ユニークな飼い猫

沢田和早

ユニークな飼い猫

「おじさん、遊んでもいい」

「ああ、いいよ。ただし前足以外は絶対に触らないようにね」


 今日も下校途中の小学生たちがウチの庭へやって来た。お目当ては飼い猫のポチ。子どもたちはポチにお手や伏せやチンチンをさせて遊んでいる。ポチは犬が尻尾を巻いて逃げ出すほど芸達者な猫なのだ。


「ホントに犬みたいな猫だね。すごいなあ」

「すごくはないさ。猫だって犬に劣らず賢いんだ。きちんとしつければ犬と同じように芸をする。ただ猫は飽きっぽいから教えるほうも根気が必要だけどね」

「ねえねえ、どうしてポチなんて犬みたいな名前にしたの」

「犬みたいに大きな猫、だからかな。ははは」


 笑ってごまかす。本当の理由は言えない。ポチは猫ではなく正真正銘の犬だ。猫のぬいぐるみをかぶせているので猫に見えているだけなのだ。


「じゃあね、おじさん。また明日も遊ばせてね」

「ああ、気を付けておかえり」


 子どもたちが帰っていく。ようやく解放されたポチが足元で「にゃわん」と鳴いた。犬と猫が混じったような鳴き声だ。


「すまないねポチ。こんな形でしかおまえを救ってやれなくて」

「にゃうん」


 私がポチに出会ったのは四年ほど前だ。ポチは野良犬だった。ある朝、家の軒下で丸まって震えているのを偶然見つけたのだ。その姿があまりにも哀れで放っておけなくなった。一軒家の一人暮らしで、かねてから防犯対策の必要を感じていたこともあり、番犬として飼うことにした。


「ポチ、お散歩に行くよ」

「わん」

「ポチ、お手、伏せ、チンチン」

「わん、わん、わわん」


 ポチとの生活は楽しかった。長らく一人暮らしをしていた私は家族との生活に飢えていたのかもしれない。


「今度は長く留守にするけどおとなしく待っているんだよ」

「くうん」


 ある日、五日間の出張が入った。これまでも二、三日家を空けることはあったが、これほど長い留守は初めてだった。


「エサも水もきちんと出るから残さず食べるんだよ」

「わん」


 技術系の仕事をしていた私は犬用の自動給餌装置を自作して庭に設置していた。一日二回、決められた量の餌と水が器に供給される。最近はほとんどこの装置で餌やりをしているのでポチも慣れっこになっていた。私がいなくてもポチが飢えることはないはずだった。が、


「い、いない!」


 出張から帰った自宅の庭にポチの姿はなかった。繋いでいた紐には噛み切られたような跡が付いている。自動給餌装置のエサと水は想定値の半分も減っていない。


「いったい何が起きたんだ」


 さらに装置を調べると電源が落ちていることがわかった。そこでようやく思い出した、先週停電のお知らせがポストに入っていたことを。この装置は一度電源が落ちるとリセットボタンを押さなければ再起動しない。停電によって装置が停止したままになり、餌が食べられず空腹に耐えられなくなったポチは紐を噛み切って脱走してしまったのだろう。


「ポチ、ポチ、どこだ」


 探しても見つからなかった。しばらく待てば帰って来るかもと思い、それから三日待った。やはり帰ってこない。


「もしかしたら、捕らえられたのかも」


 予感は的中した。ポチは動物管理センターに収容されていた。ギリギリだった。明日までに引き取り手がいなかったら処分されていたらしい。


「ポチ、ごめん。つらかっただろう」

「くうん」


 ポチの状態はひどいものだった。足と胴に包帯が巻かれ、体も顔もやせ細り満足に歩くこともできなくなっていた。


「どうしてこんなケガを」

「捕らえる時、ひどく暴れてあちこちに体をぶつけたと聞いています。それ以来怯えてしまって今日まで餌をほとんど食べていません」


 文句は言えなかった。捕獲対象は腹を減らせた野犬なのだ。責められるべきは職員ではなく飼い主である自分のほうだ。


「ポチ、帰ろう。大丈夫、すぐ元気になるからね」


 しかしポチの容体は日に日に悪化する一方だった。心肺機能が著しく低下し助かる見込みはまったくなかった。私はポチを動物病院から連れ出し勤務先の研究所に運び込んだ。


「この犬を被験体として使ってください」


 研究所では「ナノマシンを用いた装着式生命維持装置」の開発が進められていた。患者の全身を無数のナノマシンで覆い心肺機能を代替させる装置だ。従来のように装置に固定される必要がないので患者は自由に行動できる。その被験体としてポチを使えば命を助けられるはず、そう考えたのだ。


「いいのか。ひとたび装着させればこのマシンなしでは生きられない体になるんだぞ」

「構いません。お願いします」


 こうしてポチ専用の生命維持装置が製作された。装置の外観は犬ではなく猫のぬいぐるみにした。犬より猫のほうが有利であると判断したからだ。

 野良犬は問答無用で捕獲収容されるが野良猫は滅多に捕獲されない。それどころか地域猫として手厚く世話している自治体もある。野犬による農作物の被害は甚大だし、なにより狂犬病の恐れがあるから仕方のない話ではあるが、野良になった犬が生き難い世であることは間違いない。もしもう一度ポチが脱走して捕獲されたら二度と助かることはないだろう。万が一の場合を考え、猫のぬいぐるみをかぶせたほうがいい、そう判断したのだ。


「窮屈かもしれないが我慢しておくれポチ」

「にゃわん」


 喉には鳴き声を猫っぽくする音声変換装置を取り付けたのだが、あまり出来はよくないようだった。


 猫のぬいぐるみ型生命維持装置を装着したポチは徐々に回復していった。半年も経たないうちに日常生活を営めるようになった。それを機に私は職を辞して家を引き払い、今住んでいる土地に引っ越した。もちろんポチの生体データは毎日研究所に送っているし、月に一度のメンテナンス日には研究所に運び込んで装置を外しナノマシンを交換している。ポチと暮す幸せに比べればそれぐらいの手間はどうということもない。


「ねえ、抱っこしちゃいけないの」

「ああ。触るのはお手をする前足だけにしてくれ」


 遊びに来る子どもたちはポチを撫でたり抱きあげたりしたがったが、それだけは断固として拒否した。

 ぬいぐるみの表面には異常を示す小型警告灯やデジタル表示器、メンテナンス時に装置を脱着させるスイッチなどが取り付けられている。目立たない場所ではあるが触ればわかってしまうだろう。

 特に脱着スイッチを押されてぬいぐるみが開いてしまうと、充填されているナノマシンが漏出し、ポチの生命を維持できなくなってしまう。それだけは絶対に避けなければならなかった。


「こんにちは。こちらで珍しい猫を飼われているそうですね」


 ある日、地元のケーブルテレビ局から取材の申し込みがあった。犬みたいな猫として評判になっているポチを紹介したいと言うのだ。もちろん断った。見せ物ではないのだ。


「申し訳ありません。お引き取りください」

「そう言わずにお願いします。うまくいけば全国ネットのテレビ局からもオファーが来るかもしれませんよ。一躍有名人になれますよ」

「有名になんかなりたくありません。お帰りください」


 頑として拒否するとテレビ局の職員は諦めて帰って行った。だが話はそれで済まなかった。それから数日後、妙に庭が騒がしいと思って外に出ると、テレビ局のスタッフが無断で庭に入り込んでいた。


「何をしているのですか。取材はお断りしたはずです」

「はい。この近所に別の取材で来たのです。そうしたら偶然にも珍しい猫を発見したので、ついでに録画させてもらっています」


 まるで理由になっていない。怒りが込み上げてきた。テレビカメラをつかもうとしたが別の職員によって制止させられた。


「ほんの数分です。お願いします」

「嫌です。すぐ帰ってください。警察を呼びますよ」

「うわー、本当に犬みたいですねえ。どれどれ抱っこしてあげようかな」


 女性アナウンサーがポチを抱き上げようとしている。慌てて叫ぶ。


「やめろ、触るな」

「おや、首の後ろが膨れていますね。蚊にでも刺されたのかな」


 マズイ。それは脱着スイッチだ。押されたら大変なことになる。


「その手を離せ。ポチに触れるな」

「きゃ!」


 女性アナウンサーの腕からポチが転げ落ちた。スイッチが押されたのだ。猫のぬいぐるみの背中が開く。充填されているナノマシンが漏出する。全開になったぬいぐるみから本物のポチが犬の姿で現れる。最悪の事態が起きてしまった。


「な、なんということでしょう。犬です。猫ではなく猫のぬいぐるみをかぶせられた犬だったのです!」


 絶叫する女性アナウンサー。私は地面に横たわるポチのそばに駆け寄った。この状態では数分ももたないだろう。


「ポチ、ポチ、しっかりしろ」

「これは虐待ですね。あなた、とんでもない飼い主ですね」

「本当ですよ。そうまでして子どもたちの気を引きたいのですか」

「動物愛護協会に訴えてやりましょう」

「いや、通報するなら警察だ。動物虐待は立派な犯罪だからな」


 テレビ局のスタッフたちへの怒りは頂点に達していた。私は立ち上がるとディレクターらしき男の顔をぶん殴った。


「な、何をするんだ」

「動物を虐待しているのはあんたたちだ。ポチを返してくれ」


 なおも殴ろうとする私を数名のスタッフが取り押さえる。その中のひとりが私の首の後ろにある突起を押した。


「あっ!」


 大きな衝撃。そして虚脱感。私の体を覆っていた成人男性のぬいぐるみが開き、充填されていたナノマシンが漏出した。中から現れたのは本当の私、女性の体の私だ。


「あ、あなたまでぬいぐるみをかぶっていたんですか」


 誰もが驚いている。そう、私もまた研究所の被験体なのだ。ポチと出会う数年前、私は通り魔に襲われた。一命は取り留めたものの生命維持装置なしでは生きられない体になった私は、自分から申し出て被験体となった。そして私の希望で外観は男性にしてもらった。逮捕された犯人が「女なら誰でもよかった」と供述したからだ。それ以来ずっと男性のぬいぐるみをかぶって生きてきた。だが、そんな日々も今日で終わる。


「ポチ、ポチ……」


 私は地を這って横たわるポチに手を伸ばした。体はもう冷たくなっている。ごめんね、おまえの最期をこんな形にしてしまって。でも寂しがることはないよ。私もすぐおまえのそばに行くから。もうぬいぐるみをかぶる必要はないんだよ。これからは本当の姿でいられるんだよ。犬のポチとして、女性の私として、二人でずっと仲良く暮らしていこう……。



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