宙吊りぶらり
熊雲
宙吊りぶらり -1-
読んで気持ちが良くなるような話ではないことをはじめに断っておきたい。
これから書くのは僕と熊谷という男との思い出話だ。
まずは僕と彼との関係から書き始めよう。
彼は僕の唯一と言っていい親友だ。
彼とは大学に入ってすぐに知り合い、現在に至るまでの三年間を一番長くともに過ごしてきた。
彼は暇を見つけてはミステリ小説を読んでいるような人間だった。
一方、僕はと言えば、高校生の頃に教師から「お前は本当に日本人か?」と呆れられるほどには文系科目および活字の類が苦手な人間で、論文の渉猟には失神覚悟でいつも挑んでいる。
おそらくは文章を読むセンスが無いのだ。特に物語性のあるものを読むのが苦手だ。
物語を読めど、登場人物の名前をすぐに忘れてしまう。方程式だとかを暗記する方がまだマシだと思える。加えて登場人物の感情も理解できなかったりする。共感能力の欠如だとかそういった話ではなくて、小説を読んでいても情景や状況と登場人物の感情とストーリーとを並行して思考することが難しい。
これらのことを熊谷に簡単に相談してみたところ、「小説云々以前に、映画やドラマ、アニメや漫画といったものに触れてなさすぎる。あと、音楽も聴かなさすぎ。だから友達少ないんだよ」と返された。返す言葉が無かった。
確かにそれらの話題が会話で出た時にはついていけなかった。
熊谷と出会う前には、映画は『スパイキッズ』と『ホーム・アローン』ぐらいしかしっかりと観たことがなかった。映画好きの彼から紹介された『SAW』を観て感激を受けたのを今でも覚えている。そして、映画館に足を運び彼と二人で観た『ミッドサマー』以降、映画を観られていない。
熊谷は音楽好きでもあって、彼の車内では音楽が絶えたことはなかった。音楽にも一切触れてこなかった自分のプレイリストには『相対性理論』や『Spangle call Lilli line』、『Måneskin』などといった彼が教えてくれた楽曲ばかりが入っている。
読むセンスが無いということは、当然、文章を書くセンスも無い。
書き方がわからないというのも当然あるだろうが、きっとセンスの問題だろう。気づけば"無駄なこと"を書いている。
今までの人生で文章を書く経験といえば、作文やテストや文集、日記や学級日誌といったものを思い出すが、どれも上手くいった試しなどなかった。
小学生の時には教室に一人だけ居残って担任の先生と二人で文集を書いた。
テストでの作文で満点をとった記憶が無い。
宿題で出た日記は、絶望しながら書いていた。
ただ文章をまとめるだけの課題を授業で出された時にも自分の作業が一番遅くて、班員の全員がスラスラと書き始めたのを見て「なぜもう書き始められるんだ……」と困惑し焦燥に駆られたのを今でも覚えている。
他の人間が五分あれば書けるものをその四倍の時間を掛けて書くのが僕だ。
ある日、そんな僕に彼が「何か適当に文章を創作してみて。短くてもいいからさ。ほんで、読ませてよ」などと無茶苦茶を言ってきた。
それはミステリ小説を書いて賞を獲る実力の彼にとっては容易いことなのかもしれなかったが、小説にも物語に無縁の僕にとっては難しい注文だった。
その注文に対する彼の意図としては、どんな文章でもいいから一から自分で書けば苦手意識を多少は拭うことができるのではないか、というものだった。
僕は、紆余曲折とそこそこ長い時間を経て『夏風船は欲望』という一話完結の物語を書き上げた。それは完全に真夏の暑さに当てられて書いたものだった。
それを彼に出来上がったものを読ませると「なんだこのタイトル」に始まり、困り顔に似た面で読み終えた。
褒め上手の彼であっても、褒めるのが相当難しい様子に見えたが、
「俺の好きな雰囲気だった。それにしても、よく初めてでこういうのを書いたね」
と、驚きを含んだ様子で真っ直ぐな目で僕に言った。それに、よく覚えていないけど、彼は様々な角度で僕の駄文を褒めてくれていた。
しかし、僕は改めて文章を書くセンスのなさを自覚して、もう二度と書かないだろうなという半ば決意にも似た気持ちが混じった感想を抱いた。
そんな僕だけど、こうして自分の文章を書いている。
拙いながらでも書いているのは、ある出来事が起きたからだ。
彼が自殺したのだ。
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