棚の上のブブチ
於田縫紀
棚の上のブブチ
ブブチは今日も本棚の上で惰眠を貪っている。
最近は動いていないようだけれど、それはきっと単に動く気が無いから。
ブブチは熊のぬいぐるみ。
約二十年前に父に買って貰った時、私がそう名付けた。
テディベアなんて気取ったものじゃない。
体長40cm程度、二頭身でデフォルメしまくったデザインのクマだ。
元々は濃い焦げ茶色だった筈だが大分日に焼けて明るい色になっている。
このブブチ、生きている。
少なくとも自分の意思で動く事が可能だ。
私と、少なくとも姉はその事を知っている。
他の人には話さないけれど。
ぬいぐるみすべてが生きているなんて思っていない。
私も姉もそこまでファンタジーな世界に生きていないつもりだ。
ブブチは例外。
実際動いているとしか思えない事が多々あったから、そう思わざるを得なくなったのだ。
実際に歩いている現場を見た事は無い。
しかし目を離した隙に姿を消したり、逆にいなかった筈の場所にいきなり出現したりなんて事は結構あったのだ。
出没場所は家の中だけではない。
学校にも、学校帰りに立ち寄った公園にも出現した事がある。
ただ『怪奇! 勝手に動くぬいぐるみ!』とか、恐怖感を持った事はない。
すっとぼけた表情と存在感、出没するタイミングや場所の理由の無さ。
どうにもこいつに恐怖感なんてものは持てないのだ。
『自分が好きなように動いているだけだよね、きっと。
放っておいても害はないよね』
姉はこう言っていた。
私も同じように思っている。
◇◇◇
その後も修学旅行先の旅館に出現したり。
家から遠い大学に通う為に私が一人暮らしを始めたところ、実家から運んでもいないのに部屋の机上に移住していたり。
ブブチにとって私はきっとちょうどいい寄生先。
理由は動いても全く気にしないし、場合によっては回収してくれるから。
私に関する感情はそれ以上ではないと思う。
何というのか、微妙に素っ気ないというか、私自身には興味が無いように感じるし。
きっとブブチは他人を気にせず我が道を行くタイプなのだ。
そんな風に私は感じている。
そんなブブチだが、一度だけ私を助けてくれた事がある。
大学時代のある夜のこと。
熟睡していた私の顔に何かが触れた。
何だいったい。
私は目を覚まして、顔に触れていたものを手に取る。
ブブチだった。
私の顔の上になかばかかるように乗っかっている。
ベッドから離れたパソコン机の上にいた筈なのに、何故此処に。
移動に失敗して私の顔の上に落ちてきたのだろうか。
「もう、何だかなあ」
おかげで目が覚めてしまった。
眠いのに眠れない。
トイレにでも行ってこようと起き上がり、ベッドの横に立ち上がった時だった。
ぐらぐらぐらぐらっ!
何だ地震だ! 大きい!
そう思った次の瞬間。
ドスドスドス! バサバサバサバサ! ドサッ!
本棚が倒れてきたのだ。
ベッドの上、さっき私が寝ていた位置へと。
私は寝る前に本を読む習慣がある。
だから本棚をベッド横に置いて、すぐ本を出せるようにしていた。
その本棚が倒れてしまった訳だ。
悪いことに大学の授業で使う分厚い専門書を割と上の棚に置いていた。
ベッドで寝た姿勢で取れる下の方の棚は、小説や雑誌、マンガ用にしていたから。
結果、重心が上にあった本棚がベッドの上へ倒れ、重い専門書がマット上へ絨毯爆撃。
もしブブチのせいで起きなかったら、それなりに痛い目にあっていただろう。
下手すれば頭に重い専門書が当たってこの世とさよならしていたかもしれない。
そうならなかったのは間違いなくブブチのおかげだ。
ただ言っておくけれど、ブブチが私の守護神だとかそういう事では無い。
助けたのは私がいなくなると手頃で便利な寄生先が無くなるから。
きっとそんな感じ。
その後、大学を卒業して別のアパートへ引っ越した時も、結婚して引っ越した時も奴はついてきた。
私と暮らして二十年ちょい、今現在も本棚の上に居座っている。
ところで何故現在、ブブチが本棚の上、私が背伸びをしても手がとどきにくい場所にいるのか。
理由はわかっている。
ブブチにとっての危険を避ける為だ。
今の我が家には暴君がいる。
和樹、御年4歳の長男様だ。
彼に捕まるとぬいぐるみはボロボロになる。
既に十数体のぬいぐるみが再起不能となった事で実証済みだ。
ブブチはきっとそれを恐れているのだろう。
以前はパソコン机とかもっと動きやすい場所にいた。
しかし八ヶ月過ぎて長男が動くようになって以来、本棚の上から動かない。
そのうち長男の和樹がおとなしくなったら、奴も本棚から降りてくるのだろうか。
そして和樹もブブチが動き回ることを知るのだろうか。
和樹の行先に時々出現しては驚かせたりするのだろうか。
ブブチはそんな私の思いを全く気にする様子を見せず、今日も本棚の上で惰眠を貪っている。
棚の上のブブチ 於田縫紀 @otanuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます