なきぐるみ

夏伐

半分の涙

 私は生まれてから一度も泣いたことがない。

 うちの家系はみんなそうだ。

 生まれる前から自分の分身となるぬいぐるみが作成される。母の髪、父の血、先祖の遺骨をぬいこんで作成しているというが、本当のところは本家の跡取りにしか伝えられていないし、ついぞ従兄弟も教えてはくれなかった。


 私が死んだ時か、ぬいぐるみが壊れた時、その時、どちらかが涙を流すと言われている。

 それまではどちらも泣くことはない。


 そんな迷信だ。

 だけど私も泣いたことはない。

 怪我をして反射的に涙が流れることはある、けれどどんなに悲しくてもどんなに辛くとも感情で涙を流すことはなかった。


 親戚の葬式では、無表情の黒衣装の人間たちが並ぶうえ、不気味なぼろぼろのぬいぐるみが棺の上に飾られる。この地域では昔から恐がられている習慣だ。


 成長した私は、親友との別れの時も涙が流れなかったし、卒業式には私だけ泣かなかった。

 都会に出て、そんな私のことを愛してくれる男性が現れたが、結局のところ私には涙が足りなかったらしい。


「君は、人に共感する心がないんじゃないか?」


「どうして…」


 私はちゃんと傷ついている。

 けれど、二人で決めたマンションの部屋で、彼は私の分身であるぬいぐるみを破壊しようとしている。


 きっかけは動画サイトで見ていた映画で、彼は泣き、私は無表情でそれを見ていたことだった。そんな些細なことで私は全てを否定されている。


「うちはみんな泣かないもの……」


「こんな迷信を信じているからそうなんじゃないか。君はきっと俺が死んでも泣かないんだろうな」


「そんなこと――」


「ないって言えるのか?」


 ぬいぐるみの迷信を信じてくれて、それも含めて私のことを受け入れてくれたと思ったのに。

 今ほど涙が出てきてほしいことはない。


 けれど、そんな私の様子に彼はいらついたようにガスコンロの火をつけて、その火の中にぬいぐるみを放りなげた。


「やめて!!!」


 ぬいぐるみが涙を流した。

 私は彼を押しのけてコンロの火を止めた。けれど、もう遅かったようだ。


 じりじりと私の全身に熱が広がっていき、視界にある手はどんどんと火傷が出来ていった。


 ぬいぐるみは私の分身で、どちらかが死んだ時きっともう片方も死んでしまうのだ。痛みと恐怖で、目から涙がこぼれ続けた。

 彼は焦りながらぬいぐるみの火を消し止めた。私の様子を見て、彼は必死に携帯で救急車を呼ぶ。ぬいぐるみの顔半分、体半分も焼けただれている。


 かけつけた救急隊員の応急処置が良かったのか、その後、本家にぬいぐるみを修繕してもらったのが良かったのか分からないが、軽い傷跡を残して私の火傷は完治した。


 彼は責任を感じてか、泣くことについて何も言わなくなった。

 だが私は今の状態が気に入っている。


 火傷に囲まれた右目からは感情に呼応した涙が流れるようになったからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なきぐるみ 夏伐 @brs83875an

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説