エピローグ
夏の日差しが壁や道を照りつけて眩しい。
メルティは首筋ににじむ汗を拭った。
ほんの少し歩いただけでも暑くて、からだは水分を欲している。
買い出しから戻り、誰もいない部屋に向かって「ただいま~」と言ってから、あっと口をつぐむ。
いつまで経っても、ミアがいなくなったことに慣れない。
もう戻ってくることのないように、悲しい思いをしないように祈っていても、いざ会えないとなると心にぽっかりと穴が開いたようにさみしくなる。
ミアをしつこく追っていたものたちはもういない。
この辺境を担当していた神官もいつの間にか交代している。前任のクズィーは、すったもんだのすえ教会から除籍されていた。
なんでも大変な規律違反をしたとかで、聖歌機関の怒りを買い、もう二度と表には出られぬようになったとか。顔を見せることがあったとしたら、それは教会の再生プログラムを履修してからになるし、一体何年かかることやら。
ミアを必要以上に追い詰めていたことを知っているだけに、もう戻ってこなくたってメルティは一向にかまわなかった。
男爵のほうもミアの名を出すことはなくなった。
ミアを手に入れようと多額の金を投じていたにもかかわらず、あっさりと引いたことに周囲は興味津々だ。男爵にたずねると、
「ナイチンゲールからは手を引くことにした。頼むから、その話は勘弁してくれないか。あの方々に目をつけられたくない」
と、諦めたというより巨大な力の前に屈したような口ぶりで話すのだ。
さすが成金の男爵、時の流れをよく読んで、自分よりも強い相手には逆らわない主義らしい。
辺境の歌い手不在に過敏になっていた聖歌機関も、今となっては騒ぎ立てることはなくなった。
いわく、辺境の安全は今後も変わりなく保たれる。魔物がこれ以上活発になることもないだろう、と。
魔物を眠らせる聖歌はミアにしか紡げないのにとメルティは首をかしげたが、機関の言うとおり、魔物はおとなしくなった。
フォルデ辺境騎士団がすべて討伐しているとも思えなかったし、以前ミアが辺境にいたときのように、巣のなかで眠っている魔物も多い。
もしかして、と思うことはあるが、メルティには確かめるすべはなかった。
思えば、ミアを逃がしたあの時から随分経つ。
「元気にしているかしら~」
年頃になったら普通に恋愛をして、結婚をして、みんなと同じようになりたい、なんてよく話していたが。
今頃どこで何をしているのだろう。
ため息をついて、買ってきたものの整理をしているとドアのノック音が響いた。
開けると、教会の孤児院で世話をしているこどもがそこにいた。
「メルティ、手紙だよ」
「手紙?」
マリーかしら、とつぶやいて受け取る。
差出人の名前はない。
「誰からあずかったの?」
「えーっとね。白い服を着た、背の高い男のひと」
「そう。ありがとう」
メルティは不思議に思いつつも、封を切った。
――親愛なるメルティへ。
メルティは目を丸くする。
見慣れた筆跡がそこにあって、夢中で手紙を読みふける。
†
――お元気ですか?
わたしは元気です。
しばらく便りも出さずにごめんなさい。
最近、ようやく落ち着いてきたので、遅ればせながら筆をとりました。
わたしは今、フォルデ東方の辺境伯、バレット・フォン・レガート様のご厚意で、かの方のお城に身を寄せています。
なかなか快適なくらしです。
時々フォルデの中央からお客様が来てパーティーが開かれるのだけれど、歌い手として参列して欲しいって呼ばれるから、割と困っています。不慣れなところで突然歌を要求されるんだもの。
一応、エスコートしてくれる相手はいるんだけどね。皆の視線が痛いのなんの。なんと言ってもそのひと、顔がいいので皆の気持ちは察するにあまりあるわ。
お城には辺境騎士団が常駐していて、わたしは主にこの方々と行動しています。まあ、言ってしまうと、それがお城に住む条件というわけです。
騎士団と行動する都合上、近いところにいるほうが便利だし。何より、辺境伯は聖歌機関から直接依頼を受けて、わたしを保護してくださっているみたい。
わたしがお城に住むなんて、人生って分からないね。
何の因果か、あの高名な氷槍のアレニウスがわたしを守ってくれています。信じられないよね。わたしも未だに、夢を見ている気分だよ。
この人、本当にすごい。噂に違わず強いし、頼もしい。
でも、時々言動がすごく変で、想像とだいぶ違いました。
辺境をともに守る
だって、ひとりで夜の森を歩いていたことを思えば、すごく心強いんだよ。守護者を連れているだけで、本当に、全然、世界が変わるんだね。
それから、気兼ねなく話せる友だちや、知り合いもできました。ひとりは頼もしいおねえさん。美人ですごく頼もしいんだよ。よく一緒に買い物に行って、おいしいお菓子を二人で食べてます。
メルティにも食べさせてあげたいよ。
実は、大事なひとができました。
心の底から、そのひとのことを愛しています。
恥ずかしいから、面と向かって言えないことが多いけど……見るたびに、ああ、好きだなって思うんだ。
そのひとも、わたしのことを大事に思ってくれています。
ずっと前から一緒に住もうって言われているのだけれど、わたしも彼も、任務の都合があって今のくらしを変えられないでいます。お城を出るにしても、住む場所は考えないと不便だしね。いつまで辺境伯のご厚意に甘えられるか、正直分からないけれど。先のことは、彼と一緒にこれからゆっくり考えていきます。
メルティはどうですか?
本当は、会ってお茶をしながらたくさんお話したいけど、遠いし、なかなか時間がとれなくて難しそうです。
時々でいいから、こうして手紙のやりとりで近況を伝えられたらいいね。
ミア・セレナード――
†
「ミア……っ」
辺境騎士団がミアを探していると知った時は、どうなることかと思った。
――ミアは、もう大丈夫だ。
メルティは泣き笑いを浮かべた。
◇
――フォルデ辺境、夏の夜。
わずかに開けた窓から、ぬるい風が吹き込んできて、ミアは顔をあげた。
風のなかに、青々とした匂いが交じる。
ミアはこの異国の匂いがたまらなく好きだった。
隣で寝そべっているローラントがふと笑んだ。
「いい風が入ってくる」
「そうですね」
「……よく眠れそうだ」
――歌が欲しいという合図だった。
辺境伯のバレットが用意してくれた部屋は、二人で過ごすにはじゅうぶんすぎるくらいで、寮にミアを引き入れられない分、ローラントが足しげくこの部屋に通っている。
クランからはそのことでからかわれているローラントだが、今はもう完全に開き直っていた。
愛し合う二人が同じ部屋で過ごすことの何が悪い、規律違反はしていない、寮に連れ込むことはないのだから口出し無用、黙っているように、とか何とか。
それはそうですけど、とクランは困り顔である。
恋人を城に住まわせて良いのなら皆そうする。何しろ通いやすいし、会おうと思った時にすぐ会えるのだし。職権乱用もはなはだしいが、辺境伯が城に留まるようにと命じる以上、誰も文句は言えない。
だからこそ、ローラントは遠慮しなかった。
触れ合って夜通し寝ないこともあるし、歌を望むこともある。
なんにせよ、ミア厶は相当手加減されていたのだと思い知るばかりだった。
『あんた、ミアムがナイチンゲールだってわかった途端に変わりすぎじゃないですか? 男じゃなくなったからもう我慢しなくていいとお考え? 葛藤はないんですか? 自分ひとりだけ良ければあとの若者はどうなってもいいと⁉』
『私は合意の元で愛し合うのなら、別に反対はしませんとも。ただ、酒はほどほどにしておいたほうがよろしいかと。酒の勢いで一方的に愛されて喜ぶ女子はおそらく一握りかと存じます。さすがの私も、酔った勢いでの告白とキスは引きました。ああ。可哀そうなミア……』
ローラントばかりが責められていて、ミアは口を挟む隙がなかった。
あの夜のキスは、ミアの下心も多少はあった。少年従者としてやっていくならローラントから求められる機会があっても応じられないし、酔った勢いだったと笑い飛ばしてしまえば済む話だと思ったのだ。
もう二度とチャンスはこないかも。だったらせめてもの記念。はじめては、心から好きになった人としたいというミアの我儘が引き起こしたことでもある。
まあまあ無理矢理ではあったものの、嫌ではなかったし、キスをたくさんするようになった今でも、あの夜を思い返すとドキドキした。
長いこと、不眠を大量の酒の力でごまかしていたローラントだったが、節度を守ることを覚えた。
酔って突然キスすることはなくなったし、一応、理性のタガは外れていないようである。
そういえば、クランとベルは、ミアがナイチンゲールだと知ってもさして驚かなかった。ベルのほうはミアの性別を聞いた時点で薄々察していたようで、クランも何となくそうなのではないかと思った、などと供述している。
ベルがミアの正体を黙っていてくれたのは、『恩人とは言え、まだ親しくもない男から突然契約とかいう結婚話をされたら普通に怖くないですか? 何より、断りにくいでしょうし……』と、ド正論が返ってきたのにはミアもクランも笑ってしまった。
広いベッドの上で、ローラントの腕の中でミアはささやくように聖歌をうたった。
いつも身に着けているレイ・クォーツは、寝る時だけ机の上に置いてある。
彼が寝落ちするまでやさしい声でうたうのが、ミアが今一番満たされる時間だった。
眠るまで、ローラントはミアを抱いて離さない。
夏のせいか、それとも身体を重ねたせいか、肌はしっとりと汗ばんでいる。ただ、そこについ先ほどまでの荒々しさはなく、ローラントはおとなしかった。
逃げてしまうと思われているのか、抱き枕代わりにされているのか定かではないが、ミアの腰に腕を回して囲ってくる。
――心配しなくても、もう黙っていなくなったりしないのに。
ローラントはたわむれにミアの髪や頬にふれてきた。指の腹でミアの肌をたのしんで、そこここに手を滑らせて、唇を寄せる。
その目が指先が、触れるところ全てが、ミアを愛しいと訴えているようだった。
――わたしも、あなたを愛おしいと思う。
そう言いたいのに、歌を途切れさせることができずにもどかしい。
寝落ちする瞬間、ミアはいつもローラントにキスをしてささやいた。
「……わたしも、あなたが好き」
聞こえていてもいなくても、溢れてくる愛おしさを言葉にして、ミアも重い瞼を閉じた。
《了》
ナイチンゲールは振り向かない 八ツ幡 七三 @yamiyuna
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