あめふらし
波津井りく
君が君であるように
記憶に残っているのは窓の向こう、背中を丸めて膝を抱えている姿。
おとなしくて心根が柔らかいダチは、可愛い物が好きで、小物とかアクセサリーとか菓子を作るのが好きで、その全部が上手い男だった。
家が隣なもんだから、俺はしょっちゅう美味いもん食わせて貰ってた。
その礼にと、学校でダチを揶揄う
俺とダチの付き合いは、まあそんな感じだ。
「よ、イオリ」
「……アキラちゃん」
今日もまたメソメソした雰囲気で膝を抱えるダチの元へと。俺は窓の外からよじ登り、片手を上げて挨拶した。
「あ、危ないから玄関からおいでよぉ……!」
「こっちのがはえーし」
「怪我したらおじさんとおばさん悲しむよ」
「とりあえず勲章って言い張るわ」
よいせと手摺を乗り越え、窓からダチの部屋へとお邪魔します。いつものこと。
「……どうかした? アキラちゃん」
「髪切って欲しくて。後ろな」
鋏は持参したとイオリに押し付け、くるっと背中を向ける。
中途半端に伸びた後ろ髪のせいで首筋がくすぐったいったらない。さっぱりしたくとも自分で切るのは難しい。器用なイオリに頼むのが最速、以上だ。
「でも、短くしたらおじさんガッカリするんじゃないかな……ちょっと伸ばしてってお願いされたんだよね?」
「伸ばしただろ。その上で自己判断で切ろうと決めた。俺の髪をどうするかくらい俺の好きにさせろやと」
「そう、だね……アキラちゃん短いの似合うよ。アキラちゃんって感じする」
「だろー?」
流石俺のことをよく分かっているダチは、苦笑交じりに引き受けてくれた。
ショキショキと刃が噛み合う音が部屋に響く。パラパラ落ちて行く黒髪に未練はない。髪の伸びた俺を見たいという、父親の頼まれごと自体は果たしたんだから。
「……それで、お前は何にしょぼくれてたんだよイオリ」
「えっ」
「せーなーか。丸くしてただろー?」
「う、ああ、うん……えっとね……」
おずおずして話し出したイオリの愚痴をまとめるとこうだ。
町の雑貨屋にあるクマのぬいぐるみが可愛くて、イオリは親にねだってみた。
誕生日プレゼントに買って貰う約束だったのに、いざ買いに行ったら運悪くもう売れてしまったと。
その雑貨屋に扱われている商品は基本、ハンドメイド作家の一品物で、次に同じぬいぐるみが入荷される見込みは物凄く低い……とのことだ。
「あー、お前そういうとこあるよな。運悪いっつーか、引きが弱いっつーか」
「ううっ」
「残念だったな」
「うん……」
「お前がねだるくらいだから、きっとスゲー可愛い奴だったんだろ?」
「そ、そう。レースのね、綺麗なリボンしてピンク色してて……すっごい可愛かったんだよ。アキラちゃんにも見せてあげたかった……」
本当に欲しかったんだろう。自慢するようにパッと輝いた顔が、しょんぼりと色を失くすくらい。ちょっと可哀想だが、そればっかりはどうしようもない。
「自分で作ってみれば? お前器用じゃん、手作りキットとかでさ、理想のクマ作っちゃえよ」
「そうだね……アキラちゃん、一緒に来てくれる? 手芸屋さん……」
「おう、いいぜ! 男一人じゃ入り辛い雰囲気の場所ってやっぱあるよな」
「ありがと」
快諾するやイオリもほっとした顔で笑った。リボンだって化粧だって、好きでしたければすればいい。でも男だからと我慢してるイオリは偉い。
俺は女だからスカート履けと言われたら全力で喧嘩する。我慢して履きたくない。
俺のダチは優しくて我慢強い……いい奴だ。家族が悪く言われないように、ずっとずっと頑張っている。世間なんていう主体性のない悪意と戦っている。
「あのね、本当はね、僕も思ったよ。中学校は制服だから髪伸ばすとスカート可愛いんじゃないかなって」
「そうかもなー」
「でも、女の子らしいのとアキラちゃんらしいが全然違うなら、アキラちゃんらしいの方が大事だと思う」
──それは、男らしいという呪いに苛まれて来たイオリだからこそ、本気で口に出来る言葉なんだろう。
「……お前もな。俺はさ、イオリらしくしてるイオリ、いいなって思うよ」
ワンピースもリボンもぬいぐるみも、イオリらしいって思ってるよ。
「……」
ショキショキという音はいつの間にか途絶えていた。
微かな息遣い、イオリを泣かしたのだと分かった。悪い……もっと上手く言えたらよかった。俺は口も悪いし、言葉が下手糞だ。本当は安心して欲しかった。
「いつかさ、二人で好きな服着て東京行ってみよーぜ」
「とう、きょう」
「そ。好きな恰好でさ、好きな髪形でさ、堂々と買い物とかして歩くんだよ」
「うん……うん、約束だよ」
「絶対約束な」
ぐすぐすと小さな嗚咽が段々隠せない大泣きになって、それでもイオリはこじんまりしてて可愛かった。
男らしくない泣き方だと誰かが言っていたけれど、イオリはこれでいい。イオリらしく生きたらいいんだ。
俺だって女の子らしい生き方をしろと言われたら流血沙汰を辞さない。
最初からこうだったんだから、何があろうときっと死ぬまでこうなんだよ。
分かれよ、誰も別人としては生きてられないんだって。
「アキラちゃん……お引越ししても、お手紙書いていい?」
「俺も書くよ、年に二回くらい」
「僕、いっぱい書く……」
「待ってる」
「アキラちゃん」
「ん?」
「ずっと、お友達でいていい?」
遠くへ越して行く俺のダチは、心細さをぬいぐるみで支えたかったのかもしれない。物言わぬ友達だって、これから必要になるのではと予感がしたのかもしれない。
……そうだな、見知らぬ新たな場所が今より居心地いいかもなんて、無謀な夢は見られないよな。
「ずっと友達でいろよ、だろ?」
「うん……っ」
すっきりした首筋にぽろぽろと雨粒が落ちて行った。
***
「晶さん今日の撮影はAスタですー」
「はーいどうもー」
あれから十年ちょっと経った。まめに届いていた手紙も少しずつ減って行って、お互い年賀状のやり取りだけが細々と続いていた。
大人になれば仕事に追われて時間が溶ける。致し方あるまいよ。
今日も今日とて俺は
どうだい、今の俺の肩書きは中々イカしてるだろ。
可愛いより恰好いいが好きだ。女の子らしいより自分らしいのが好きだ。
それを貫いたらこうなってた、ありがたいことに。幸運の女神様を射止めたんだと思ってる。一生に一度のチャンスと思って死ぬ気で齧り付いてるとこ。
「人が多くて進めんね。お隣さん撮影終了かな?」
「みたいですねー。うわ流石、華やかですねゴスロリブランドのモデルさんは」
「お姫様だらけじゃん。眼福ですわー」
「あれ、晶さんああいうの守備範囲です?」
「他人が着てるの見るだけならめっちゃ楽しい」
「ああ、なんか分かりますそれ」
スタッフさんとお喋りしてたら中から一際ヘアもメイクもばっちりな人が現れた。分厚いヒールのストラップシューズを履きこなしている。
その人が出て来た途端、お姫様衣装のモデルちゃん達が一斉に挨拶した。どうやらモデルではなくブランド側の関係者だったらしい。
「どうもデザイナーさんみたいですね。凄い人気だー」
「っすねー」
足を止めている俺達に気付いて、デザイナーが振り向いた。
誰よりもめかし込んだその人は、同じ服で着飾った小さなクマをぬいぐるみバッジにしていた。
白いレースのリボン、ピンクの可愛いクマが真っ黒お目々でこちらを見ている。
「……」
じわりと涙を浮かべ、目瞬きしたらもう花が咲くみたいに笑ってたその人は、くるりと回って衣装を見せてくれる。どこからどう見ても一分の隙もなく決まってるよ。
「可愛いでしょ!」
「おう、バッチリ!」
頷いて親指を立てれば、イオリはわっと泣き出して駆け寄って来た。すぐ泣くところはあんま変わらなかったのか。よかった、お前もお前らしくいられるんだな。
「一緒に! お買い物行こおおおおおお!」
「デートの誘い方下手糞過ぎかよ。終わるまで待ってろよ」
「ハチ公くらい待つううううう!」
「本当に待ちそうで怖い」
懐かしいな親友、色々心配してたけど元気そうで何より。再会記念に美味いもん食おうぜ。あの日の俺達に祝杯だ。
──俺もお前も、胸張って生きてるじゃん。
あめふらし 波津井りく @11ecrit
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