宙吊りぶらり -2-

 雲が空を固く閉ざしたかのような曇天の月曜日、僕は熊谷の死を知った。


 縊死——首を吊って死亡したと聞いたとき、二十年あまりの人生で一度も感じたことのないような浮遊感を覚えた。足に力が入らなくなって、背中から臀部にかけてゾワゾワとした感覚に襲われた。首元がギュッと締め付けられるように苦しくなって、次の瞬間には涙が溢れていた。


 嘘であってほしいと思ったし、現実を受け入れることができなかった。

 なにかしらの壮大なドッキリだとか、夢だとか、そういったものであってくれと願うばかりだった。


 報せを受けてからの日々は、喪失感で心がぶらりと宙吊りにされたような気分だった。


 身の回りの人間が亡くなる経験は今までもあった。

 ここ数年で言えば、幼少の頃お世話になった父方の祖父母の逝去を一昨年に経験している。

 その時にも当然悲しみを覚えたが、今回のような喪失感や虚しさを覚えなかった。

 祖父母に関しては、高齢であるという理由から、僕は頭のどこかで"そういった"準備が——心算こころづもりできていたのかもしれない。

 ただ、今回は違う。数日前までいつも通りに会話をしていた人間の突然の死。突然の別れ。

 永遠に会うことはできない。

 それらの現実がもたらす現実味の消失は、自分の頭がおかしくなったのではないかと考えるほどのものだった。

 そして僕は、『自殺』というのは最低最悪の行いだなと強く思った。



 こうやって書いているときにもめまいが起こるし、頭の中も白くなって、自分が何を書きたいんだかがわからなくなってくる。書いていて頭の中を埋めるのは彼の笑顔と彼と過ごした時間ばかりだ。


 彼はある日こんなことを僕に言った。

「お前でも読める小説を書いてあげるよ。異能力バトルものだとか、異世界ものだとか、恋愛ものだとか、ホラーものだとか——小学生でも読めるような感じの、そんなやつをさ」

 明るい調子で言った。

「約束だ」とも彼は言っていた。

 小説を読むのが苦手な僕のためにオリジナルの小説を書いてくれるという、そういう約束。それを読むというのが密かな僕の楽しみだった。

 しかし、それが叶うことはなかった。

 彼の死後、彼がわざわざノートや紙に手書きでまとめた大量の小説の設定や展開を読んで、僕は泣いてしまった。


 彼と毎日を過ごしても、彼がなぜ死を選んだのかなんて少しも想像がつかない。

 思いつめている様子だとか、そういったものを見かけた記憶はない。

 でも、もしかしたら悩みがあったのかもしれない。

 僕が兆候を見逃していただけかもしれない。

 彼の助けになることができたかもしれない。


 色々なことを考えても結論は出ず、もやもやとした気持ちが積もるばかり。

 僕の心は今でも吊るされて身動きを取ることができない。


 僕を吊るしているものを切り離す道具は、彼との約束や彼との思い出の中にあるような気がして、そうして今回、文章を書いてみようと思い立った。

 文章を書くこと、なにか作品を作ること——それは、彼自身の一部だったからだ。


 書き表すことのできない、文章なんかには到底できないほどの濃密な彼との時間と思い出。それを少しでもここに記しておきたかった。

 彼と彼の遺したものと一緒に文章をゆっくりながら書いていければと思う。



 最後に。

 めちゃくちゃな感情任せのものを書いてしまってごめんなさい。

 そしてここまで読んでくださってありがとうございました。

 混乱している頭だけれど、自分が書きたいと思ったことのほんのほんの一部は書けました。整理を少しだけできたかもしれない。

 新しい世界を見せてくれた熊谷に心から感謝を。

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宙吊りぶらり 熊雲 @mogu2_panda

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