最終話

 私は空中を浮遊していた、ヒーローのように真っ直ぐ前に飛んで。ゾバズバダドガが目の前に現れ、私は掬い上げられて、身体と魂、それらを分裂させられて今に至る。

 前にあるのは真っ白な雲の世界、下を見れば真っ赤な世界。

 何故か真っ赤な世界を見ると私は震えが止まらなかった。そして浮遊しながら前方の、目が焼かれるほど眩しい光輪をくぐり抜ければ、私を待っていたのは純白の世界だった。

 そこは異様な体を為していた。大きすぎて限りが見えない円環の雲に十万を超えるほどの裸体の赤子が翼を自由にはためかせて走り回っている。

 言うなればそこは完全なる自由な世界で、私には異様な程にそれらが眩しかった。

 え、いやちょっと眩し過ぎないか。

 目を閉じても問答無用に目が焼かれる。私は過剰な知に照らされ、意思に反する直感を得た。

 あぁ本当になんて、眩しく輝かしく神々しく畏ろしい凝縮された光の片鱗なんだ。

 そして私は向かっているんだ。燦々さんさん燦爛さんらん燦然さんぜん赫赫かっかく炯々けいけい煌煌こうこう玲瓏れいろうたる輪廻世界へ。

 最後に見えたのも輪だった。

 そして光は握り潰された。




 つん、と鼻を刺す香りで私は焼けた目を開けた。

 そこは大きな居間だ。いや、宴会場か?四十畳ほどの部屋で、私は柱にもたれ掛かるように座っている。目の前には湊が胡座をかいてこちらを見ていた。

 あ、やっと帰ってきた、と私は気付いた。


 私の平穏な日常だ!ただいまー!!


──がちゃり


 鈍い金属音が私の背後で鳴った。

 勿論それはドアの音なんかじゃなくて、それよりももっと最悪の現実を予感させるものだった。

 それは手枷。

 私の手はもたれかかっている柱に拘束されていた。

 そして私はようやく先程から視界にあるソレを認識することにした。目を開けるなら逃れられない現実、目を開けずとも鼻がひん曲がりそうな悪臭によって強制的に気付かされる現実。

 視界の端から端まで全て死体、死体、屍体。暖かみを奪われた体がそこらじゅうに転がっていた。

 嗅いだことも無いような死臭が私の鼻に刻まれる。私は濡れた手で鼻をつまもうとしたが、手枷が音を立てるだけだった。


「帰ってくると思ってたぜ。帰ってこなきゃどうしようかと、思ってたところだ」


 湊の呟きに私は気を取り戻した。


「この惨状はどういう事なんだ?お前がやったのか?何でこんなことを……」

「おいおい勘弁してくれ。俺じゃない」


 良かった。断言して首を横に振る湊に感謝した。

 しかし一体、誰がこんなことを。まぁいい、取り敢えず、何で手が拘束されているのかを聞こう。


「俺とお前で殺ったんだよ」


 言葉が喉を塞いだ。汗がどっと全身から吹き出す。

 そういえば手が濡れていた、嫌な予感が全身を支配する。精一杯、後ろを振り返って見えたのは、血で汚れていた私の手だった。

 狼狽える私を見て、湊は村人とまったく同じ嘲りをしながら話を続けた。


「お前のことを待ってたんだ。なに、俺もお前も馬鹿だったって話だ。さあ答え合わせを始めよう」


 湊は得意気に、いや何かに脅されているかのように、怯えながらもその感情を必死に隠しながら推理を語り始めた。


「今日、夕方頃に俺が見てた壁の文字あったろ?」


 ぐちゃり、と湊が切り裂かれたソレの腹の上に座り不快な音を立てる。私は目の前の光景から逃げるように湊が言ったことを思い出す。『濁点は頭文字』だったっけな、そんなことを言っていた。


「アレ、嘘だ。ホントは、『ら』じゃないし『い』でも無い。『り』だ」


 軽い口調で湊は告白した。

 『り』? 濁点はかしり文字……?結局、意味不明じゃないか。

 無数のクエスチョンマークが私の頭を飛び、交い繁殖する。左上を見上げる私を見て、湊は嘲笑った、また村の奴らと同じ様に。


「まぁお前が知らないのも無理は無いか。漢字でな『かしり』って書けるんだ。ま、要するにだ。あのメッセージは濁点を使ってはいけないって言ってたんだよ」

「最初から湊が言ってたヤツだな」


 湊はハナから濁点をわざわざ使うことに疑問を持っていた。


「じゃあなんで、村長は濁点を使えと言ったのか。濁点をわざわざ使わせるなんて、どういう魂胆なのか」


 だから、俺は村長を、村人を信じねぇことにした。そう湊は続けた。


「村が恐れる、呪いの神ゾバズバダドガとは何なのか。奴らの理論で言えば、呪いである濁点を外せば呪いの神が現れることになる」


 私は無言で続きを促した。


「しかし、あの壁のメッセージは、恐らく俺たちより前に来た犠牲者の物。そこには村が強制させる濁点が呪いと書いてあった。あの村が恐れることは、一つだけ。呪いが解けることだ。故に奴らが呪いの神と称したゾバズバダドガは救いの神だと、俺はあの壁を見た時点で推測した」


 奇しくも目の前の悪魔はさっきの私と全く違わない推理を語った。


「その後、試しに俺は儀式でお前にゾバズバダドガを召喚してもらった。お前も思っただろ、なんて神々しいんだって。そこで確信を得た」

「神々しい……?湊、お前にはアレが神々しく見えたのか?」


 違う、アレはもっと恐ろしいものだった。

 私の心には、はっきりとゾバズバダドガを見てしまった時の感情だけが残っている、畏れという名の感情だけが。


「その時は、な。それに俺は最後まで見てなかったし。まぁそれでだ。残念なことに、二人で逃げるのは難しかった」


 確かにそうだ。名前を呼んでもらうにも、名前を呼んで残された方は、誰にも名前を呼んでもらえない。絶対に揉めていただろう。


「だから俺は村人を使った。馬鹿みたいに逃げ惑ってる一人を捕まえて、脅して、俺の名を呼ばせて、殺した」


 そうだ、そういえば儀式の直ぐ後に、村長に青年が何かを報告していた。アレだったのか。


「我ながら驚いたよ、何しろちっとも心が痛まないんだ。いや、むしろ快感なぐらいで」


 これも心当たりの有る話だった。私も村を脱出するあの時に同じ様な状態へと陥っていたからだ。


「そして俺は救いの神を見つめながら、ある推測を立てた。狂気性と村への同化具合を濁点が加速させるんじゃないかって」


 狂気性に関しては分かるが、村への同化とはどういうことだ?


「村に来た当初、俺たちはまだ完全に世界に馴染んでいなかった。だから村中が濃い霧で包まれていた。二日目の食事が矛盾に溢れていたのも、それが理由。他にも、ダダの記憶の混濁。思い返してみればおかしな点が幾つも見つかる。つまり濁点を使えば使うほど狂気に満ちるから、村人は全員頭がおかしかったし、濁点を使えば使うほど、村に同化するから三日目には矛盾が見当たらない」


 私は湊の言葉に納得した。


「そうやって逃げて来たんだがな。還ってきて初めて見た光景がコレだ」


 湊は後ろを頭で指して笑った。


「直感したよ、俺が間違えてたんだって。たまたま、スマホのネットニュースの通知で面白いものも見ちまったしな」


 確かに、村に入る前にこの惨状を私たちが引き起こしたなら濁点によって狂気性を持つというのは間違いだ。


「惨劇を作った手を見れば、狂気性は元来のものだって直ぐに分かる。じゃあ、何であの村は全員イカれていた?」


 そこでコペルニクス的転回だ、そう湊は続ける。


「あの村で濁点を使ったから狂気に満ちたんじゃない。狂気に満ちているからあの村に呼ばれたんだ。あの村は狂気に満ちた犯罪者が呼ばれる村。言うなれば流刑地みたいなもんだな。そこまで分かれば、もう簡単だ。あの村の名前を思い出してみろ」


 『歯充烏』、そして最初の『歯』は片仮名の『シ』。


「あの婆さんか爺さんか分からん奴が、片仮名って言ってたけどな、それすら間違い、『シ』じゃない、さんずいだ。『充』でなくて『㐬』、『烏』じゃない『島』」


 『流島』、完成したのは推測が正しいことの証明だった。


「ほら、コレ見てみろよ。お前が必死になって救ったダダって女の末路だ」


 そう言って、湊はスマホの画面を私に向けた。暗い部屋で、唯一光るそれすらも暗いものだった。


『集団自殺を先導した後に行方不明となっていた、憐命教開祖 多田 朝陽(23) 容疑者。発見されるも、その場で警官二人を殺害、逃亡』


 見覚えのある名前がでかでかと表示されていた。


「それを正義の行いと思うな。そう村長は言ってたよな。全くもって正論だ。お前は凶悪犯罪者を一人世に解き放ってしまったんだよ」


 湊が言葉を続ける。


「村の儀式についてだが、ある仮説を立てた。俺たちが、村から現実へ還って来る時に通った世界を覚えているか?」


 あの真っ白な世界だ。赤ん坊が沢山飛んでいる、穢れなき世界。


「恐らく、あれは天国だろう。そして村の場所はあの天国の外にあった。円環型の雲が輪廻を表しているとすれば、村は輪廻の外に存在しているんだ。じゃあ、もし、あの場で生命を終えるとどうなるのか。勿論、輪廻の渦に回帰出来ない。多分それが目的なんだろう、凶悪犯罪者供の穢れた魂を輪廻の渦に返さない。其れがあの村の役割だ」

「じゃあ天国の下に見えたのは?」


 私は真っ赤な世界を思い出してそう言った。

 湊は沈黙した。口をきつく閉じているが、小刻みに震えて、額には汗が浮かんでいる。

 私は察した。アレが本当の地獄だってことを。


 湊は独りよがりに語り続ける。


「あの壁のメッセージも凶悪犯罪者が書いたんだ。本当にクソ野郎だぜ、アレを書いたのは。だって、俺たちは現実に帰っちまった。現実を知っちまった。勿論あのまま村に居たら、記憶が書き換えられ、儀式にかけられて死んでいっただろう」


 私は目の前が真っ暗になっていくのをただ黙って受け入れた。


「儀式の本質は罰と救いさ。一見相反するが、地獄での罰が耐え難い恐ろしさの場合でのみ成り立つ。村に入ったばかりの時は、自身の狂気は全て取り除かれて、自らは正常な人間と思い込んでしまう。しかし、日が経つにつれ狂気が自身に帰って来る。狂気は自らの現実での凶行を呼び起こす」


 もう湊の目は私を捉えていなくて、もっと遠くの恐ろしい何かを虚ろに見出していた。


「儀式が始まる頃には自分がやってしまったことを夢にぐらいは見ているかもしれないし、何となくでも身体が思い出し始める。そして儀式で自死することが救いと思いこみ輪廻転生から外れて生命の終わりを遂げる。でもな、それでも地獄に行くよりも幸せなんだ。だって、村全体が現実へ、つまり地獄へと連れていくゾバズバダドガを呪いの神と呼ぶくらいなんだからな」


 そこまで話して湊はゆっくりとため息をついた。


「……ってわけで、俺は地獄行きは御免だ」


 そう言った湊の手には赤黒く染った包丁が握られていた。

 私はゆっくりと下を見る。

 腹部が異様な熱を持っているのと、対照的に私は血の気が引いていった。


「俺はあの村に帰りたいんだ」


 引き攣った笑みを浮かべる湊を最後に、私の視界は黒に染った。


「……あと何人殺せば帰れるんだ?」


 湊の声だけがいやに耳に張り付いていた。













『調査に訪れた村の住人60人と同伴者1人を殺害した大学生、逮捕』

















 加賀拓斗は地獄に直ぐに落ちた。

 そこで本当の悪魔たちの慰みものとなった。

 死刑判決を受けた佐々木 湊が堕ちるまでの3年間の罰は、明らかに犯した罪と釣り合っていなかった。その一片をここに記録する。


 手足全ての爪を剥がされた回数 1100003254回


 四肢が炭化するまで炙られた回数 853945003回


 手と足を千切れるまで引っ張られた回数 348800506回


 自身の舌を食べさせられた回数 5622222408回


 溺死するまで水に沈められた回数 652223408回


 そしてそれらはまだ終わらない。

 永遠に再生と破壊を繰り返し、佐々木 湊と共に罰を受け続ける。お互いを罵りあいながら。


 200年後、二人は解放された。

 世界に憎悪を抱いた彼らの魂は、輪廻の渦へと帰ってしまった。

 

 村長はそれを見て溜息を吐いた。

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ゾバズバダドガ ディメンションキャット @DimensionCat

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