第3話

「この風じゃ今晩の漁は厳しそうだな」

 港で漁師仲間と昼飯を取りながら海上予報を聞いていると、漁師の一人がそう言った。北陸の冬が来るのは早く、春になるのは遅い。スルメイカの漁期の終わりが見えてくるのと同時に、海が荒れることが増えてきた。三十九週を迎えた姉の腹のなかにいる赤子はまだ出てこない。

「まあ、この時期は仕方ないべ。たまにはゆっくり休まねえとあちこちガタが来るぞ」

 それもそうだな、と笑って解散する。車に乗ってすぐ、駿吾は透に電話をかけた。透は職員室よりも美術準備室にいることが多いのを知っている。LINEやメールでは返事がこないのではないかと思い、駿吾はつい電話をかけてしまう。

『はい』

「先生、俺」

『わかってるよ。仕事中にかけてくんなっつってんだろ』

 呆れたような透の声を無視して「今晩行っていいか」と尋ねる。

『駄目だって言っても来るんだろ。好きにしろ』

「駄目だって言われたら行かねえよ。そこまで自己中じゃねえし」

 せんせー、誰と電話してんの、と女子たちのはしゃぐ声が電話の向こうから聞こえてきた。「あっち行ってろ」と透が追い払うように言った。

『ああ、もう。来るなっつったらお前二度と来なくなるだろ』

 そうだろうか。自分ではよくわからない。だが一度でも途切れたら、そこで終わるような気もする。ここのところ、終わらせたほうが透は楽なのだろうかと思うこともある。だからといって、二十歳にすらなっていない駿吾が物わかりの良い大人になるのはまだ難しかった。

『とにかく一回切るぞ。じゃあな』

 プツンと電話が切れる。徐々に激しさを待つ波の音を聞きながら、駿吾は車のアクセルを踏んだ。


「あんたさあ、本気で海で生きてくつもりなの」

 夕飯は要らない、と言って家を出ていこうとした駿吾を恵美が呼び止める。ここのところ、恵美はこういう言い方で突っかかってくることが多い。苛立ちを隠す気にもならず舌打ちをする。

「だったらなんだって言うんだよ」

「父さんが心配してんのよ。あんたは他の道に進んだほうが良かったんじゃないかって」

「んだよそれ、俺は駄目で義兄さんは良いっていうことかよ」

「そういうことじゃないでしょ」

 それ以上言い合いを続ける気にもならず、乱暴に玄関のドアを開けて家を出た。結局義兄さんに船を譲りたいってことか。言われなくても譲ってもらう気などさらさらない。他にやりたいことがないからなんとなく漁師になった自分より、コツコツ真面目に自分の下で仕事を続けてきて、孫の顔を見せてくれる勝弘のほうが自分の跡取りに相応しいと思うのは当然だ。姉の出産が近づくにつれ、自分の居場所がなくなるような気がして時間があるとつい透の家に逃げ込んでしまう。

 むしゃくしゃして、横なぐりの雨が降りしきるなか車を飛ばして透の部屋に向かい、最初のときと同じように路駐して着いてアパートの階段を駆け上がる。部屋に入れてもらってすぐ体を組み敷いた。こうなることを予感していたのか、透からはボディソープの香りがして布団もすでに敷いてあった。どいつもこいつも、駿吾よりも駿吾のことを理解しているようなそぶりをする。駿吾がいちばん自分を持て余しているというのに。

「なんかいやなことでもあったのか?」

 汚れた体をティッシュで拭きながら透が言う。駿吾も二、三枚ティッシュを取って股間を拭いた。

「……姉貴がもうすぐ子供産むんだ」

「へえ。めでたいじゃないか。女? 男?」

「女だって」

 来たときよりも風は激しさを増し、バラバラと音を立てて窓を叩く。遠くで雷が鳴っていた。

「俺もいつか結婚して子供作んのかな。それで嫁と子供養えるようになったら認めてもらえんのかな」

「お前、子供が欲しいのか。それならさっさとこんなことやめろ」

「……先生が俺の子供産んでくれたらいいのに」

 透の顔が醜く歪む。傷つけるつもりで言ったのに、いざ傷ついたような顔をされると心臓のあたりがぎゅっと痛くなった。透は自分がなにを言っても傷ついたり揺さぶれたりしないのだと思っていた。透だって、自分と十五離れているだけのただの男だというのに。自分のガキさ加減に呆れて反吐が出そうだ。

「ごめん、俺いやなこと言った」

「いや、いいよ。俺がお前の時間奪ってんのは間違いないしな。なあ、駿吾」

 透から切り出されるよりも早く、駿吾は「いやだ、やめない」と子供のようにぶんぶんと首を横に振った。

「お前はなんとなく雰囲気に流されてるだけだよ。面倒なことは言わない、ヤりたいときにヤれて先を考える必要もない俺が都合よかったんじゃないのか? よく考えてみろ。三十五のおっさんよりお前に似合う女なんてたくさんいる」

「じゃあなんで先生は俺と寝たんだよ」

 ふ、と透が寂しそうに笑う。

「最初は、めちゃくちゃに飲んで吐いて頭も痛くて、どうにでもなれって気持ちだった。男に抱かれるなんて初めてだったしな、苦しくて死ぬかと思ったよ。けどその苦しさがちょうど良かった……」

「……先生」

「いまでもしょっちゅう夢に見る。学校に電話来て、病院行ってあいつの遺体確認したときのこと。お前に抱かれてると、俺のなかに漁火が浮かぶんだ……そのときだけは忘れられた。あの美しい光が、忘れさせてくれた……都合良くお前を使ってたのは俺のほうなんだ」

「いい、そんなの、いくらでも都合よく使えばいいだろ」

「駄目だよ、俺、お前といるの居心地良くなっちゃってんだよ。これ以上いっしょにいたらもっと駄目んなる」

「なんでだよ、なんで駄目なんだよ」

 透が眩しそうに目を細めた。

「俺はさ、もう二度と、大事な奴の未来奪いたくないんだよ。お前はお前に似合いの女見つけて、結婚してかわいい子供三人くらいつくれよ。そういうのが似合ってるよ」

「勝手に決めんなよ。子供だって、できるかどうかわかんねえだろ」

「そしたら嫁さんのこと死ぬほど大事にしてやれ。俺は一人でなんとかやってくから。な? 頼むよ駿吾……」

 透の声が震えている。それ以上駿吾はなにも言えなかった。「一人でやってくから」という言葉に、胸が苦しくて息が止まりそうになる。

「……わかったよ。もう俺は要らないってことだろ」

 透は黙ったまま、自分よりも背の高い駿吾の頭を撫でた。「そうだ」と一言肯定してくれるだけでいいのに、こんなときでも透は駿吾の欲しい言葉をくれない。その不器用さが透自身を苦しめているのというのは、自分がいちばんよくわかっているのだろう。駿吾がこれ以上なにを言っても、透はこの関係を終わらせるつもりなのだと思った。

「終わりにすんなら最後にヤらしてくれよ、先生」

 道端にガムでも吐き捨てるみたいに言うことしかできなかった。「好きにしろ」といつものように透が答える。

 布団の上に乱暴に押し倒して、萎えている性器を口にふくむ。ひ、と喉を鳴らしながら透が布団に爪を立てた。目の粗いシーツが擦れる音がする。

 冷えた体を隅から隅まで舌と指で詰っていく。透の体のぜんぶに自分の感覚を刻みつけたかった。結局二人にはこの部屋でできることしかなくて、だからこそ二人はいま終わりを迎える。

 最初と同じようにコンドームをつけずに、後ろから透を貫いた。透のなかにいくら駿吾の種を注ぎ込んでも、透が喪ったものは戻ってこない。駿吾の下で透が小さく呻いている。透の体を離すことができたときにはもう夜が明けていた。雨の音はしない。すべてが終わってから、駿吾はこれが恋だったことに気づいた。

「じゃあ」と言って透の部屋を出たあと、どうやって家に帰ってきたのかよく覚えていない。ベッドに寝ころびながら、眠気がやってくるのを待つ。

 ふと思い立って、もう一度透の名前を検索してみた。検索結果の二頁目に表示された『「海を見る女」/藤代透』という文字をタップする。小さな液晶画面に透が描いた絵が表示される。

 顔は描かれていなかった。長い髪をゆるく結った女の後ろ姿と、紺碧の海。ただそれだけの絵だ。駿吾には絵の良し悪しなどまるでわからない。だが透は間違いなくこの女を愛していたのだとわかった。気づけば駿吾は「先生」と繰り返しながら子供のように泣きじゃくっていた。


 透との関係が終わり、駿吾の日常は元通りになった。姉は予定日の翌日に女の子を出産した。三六〇〇グラムある大きな赤ちゃんで、昼夜問わず毎日元気に泣き、もうすぐ四ヶ月を迎える。姪っ子に触るのはまだ少し怖いが、姉も姪も元気で良かったと思う。姪が生まれて家のなかが賑やかになった。

「駿吾くん。僕は、親父さんの船は君が継いだほうがいいと思ってる」

 いつものように船を出港させる前に、勝弘がぽつりとそう言った。エンジン音でかき消されてしまうくらいの小さな声だった。

「……義兄さん。俺は別に、そんなこと」

「親父さんは、君のことがただ心配なだけだ。海に出る限り危険はついてくるし、収入だって不安定だ。子供にはなるべく苦労をかけたくない……まともな親っていうのはそう思うもんじゃないかな」

 まともな、という言葉を噛みしめるように勝弘が言う。自分にとってはいくぶん疎ましい姉だが、勝弘が姉に光を見出したのだとしたらそれは弟として誇らしいことなのかもしれないと思う。

「それに、そろそろ独立しようかと思ってるんだ。親父さんには話してある。昼イカの一本釣りもやってみたくてね」

 勝弘が乗り子になってもうすぐ五年だ。独立するには遅いくらいと言えるし、独立すれば責任も増えるが収入も増えるはずだ。

「僕も頑張ってみるからさ。こうして近くに若い漁師がいるっているのは心強いよ」

 そろそろ出るぞ、と操舵室から父親の声が飛んできた。集魚灯に明かりがともる。駿吾と父と勝弘の乗った船が漁火のひとつになる。

 一月から五月はヤリイカの漁期だが、来月になればまたスルメイカの漁期が始まる。自分はこうして海で生きていくのだろう。甲板に上がったイカを箱詰めしていると、朝の四時前だというのに駿吾のスマートフォンが鳴った。こんな時間にかけてくるのは母か姉しかいない。家でなにかあったのだろうかと思い、勝弘に声をかけて手を止め電話を確認すると、そこに表示されていたのは母でも姉でもなく、「先生」の文字だった。震える手で電話に出る。

「……もしもし」

『駿吾か。俺だよ』

 忘れようと決めたはずだったのに、声を聞けば一瞬で透との日々が蘇ってしまう。ほんとうにひどい男だと思うのに、責めることができない。

「なんだよ、いまさら。仕事中にかけてくんなって言ったのは先生だろ」

『うん、ごめんな。でもいまお前に電話したかった』

 電話の向こうでびゅう、と風が吹く音がした。

「外にいんのか?」

『うん、いま浜から船見てる。お前があの漁火のひとつにいるんだって思ったら、お前の声が聞きたくなったんだ』

 喉が詰まる。涙がこぼれないように必死に唇を噛んだ。

『俺さ、あの学校辞めんだ。この町からも引っ越す』

 透がこの町にいる限りは、どこかで会えるんじゃないかと心のどこかで期待していた。でも、その望みもなくなる。この先一生、駿吾と透の人生が交わることはないのかもしれない。そうだとしても、透には生きていてほしいと願う。自分じゃない誰かを愛して、愛されてもいいから、生きていてくれればそれでいい。泣きそうになるのを必死でこらえたら、みっともないほど声が震えた。

「先生、いっこだけお願いがあるんだ」

『なんだよ、言ってみろよ。あ、でもヤるのはなしな。お前とあと一回でも寝たら負けそうだから』

「なにに負けんだよ。そんなこともう頼まねえよ」

『じゃあなんなんだよ』

「……ぜったい死なないでくれ。先生のなかにある地獄みたいなもんに飲み込まれそうになっても、この漁火のこと思い出して、生きて。あんたが死んだら、今度は俺があんたみたいになるんだからさ」

 電話の向こうで透が泣いているのがわかった。俺は先生を傷つけることばっかり言ってるな、と喉の奥で笑う。でもこれくらい許してほしい。初めて本気で好きになった相手だ、生きろという呪いをかけるくらいのことはしてもいいだろうと思う。

『ああ、くそ。お前にそんなこと言われたら這いつくばって生きるしかねえじゃねえかよ……』

「そう言ってんだよ。俺はずっとここにいる。漁火のひとつで居続けるからさ。だから、先生も生きろよ」

 わかったよ、と透が笑う。どんなに堪えても堪えきれなくなって頬が濡れた。

『元気で』

「ああ、先生も」

 じゃあな、とあの日のように言って電話を切った。仕事を放り出している息子に向かって、父親はなにも言わなかった。聞こえていただろうか。自分はここで漁火のひとつであり続ける。海で生きていく。

 駿吾がだれに対しても熱くなれなかったのは、漁火のように自分を惹きつける強い光を求めていたからなのかもしれない。

――漁火のひとつになった俺を、先生が覚えていてくれる。

 それだけでじゅうぶんだった。自分の心のまんなかに透がいる。この先だれか違う相手と体を重ねることがあっても、透のことを思い出してしまうだろう。呪いをかけられたのは駿吾も同じだ。

「親父、俺さ。親父の船の漁火が好きだったんだよなって思い出した。海の上で燃えるように光ってて……漁火になりたかったんだよ、俺も」

 ヤリイカの入ったケースを港に下ろしながら父親に言う。

「……楽じゃねえぞ」

「わかってるよ」

 父親がフッと鼻を鳴らして笑ったような気がした。海の果てから朝日が昇ってきて、駿吾は眩しさに目を細めた。今日はいい天気になりそうだ。


 スルメイカの漁期が始まるころ、透はこの町を去っていった。携帯電話から透の連絡先も消した。駿吾と透を繋ぐ糸は解けてばらばらになった。もう二度と会うことなどないかもしれない男の温もりを思い出すと、いつだって少しだけ涙がこぼれた。

 あれから五年が経ち、引退する気配のない父とともに駿吾は船に乗り続けている。勝弘は独立し、自分の船を持った。駿吾の家からほど近い場所に家を建て、姉は二人目の女の子を産み、今は三人目の男の子を妊娠中だ。「駿吾おじちゃん!」となついてくる姪っ子に負けてついあれこれ買ってしまい、姉に「甘やかすな!」と文句を言われる。どんなに年をとっても姉と弟の関係は変わらないものだなと思う。

 透と別れてから、何人かの女と付き合った。だがどの女とも長続きせず、駿吾は結局いまでもひとりのままだ。

 いつものように漁に出ようと港に向かうと、見慣れない男が二人立っていて、漁師仲間に声をかけていた。一人は大きなカメラを抱えている。五月に入り、スルメイカは最盛期を迎えている。イカ釣り漁の漁火はときどき観光スポットとして紹介されることもあるので、その類かもしれない。横を通り過ぎて船に乗り込もうとしたら、漁師仲間に呼び止められた。

「駿吾! ちょっと!」

「俺? どうかしたか?」

 手招きされて駿吾は男たちのほうに寄っていく。仕立ての良いジャケットにかたちの綺麗なチノパンやいい具合に色の落ちたデニムを身に着けた男たちからは、東京の匂いが漂ってくる。

「こんばんは、『art shaft』という美術雑誌のライターをしております加藤と申します」

 カメラを抱えていないほうの男が駿吾に向かって頭を下げた。「はあ」と気の抜けた返事をする。観光マップならまだしも、美術雑誌の記者がいったいなんの用だろう。

「駿吾さ、このあたりで六、七年前に高校の先生やってた……藤川、なんだって?」

「藤代透さんです」

「そうそう、その美術の先生知ってるか? 駿吾が高校生だったのそれくらいの頃だろ?」

 藤代透、という音の並びを聞いて駿吾は心臓が止まりそうになるほど動揺した。いまさら透の名前が自分のゆくさきに現れることなどないと思っていた。

「……知ってます。俺の高校の先生でした。先生がどうかしたんですか」

 加藤と名乗った男は、カメラマンと顔を見合わせて目を見開いてからにこっと笑った。

「藤代さん、いま画家として活躍されてるんです。先日大きな賞をとって、すごく注目されてるんですよ。ほら、この絵」

 加藤はそう言って、ジャケットのポケットからスマートフォンを出して駿吾に画面を見せた。そこには夜の海に浮かぶ漁火が描かれた絵が映っていた。透の目を通して描かれた、漁火のひとつとなった駿吾だ。目の端が熱くなる。「先生!」といますぐ海に向かって叫びたい気持ちを押さえつけるのに必死だった。

「教え子が漁師になって、その漁火が自分を支えてくれたって仰ってました。それがなければ自分は死んでいたかもしれない、と……それで藤代さんのインタビューにぜひ実際の漁火の写真も掲載したいなと思いまして。撮影させていただいても大丈夫ですか?」

 はい、と頷くのがせいいっぱいだった。透があの日の漁火を胸に生きてくれた、それだけでもじゅうぶんすぎるほどじゅうぶんだというのに、自分を絵に描いてくれた……その事実に、胸が苦しくて痛くて張り裂けそうになる。

「……先生、元気なんですね」

「ええ! 仙台に拠点を置かれて精力的に画家としての活動をされてらっしゃいますよ。もしかして、貴方が先生の仰ってた教え子さんかな」

「そうだと、思います」

 ぐっと拳を固く握りながら前を向いて答えた。日が沈んであたりが徐々に暗くなっていく。海と空が同じ色になる。

「お元気にされていると知ったら、藤代さんも喜ばれると思います。お名前とご連絡先もお伺いしていいですか? 雑誌が出たらお送りしますので」

「……あの」

「はい、なんでしょう?」

「藤代先生に伝言をお願いしてもいいですか」

「ああ、それはもちろん! 僕でよければお伝えしますよ」

「待ってる、と。海でずっと待っているから、と……それだけ、お願いします」

 加藤に深く頭を下げる。「顔をあげてください」という声が頭上から降ってきて、駿吾は姿勢を正した。

「責任持ってお伝えします。僕もこの絵、大好きなんですよ。静かに燃えている、この漁火が。貴方がいなければ、きっとこの素晴らしい絵は生まれなかった。お会いできて良かったです」

 加藤が駿吾に向かって手を差し出してきた。差し出された手を両手でしっかりと握る。透が描いてくれた駿吾の絵を、こうして愛してくれる人がいる。あのとき別れたことも、生きてくれと言ったことも間違いではなかったのだと、そう信じたい。

 加藤たちと別れて駿吾は船に乗り込んだ。今では父に船の操舵を任せてもらっている。あの伝言を聞いて、透ははたして会いに来てくれるだろうか。一度は違う航路を選んだ二人の人生がもしまた交わることがあるとするなら、次は二度と手を離したりしない。今度はもう少しうまく愛せるはずだ。

「親父、出るぞ」

 ああ、と父が短く答えた。ハンドルを握り、レバーを倒して船を発進させる。夜の海に、一つ、また一つと明かりが点っていく。透の胸にある海にも、美しい光が燃えていたらいいと思う。夜に沈んでいく海の上で、駿吾は深く息を吸い込んだ。

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漁火 碧原柊 @shu_aohara

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