『異世界本堂』

龍宝

『異世界本堂』




 閑古鳥が鳴いてら。

 人通りのまばらな商店街。その一角にある古ぼけた本屋の前で原付バイクを止めて、少女――月瀬梅名は思わずそうこぼした。

 唸りを上げるエンジンを切る。

 ヘルメットを脱いだ拍子に、癖のある茶髪がセーラー服の首筋で揺れた。

「……ちゃんと営業してんのかな?」

 跨っていた車体から降り立って、色あせた本の積み上げられた店を見遣る。

 シャッターこそ閉まっていないが、古書店というものにはとんと縁がない梅名には、果たしてこれが正常な営業状態なのかの判断がつかなかった。

 いつまでも迷っていてもしようがない。

 どうせ、引き返したところで自分には他に当てもないのだ。

 腹を括って、『異世界本堂』と看板の掛かった玄関をくぐる。

 埃っぽい空気。

 ぎっしりと古本の詰まった本棚の間を縫うようにして、狭い通路がかろうじて店の奥へと続いている。

 見渡すついでに、自分の目線の高さにあった文庫本の表題を眺める。

 小難しい漢字の羅列と、聞き覚えのないカタカナ過多なそれらに肩を竦めて、梅名はすぐに興味を失って眼を逸らした。

 読書感想文のネタを探しに来たわけでもない。

 さらに足を進めて、店員の姿を探す。

 ところが――あるいは、案の定というべきか――奥まで突き当たっても、店員どころか客の姿もない。

 参ったね、と梅名は頭を掻いた。

 行き止まりの向こうは一段高い畳敷きで、今は障子が閉められているものの、近所の駄菓子屋と同じように店主の生活空間に続いているのだろう、とは思う。

 番台に姿はなくとも、店が開いている以上は誰かしらが残ってはいるはず。

 大声を上げるか、ひと思いに障子を開け放ってみるか。

 両方でいこう。

 意を決して腕を伸ばした梅名の眼の前で、いきなり障子が全開された。

「――おぉッ⁉」

「えっ⁉ ちょっ、なんで――」

 開けると同時に飛び出してきた女の子を、とっさに受け止めた。

 衝撃を予想して脚を踏ん張ってみたが、意外なほど軽い。

「よいしょっと。大丈夫か?」

「あ、うん……ありがと――じゃないや。ごめん」

 黒髪を後ろで短く括った少女が、ばつが悪そうにこちらを見上げる。

 抱き上げるような形になったので、相手の足が浮いていた。

 梅名はそれほど背丈のある方ではないが、とはいえ平均程度はある。

 身長差と見た目の感じを考えれば、少女の年の頃は自分よりも四つか五つほど下だろう。

 ……高学年の小学生は、むしろ幼女と呼ぶべきか。

 梅名がどうでもいいことを考えている間に、奥の方から別の気配がやってきた。

「メアちゃんー! お財布! わっすれってる! よォ……⁉」

「あ、メル」

 腕の中で首だけ振り返った幼女――多分、メアという名の――とよく似た顔付きのこれまた幼女――そしてこっちがメルか?――が、財布を片手に立ち止まる。

 何故か驚愕といった面持ちで固まってしまったメルに首を傾げつつ、そういえばメアを抱いたままだったと思い至った。

「悪い。下ろすぞ」

「うん。こっちこそ」

 気にするな、と小柄な身体を座敷の方へ座らせる。

 おそらくメアが着地&装着しようとしていたであろうサンダルも、一応は足元に転がっていたのだが、さすがにその上に落とすわけにもいかないだろう、と思ったのだ。

「め、メアちゃん……」

「メル。店長さん呼んできて。お客さんだよ」

 ようやく硬直が解けたメルが、ふらふらっと奥の方へ後退り、大声で叫んだ。

「て、店長ーー‼ メアちゃんが、メアちゃんがお客さんと抱き合って、昼間から堂々と大人の階段を駆け上ろうとしてたーー⁉ しかも、バレたのにめっちゃ開き直ってるーー‼」

「あほかああああああああああ⁉」

 盛大な勘違いを報告しに駆け出していったメルを、慌ててメアが追っていった。

 そして結局、梅名は座敷に上がるに上がれず、しばし待ちぼうけを食うのである。




「いやァ、お待たせしましたです。どうも、すみません」

 十分ほどでやってきたのは、前髪で眼元が見えない、うさんくさい雰囲気の少女だった。

「ワタシが、店長の猪鹿てふ子でっす。こっちのふたりが、看板娘の馬礼屋メル、メア」

 和装の袖ですっぽりと隠されて余りある手先で、てふ子とやらが傍らに胡坐をかいた不満顔のメアを指す。

 顔を真っ赤にしたメルの持って来てくれたお茶を含みながら、梅名は半眼で三人を見遣っていた。

「今日は、何をお探しでしょう?」

「……あァ、ちょいと、うわさを耳にしたもんでね。この店の、名前に関係があるやつさ」

 へらへら、っとお茶菓子を爪楊枝ですくい上げていたてふ子が、はっきりと雰囲気を変えた。

 これは、当たりを引いたのか。

 まさか、と思いながらも、梅名は逸る心を押し殺して続けた。

「なんでも、開いて読んだら異世界に行けちまう、なんて本を扱ってる古書店があるって話だ。実際のとこ、どうなのかね」

「そりゃあ、なんともファンタジーな話ですねえ。お客さんは、そういうのに関心が?」

「月瀬梅名だ。あたしは、少し前までそうでもなかったんだが」

 湯呑みを置いて、梅名は学生鞄に手を突っ込んだ。

「これは?」

「あたしの幼馴染が、バイクで事故った。――ってことになってる、現場の写真だ」

 ちゃぶ台の上に滑らせた写真を、てふ子たちが覗き込む。

「なってる、とは?」

「あたしは、信じちゃいない。あいつのことはよく知ってるし、何より……」

 梅名は新聞記事の切り抜きを何枚も天板に並べていく。

「妙なんだ。ありえそうもないことが、うちの市内だけで何件も起きてる。――こいつらの共通点は、事故った本人の屍体が、どこにも見つからないってこと。これだけあって、服の切れ端すら」

「……ファンタジーというより、オカルトチックな話じゃないですか?」

「これだけ不自然なのに、全然騒がれちゃいない。それこそ、不自然なくらいに。時々、おかしいんじゃないかって声を上げてる連中がネットで話題にしてたのが、〝神隠し〟ときたもんだ。参っちまうよ」

 前髪をくしゃりと掴み、ややあってから梅名はてふ子の眼を見据えた。

 幼馴染を探すため、あれから何日も駆け回り、そして何徹目かの頭脳で梅名が導き出した答えは、ひとつだ。

「あたしの連れは、異世界に連れてかれちまった。そうとしか思えない」

 世迷い言を言っている、というのは分かっていた。

 だが、同時に確信に近いものもある。

 さんざに考え抜いた結果の推測を、てふ子たちは言い出した本人であるこちらがぞっとするほど、真剣な表情で受け止めてくれている。

「だから、月瀬さんも異世界まで?」

「あァ。どこへなり行って、連れ戻してやろうってな」

「なるほど。……分かりました! あなたに誂え向きな一冊を、ご紹介させて頂きます」

 声色を明るくしたてふ子の合図で、メアが立ち上がって本棚へ向こう。

「ワタシら、本屋稼業は仮の姿。本業は、あちらからこちらへ。こちらからあちらへ。世界と世界の橋渡し。異世界転移・転生の『異世界本堂』へは、最寄りの千本町駅からお越しください。――これ、うちのうたい文句です」

 ぱちぱち、と拍手するメルに、ドヤ顔のてふ子。

 勢いに圧倒された梅名は、とりあえず頷いておいた。

「それで、月瀬さん。実は異世界に行く前に、ちょーっと相談があるんですけどね?」

 戻ってきたメアからハードカバーの本を受け取って、てふ子が露骨に猫なで声を出す。

 ちゃっかりどこかから持ってきたメルの差し出した用紙に視線を落として、対照的に梅名はうめき声を上げた。

「料金表? 往復の本代だけってわけにゃいかないのか?」

「もちろん、基本的には一冊分のお値段でやらせてもらってますよぉ。いわゆる、オプション料金ですぅ」

 貧乏学生の梅名が、そうそう大金を持っているはずもない。

 原付の免許だって、バイト漬けでどうにか捻出したのに。

「なにしろ、こっちの常識がまるで通じない世界ですからねえ。何があっても不思議じゃない。もちろん、バイクの運転にしろ、バンジージャンプの同意にしろ、危険は付き物なんですけどね。それにしたって、備えておくに越したことはない。そうでしょう?」

 うさんくさいが、言っていることは正論だ。

 まして、今から行くところについて詳しいのがどちらかは、考えるまでもない。

「分かったよ、上等だ。これから地獄に行こうってのに、六文銭をケチるやつはいねえさ」

「言い得て妙ですねえ。もっとも、月瀬さんが行かれるのは、地獄なんかがお遊戯会の会場に思えるくらい、酷い世界かもしれませんよぉ?」

 脅かすように、てふ子が低い声で言った。

「でも安心です! 『異世界本堂』肝いりの、安全安心プランがたっくさんありますぅ! これなんかどうです⁉ 最初から最強のアイテムが三つまで用意されてるプランで、一回死んでもなかったことにできたり――――――」

 テンションの上がったてふ子に促されるまま、梅名は至れり尽くせりで契約を交わし異郷へと旅立った。

 分割払いで。




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『異世界本堂』 龍宝 @longbao

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