トウキチ

久路市恵

ぬいぐるみ

「離婚して欲しいんだ」


 いきなり夫はテーブルの上に署名捺印した離婚届と茶封筒を私に差し出した。


「いきなりなに!」


「だって、お前、美乃梨みのりと家事に追われて俺のことほったらかしじゃん。果歩かほさぁ、仕事見つかるまで金ないだろと思って、これ、二百万、これで当面の間大丈夫だろう。じゃあ、俺出て行くから」


「ちょっと、待ってよ」


「止めても無駄だよ。もう決めたから」


「そんな……。このお金はどうしたの」


「うん?母さんに借りたんだ」


 そう言って夫が出て行った後、なんだか、なんにもやる気が起きなくて、美乃梨みのりを連れて近所の公園に出かけた。


 美乃梨みのりはひとり砂場で飯事ままごと遊びをしている。まだ五歳、この子を連れてどうやって生きていこう。仕事もしてないのに……。


 カラスの鳴き声が聞こえてきて、空を見上げた。


「もう、夕焼け空……もうそんな時間になってるの……カラス達も行く時間……か」


「ママ〜これ見て」


「どうしたの?それ」


 美乃梨みのりは両手で掴んだものを私に見せた。


「砂の中から


「砂の中にあったの?誰かの忘れ物かな。砂場に置いときなさい。お友達が取りに戻ってくるかもしれないでしょ」


 それはあまりにもグロテスクで決して可愛いとはいえないのぬいぐるみだった。


 可愛い目をして脚を曲げて座っているような蛙じゃなくて、目つきも鋭くて両手足びろんと伸びている灰色をした蛙。


 気味が悪い感じ、


美乃梨みのり、カラス達も帰って行ったから私たちも帰りましょ。そのぬいぐるみ、砂場に置いて来なさい」


 美乃梨みのりは黙って蛙を見つめて、


「ママがすなばにおいときなさいっていっててるの。どうする……ここにいる……わかった……。ママ、このこ、みのりといっしょにっていってるから、みのりのおうちに、いっしょに


 美乃梨みのりは先に歩き出した。


「ちょっ!ちょっと待ってお飯事ままごとセット」


 砂場の上の飯事セットを集めて美乃梨みのりの後を追いかけた。


 アパートに帰ってからも、美乃梨みのりはずっとグロテスクな蛙のぬいぐるみとお話をしている。


「ねぇ美乃梨みのり、その子とお話しできるんだ」


「うん、このこのなまえ、ママしってる?」


「……知らない」


「かえる」


「それは見たまんまでしょ」


「ふふ……トウキチがいったとおりだね」


「とうきち……」


 美乃梨みのりの様子を見ていて、ちょっとだけ怖くなった。どちらかというと、オカルトには興味がある方だ。


 子供にはそういう物が見えるってこと信じてる方だから、でも……。


「ねぇ美乃梨みのり、その子、トウキチくんはどこから来たの」


 美乃梨みのりは私をぽかんと見て、ニコッと微笑むと、


「トウキチ、きこえた?ママがどこからきたのってきいてるよ。……うん。わかった。トウキチは、ママはおぼえてないの?っていってるよ」


 美乃梨みのりは私の方を見て、蛙のトウキチの口元を耳に押し当てている。


「うん、うん、うん」


 美乃梨みのり……ママはすっごくオカルト好きなのよ。でも、目の前でそんな事されると、めちゃくちゃ……怖いんだけど。


「トウキチがね。おじいちゃんとおばあちゃんちにようにいってる」


 こうして私と美乃梨みのりはぬいぐるみのトウキチの言う通り、実家を訪ねてみることにした。


 実家に戻ると両親が快く向かい入れてくれたのはいいのだけれど、


「ねえ、兄さんと義理姉ねえさんはお出かけしてるの」


「それがね……」


 母は言葉を詰まらせて首を傾げている。


「母さんが要らん事言うたもんでな。二人で出て行ってしまったんだ」


 父さんは眉間に皺を寄せため息をついた。


「出て行った?この家から出て行ったって事」


「そうなのよ。母さん意地悪で言ったつもりないんだけどね」


 結婚して五年経っても子供のできない兄夫婦に対して、母は病院で調べてもらったらどうかと言ったらしい、


 それで、二人は怒こってしまって、先週、荷物を纏めてこの家から出て行ったとの事、


 それを訊いた私は夫に離婚届を付きかけられて悩んでいることを両親に相談した。


 そして、翌週、私と美乃梨みのりとぬいぐるみのトウキチは共に実家に戻ってきた。


 引越しの荷物を片付けてから、私が子供の頃よく遊びに行ってた公園に美乃梨みのりを連れて行った。


 砂場で飯事ままごと遊びをしているを眺めていると、


「もしかして、森川さんですか?森川果歩さん」


「はい……あっ……」


 それは懐かしい男の子というより素敵に成長した幼馴染の藤沢君だった。


 藤沢聡太、私の初恋の人、彼は手に一輪の秋桜の花を持っていた。


「覚えてる?この木下に死んでたカエルのお墓を作ってあげた事」


 私はそれを言われるまで、すっかりその事を忘れていた。


「カエルのお墓……」


「名前付けただろ。お墓には名前がいるって果歩が言った」


 私は思わず美乃梨みのりとトウキチの方を見た。


「もしかして、そのカエルにつけた名前って」


「トウキチ、俺ね、辛い時とか悩んだ時、よくここに来て、トウキチと話してたんだ」


 背中に悪寒が走った。


 トウキチ……。


 確か美乃梨みのりは言った。


 砂の中から出て来た……と。


 それから私は美乃梨みのりとトウキチと一緒に藤沢聡太さんとお出かけするようになった。


 蛙のぬいぐるみのトウキチは、


 ずっと、ずっと、私を見守ってくれてたのかもしれない。


 

 そして、本当の幸せを運んできてくれた。


 あれから十年、


 私の前には聡太さんがいる。


 トウキチは、ただのぬいぐるみではなかったようで、


 十年経った今でも美乃梨みのりとトウキチは会話をしているのです。


               終わり

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トウキチ 久路市恵 @hisa051

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