君は繕ってくれなかった。

すずちよまる

君は繕ってくれなかった。

気がつくと、私は知らない場所にいた。

辺りがピンク色の雲に囲まれた場所だった。それ以外は何もない。

でも、いつかの日に、行ったことあるような気がした。

突然、暖かい風が私の前に溜まった。

不思議。姿はないのに、影はある。

それは、小さな少年の姿のようだった。


『ねぇ、あなたは誰なの?』


そう問うと、子どもの声で、言葉が返ってきた。


聴いたことある、声だった。


『わすれちゃった?』


『……誰なの?』


『ごめんね……』


少年の影は、何か動物のようなものを抱えていた。

でもそれは、動いていない。

そして、だんだんと影は薄くなっていく。


『待って!あなたは誰?……何か、私に言いにきたの?』


『ごめん』


急に、低い男の子の声に変わった。


聴いたことのない、声だった。





黄色い光が目の前に差し込んだ。

あれは、夢だったのか……。

意味深な夢はあまりみないが、期末テストの終わったあとで、疲れていたのかもしれない。

6月の半ば。まだ涼しいが、高校2年生の夏の幕が上がりかけている。

「……まだ、6時か」

スマホの時刻表示を見て、私はもう一度薄い布団を被った。


ブーブー


しかし、通知音がまた私を起こした。


『メイカー!今日暇?午後遊ぼ!』


通知音の正体は、早見美琴はやみみことからのメッセージだった。

……早い。早すぎる。土曜日の朝6時になんのためらいもなくメッセージを送りつけてくる親友の心理は、まだ理解不能だ。

まあ、部活の朝練だということは知っているが。

うちの学校の吹奏楽部はかなり強豪で、ほぼ毎日朝から練習しているらしい。私も中学で裁縫工作部、高校からは小説同好会と、文化部に入っているので、運動部に向けての「文化部なめんな」論争にはぜひ参加したいと思う日頃。

ちなみに、美琴はトロンボーンパートだ。


『おけ。また例の相談で?』


これの返事が返ってくるのは、今から5時間後ぐらいだろうから、もう一度、布団を被る。

私は今日も、美琴の恋愛相談にのらなくてはならない。





「あー今日も橋本はしもとくんかっこよすぎた」

午後2時。私は、美琴といつものカフェで絶賛恋バナ中だ。

美琴は中学のときまで一切男子に興味がないみたいな感じで、どちらかというと彼女はGL漫画にハマっている時期があったから、そういうのが好みなんだと思っていた。

「マジでみてほしいわ!トランペット吹く前と吹くときと吹いた後!イケメンすぎるし!」

だから、この状況を中学生の時の私に知らせても信じないだろうと思う。

「本当に推すねぇ、橋本くん」

「マジでかっこいいから!トランペット吹いてるとき見てみ!」

「はいはい、32回目ー」

彼女の橋本くんの推し方はすごいけど、それだけ夢中になれる人がいることに、少しうらやましく思う自分がいる。もっとも、私は恋をしていない。

現時点で。

「……いいね、好きな人がいる青春って。うらやましいなぁ」

好きな人がいる日常が、私も欲しい。

でも、どんな人を見ても、どんなにかっこいいと感じても……、私には何故か全て仮初めに見えてしまうのだ。


『この人は見た目だけだろう』


『これは一瞬の気持ちであって、すぐに冷めてしまうのだろう』


『無償の愛ではない』


『けして……“好き”ではない』


そんな言葉が、ずっと私に恋をさせない。

最初は楽だと思ってた。でも、だんだん自分が嫌になり、焦りも感じている。

――――前はこんな有り様ではなかった。

「……明華?」

あ、しまった。

美琴は何か悟ったように心配そうな顔で見つめてきた。

「え?ああ。ぼーっとしてた?」

「うん」

「ごめんごめん。なんか最近疲れててさぁ。食欲もあんまなくて」

私は、朝からだらだらしていたことからの産物であるこの重い肩を回した。

美琴は部活帰りだけど、逆にかなり元気。

彼女は、少しの間私を見つめ、私のコーヒーをちらっと見た。

「ほうほう。仕方がない。今回は私の奢りさ」

……よし。

「すみませーん、チーズケーキお願いします。あと……」

この店では、チーズケーキが若干一番高い。

「なっ、食欲ないって!?は!?」

「あんたさっき私がコーヒーしか頼んでないの確認したでしょー?セコいことやってっと、破産するよ」

「待って、チーズケーキだけにして!お願い!」

本当に、この子は面白い。

私は、コーヒーとチーズケーキで勘弁してあげた。

そして、2人で店を出た。

ちなみに、金がない割には、美琴もケーキを頼んでいた。

ただのカフェでも、2人で話していると、あっという間に時間が過ぎていた。

今日は久々の晴れで、夕焼けも美しい。

「……そういえば、さ。ちょっと気になったんだけど」

美琴は、私の方を振り向いた。

「何が?」

「美琴さ……今日はひたすら橋本くんのかっこいいを述べてたけど。……いつもの進展については話さなかったよね」

「え……あ、ああ……」

美琴は、少し下を向いた。もしかして、聞かない方が…

でも。

「何かあった?」

そのとき、美琴はポタポタと涙を零した。

夕日のスポットライトで、オレンジ色に反射していた。

「明華、私……」

美琴は、私のほうを見た。



「失恋したかも」



失恋……


「とりあえず、そこの公園行こ」

何か、思い出したくないものが脳を横切ったような気がするが……。

全く、思い出せない。





薄暗い公園のベンチに美琴みことを座らせて、私は横の自販機で缶ミルクティーを2本買った。

「告ったんじゃないでしょ…?」

私はミルクティーを1本美琴に渡し、横に腰掛けた。

「うん。でも……最近ね、トランペットの川崎かわさき先輩が橋本くんと仲良くて」

「うん……?」

「私、気にしてたんだけど、パートが違うからなかなか話しかけにいけなくて…」

缶を開けて、美琴は一口飲んだ。

「そしたらね…昨日、お昼ご飯一緒になって、お弁当食べてたら…」


『俺…好きな人できたんだよね。……先輩なんだけどさ』


彼はそう、言ったらしい。

「もう、絶対そうじゃん……ってね……」

確かに、そこだけ聞くと、橋本くんは川崎先輩が好きだと、ふたりは両想いだと、そう見える。

でも、ある事実を、私は知っている。

「川崎先輩って、生徒会役員の川崎奈美かわさきなみさんでしょ?」

「え、うん……。まあ、そうだよね。あんな美人で頼りになって、トランペットも上手な優等生、私なんかと比べものにならないよね」

「いや、美琴…」

「いいの、明華めいか。もう、そんなのわかりきったことだし。時間をかけて諦めて見るから」

「いや、あのね…」

私のクラスには、学校の恋愛事情を知り尽くすふみちゃんという女子がいる。美琴は違うクラスなので、知らないかもしれない。


――――川崎奈美さんは、彼氏が5人以上いるのである。


実際に、私も川崎さんをみるたびに横にいる男が替わっている。恐らく、このままいっても橋本くんもそのひとりになるだけだろうし、橋本くんは結構誠実な人なので、そういう恋愛は嫌いだろう。

美琴にとっても、橋本くんにとっても、教えてあげるべきだと、私は判断する。

「美琴、よくよく聞いてね……





あれから2週間が経ち、美琴は無事、橋本くんと仲良くしている。

進展話も、頻繁に聞くようになった。



明華めいか!橋本くんが私と放課後練習しないかって誘ってくれた!』


『明華ー!練習ふたりじゃなかった!ちょっと残念』


『明華!潤哉じゅんやくんがトランペットとトロンボーンのデュエット曲一緒にやってみない?って!!』


家本いえもと……美琴って、好きな人とかいんのかな』



ひとつ違うのが混じっていたが…。

そろそろ、ふたりは付き合うんじゃないかと私はみている。あえてふれていないが、最近、ふたりは名前呼びになった。


話を聞くのは別にいいのだが……私は、心から恋バナというものを楽しめずにいる。

ずっと、心の中で剥がれない罪悪感に似た、深く黒いものがある。

何年も持っているのに、具体的には何か、と表せない。

ただこれが、あのときの事に対する気持ちなのは、わかっている。


学校から帰った後、私は自分の机を整理していた。

最初は昔書いた小説を探すつもりが、あまりにもノートや紙の束が机の下に溜まっていて、片づけたくなってしまい、今に至る。

ガサガサとお話のネタを書いた紙類を漁る。小学生のときからずっと貯めてきたものなので、量は半端ない。

それらをある程度ファイルに挟み、本棚に入れようとすると、奥の方に何かがあり、引っかかった。

手を伸ばしてその何かを掴んで引き寄せた。

それは、手のひらサイズの、ストラップがついたウサギのぬいぐるみだった。

中学のとき、手芸部だった私が作ったものだ。

三年間カバンにつけていた。

高校生になり、棚にしまったんだ。

……もう見たくなかったから。

つぎはぎだらけのかわいらしいウサギ。

このつぎはぎが、を思い出してしまった。





――――五年前


「……」

ひどすぎるよ、こんなの。……せっかく作ったのに。

胴体と首と腕が分かれた小さなウサギのぬいぐるみを前に、私は涙目になっていた。

放課後、委員会の仕事でカバンを机の上に置いて教室にいなかった間、何があったかわからないが、私のカバンにつけていた、手芸部で作ったウサギはバラバラになって死んでいた。

かわいらしかった優しい顔も、恐怖と絶望の表情に見えた。

……おそらく、あいつらだ。

クラスを牛耳るほどの漫画のような権力は持っていないが、とにかく嫌がらせが大好きな女子たちがいる。

そのグループの中に、土屋くんという男子が好きな子がいて、不運なことに、この前の席替えで隣になってしまった。

土屋くんは他の男子より比較的話しやすいので、私は彼と話すようになったが、多分、それがこのウサギ殺害の動機だろう。

それでも、これはさすがに……

「家本さん?」

びっくりした。教室の入り口に、土屋くんが立っていた。

「あ、土屋くん。…帰り?」

「うん。……あれ、それ…ウサギ…どうしたの?」

まぶたから力が抜けてしまいそうになった。

そういえば、土屋くんのカバンも、彼の机の上にある。何か仕事があったのかな。あ、明日の時間割確認しとかなきゃ。確か体育がなくなって……

ひたすら、違うことを考えようとしてしまう。

とにかく涙が零れないようにしなくては。

「う、ううん!えっとね、これ……さっきなんか…引っかかっちゃって…バラバラになっちゃったんだ、えへへ……もう前みたいなふわふわには直らないね、多分……」

耐えられそうになく、窓の外を見るフリをして、顔を逸らした。

「そっか…」

土屋くんは、意味深につぶやいた。視線がじんわり痛い。

「貸して」

「え?」

急に後ろに土屋くんが来ていて、私のウサギを自分の机まで持っていった。

「ちょっと…」

土屋くんは、裁縫道具箱を取り出し、千切れた頭や腕を繕い始めた。

そうか、今日から家庭科の授業で裁縫があるから、みんなも裁縫道具持ってきてるのか。

「…い、いいよ?もう遅いし、帰っても…」

「うん。帰るよ」

……言ってることと状況が違う。

私は、ただ土屋くんを見ているしかなかった。

あれ、土屋くんの横顔って、きれい。

私は彼の真剣な表情に、心臓が押されたような感じがした。


その音は、“どきどき”と、鳴り続けた。


「でき……た…」

なぜか、土屋くんは弱々しく言った。

「ありがと!……う?」

……まあ、当たり前と言えば、当たり前だ。

土屋くんが繕ってくれたウサギは、フランケンシュタインみたいにつぎはぎだらけだった。

「…ごめん。不器用で。手芸部に渡せる完成度じゃないよね…」

申し訳無さそうに、彼は目を逸らした。

……このつぎはぎが、何故かすごく気に入った。

「……ふふふ」

「え?」

「ありがとう!ウサギ、生き返ったね」

「あ……うん。よかったね」

土屋くんは、にっこり笑った。

みたことない顔だ。

どきどきという音は、止まらずに響いていた。

「じゃあ、またね」

「うん…また明日」

これは、またあの子に嫌がらせされるかもしれない。

私は、この日から土屋くんから目が離せない。





まぶたのカーテンが開いた。そこには雨が降っていた。


土屋廉つちやれんくん。


私が好きになった人。

覚えていなかった人。

忘れたい人……。


あのときのウサギは、私の手のひらの中にある。

なのに、もう消え去ってしまったような気がしてしまう。

私は、土屋くんが好きだった。

でも、土屋くんは、私のことが……好きじゃない。

あの最後の言葉が、頭にまた響いてきた。


『ごめん』


やめて。


『家本のことが嫌いなわけではないけど』


わかってる。


『ありがとう。でも』


『ごめん』


思い出したくない。思い出したくない。思い出したくない。思い出したくない。


――――忘れたいのに。


なんで思い出してしまったんだろう。

せっかく、三年間、忘れられたのに。





次の日。日曜日の午前。

私はまた、美琴みことにいつものカフェで遊びに誘われた。

今日は断ろうかと考えたが、ひとりでいるのも頭の中がパンクしそうなので、会うことにした。


「…でさぁー、橋本くんが……で、…なんだけど……がさあ、」


ほとんど、耳を通らない。


「…?」


恋とか、愛とか、そういうものが何かわからなくなる。


「……?」


じゃあ、あれは、あの時は、なんだったんだろう?

無駄な時間?幸せの欠片もない?


「……!」


違うでしょ……?


明華めいか!」

「え?」

気づくと私は薄く涙を流していた。

「あ、ごめん。その…つい、感動しちゃって。ふたりがもうすぐ結ばれるんだぁって……」

私は、その幸せを手に入れられない。

「明華


……何があったの?」


私は、思い出してしまったことを美琴に話した。全て、そのまま。

美琴は、ゆっくり、聞いてくれた。

「そっか……思い出したんだね…」

え?

「実はね……忘れさせてあげたの、私なの」

美琴が……?

「それすら忘れてると思うけどね」

「どういうこと……?」






――――三年前


『卒業式でだよね。告白するの』


『うん!』


『頑張れー!』


『ありがと!』


私は明華めいかとのトークルームを閉じ、目覚ましアラームを早めに設定した。

明日が卒業式。私たちは制服がかわいい、同じ高校に行く。

小学校からの友達が多くて仲がよかったクラスのみんなとも、明日で解散だ……。

寂しいけど、ここまでくると、卒業式が楽しみで、高校生活にもわくわくする気持ちが勝つ。

それに、明日は明華の恋の決着がつく日……。


卒業式の打ち上げの帰り、明華は土屋くんを呼び出した。

ふたりは私から見るに、ずっと仲良しだった。もうカップルなんじゃなかいか…とまではいかないけど、ただ確実に、ふたりでいるときは両方、とびきりの幸せそうな笑顔を浮かべていたから。

大丈夫。私も、そう信じて結果を待っていた。



「駄目だった」



その絶望をかたどった残酷な笑みと、いつもの三倍低い声、そして冷たく重たい言葉は、忘れられそうにない。

私も、戸惑った。

あんなに幸せそうだったのに。

どこに断る理由が……?

「明華…!」

「うん、だよね。…そりゃそうだよ。だって私たち、特別両想いの印があった訳じゃないし。休み時間とかちょっと話したり、一緒に帰ったり、一緒に笑ったりしてただけ……」

ポタポタと明華の頬を涙が伝う。

「……ごめん、私、先帰るね」

明華は薄暗い中を、早歩きで去っていった。


『明華、大丈夫?今日と明日は休んだ方がいいよ』


未読、返信は来ない……。


恋に縁のない私は、振った方の気持ちも振られた方の気持ちもわからない。

だから何も言ってあげられない。

でも……こんなの辛すぎる……!

明華の生きがいとか、わかんないけど、でももしこのことがこれからのことに影響しちゃったら……。

全部、忘れられたらいいのに。好きな人のこと、好きな人との思い出、全部……。

そのときふと、いとこのお兄さんの話を思い出した。

お兄さんはイケメンなのに風変わりな性格で全然モテない。でも、人間の脳の研究をしていて、めちゃくちゃ頭がいい。


美琴みことちゃん、俺ね、すごい発見しちまったんだよ』

『どんな?』

『それはね……』



「記憶を……消す」



あのときはよくわからなかった。用途も、その恐ろしさを。

でも私は、親友として明華には幸せになってほしい。ずっと明るくて優しくて元気で私のとなりにいてほしい。

「……よし」

私は、連絡先からお兄さんのものを探した。

お兄さんには、私が自分の記憶を消んだと伝え、薬をもらった。表に出ていないだけであって、怪しいものではなく、実験は全て済んでおり、危険はほぼないそうだ。

やっと明華と会えた一週間後、私は明華にあげた缶コーヒーに、静かにお兄さんからもらった薬を入れた。




「ごめん……勝手にこんなことして……お兄さんは信頼できたし、私、どうしても明華めいかがほっておけなくて…何かしたくて…でも……薬…切れちゃうなんて……」

美琴みことはうつむいて涙目になっていた。

「……いや、大丈夫。その気持ち嬉しいし、私も忘れたかった……。でもね」

美琴は私が言葉を詰まらせると、顔をあげた。


「やるなら、もう思い出させないようにしてほしかった。土屋くんとの思い出を……好きな人との思い出を捨てたかった。だって、そうじゃないと私……」


「明華……ごめんなさい……」

美琴が本当に泣きそうになるので少し焦った。

多分、この子も“愛”を知ったから、わかるんだろう。色々。

私はカバンから、ウサギのぬいぐるみを取り出した。

「見て、これ」

「…かわいい……何、それ…?」

「土屋くんが作ってくれたの」

「え?」

「というか、直してくれた」

土屋くんを好きだと気づいた、最初の思い出。

誰にも言わずにずっと持ってたんだ。


「美琴にも言ってなかった。、思い出」


少し沈黙の空間が漂った。

「……私に、もう言ってよかったの?」

「うん。だってね……私、本当の意味で土屋くん…過去の恋を忘れたいの。でもそれって、思い出をんじゃないと思うんだよね」

美琴は、不思議そうな顔をした。私は、ウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱いた。抱くほど大きくはないけど。ウサギの表情も、なんだかこの前より優しく見える。

「私は、“いい思い出”だけ、とっておく。ずっーと持ってる。でもそれは恋の思い出としてじゃなくて、あくまで“いい思い出”としてね。だってあのとき感じたときめきとかうれしさとか楽しさとかは、価値のないものではないもん」

私は、三年ぶりに、すっきりとした優しい顔で笑えた気がする。

「……そっか……そっか。やっぱり明華って強いね」

「そうかなぁ」

「…ははっ、そうだよ!」



その日の夜。

私は、ウサギのぬいぐるみを、もう使っていない、中学のときの裁縫道具箱に入れた。

空っぽの箱の中に、ウサギだけが眠っている。

ふたを閉めようとしたが、もう一度だけ、手のひらに出した。

本当に、優しい顔だった。


ポタポタ


「最後だから……」


私の部屋に、静かな雨が降る。


「君で泣くのは……最後だから」


いつもより、優しくて、切ない夜だった。





数年後。

「同窓会?」

「そー、中学の地元民でやるらしいけど」

美琴みこと行く?」

「行くっしょ。明華めいかは?」

「美琴行くなら行くー」

同窓会、か。

久しぶりにみんなと会えるのは嬉しいが、最初だけ漂う若干気まずい空気が、苦手。

まあ、私たちは“みんなと会う”のが半分、“割り勘でめっちゃ食う”が半分のノリだった。

まさか、あんなことになるとは。



家本いえもと?」

「え、あ……

貸し切った飲みの席で、ばったり隣にいたので驚いた。来ていることは知っていたが。

「…元気?」

「え、あ、うん。元気元気。…家本、今何やってんの?」

「今ねー、出版会社で働いてる」

「おお、すごいね」

……だから気まずい。

「おーい、家本ー!土屋ー!乾杯すんぞー!」

振り返ると、私のクラスのリーダーだった山岡がビールジョッキを掲げていた。あれ、あいつだいぶ太ったな。

「…行こっか」

「…うん」

でもナイス、山岡!

気まずい空気から抜け出した私は、とりあえず乾杯に参加した。

みんなの中学時代の話は盛り上がって、とっても楽しかった。

そろそろ二次会か、という流れの時。

「家本、あのさ…」

土屋くんがまた話しかけてきた。

「うん」

「この後二次会行く?」

「あ、いや…明日早いから帰るね、ごめ…」

「ちょっと、いい?」

「えっ、うん…?」

土屋くんに連れられ、私たちは店の外に出た。

外はもう真っ暗で、春の風が吹いて涼しい。酔いが醒めてしまいそうだ。

「どうしたの……?」

「あ、えっと……」

真っ暗で、よかった。私はかなり動揺している。

顔が見られなくてよかった。


「あのとき……さ、俺ホントは……家本のこと、好きだったんだよね」


……。

「う、うん?」

「実はあのとき……俺、恥ずかしくてさ……影に友達ついてきてて、逃げちゃって……」

しばらく混乱していたが、すぐに気を取り直す。

どきどきした、私がバカだった。

「本当は、家本のこと、好きで…」

「それってでも、かなり軽いよね?」

もうこの際、すべてぶちまける。


「だって私、ほんとにほんとにあなたのこと好きでさ、勇気出したのに…あのときあなたが言ったのは?“ごめん”?“ありがとう”?ふざけんな。さすがにしばらくショックだったよ?でもとっくにさめたわ。はっきりしない男はもてないんだよ」

息を吸う。自分の表情は、今、きっと今までで一番好きだ。

「それに、私今いい感じの人いるんだよね。充実してるんだ、すごく」


唖然とする土屋くんを前に、私はすがすがしい満面の笑顔で言い放った。


「あなたがいない幸せを見つけるから!」


私は、彼を残してその場を立ち去った。

すっきりした。

でもまあ、一度は……大好きだったよ。


でもこっからは本当に運命の人を見つけて、誰より幸せになるんだから!

そんな前向きな決意を自分にしながら、私は帰った。

桜の花びらと春の風の香りが私を見送った。

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君は繕ってくれなかった。 すずちよまる @suzuchiyomaru

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