ひなぐるみ

杜侍音

ひなぐるみ


 3月3日、ひなまつり。

 女の子の健やかな成長を祈る、女の子にとってとても大切な節句祭り。

 中でも一際輝き、女の子たちの憧れでもあったのがひな人形である。


 ……子供の頃、私はとても貧乏だった。

 両親が物心つく前に離婚してからは、母と二人きりで小さなアパートに暮らしていた。

 元々、母は元父との結婚に親戚中から反対されていた。それを押し切って、着の身着のまま家を飛び出しのだ。

 そのため「離婚したから」と、おいそれと実家に戻るようなことはできなかった。


 私はこの時期になると、街中に飾られるひな人形の前で立ち止まってずっと見ていた。

 ある時は、クラスメイトの家のものが見たくて頼み込んだりしたこともあったけど、貧乏臭いことを理由にハブられていた私はそれが叶うことはなかった。


 一セットで10万円近くもするひな人形。母にお願いすることも憚るし、そもそもちらし寿司すら出ない家庭には、遠い存在のものだった。

 私はあのキラキラ輝くひな人形に、人一倍憧れを持っていたと思う。

 ひな人形がたくさんの人たちに囲まれているのを、母しかいなかった私にはすごく羨ましく見えた。

 それにきっと──


雛菜ひな。これ、お誕生日プレゼント」


 私が3月3日生まれの雛菜という名前なことも大きく影響していると思う。

 由来はもちろん、ひな祭り。

 親近感というか何というか、単純な理由だったけれども、子供にとってはそれで十分だった。


「これ、何?」


 母から渡されたのは、おそらくティッシュか何かを布で覆って縫われた二つのぬいぐるみ。

 全体がおおよそ三角形の男の子と女の子が、それぞれ子供の片手に収まるくらい小さいかった。


「ひな人形よ。といっても、形が歪んでるけどね……ごめんね。これくらいしかできなくて」


 少し不細工なひな人形。きっと不器用な母が夜なべして手作りしてくれたもの。いくつもの傷と絆創膏が貼ってある手を隠すのを、私は見逃さなかった。


「お母さん、ありがとう!」

「喜んでくれてよかった。いつかちゃんとしたひな人形買ってあげるからね」

「……ううん。これがいい。ひなのひな人形はこれだけだもん」

「そっか。……じゃあ、これは雛菜だけの〝ひなぐるみ〟だね」

「うん!」


 私はひな祭りの時期が過ぎても、ずっとランドセルに付けていた。

 ボロボロになったら母がまた手直ししてくれて──私が19になる年。母が亡くなるその日まで、私はどこに行く時もずっと持ち歩いていた。

 けれど、これを見れば母との思い出がよぎって泣いてしまうから、大人になったのをキッカケにして、箱にしまって別れを告げた。






「──おかあさん、これなにー?」


 あれから何年の月日が経っただろうか。

 私は就職先で出会った三つ上の先輩と結婚し、妊娠を機に会社を退職して、一人の娘を授かった。

 今は新年度から転勤する夫に合わせて、引越し先の家で荷解きをしている最中だった。


「これは……お母さんのとても大切なものよ」


 娘が開けた箱の中から、少し埃を被ったぬいぐるみ。

 今の娘と同じ年に貰った〝ひなぐるみ〟だ。


「かわいいね、これ!」

「でしょ? お雛様のぬいぐるみなの」

「わぁ……! ほしい!」

「いいわよ。綺麗にしてからね」

「うん! ねぇねぇ、他には⁉︎」


 官女に五人囃子。

 この内裏雛だいりびなの一対だけでなく、ひな人形にはたくさんの人たちが飾られている。


「それは、おとうさんとおかあさんみたいだから、やっぱりおとうさんとおかあさんにあげる! だから、わたしもわたしみたいなひな人形がほしい!」

「そうね……じゃあ、片付けが終わったら、お母さんと一緒に悠姫ゆうひの分と、お友達もたくさん作ろっか」

「うん!」


 娘の悠姫は満面の笑みで返事してから、オリジナルのひな人形の歌を歌いながら、片付けを再開した。

 ──今の私はとても周りに恵まれている。

 そして、私にも大切な家族を持つことができた。

 それはきっと、母が作ってくれたこの〝ひなぐるみ〟が私のことを見守ってくれたからだと思う。

 なのに、ずっと暗いところに閉じ込めてごめんね。これからは悠姫のことを見守ってあげてほしい。


 ──ううん。言う言葉はこれじゃないか。


 ありがとう。お母さん。

 私も悠姫のこれからを見守り続けていくね。


 私も、お母さんになったよ。

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ひなぐるみ 杜侍音 @nekousagi

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