第2話
「お前に抱かれてると海の匂いがするんだよ」
お互い絶頂を迎え、ごろりと畳の上に横になっていると透がそう言った。やはり潮や魚の匂いが自分に染みついているのだろうか、そう思って自分の体を嗅いでみたが、うどんの汁とセックスのあとの匂いが入り混じった部屋の空気は、泥水のように澱んでいるのでよくわからない。
「イカ臭いってことかよ。それなら先生だって同じだろ」
「そういうことじゃねえって。海がそこにあるみたいな、そういう感じだよ」
「なんだよそれ。わかんねえよ」
「わかんなくていいんだよ、お前は」
透は汚れた体を拭いて起き上がり、冷蔵庫を開けてビールを取り出した。プシュ、と炭酸が抜ける音がする。
「昼間からビールかよ」
「ヤったあとに飲むの美味いんだよな。お前も飲むか? って車か」
かたちの良い尻をこちらに向けたまま、透はビールの缶に口をつけた。さっきまであれを犯していたのだと思うと、体のなかが再び熱を帯び始める。こういう感覚も、透と寝てから初めて知った。射精したあとは目の前の女のことなどどうでもよくなっていたのに、抱いても抱いても飢餓感ばかりが募っていく気がする。もう一発ヤろうかと思っだが、そろそろ帰って寝ないと今晩漁に出たときがきつくなる。名残惜しく思いながら、なんとか畳から体を引っぺがして服を整えた。
「そろそろ帰る」
「おう、気ィつけてな。雨降っても漁には出るんだろ?」
うん、と答えながら靴を履く。玄関のドアノブに手をかけたとき、「ああ、忘れてた」と言って透が財布を持ってきて一万円を駿吾に押しつけた。
「ビール代と手間賃」
「こんなに要らねえって」
「いいよ、取っとけよ」
これじゃあまるで俺は金で買われてるみたいじゃないか――卒業したとはいえ、教え子に抱かれているという罪悪感のようなものを、透はこんなふうに駿吾につきつけてくることがある。そういうとき、駿吾はどうすることもできない。渡された一万円をポケットにそのままつっこんで透の家をあとにした。
「あんた、どこ行ってたのよ」
雨の降りしきるなか、車を走らせて帰宅すると、家に入るなり姉が詰問するような鋭い口調を投げつけてきた。臨月を迎えた腹はまるでスイカでも入ってるんじゃないかと思うほどパンパンに膨らんでいる。遅くともあと一カ月ほどのあいだにはここから人間が出てくるのだと思うと不思議な気持ちだ。
小さいころ、子供はみんな母親の腹を切って生まれてくるものだと思っていたので、女のあそこから出てくることのほうが多いと知ったときには衝撃だった。自分も母親の股をめりめりと拡げて出てきたのだと思うとぞくっと背筋が寒くなる。嫌悪感ではなく、自分が人のかたちをした凶器にでもなったような気分になるからだ。
腹のなかに人間がいるという感覚は、男の駿吾には一生理解できない。いつか自分も誰かの腹をこんなふうに孕ませるのだろうか。透とは結婚や出産のような、いまより先の関係に進む理由がない。難破船のようにどこにも行けずただ漂っている。
「どこだっていいだろ」
「帰るって言って帰ってこなかったら心配するでしょ。せめてLINEくらい見なさいよ」
スマートフォンを見ると、姉から何通もメッセージが届いていた。もともと世話焼きなところがあり、駿吾から見るとうざったいと感じる部分もあるのだが、無口な義兄とはいいバランスを保っているようだ。
「母さんたちに心配かけんじゃないわよ」
「いくつだと思ってんだよ。仕事はちゃんとやってるだろ」
「まったく、素直に謝るってことがないんだから……さっさとお風呂入っちゃって」
くそ、と内心悪態をつきながら風呂場に向かう。まだ肌に残っている透の感覚を洗い流して二階にある部屋に戻り、ベッドに横になった。タイマーは毎日同じ時間に鳴るように設定してあるので、このまま寝てしまっても問題ない。目を閉じると、世界の重力が書き換えられてしまったみたいに体がどんどん重くなっていく。駿吾はそのまま眠りの淵へと落ちていった。
耳元でACIDMANの「赤橙」が鳴っている。たっぷりワンコーラス聴いてから重い瞼を開けてアラームを止めた。ううんと大きく伸びをひとつ。それから一階に下りて、感覚的には朝食である夕食を取ったら、仕事の準備をして港に向かう。予報通り、雨は夜になっても降り続いていた。いつものように父と勝弘とともに船を出港させる。波さえ高くなければ、雨でも雪でも漁に出ることはできる。先に海に出た漁船の漁火が雨に滲む。
イカ釣りには夜釣りと昼釣りがあるが、駿吾の家の船は集魚灯を備えて深夜から日の出までの時間に漁をする夜釣りだ。イカは光に引き寄せられるが、あまり強い光は嫌う習性がある。それを利用して、人工衛星でも確認できるほどの強い光に寄ってきたイカが漁船の影に隠れたところを釣るのだ。強力な集魚灯をいくつもぶら下げているイカ釣り漁船は、浜から見れば幻想的で美しいが、その中にいると暴力的なまでの光の集合体でしかない。
必然的に夜から明け方までが仕事の時間となって昼間に寝るので、高校時代の友人たちと連絡を取り合うことも減った。三年生のときに告白されて付き合っていた女は仙台の専門学校に進学したのだが、毎日のように取り合っていた連絡が週に一回、月に一回と減っていって最後には「駿吾は私との関係続けたいと思ってないでしょ」と言われて別れた。悲しさも寂しさも憤りも湧かなかったが、そんな自分は情が薄いような気がしてそのことにほんの少し傷ついた。
一人、また一人と連絡を取る相手が減っていくと、自分に残るのは海だけではないかと思うことがある。
そもそも、進学も就職も、これという希望や夢がなかったから父親と同じ漁師の道を選んだ。姉からは、「あんたは頭が悪くないんだから大学に行ってみたらどうなの」と何度も言われたのだが、「金かかるし、そこまでして勉強したいこともないし」と突っぱねた。駿吾だってこの年になれば、道楽で大学に進むような経済的余裕があるような家ではないのだと理解しているし、高卒で正社員の働き口は少ない。その点、漁協には父親にくっついて小さいころから入り浸っていたので、漁師になればなにかしら仕事にありつくことができるだろうと駿吾なりに考えた結果だった。
事実、いまは漁師のなり手が少ないので、漁協関係の顔見知りは駿吾が漁師になったことを歓迎してくれた。だが、父親だけは渋い顔をした。もしかしたら、父親は自分ではなく義兄の勝弘に船を譲るつもりだったのではないか、駿吾が漁師の道を選ぶとは思っていなかったのではないか――自分が異分子のような疎外感を抱いたまま漁に出る日が続いている。
みんなやってるから、と半ば強制的に登録したSNSもいまではほとんど見なくなってしまった。大学や専門学校に進んだ友人たちとは違って、家と海とを往復する毎日を過ごしている駿吾にはアップするような写真もない。まさか彼らも、駿吾がかつての恩師と体を重ねているとは夢にも思っていないだろうと思うと。駿吾のスマートフォンの通話履歴には透を示す「先生」という文字ばかりが増えていく。
透との再会は半年ほど前のことだ。その日は父と母が結婚式に出席するからということで一カ月ぶりの休日だった。買い物を済ませて家に戻る途中、駿吾が運転する車の前に喪服を着た男がふらふらと飛び出してきて、慌てて急ブレーキをかけた。腹が立った駿吾はハザードランプをたいて外に出て、「あんた死にたいのか!」と怒鳴った。男はそのまま道路に倒れ込んだ。まだ街灯がともり始めたくらいの時間だというのに、その男は顔を顰めたくなるほど酒臭かった。
酔っ払いが、とイラつきながら男の体を起こしてはっとした。喪服を身に着けた、死人のような青白い顔をしたその男を駿吾は知っていた。藤代先生だ、と気づいた瞬間、目の前の男は道路にげえげえと吐瀉物をまき散らした。考えうる限り最悪な再会の仕方だった。
「大丈夫かよ、そんなに吐くまで飲んで」
駿吾は男を道路の端に引きずっていって、近くにあった自動販売機でアクエリアスを買って手渡した。透はそれを受け取って、唇の端からこぼしながらごくごく飲んだ。
「……悪いね、ちょっと飲みすぎちゃってさ。……あ? お前見たことあんな……そうだ、長岡だろ、長岡駿吾」
選択授業だったとはいえ、卒業した生徒のフルネームを覚えていたことに駿吾は驚いた。
「覚えてんのかよ、生徒の名前なんて」
「全員じゃないさ。お前はなんか目立ってた……いや、違うな、浮いて見えたからな」
浮いてた、と言われて駿吾はあまりいい気はしなかった。駿吾は中学・高校と野球部に所属していて、クラスのなかでもカーストが上のほうのグループだったので、目立つというならまだしも「浮いている」と揶揄されるような覚えはない。
「なんだよ浮いてるって。うまくやってたよ俺は」
「そう、それだよ。醒めててなんにも本気になってなくて楽しくもないのに、周りにうまく合わせてるみたいな感じ」
たいして話した記憶もないような高校時代の先生に図星をつかれて、駿吾の心臓が大きく跳ねた。透の言うとおり、あのときの駿吾は周りに合わせてなんとなく生きていたのだと思う。動物の縄張り争いのようなスクールカーストのマウンティングにも恋愛のいざこざにも巻き込まれるのはごめんだった。ただ平穏無事に三年間を過ごすことができれば良かった。高校に入って最初の進路希望で「漁師」と書いたとき、父親からは「勉強を疎かにするようならお前は船に乗せない」ときつく言われた。高校三年間を通して、駿吾の成績が上位三分の一から落ちたことは一度もなかった。
小さなころから、自分は将来漁師になるんだろうという気がしていた。この町を出てなにか他にやりたいことがないかと考えてはみたものの、駿吾の心のなかにあるのは、幼少期に見たイカ釣り漁船の漁火だった。漁師という仕事そのものよりも、自分は夜の海を照らすあの強い光に惹かれていたのかもしれない。
美術や音楽といった選択式の授業は、受験にも関係ないしよっぽど真面目な生徒でなければ適当にやり過ごす。駿吾も美術なんていっさい興味がなかったが、透からは生徒の熱量と釣り合うようなやる気のなさを感じたので美術を選んだのだ。そしてその予感は的中した。藤代透という教師は、飄々としていて安っぽいシャツとスラックスを適当に着て、おまけにサンダルも適当に履いていて授業には緊張感がなくて、生徒に「透ちゃん」なんて気安く呼ばれる、そういう先生だった。良い意味でも悪い意味でも、目の前の生徒なんてどうでも良さそうだった。
「とりあえず家まで送るよ。乗って。あ、これ姉貴の車だから車のなかで絶対吐くなよな」
「もう全部出したから大丈夫だって。サンキューな」
「ちょっと遅くなる」と姉に連絡を入れ、透を隣に乗せて走り出す。ちゃんと道案内できるのかと不安だったが、吐いて水分を取ったせいか、口ぶりはしっかりしていた。「まっすぐ」「あそこのローソン右」と助手席に乗る透の道案内を従いながら、駿吾は透にまつわる高校時代の記憶を引っ張り出した。
「透ちゃんの奥さんって自殺したらしいよ」
そういう噂がまことしやかに囁かれるようになったのは、透が赴任してきた年の夏休み明けだった。
「え、自殺ってヤバくない?」
「うちのはとこがさ、前に透ちゃんがいた高校に通ってて夏休みに会ったときに教えてくれたんだってば。これはガチ」
妻が自殺、というセンセーショナルな言葉に生徒たちは興味を隠せなかった。小さな小石で水切りをしたときのように、学校のあちこちで波紋が伝播していく。
先生彼氏いるの、とか奥さんの写真見せて、とかたいていのことは「生徒」という免罪符で許されると思っている同級生たちも、さすがに「先生の奥さん自殺したんですか」とは聞けなかった。そしてほとんどの場合そうであるように、飽きっぽい生徒たちは真偽のわからない噂に対する興味と関心を失った。生徒たちが噂していることに気がついていなかったわけはないと思うのだが、最初から最後まで透の態度は変わらなかった。
駿吾は噂そのものよりも、そんな透のことが気になって高校時代に一度だけスマホの検索画面に透の名前を打ち込んでみたことがある。同姓同名の男性が会社を経営しているらしく、その会社に関する情報が出てくるなか、なにかの展覧会に出展したときのものだと思われる透の絵がヒットした。タイトルは「海を見る女」。見てはいけないものを見つけてしまったような気になって、絵を見るまえにブラウザを閉じだ。忘却の彼方へ消え去っていたはずの記憶が次々に呼び起される。
「なあ、先生の奥さん自殺したってほんとなのか」
もうすぐそこだよ、ほら、あの茶色のアパート。透が二階建てのアパートを指さしたときだった。気づけば、駿吾は学校にいた誰もが聞けなかったことをあっさり口に出していた。
透と二人きりだったこと、透が喪服を着ていたこと、みっともなく吐くところを見たこと、それからスルメイカの最盛期を迎えて休みなく漁に出て疲れていたこと、そのすべてが重なって感情の栓がゆるくなってしまっていた。そうだとしても、不躾に聞いていいようなものではない。しかしうまく取り繕うようなやり方もわからず、駿吾は狼狽えながらアパートの前に車を停めた。
「ほんとだよ。うちの奥さん、四年前に自殺したの。今日が命日だった。だから喪服」
つとめてなんでもないことのように透が言った。たんぽぽの綿毛みたいに、吹けば飛んでいってしまいそうな軽さしかなかった。それが余計に駿吾を苛んだ。
「墓参り行ったついでにちょっと一杯って思ったら止まんなくなっちゃってさ。しょうもないとこ見せちゃったな」
「……先生、ごめん、俺」
「いや、謝んの俺のほうだろ。なんもないけどコーヒーでも飲んでくか? このへんちょっとなら停めといても平気だし」
うん、と頷いてエンジンを停め、路駐したままで透の部屋に上がらせてもらった。透は喪服のジャケットだけを脱いでインスタントコーヒーを淹れてくれた。透の部屋には砂糖もミルクもなくて、淹れてもらったコーヒーをブラックのままちびちび飲んだ。
「お前、いまなにしてんだっけ」
「漁師。イカ釣りの。うち、父親も漁師で船持ってんだよ。あの集魚灯ぶら下げてるやつ」
「へえ、そうなんだ。じゃああれだ、漁火。俺さ、生まれは宮城の白石なんだよ。だからこっちに来て初めて漁火見た。きれいだよなあ……」
透が目を細めて言った。きれいだ、と言ってくれたのがうれしかった。
「今日は漁に出ないのか?」
「親父とお袋が親戚の結婚式に行っててさ。今日は休み」
「そうか、なら良かった」
と言って透は笑った。それから二時間ほど他愛ない話をした。たっぷり時間をかけてコーヒーを飲んだあと、透は冷蔵庫からビールの缶を出した。
「おい、まだ飲むのかよ」
「だーいじょうぶだって。吐いたからノーカンノーカン」
それはどう考えてもおかしいだろ、と突っ込みたくなるような理論を振りかざしながら、透はビールを飲み始めた。ブラックのコーヒーはそんなに得意ではない、というと、透はほとんどものが入っていない冷蔵庫からカルピスの原液を取り出して水と氷を入れて作ってくれた。懐かしい夏の味がした。
「俺やっぱカルピスって自分で作るほうが好き」
「自分の好きな濃さにできるのがいいよな。お前は濃いめと薄めどっちが好き?」
「普段は薄めだけど、たまに濃くする。先生は?」
「俺も薄め。ポカリもさー、粉のやつあるよな」
「それ部活のとき大量に作ってたわ。すげえ薄いやつ」
好きなジャンプの漫画、よく聴く音楽、あそこの焼肉がうまいとかあのラーメン屋のオヤジは堅物でうるさいとか、そんなどうでもいい話をして笑い合った。夜中に誰かとこうやってくだらない話をして笑うのなんて久しぶりだった。ACIDMANとGRAPEVINEの話で盛り上がって、スマホで動画を見ながらこの曲が、とかこのフレーズが、とか熱く語った。もしかしたらあの数時間が、二人にとっていちばん幸せな時間だったかもしれない。透の小さな部屋で体を重ねれば重なるほど、駿吾では透のなかにある奈落をどうしたって埋めることはできないのだという空しさだけが募っていく。
「泊まってくか」と聞かれて駿吾は素直に頷いた。その日が透の妻の命日でなければ、或いは漁に出なければいけない日だったらそうはならなかったと思う。恵美に「やっぱり今日は友達の家に泊まる」と連絡すると「もっと早く言いなさいよ」と怒られた。
「多少のフライングは許されるだろ」と言って透は駿吾にビールの缶を差し出した。それを受け取って喉に流し込む。フライングどころか、高校生のころから嗜む程度に酒は飲んでいる。うまいと思うようになったのは漁師として海に出るようになってからのことだが。
「なんだ、飲めんじゃねえか。つまみ買ってくりゃ良かったな」
「まあ、それなりに。そういや先生はなんで美術の先生になったの」
「一応プロの絵描き目指してたんだけど、才能ねえなって思って。教員免許取って、そんで非常勤講師とかカルチャーセンターの講師やって食い繋いでる。ひとつの学校にこれだけいるのは珍しいな」
カルチャーセンターの講師もやっているというは初耳だった。生徒にとって教師というのは「学校」という自分たちのテリトリーをかたち作るひとつのパーツで、好奇心に負けてときおりその裏側を覗きこんでみるくせにすぐ蓋をしてなかったことにする。教師も自分たちと同じ一人の人間にすぎなかったのだと気がつくのは卒業したあとだ。生徒と先生ではなく、人と人としてかつての教師と向き合うのは駿吾にとってこれが初めての経験だった。
「なあ、先生の奥さんってどんな人だったの」
「どこにでもいる普通の女だよ。大学のときから付き合って二十八のときに結婚した」
「じゃあ長かったんだ」
「そうだな。なんだかんだ十年くらいはいっしょにいたことになるな。それなりにあいつのことわかってるつもりだったんだけどな」
やはり吐いたところで酒は抜けていなかったのか、話しながら透の瞼が三秒開いては四秒閉じ、その次はニ秒開いて五秒閉じ、といったふうに不規則なリズムを刻んでいく。透が寝たら駿吾だけでこの長い夜に立ち向かわなければはいけなくなってしまう――そう思ったら衝動的に言葉を吐き出していた。
「先生の奥さん、なんで自殺したの」
透の閉じていた瞼がゆっくり開く。射貫くような鋭い眼差しに見つめられて駿吾は動けなくなった。どうして死んだのか、なんて死んだ本人に聞かなければわからない。残されたものは考えうるだけの死の理由と、どうすれば死なせずに済んだのかという自分の罪の深さに永遠に囚われ続ける。透はその最中にいた。酒がそうさせたのか、それとも透自身その罪の重さに疲れ果てていたのか、墓を暴くような真似をする駿吾のことを透は一言たりとも詰らなかった。
「妊娠したときに子宮の病気がわかってさあ、子宮全部取らなきゃいけなくなったの。そんでもう子供産めないってなって。……俺は二人で生きていけばいいって言ったんだけど、奥さんそれからおかしくなっちゃって、薬ガバガバ飲んで飛び降りて死んじゃった」
透は息継ぎでもするみたいにときおりぬるくなったビールを飲み、渇いたように笑いながらあったことだけを駿吾に話した。教師の姿ではなく、壊れた蛇口のように自分の過去を垂れ流し、不格好な笑みを浮かべるただの男にすぎない透に対して、駿吾は決して好きだとか愛おしいとか、そういう感情を抱いたわけではない。ならば妻の死に囚われ、行き場のなくなっている透が可哀想だったのだろうか。自分のしたことを棚に上げて、痛々しく笑うくらいならいっそ泣き喚いてくれたほうがマシだと腹が立っていたような気もする。
畳の上に押し倒したとき、透はさして抵抗してこなかった。それが余計に駿吾を苛立たせた。本気で抵抗してくれたら、駿吾も我に返っていただろう。透からは「どうなってもいい」というような諦めしか感じなかったので、そのとおり駿吾の好きにした。よほど苦しかったのだろう、後ろから駿吾に犯されながら透はひっきりなしに嗚咽を漏らしていた。だが決してやめろとは言わなかった。
それから朝を迎えるまで肌を繋げたまま過ごし、昼過ぎまで寝て、「腰と尻がいてえ」という透の代わりにコンビニまで買い物に行った。均一化された味の弁当をいっしょに食べてからもう一度セックスした。次に透の家を訪れたときには、ローションとコンドームが準備されてあった。それから半年間、二人の関係はなにひとつ変わらないまま続いている。
「そろそろ戻るか」
ドラムの回り方を見ていた父親がそう言った。日の出の時刻が近い。「了解」と頷いて勝弘が港のほうに向かって舵を切る。朝がまたやって来る。
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