春のひみつ

音崎 琳

春のひみつ

 目の前でおとなしくすわっていたはずの、うさこちゃんのうす茶色の耳が、ぴくりと動いた。あれ、見間違いかな、と思う間もなく、ひくひく鼻が動く。

 菜の花色のちいさな――うさこちゃんにはぴったりの大きさの――ワンピースを縫う手がとまる。その瞬間、うさこちゃんはふわふわの綿で出来ているはずの後ろ足で机を蹴って、開いていた窓から飛び出した。

「あっ、待って!」

 窓から身を乗り出す。うさこちゃんはちいさな綿雲を伝って、青空のなかをぴょんぴょん駆けてゆく。気づいたらわたしも、そのあとを追いかけて走り出していた。春の太陽はぽかぽかとあたたかく、からだが風みたいに軽い。

 ベッドくらいの大きさの雲の上で、うさこちゃんは足をとめて、こちらをふりむいた。黒いビーズのひとみが、きらりと日ざしにひかる。

 ――こっちだよ。

 同じ雲に飛び乗ると、雲はわたしたちを乗せたままふんわり降りていって、森のなかの空き地に着いた。空き地のまんなかには、白いクロスのかかったテーブルと、かわいらしい椅子が二脚。

 ――さあ、すわって。

 テーブルにはお茶のしたくが整っていた。うさこちゃんが、いちごの花模様のポットから、はっかのお茶を注いでくれる。白いクリームで覆われた、うす紫のシフォンケーキの上には、砂糖づけのすみれの花。バタークッキーにはピンクの桜の花びらが、ココアクッキーには黄色いたんぽぽの花びらが混ぜ込んである。サンドウィッチの具は、野いちごのジャムと菜の花の二種類。

 向かいに腰かけたうさこちゃんは、まだ縫いかけだったはずの菜の花色のワンピースを着ていた。

 ――いつもおようふくをありがとう。きょうはおれいをさせてね。

 うさこちゃんは、うふふ、と嬉しそうに笑った。いつのまにかうさこちゃんとお揃いの、菜の花色のワンピースを着ていたわたしも、うふふ、と笑いかえす。

 ふたりだけの、ひみつのお茶会の始まりだ。

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