本屋の副業

本屋の副業

 その日の夜俺は、自分の部屋の机の前でパソコンに向かっていた。きっかけは何て事はない。テレビでやっていたのだ。あるサイトで質問を書き込むと、それに対してAIが返事を表示する。

 俺はもう何度も繰り返していた。俺の出すいろいろな質問に、AIは見事に答えてくれていた。

「ハハハ…魔法みたいだな。」

 素直な感想だった。

「――」

 それはちょっとした好奇心だった。

 カチッ。

 画面の別ウインドウを表示する。それは極一般的なニュースサイトだった。

 カチッ。

 トップニュースをクリックすると、その詳細記事が表示された。

『連続殺人鬼「狂道化師マッド・ピエロ」。未だ見つからず。』

 それは今世間を騒がせている、狂道化師と呼ばれる、連続殺人鬼のニュースだった。殺人現場に、片眼を大きく開けた、血の涙を流す道化師の人形が置かれているので、いつしかその連続殺人鬼は、そう呼ばれるようになっていたのだ。

 カチッ。

 先刻さっきのウインドウを再表示する。そして質問欄に先程思い付いた質問を打ち込む。

[狂道化師の正体とは?]

「……」

 俺は画面を見つめてニヤリと笑った。もちろん特定の名前が出て来るなんてことは思っちゃいない。でもこの魔法みたいなAIが、何と返事を返して来るのかに、酷く興味をそそられた。

 そしてマウスを握る指に力を込めようとしたその瞬間だった。

「?」

“…何か画面が明るくなってきたような……?”

「⁉」

 画面は突然スパークした。視界は白一色に一度支配され、そしてやがてゆっくりと色を取り戻していった。

「……」

 そこは、日の当たらない、薄暗い、狭い路地裏の行き止まりだった。

「え?」

 自然と言葉が漏れる。

 上を見上げると、狭い壁と壁の隙間に、青い空が垣間見えた。俺は次にゆっくり後ろを振り向くと、その先の明るい方へと恐る恐る歩を進めていった。

「……」

 路地裏を抜けると、そこは日に照らされた、明るく広い通りになっていて、たくさんの人間が往来していた。

 ただ、――

「…ええ、と…異世、界…転、移……?」


 俺がいたのは、古いヨーロッパを思わせる街並みの…ゲームや漫画でよく見る、あの異世界が、…あった――

「……マジか……」

 しばらく混乱し、呆然とした後、ゆっくりと通りを眺めた。行き交う人々の姿も、よく見るあれだ。

「⁉」

 よく見ればその中には亜人種が混ざっている。

 やはり、ここは異世界らしい。

「……」

 しばらくは茫然としていたが、少し考える余裕が出て来ると、行き交う人々の会話を盗み聞きし、言語は聞き取れると理解した。次に通りに立ち並ぶ店に吊るされた看板を見た。何か文字が書かれているのはわかったが、残念ながら何が書かれているのかはまるでわからなかった。しかし看板には文字らしきモノの他に、絵とも記号とも取れるモノが描かれており、そこがどのような店なのかは何となく想像が出来た。

「もしや、何かお困りで御座いますか?」

「!」

 突然声をかけられ、俺は驚いてそちらを振り向いた。そこには白と黒の、きっちりとしたスーツに赤い蝶ネクタイを締めた年配の男が立っていた。両手には白い手袋をはめている。その後ろには店の入り口があり、吊るされた看板には、文字らしきモノと、本が描かれていた。

 俺が目を合わせると、男は恭しく大仰に礼をした。

「よろしかったら如何で御座いますか?何かお困り事の解決のヒントが見つかるかもしれませんよ。」

 男はそう言って、店の入り口のドアを開け、店内に入るように俺を促した。

「さあ。」

 俺が中へ入るか迷っていると、男はそう言って、再度俺を促した。

 俺は覚悟を決めると、店内へと足を踏み入れた。

“男が言うように、ここが本屋ならば、何かこの状況を打破するようなヒントが見つかるかもしれない。”

 俺が中へ入ると、男も店内に入り、入り口のドアを閉めた。俺は店の中央で、店内を見渡した。壁に沿ってそれほど高くない棚が置かれており、その中には所々に隙間を作って本が並んでいた。お世辞にも品揃えが良さそうとは言えなかった。店もそれほど広くない。そして正面には、店の大きさとは不釣り合いな、大きな机がデンと鎮座していた。奥側に赤く、豪奢な椅子があり、座席がこちらを向いている。おそらくは店主が座るためのモノだろう。手前側には、豪奢ではないが、趣の違った、それでいて雰囲気を壊さない、おそらくは客用の、品の良い椅子が一脚置かれてあった。

 ツカツカと男は俺の脇をすり抜けて机の向こう側へ立つと、こちらを向いてこう言った。

わたくしはこの本屋のあるじ、スタンと申します。」

 そしてまた大仰に一礼した。そして俺の返事を待つように、ジッとこちらを軽い笑みを浮かべて見ていた。

「…俺は、軽部忠司。」

 俺が名乗ると、店主スタンはニッコリと微笑んだ。そして優雅に椅子に座り、俺にも椅子へ座るよう促してきた。俺は素直に従い、手前の椅子にスタンに向かい合うように座った。

「さて、それで何をお困りで御座いましょうか?」

「ああ、いや、…ええ、と……」

「?」

 俺は座ったまま、再度店内を見渡した。背表紙を確認するが、やはりどの文字も読めなかった。

「実は、文字が読めなくて……」

「おお、これは大変失礼致しました。」

 スタンは大袈裟に驚いた後、やはり大仰に座ったまま頭を下げた。しかし顔を上げたスタンは笑みを浮かべており、胸ポケットから1つの鍵を取り出すと、机の引き出しをその鍵で開け、中から一冊の本を取り出して、机の上に置いた。黒く、少し厚めで、表紙にも背表紙にも、何の文字もなく、全くの無地だった。

「お詫びと言っては何で御座いますが、これはサービスで御座います。何なりと御質問下さい。大抵の事は御返事させて頂きます。」

 何だかよくわからないが、そう言われて俺は更に困った。質問をと言われても、俺にはその質問とやらが、思い浮かばないからだ。先刻は打破なんて思っていたが、実は自分がどうしたいのかすらわかっていなかった。

 俺が言葉に詰まっていると、スタンはニッコリ微笑んで、こう言った。

「それではまず手始めに、カルベタダシ様の事を少々。」

 そしてスタンは本に左手をかざし、右手は中指と人差し指を立てて、そっと口元に持って行った。

「――」

「?」

 何と言ったのか、俺には聞き取ることが出来なかった。しかし次の瞬間。

「⁉」

 本が勢いよく開いた。開いたページには何も書かれていない。全くの白紙だった。しかししばらくすると、その白いページに文字らしきモノが浮かび上がってきた。さらにその一部が金色に光り出す。

「!」

 その浮かび上がった文字を読んで、スタンが大袈裟に驚いて俺を見た。そして呟く。

「何と、異世界、転移と……」

「⁉」

 今度はこっちが驚く番だった。

「ど、どうしてその事を⁉」

 思わずこぼれた言葉に、スタンは右手を額に当てて天を仰いだ。何をやるにもどこか大袈裟な男だった。

「…まさか、魔法⁉」

 俺の言葉に、スタンは俯いて首を横に振った。

「失礼致しました。今のは魔法では御座いません。この本は私所有の魔道具で、文字の精霊、リーボの言葉を移し出すモノで御座います。私は精霊使いでもあるのです。」

「精霊使い。…リーボ?」

「文字の精霊リーボは、文字や言葉、またはその文字や言葉の主に宿っている精霊で御座います。私は今、軽部忠司様についてリーボに訊ね、リーボがこの本を使って返事をしてくれたので御座います。」

“文字や言葉に…あ、そう言えば路地裏から出る時、異世界転移って漏らしたっけ。…あの言葉を精霊リーボが聞いていて、本でそれを……?”

 俺は説明を聞いて、そう考えた後、先刻のAIのサイトを思い浮かべた。

「リーボは言霊。…本はAIサイトのようなモノか?」

「コトダマ…エーアイサイト?――」

 スタンはまた左手を本にかざし、右手を口元に持っていき、何事かを唱えた。先刻と同じように本に文字が浮かび上がった。

「言霊で御座いますか。言い得て妙で御座いますね。リーボは書かれた文字や発せられた言葉だけではなく、それに込められた思いのようなモノも読み取りますから。先程の言霊やAIサイトといった言葉につきましても、軽部忠司様の先程の御言葉から、リーボがその意味を読み取り、私のわかる言葉に変換したワケで御座います。ただ、AIサイトとやらについては、私が理解するには少し難しいようで御座いますね。」

 スタンは最初は笑みを浮かべていたのに、最後は眉根を寄せて、困った表情をしていた。

 そんな時だった。

「スタン!スタンはいるか!」

 そう声を荒げながら一人の筋肉質の大男が、縄で縛りつけた、もう一人の男を連れて、勢いよく店の中へ入って来た。


「これはこれはラース様。今日はどういった御用件で御座いましょう?」

 スタンは声を荒げていた男に笑みを浮かべてそう訊ねた。

「おう、スタン!またあれを頼みたいんだが、…!」

 そこまで言って、ラースと呼ばれた男は初めて俺に気付いたようだった。

「すまん。来客中だったか?」

 ラースが申し訳なさそうにスタンに謝り、俺の方にも目を向けた。

「ああ、とりあえず俺は後で構わないんで、お先にどうぞ。」

 俺がそう言うと、ラースは屈託のない笑みを浮かべてこう言った。

「そうか。じゃあお言葉に甘えて。」

 そしてまたスタンに向き合った。俺は席を立ち、部屋の隅に移った。

 ラースは縛った男を机の前に跪かせると、スタンにこう言った。

「実は昨日の夜、宝石店に強盗が入ってな。店主も殺されちまって……それで聞き込みをしたら、こいつが怪しいってんでふん縛ったんだが、この野郎とぼけやがって、自分の名前すら言わねえんだ!」

「成程。それで私に名前諸々、真実を見極めて欲しいと、こういうワケで御座いますね。」

「ガハハ、さすが話が速い。」

 ラースはそう言ってニンマリと笑った。どこか憎めない男だ。

「承知致しました。先客がいらっしゃいますので、早速に。」

 スタンはそう言って、また本に右手をかざした。

「――」

「⁉」

 縛られた男がその後の現象に驚いていた。先刻見た俺はもちろん、ラースも驚いた様子はなかった。ラースについては、それどころか腕を組んでニヤニヤしていた。

 スタンは本を読んだ後、縛られた男に意味ありげに笑みを向けてから話し始めた。

「さてギリル様。」

「⁉」

 いきなり名前を言い当てられて、ギリルという男が更に驚いた。

「貴殿は盗賊を生業としているようで御座いますね。昨晩は大きな取引があって、店に多額の金貨があることを知っていた。」

「……」

 ギリルは冷や汗を掻き始めていた。スタンは本に視線を戻し、さらに読み進めた。そしてまたギリルに向き直ると、こう話を続ける。

「成程。宝石店の店員の一人が、貴殿のお仲間なので御座いますね。」

 ギリルが目を見開いた。スタンは本を読みながらさらに話を続ける。

「シャーナ様。女性で御座いますね。…!これは非道い。シャーナ様も既に……」

 スタンはまた大袈裟にかぶりを振って見せた。

「何だとっ!」

 これにはラースが怒ってギリルの胸ぐらを掴んだ。ギリルは目を逸らすが、冷汗は尋常じゃない量となり、ギリルはブルブルと震え出していた。

 スタンはその後も身振り手振りも加えて話を続け、事件の詳細を全て明らかにして見せた。そしてシャーナの遺体がある場所をラースに伝える。

「すまん。代金はまた後で持ってくる!」

 ラースはそう言うと、ギリルを連れて店を出て行った。

 スタンは二人を見送ると、俺に視線を向けて、再度椅子に座るよう、俺を促した。

「さて、長らくお待たせしてしまい申し訳御座いません。」

「いや、良いんだ。」

 俺はそう言いながら椅子に座り直した。

「――」

 スタンはまた何事かを唱えた。おそらくは俺の事を再度リーボに聞き直しているのだろう。文字が浮かび上がり、スタンがそれを読み進めていった。一瞬ピクリとスタンの眉が動いたように見えた。

「?」

 しばらくすると、スタンは顔を上げ、俺にニッコリと笑みを見せた。

「成程。殺人鬼の正体を調べようとしたら、光に包まれて、ここへ転移したので御座いますね。私と会う少し前で御座いますか。」

「ああ。」

 スタンは目を閉じ、腕を組み、悲嘆にくれたように天を仰いだ。そしてしばらく後に、自信はありませんがという表情で、こう言ってきた。

「軽部忠司様はこう仰いました。この本はAIサイトのようなモノかと。」

 確かに俺はそう言った。

「それでは、この本を発動させて、同じ状況を再現してみれば、元の世界へ戻れるのではないでしょうか?」

「!」

 俺はまず、自分が何をしたいのかもよくわかっていなかったのに、元の世界へ帰りたがっているという事を読み取ったことに驚いた。言われてみれば自分でも納得がいった。俺は元の世界に戻りたいと思っている。そしてスタンはその解決方法まで提案してくれた。

“一理あるかもしれない!”

 そしてその解決方法にも納得がいった。試す価値はあるかもしれない。

「一度お試しになりますか?」

 スタンの言葉に、俺は素直に頷いた。

「ああ。頼む。」

 ただそう答えながらも、少しこちらの世界にも居たいなという思いがあったが、俺はその思いを心の隅に追いやり、スタンにそう頼んだ。

「では、手を本に。」

 スタンの言葉で、俺は本に手をかざした。スタンも同様に左手をかざし、本を発動させる。

「――」

「!」

 本から、光がスパークした。一瞬、スタンがこちらを見て、意味ありげに笑みを浮かべたように見えた。そしてこちらへ転移した時と同様に、視界が白一色に一度支配されて、その後ゆっくりと色を取り戻していった。


 俺は自分の部屋の机の前に座っていた。目の前のパソコンの画面には、転移する前のAIサイトが表示されており、質問欄にはこう記されていた。

[狂道化師の正体とは?]

 転移前と同じ画面だった。

「…戻っ、た……?」

 俺は部屋をゆっくりと見渡し、満面の笑みで両拳を握った。

「よっしゃ‼」

 しばらく喜びに浸っていたが、やはりもったいなかったかなという思いが沸き上がってきた。

「……」

 しばらく目を閉じて、異世界での事を思い返していた。

「⁉」

 そしてハッとなった。言霊やAIサイトについては、最初意味がわからず、スタンはリーボに聞いていた。しかし、異世界転移については、最初からわかっているようだった。それは異世界転移という言葉も現象も知っていたということではないのか。

“もしかしたら、以前にも異世界転移した者がいたのか?スタンはそれに関わっていた?”

「……」

 異世界転移する前の自分の言葉を思い出した。

“魔法みたいだな。”

 そして、スタンが本を使った時の自分の言葉も思い出した。

“まさか、魔法⁉”

「!」

“異世界転移したのはこちらの世界の者か?それとも向こうの…”

 俺は自分の体験から、こちらの世界から向こうの世界へ転移する事をイメージしていたが、ふと逆の場合も考えられると気付いた。

 俺はパソコンの画面に目をやった。

「……」

“もしも向こうの者がこちらへ転移したんだとしたら、そしてスタンと同様に、精霊使いで、リーボを操れるとしたら…”

 俺はパソコンの画面に表示されたサイトを見て、もう一度異世界転移する前の自分の言葉を思い出した。

 ”魔法みたいだな。”

「……」

 ”……いやいやいや。”

 俺は頭を振った。

“いや、ないないない。例えそうだとしてもこちらはこちらの世界だ。精霊なんてものはそもそも存在しないはず……”

 そう一度は考えるが、疑問は頭を離れない。

 ”…本当にそうか?”

「!」

 その時俺はスタンのある言葉を思い出した。

“殺人鬼の正体を調べようとしたら、”

 スタンはそう言っていた。しかし殺人鬼の正体を調べようとしていたのはこちらでの話だ。向こうの世界でその事を話した記憶もない。

“じゃあ、スタンは何で知っていたんだ?…!まさか!…いや、…”

 そこまで考え、俺は心を落ち着ける。そして、まさかの場合の続きの考えを張り巡らせる。

 ”…こちらにも精霊が存在するのなら、向こうの者がこちらへ転移したのだとすれば……”

 俺はそこまで考えて、もう一度パソコンの画面に注意を向けた。

 ”……このAIサイトは、本当にAIか?”

 そう考えてから、俺はこちらへ戻る前のスタンの意味ありげな笑みを思い出していた。少し前に、俺はあの笑みを見ていた。あれは、…あれはギリルに向けていたのと同じ笑みだった。

“…いや、そんなはずはない。あのことは誰も知らないはずだ。バレてるはずがない!”

 俺は、恐る恐る後ろを振り返った。そこには複数の道化師の人形が置いてあった。皆片眼を大きく開け、血の涙を流している。

 俺は目を見開き、ブルブルと震え出しながら、冷汗をたっぷりと掻いていた。これもあの時のギリルと一緒だ。

 俺はパソコンの画面に向き直り、質問欄をもう一度読んだ。

[狂道化師の正体とは?]

「……」

 俺は震える手で、ゆっくりとマウスをクリックした。

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