いつか、ぬいぐるみだけになる

ナナシマイ

お香は悲しみから

 ふさふさの毛が生えたクマのぬいぐるみに顔をうずめる。

 わたしが溢してしまった悲しみはすべて彼が吸い込んでくれた。ごめん、ごめんね。本当に悲しかったのはあなたなのに。そう思っても、濡らしてしまうのをやめられなかったから。

 一度悲しみに濡れたぬいぐるみは、あまりいい匂いがしない。少なくとも、わたしの好みではない。

 濡れて、乾いたそこに生まれるお香の匂い。

 大事に慈しんでいたからこそ香りは立つのだと、だから悲しみを抑えられないのは悪いことではないのだと、生きていた頃の彼は言っていた。その言葉の通り、我が家のぬいぐるみ部屋は濃薄さまざまな悲しみの残り香が漂っている。

 うさぎのぬいぐるみはお姉ちゃん、蛇のぬいぐるみは叔父さん。ウォンバットは……誰だっけ。たぶん、遠い親戚の人だと思う。

 その中で際立つのは、新しく置いたクマのぬいぐるみがくゆらせる香り。


 おばあちゃんのおばあちゃんが子供だった頃は、死んだ人はヒトの形をしたままで、火葬と、埋葬をしていたらしい。そのあとは、手もとに遺されたわずかな痕跡を頼りに供養をしていたのだと。

 わたしにはわからない。骨と灰だけになってお別れするのと、ぬいぐるみになって家に遺るのと、どっちがいいんだろう。少なくとも今はまだ遺された側のわたしは、悲しむことをやめられないのがやっぱり恥ずかしいように思える。たとえばきちんとお別れができたなら、わたしの気持ちも違っていたのだろうか。その答えは出ない。

 だけど、これだけはわかる。さっきウォンバットのぬいぐるみが誰なのか思い出せなかったように、やがて人は忘れられてしまう。この家でたったひとりになってしまったわたしの死なんて、その筆頭だ。入り婿で、たいへんな苦労をかけた彼だってもしかしたら。

 今後ぬいぐるみが増え続けて、歴史だけが積み上げられていって。

 そこは、どんな香りがしているのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いつか、ぬいぐるみだけになる ナナシマイ @nanashimai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ