「可愛い」は起爆剤[ノーリグレットチョイス番外編]
寺音
余計なことを言ったアイツを、俺は絶対に許さねぇ。
遥か昔から、空に浮かぶ大地が存在した「地球」。その大地に築かれた天空都市「彩雲」。
空に現れた異形により、地上との往来が絶たれてしまったこの都市で、人や物を地上へと運ぶ運び屋「
これは彼らの、ちょっとした日常の物語。
空に広がるシャボン玉のような膜。その向こうに続く
ヒダカとタイクウは、これから依頼人を地上へと運ぶため、この空へとダイブするのだ。
『準備は良いか?』
フルフェイスのヘルメットを被り、ヒダカは振り返る。背後には支度を終えた相棒と、依頼人の女性が立っていた。タンデムジャンプのため、依頼人とタイクウの体は固定されている。
『大丈夫』
『私も問題ありません』
身長差があるため、依頼人の顔とタイクウの顔が縦一列に並んでいる。ヘルメット越しに見える二人の目元は、何故かゆるんでいる。
まるで微笑ましいものでも見るように、ニコニコしているのだ。
「ヒダカ」
「ああ?」
「ごめん。やっぱり想像したら癒され」
「それ以上言ったらブン殴る」
言わせてたまるか、これ以上。
ヒダカは両目に殺意を込めて、相棒の顔を睨みつけた。
二人が今回の依頼を受けたのは一週間ほど前。最初は、何ということもない内容だった。
今回の依頼人は二十代の若い女性。健康状態も良く、危険なダイブへの覚悟も早かった。すんなり契約が進みそうだと、ヒダカは書類にサインをする彼女をのんびり眺めていたのだが。
持って下りられる荷物の説明を始めた矢先に、事件は起こった。
「あの、この子も一緒に、地上へ連れて行ってあげることはできませんか!?」
真剣な面持ちで彼女が見せた写真には、大きなくまのぬいぐるみが写っていたのである。
「どうする、ヒダカ?」
「いや、どうするもねぇだろうが。断れ」
依頼人を一旦返し、二人は応接セットの椅子に座って向かい合っていた。彼女の話によるとくまのぬいぐるみは、五十から六十センチほどだそうである。
生まれた時から一緒にいる大切な「友達」で。様々な思い出も詰まっている。
置いていくことは、どうしてもできないのだと言う。
本来依頼人に許可できる荷物は、小さなリュック一つだけだ。どう頑張っても、このぬいぐるみは入らない。
地上に向けて飛び下りるだけならまだ良いが、降下中、空に蔓延る異形と戦わなければならないのだ。
荷が増えれば、それだけ動きも制限されてしまう。リスクが増えるのだ。
「どれだけ大事だろうが、死んじまったらどうしようもねぇだろ。諦めてもらえ」
本当は、その場ではっきりと断るべきだったのだ。
ヒダカの言葉にたじろいだタイクウは、苦し気に目を伏せる。
「でもさ、ヒダカ。それで依頼人に心残りができちゃうなら、僕たちの仕事の意味がないよ。せっかく命がけで地上へ下りるのに」
「だったら、そもそも、地上に下りなきゃ良いだろ」
正論だと思ったのか、タイクウはぐっと押し黙る。そもそもダイブは、強制でもなんでもないのだから。
しかし、顔を上げたタイクウの瞳には、強い光が宿っていた。
「ヒダカ、言ってただろ? 『やらない後悔よりもやってからの後悔をしろ』って。だから、依頼人の望みはできる限り叶えてあげたいんだよ。僕自身が後悔しないためにも」
タイクウの気持ちも分かるし、以前自分が言った言葉を出されると弱い。
ヒダカは内心ため息を吐いた。
「だとしても、どうすんだ? 依頼人とそのぬいぐるみ。同時に抱えてダイブするってことか?」
ぬいぐるみの重さは分からないが、赤子くらいの大きさはある。嵩張るそれと人一人を同時に抱えて飛ぶなど、現実的ではない。
するとタイクウは目を丸くして、首を横に振った。
「え、違うよ。今回はヒダカに依頼人を任せて、僕はあの姿になってぬいぐるみを抱っこしようかと」
それなら安全に戦えるよね、と彼は無邪気に笑う。
あの姿。蝙蝠のような翼を持つ、鋼色の体をした異形。それに抱かれるくまのぬいぐるみ。
ヒダカの脳内に、とてもシュールな光景が浮かんだ。
「マジで言ってんのか!?」
「え? だって、一番現実的じゃない?」
現実的ってなんだ。いや、安全性を考慮すればそうなのか。
ヒダカは渋い顔をして額を押さえる。
その方法が一番安全ではある。だが正直言って、タイクウにあの姿で戦わせるのは最後の手段にしたい。
これは自分の意地だ。
そうなると。
「あー、やりようによっちゃぁ、なんとかなるか?」
「本当!?」
「とりあえず、そのデカイくまが入る物を確保してからだな」
「考えてくれるんだね、ありがとうヒダカ!」
タイクウはご来光のように表情を明るくし、両手を上げて喜んでいる。
デカイくせに子どもみたいだ、ヒダカは呆れた眼差しで彼を見つめた。
そして、ダイブ当日。
ヒダカはくまのぬいぐるみをリュックへ収納し、それを自分の腰に固定した。
その時、体の向きと垂直にすることで、背中の装備の邪魔にならないようにしたのである。
これならば両腕は自由に動くし、なんなら、
タイクウも依頼人も、嬉しげにそれを見つめている。
「だが本当にヤバイ時には、問答無用で切り離すからな」
「はい! 無理なお願いを聞いてくださって、本当にありがとうございました!」
依頼人は目を潤ませて、深々と頭を下げる。
その背後でタイクウが笑い声を漏らしたのを聞きつけ、ヒダカは片眉を上げた。
「なんだよ?」
「ああ、ごめんね。そのリュックに、くまのぬいぐるみが入ってるんだよね」
ヒダカの腰を指差して、タイクウがくすぐったそうに笑った。
「なんだか可愛いなと思って」
「――は?」
いや、ちょっと待て。
タイクウの言葉で、ヒダカは我に返った。
可愛い。今の自分は、大きなくまのぬいぐるみを背負っている。その状況がか。
いや、だから待て。
そもそも、一体どのタイミングで、くまのぬいぐるみを連れて行く流れになっていたのか。
俺は、今、何をやっているんだ。
「うあああああっ!!」
「ど、どうしたのヒダカ!?」
「タイクウ、てめぇ、後で覚えてろよ!」
「ええ、なんで!?」
一度気づいてしまったら、もう遅い。
顔を真っ赤に染めたヒダカは、頭を抱えてうずくまり悶絶した。
ちなみに、羞恥心と相棒への怒りを全て天空鬼へぶつけたヒダカは、正に鬼気迫る勢いであったという。
「可愛い」は起爆剤[ノーリグレットチョイス番外編] 寺音 @j-s-0730
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