愛しの旦那様は次の春までにわたしを殺すようです
御鷹穂積@書籍7シリーズ&漫画5シリーズ
愛しの旦那様は次の春までにわたしを殺すようです
その日、ディーナは憂鬱でならなかった。
他人に姿を晒す時はいつもそうだが、それが明確な予定として決まっているとなると、死刑執行までの時を待つ囚人のような気分になる。
刻一刻と、首を刎ねられるその時までのカウントダウンが行われるようなもの。
あぁ嫌だ、あるいはさっさと終わらせてくれ、そんな気持ちが交互にやってきて、気分がどんどん落ち込んでいく。
「あぁ、なんと美しい」
ディーナを見た黒髪の美男子は、彼女が生まれてからただの一度も向けられたことのない、愛おしむような笑みを浮かべた。
その瞬間、ディーナは恋を知った。
苦しみばかりの人生の中で、彼だけがディーナにとっての重要なものとなったのだ。
◇
それから半年。
ディーナは生家を抜け出し、黒髪の美男子と駆け落ちした。
故郷と隣接する領にある小さな街で、二人慎ましやかに生活していた。
白い髪に赤い瞳を持って生まれた者は、この地方では呪われた子として忌み嫌われている。
周辺地域で祀られている男神を誑かした悪魔が、同じ容姿をしていたと伝わっているからだ。
ディーナは日の光に弱いということにして、隣人たちを誤魔化して家にこもっていた。
夫――ロランは肩身の狭い思いをさせて済まないと謝ったが、ディーナは気にしていなかった。
大事なのは彼がいること。
それだけで彼女は幸福だった。
小さな木造家屋の扉が、ぎぃと音を立てて開く。
夫が家に帰ってきたのだ。
「おかえりなさい、ロラン」
「ただいま、ディーナ」
黒い髪、優しげな目元、線の細い体つき、柔らかな物腰。
ディーナの夫、ロランは妻を視界に捉えると柔和な笑みを浮かべる。
「デンケンさん、どうだった?」
ディーナが尋ねる。
夫は――まじない師だった。
二人の出逢いも、ディーナの呪いを解くという名目でロランが呼び出されたことがきっかけだった。
その日はデンケンという狩人の男性から依頼があって出ていたのだ。
「あぁ、どうにも肩が重いというから診てみたら、低級の動物霊に憑かれていたよ」
羽織っていたコートを脱ぎながら、夫が言う。
「まぁ、大丈夫だったの?」
台所に立っていたディーナは、中身を混ぜていた鍋から視線を外し、夫を見た。
「仮にもまじない師だからね。きっちり追い払ったさ」
「さすがはロランね」
「それに、デンケンさんはちゃんと代金をお金で払ってくれたんだ」
「あら、それはありがたいわね」
ディーナは少し驚いたような声を上げた。
貴族の邸宅で籠の鳥のように過ごしていたディーナは世間知らずであったが、この半年で幾分かマシになっており、庶民の生活についてもある程度わかるようになっている。
「本当にね。食べ物ならまだいいけど、使い所のない品を料金代わりにされたり、そもそも難癖つけて踏み倒しす人が多かったからね。まぁ、まじない師なんてそんなものだけどさ」
神秘的な力で災いを取り除く者を指して、まじない師と呼ぶ。
だが世間での扱いは、決してよくない。
神は信じても、人が超常的な力を持つことは信じない、という者も多い。
もっとタチが悪い者となると、困って泣きついてきておきながら、彼の除霊が成功した途端に態度を豹変させ、いんちきだと難癖をつけて料金を払わないことさえあった。
「でも、最近は頼りにされているでしょう? 自慢の旦那様よ」
「妻を養うべく必死に働いただけさ」
スッと、背後からロランに抱きしめられる。
少し力を入れるだけで脱することが出来そうな、柔らかな抱擁だ。
うなじに彼の唇が寄せられる。
「もう少しお金が貯まったら、ここを離れようか。追手に見つかってしまうかもしれない」
ロランが心配そうに言う。
「お義母さまが、わたしを探すのにお金を使うわけがないわ。この容姿が治らないものと知った以上、わたしに価値なんてないでしょうし」
一家に呪いの子が生まれるのは、貴族にとって大きな恥だ。
隠すように育てられたディーナだったが、義母には特に嫌われていた。
ロランが診たところ、ディーナの髪も瞳も呪いによるものではなかった。
ただ生まれつき、そうだったというだけ。
そうなっては、お
白い髪と赤い目が治らないのなら、もう排除するしかない。
「……そうか。でも、もっと遠くの国へ行けば、容姿への差別もないかもしれない」
この地方の信仰に根ざした差別だというなら、別の土地に行けば問題ないかもしれない。
ロランの言わんとしていることは分かる。
「わたし、今の生活に不満はないわ」
「本当かい? 新天地に行けば、大手を振って昼の街を歩けるかもしれない」
「幸福な生活に必要なものは、もう揃っているもの」
外に出ることに憧れを抱いていた時期もあったが、それも遠い昔に感じられる。
ロランと初めて逢って以来、ディーナは彼と共にいること以外の望みというものを抱かなくなった。
「君を美しいと思う男は、何も世界に私だけではない」
夫が少し寂しそうに言うので、ディーナは努めて明るく微笑んだ。
「たとえ世界中の男性に求婚されても、わたしはあなたを選ぶわ」
そう言うと、ロランは驚いたような顔をして、それから――嬉しそうに破顔した。
「光栄だ」
うっかり見とれてしまいそうになるロランの笑顔に、ディーナは首を振る。
「名残惜しいけれど、そろそろ離れてくれる? 料理が出来ないわ」
「では、またあとで。何か手伝えることはあるかな」
「ならお皿を出してくれる?」
「喜んで」
二人の逃避行、ささやかな結婚生活は、今日も幸せに続いていく。
◇
ロランは妻に嘘をついている。
彼はまじない師、これは正しい。
彼はディーナの義母に雇われた、これも正しい。
だが彼は、ディーナに惚れて駆け落ちしたわけではない。
まじない師とは、神秘的な力で災いを取り除く者だけを指すのではない。
その逆、超常的な力で災いをもたらす者のことも指す言葉だ。
ロランは本来後者。
自分の力を悪用し、人を不幸にすることで金を稼いできた。
対象に悪霊を取り憑かせて祟り殺したことさえある。
ディーナの義母は、義理の娘のことを深く憎んでいた。
それゆえに単に暗殺するだけでは飽き足らず、最悪な死を押し付けたかった。
醜さゆえに愛されずに育った娘に、愛情の温かさを教え、存分に浸らせたあとで奪う。
なんて悍ましい方法をとるのだろう。
それに乗るロランも同罪だが。
わざわざまじない師のロランを雇ったのは、呪いの子を呪いで殺すため。
もちろんディーナの容姿と呪いは無関係だが、彼女の義母には何を言っても無駄だろう。
『悪しきまじない師に騙され、最後は呪殺される』という最初の筋書きを変えるつもりは、依頼主には無いようだった。
ロランはこの依頼に乗り気ではなかったが、仲介人のしつこい説得と、莫大な報酬を前に引き受けることにした。
期限は出逢いの日から一年。
二人は春に出逢ったから、次の春までにディーナを殺める必要がある。
話を聞いた時点では、憂鬱ではあるが、仕事自体は簡単なものだと思っていた。
――だが。
「……ロラン」
夜。
夫婦の寝室。
隣で眠る妻の寝顔が間近にある。
小さな唇から、夫の名が寝言として漏れる。
窓から差し込む月明かりが、その白銀の髪を淡く照らした。
最初は思ったものだ。
――あぁ、なんと醜い。
寒々しく、雪を思わせる髪。
悍ましい、血のような双眼。
こんな娘を愛するフリをしなければならないとは、莫大な報酬に見合う苦行だ、と。
そう、思っていたのに。
共に過ごす内に、こちらの偽りの愛を心から信じて喜ぶ姿を見ている内に、ロランは彼女を愛おしく思うようになっていた。
あばたもえくぼとは言うが、気づけば白銀の髪も紅玉の瞳も彼女の魅力の一つに思えた。
ロランは苦悩している。
汚れ仕事から抜け出せるほどの、莫大な報酬か。
惚れた女か。
次の春までに、選ばなくてはならない。
◇
ディーナは、初めて会う前からロランの正体に気付いていた。
義母が執事と話しているのを聞いてしまったからだ。
不思議には思わなかった。
むしろ十八まで生かされていたのが奇跡だ。
まじない師に会うのは憂鬱だった。向こうも仕事とはいえ、こんな呪われた女を愛するフリは難儀することだろう。
愛を囁こうにも、どうしたって一瞬、表情を歪める筈だ。
そういった者を何度も見てきた。実の父と母、メイドや執事、庭師に御用商人。取り繕う前に、誰もが本心を顔に出した。
あの瞬間がディーナは一番辛かった。
自分が耐えられないほどに醜いということを改めて突きつけられるようで。
そんなこと、もう知っているから。
化け物にでも遭遇したような目で、見ないで頂戴。
そのような心の悲鳴を、何度上げたことか。
『あぁ、なんと美しい』
ロランは違った。
彼は、
まるで心の底から、ディーナを美しいと思っているようだった。
その笑顔が、演技が、あまりに完璧で。
思ってしまった。
この人に騙されて死ぬなら、それでいいと。
ディーナは愛と無縁だったがゆえに、自分が心から愛されることなど期待しておらず。
いつか最期の時を迎えるまで最高の演技をしてくれるのなら、それこそが自分が望める最大の幸福だと確信していた。
ロランとの生活は、ディーナにとっては本当に幸せなものなのだ。
ディーナは気づいていなかった。
ロランの心情が変化し、今や真に自分を美しいと思っていることも、深い愛情を抱いていることにも気づいていなかった。
偽物の愛から始まった夫は、妻を真に愛するようになり。
真実の愛など望めないと諦めている妻は、夫が自分に向ける愛情が今も偽物だと誤解している。
互いに隠し事を抱える、いびつな夫婦の幸せな生活は、これからも続く。
そして、次の春までに大きな変化を迎えることだろう。
果たして、この愛の結末は――。
それを知る者は、まだいない。
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