り、り、梨々花?!


 もちろん、俺の声が届くはずがない。


 だって、俺の依り代となったのは、俺が小学校時代に作った、このイビツな猫のぬいぐるみだったのだから。





■■■





「まぁ、依り代って言ってもね、なんでも良いワケじゃないんだ」


 白い回廊を歩きながら、猫は言う。

 かつん、かつん。たん。ぺたん。そんな足音を小さく響かせながら。


「世界転移に、少年の魂は巻き込まれたわけだから。他世界にリンクしないように、現世界のアンカーポイントが必要ってワケだ」

「ごめん、言っている意味が全然分からない」


「だろうなぁ。まぁ、少年と結びつきが強いモノを、依り代にするのが妥当って憶えてくれたら、それで良いから」


「依り代に移ったら、やっぱり俺は動けないのか?」


「まぁヒトの体じゃないからな。基本的には動けない。どうしても、動きたかったら魂を削るしかないね。無理にバッテリーを消費するイメージ? そうすると、本体に戻る時間がまた長くなるから、無理はしないことだな」


 かつん、かつん。たん。ぺたん。

 足音が止まる。

 目の前に光が広がって、俺は思わず目を閉じた。


「俺ができるのは、ここまでだから。それじゃ、健闘を祈るよ。それにしても、初恋の子がアンカーポイントだなんて、素敵なことで」

「は?」


 無理に目を開けようとするが、あまりの眩しさに白以上に白く。真っ白で。

 ようやく、目を開けることができたと思ったら、俺は「けーちゃん」として、梨々花に抱きしめられていたのだった。



 ――期限、あと95日。





■■■





「早く、起きてよ。蛍汰――」


 何度目だろう。何回目だろう。もう、病室の窓から見える、夕陽は落ちかけている。それでも、梨々花は、同じ言葉を繰り返す。まるで、感情がブレずに、寝続ける俺に囁き続ける。


「好きだよ、蛍汰。大好きだよ」

「話したいよ、ちゃんと話がしたい」


「今度は素直になるから」

「恥ずかしいなんてもう言い訳しないから」


「けーちゃんを、蛍汰がくれた時、本当に嬉しかったの」

「蛍汰のお母さんから聞いたよ。全部、蛍汰が作ってくれたって」

「自分が作るって言って、聞かなかったって」


「好き。聞こえてる? 私の声?」

「けーちゃんには、何回も聞いてもらったんだ。告白の練習してたんだよ? でも、勇気がでなくて――」


「他の子にも同じように優しくする蛍汰は、ちょっとだけイヤだったんだ」


「他の子に優しくしないで、って思っていたから。ばちがあたったんだね」


「でも、止まらないの。好きなの、蛍汰が好きなの。好きだよ、だから起きてよ。起きて――私が嫌いでも良いから。声、聞かせてよ。蛍汰、蛍汰、蛍汰。この前は名前を呼んでくれたじゃない――」


 ぎゅっと、ぬいぐるみを抱きしめる。

 

 一度、耐えきれなくなって。

 自分の魂を傷つけて、名前を呼んだ。おかげで、期間が延長されたワケだけれど。


 蛍汰の頬を、梨々花の涙が濡らす。

 梨々花の顔を見上げながら、どうしてあげたら良いのか分からない。


 頑張ったよなぁ、って思う。


 本当なら、魂を削ってでも、駆けつけたい。そう思ったことが何度あったことか。

 梨々花の気持ちを、盗み聞きしているようで、後ろめたさもあって。


 できれば、自分の言葉で伝えたい。

 そう思ったのに、やっぱり言葉にならない。




 ――期限、あと0日。





 梨々花の目尻に、指先をのばす。その涙を拭う。


「……え?」

「好きだよ」


 もっと言い方があると思うのに。そんなことしか言えない。ようやく、梨々花に触れることができたのに。やっと、その涙を拭ってあげられたと思ったのに。

 それなのに、梨々花の涙は止まらない。


「け、蛍汰? 蛍汰、蛍汰、蛍汰――」

「うん、梨々花。おはよう?」


 梨々花が、何かを言おうと必死に口をパクパクさせる。気が動転して、呼吸が浅くなるのが見えた。


 でも、知っている。梨々花が投げかけてくれた言葉、全部聞いていたから。だから無理に言わなくても良い。



 ――全部、知っているから。







■■■





「おあー」

 独特な猫の鳴き声が、廊下から聞こえてきたのは――。

 どこかでまた、猫が世界を渡ったのかもしれない。


 でも、そんなことはどうでも良いと思わせる、暖かい温度が俺に触れる。

 確かに、アンカーポイントだなって思ってしまう。



 だから俺は、梨々花をぬいぐるみごと抱きしめたんだ。

 

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