ふわふわとした鮫田くん

海沈生物

第1話

「ぬいぐるみと人間って、似てるよね」


 とある冬の日の朝のことだ。寝起きで意識がふわふわとしている中、私はベッドの隣にいる、服一枚着ていない素っ裸の鮫田くんに言ってみた。すると、まるでアニメみたいに背中を仰け反らせ、ドン引いてきた。それは多分、私がよくストレスの発散のため、家にあるぬいぐるみを————かの「切り裂きジャック」の如く————八つ裂きにしているからだろう。自分の身に危険を感じたのだ。


「……狂子きょうこ、もしかして俺殺す気なのか?」


「俺、って。鮫田くんは殺さないよ。ストレス発散用のぬいぐるみは、まだまだ押し入れにあるからね」


「……そろそろ本気でお前と別れないと死ぬような気がしてきたよ、俺」


「その台詞、今日で何回目だと思うの? 鮫田くんはそんなことを言いながら、結局私がいないとダメな子なんだから」


 フンッと私は肩をすくませると、私は鮫田くんのお腹を勢いよく殴る。鮫田くん自慢の真っ白なお腹はブニョッと大きく凹み、彼は「うぉ」と声を上げた。私は「私に酷い事を言ったんだから、自業自得よ。自業自得」とそっぽを向く。


「もぉー。俺が悪かった悪かった、って」


「……本当にそう思ってる?」


「思ってる思ってる! お前が俺を信じてくれる限り、永遠にでもそう思ってる!」


「ふーん……でも、言葉だけじゃ信頼できないなぁ。行動で示さないと。……ということで、私にキスして」


 彼は少し迷惑そうな顔をした。それでも私が視線で「圧」をかけると、私の顎をクイッと上げ、そっと私の唇に口づけをする。そのキスは普通の人間とするキスとは違って、まるで一枚の薄っぺらいハンカチにキスをしているような、軽いものでしかない。


 しかし、その薄っぺらさが私の心を安心させた。脳天を狂わせるような、燃え上がる情熱はない。こちらにペースを握らせないような、積極的なキスをしてくるわけでもない。ただ、その安価で中身の無いキスこそが、私の心を酷く安心させたのだ。


 ふっと唇と唇が離れる。私は鮫田くんの唇が薄紅色の口紅で濡れているのを見ると、彼が私のモノになってくれたようで、心臓が破裂してしまいそうなほど嬉しくなった。こんな光景を外の人間に見られたら、それこそ「ドン引き」されるだろう。


 私がすっかり自分の「世界」に入っていると、彼はコホンと咳払いをした。


「そろそろいいか?」


「……ああ、うん。ごめん」


「そうか。……それなら、俺から一つ。……そろそろ仕事の準備をしなくていいのか? もう七時だぞ」


「まさか。まだ六時ぐらいでしょ」


「時計見ろ、時計」


 そう言われて指を差された先を見ると、既に時計の小さな針は七を差していた。私は「はぁ」と大きな溜息をつく。


「……本当みたいね」


「だから、言っただろ? ほら、さっさと服着て出勤しろ!」


「素っ裸の鮫田くんにだけは言われたくないけど」


「俺は良いんだよ。漢鮫田は素っ裸こそが死に装束、って決めているからな!」


 バカみたいに黒くて丸い目を光らせているのに、私はふっと笑みを漏らす。


「はいはい、そうね。鮫田くんはだったね」


、なんて変な言い方をしやがって。言いたいことがあるなら、ふわふわ言葉じゃなくて、ちゃんとした言葉で言いやがれ」


「いいの?」


「ああ、もちろんだ。漢鮫田。どんな言葉をぶつけられようと受け止めてやるぜ!」


「それじゃあ………………


 ベッドの上にいる直径ほどのふわふわとした鮫田くんは、満足気な顔で微笑んできた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ふわふわとした鮫田くん 海沈生物 @sweetmaron1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ