集団
君は社会から孤立することを望まないのは、社会が、君を必要としているからだ。
それとは別に、
集団から孤立するのは、生存の観点から生き残るのは無理があるだろう。それは、別に、難しい理論ではない。というのも、ものの売り買いや、教育や、働き口の喪失。今で言う犯罪者だな。犯罪は大きければ、大きいほど、孤立が深まります。
集団のうちに個人はあるが、集団のうちに私というのがないとまでいわないが、そこまで強くはならない。代わりに個人が逆転して、強くなるのが、昔はこちらが主流であり、「王様」=「個人」。「民衆」=「集団」王様と民衆の関係だったが、かわり王様をたてることなく、自分たちで様々な人を、手を挙げるものから選ぶ多数決が今流行っている。ただ、閑話休題。
集団というものの性質上、個人よりも上にあるからであり、孤立は、起こった経過で、何を考えているかわからない、前に語った、集団からその集団の存続の危険を危うくするので、全体の意思として排除されるのが常であり。
集団から排除されるのは是非もなく、だが、そこまで命の危険がないのが現代であり。インターネットでは、それこそ、人類史上類をみないほど、社会から孤立するものたちが、集団という形をとることで、「私」というものを確立し、これまた同じ、
「私」という相手によって、人間的見方が可能になり、そういった別の集団が見えなくなるのは、至極当然で、嘆かわしいかどうか、私には判断のしようがなく。
ただ、集団と私は、集団と個人が密接につながっているのに対して、
集団と私は、私が主体で、付属品という位置に集団があり、集団という、思想的価値が、私という数において。集団というものが発生する。
これには、私という集団を第三者が認識できていることが、重要な役割でこの集団が大きくなれば、だいたい社会から孤立する。
集団=私であるし、個人=私である。この2つを分けるには、三人称である私と、一人称である私がある。どちらが、孤立するかといえば、より大きな集団に見つかれば孤立する。どちらも孤立しないといえる。
インターネットでは度々そういったことが起こるが、それは、あなたがまだどこかに大きな集団として、属しているからだろう。小さい方に身を置けば、社会に秤があるように、体の置き方を間違えて個人と私を同一ししすぎて、集団と私の関係を疎かにしていると傾き、社会から飛び出して、それが孤立するといえる。ただ、
君が、社会から飛び出して逃げようとしても、集団に属している限り逃れられないのは自明であり、関わり方次第で、この孤立を減らして、新たな根強いコミニティをつくることができる、集団から逃げるには、違う集団に属さなければならない。
私は必要もないものを必要としているのが今だ。
それは、集団だ。
「私」という、「物」について。 一葉迷亭 @Itiyoumeiteini
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