魔法使いの弟子とゾンビ

葛瀬 秋奈

第1話

 突然だが、大勢の敵が迫ってきた際にあなたならどうするだろうか?


 戦うか、逃げるか。どんな行動を取るにせよ、だいたいこの二択のいずれかに分類されるだろう。私の場合は後者だった。つまり逃げ出した。それはもう脱兎のごとく。


 師匠が注文した魔導書を取りにわざわざ二駅先の本屋までお使いに出たところ、駅構内にゾンビが溢れかえり帰る手段を失った。実際にはバス停がまだ機能していたのだが、普段バスを利用しないためその選択肢は頭から抜け落ちていた。


 ゾンビが湧いてきたこと自体にはさして驚きはなかった。このあたりではよく闇魔法結社の連中が怪しい宗教勧誘のようなことをしているので、さもありなんという感じだ。


 ただ残念なことに、私は戦う手段を持っていなかった。魔法使いといえどもまだ見習いの自分では、指先に火を灯したりコップ1杯の水を凍らせるぐらいしかできない。そもそもゾンビ化しているとはいえ彼らの大半はたぶん民間人で、私は師匠から民間人に対して魔法を使わないよう厳命されている。だからゾンビの集団を前にして逃げるしかなかった。


 逃げるしかなかった。そこまではいいだろう。だがその後がよくなかった。いくら本屋に向かうところだったからといってゾンビから逃げる先として本屋を選ぶというのは冷静に考えてどうかと思う。


 いやまあゾンビの生態とかよく知らないし、食料品の店は真っ先に襲われた可能性もあるのかもしれないけど、こんな窓もない店では追い込まれたらアウトではないか。いや厳密に言うと窓は本を守るために開かないようになっているだけなのか。地下の漫画コーナーだったら危なかった。


 とはいえさすがに地域最大級を誇るK沢書店の本店。建物の高さがかなりある。5階ぐらいまである。そして1階の店員さんたちは客である私たちを上階に逃がすべく、入り口で時間稼ぎをしてくれた。


「我々が食い止めている間に、早く!」


 エレベーターの扉が閉まる間際に見えたのは、掃除用具を手に戦う勇敢な店員さんがゾンビの波に呑まれゆく姿だった。売り物の本は絶対に武器にしないあたりが書店員らしいというかなんというか。


 エレベーターは5階で停止して我々を降ろした後、そのまま動かなくなった。誰かが電源を落としたらしい。これでもうここで籠城するしかなくなったが、ゾンビは陽光に弱いと聞く。朝まで頑張ればなんとかなるだろう。


 …………いや、ちょっと待て。


 現在時刻は午後6時。この時期の日の出はだいたい午前6時頃。水も食糧もない専門書のコーナーで、つまり飲まず食わずで12時間。耐えられるだろうか。無理では?


 それでもなんとかならないかと、売り場で役に立ちそうな本を探した。サバイバル本は火を使えないような場所ではあまり役に立ちそうもなかった。一応トイレは各階にあるので手洗い場の水を飲用に使うこともできなくはないだろう。まあ、最後の手段だ。


 ゾンビの生態図鑑などがあればよかったがさすがになさそうだった。魔導書も取り扱っているならそれぐらいあってもよさそうなのに。


「つい先日まで『よくわかるゾンビ入門』という本を置いてたんですが、禁書指定を食らってしまって……もうないですねえ」


 店員さんが間延びした声でそう言った。まあ反魂術や躁霊術系の魔法は法律で禁止されてることが多いし、創作じゃないゾンビ本が規制されるのもしかたないのかもしれないが、そういった情報は探し始める前に教えてほしかった。


「仕方ない……か。ちょっと下まで行って罠をしかけてきます。何もしないよりはマシですから」


 私は覚悟を決めて店員さんに声をかけた。


「えっ、危険ですよ?」

「実は私、こう見えて魔法使い見習いなんですよ。このゾンビ化は魔法によるもの。魔法界の問題なら魔法使いには責任の一端があります」

「でも……」

「大丈夫です。あなたはここで本とお客さんたちを守ってあげて下さい」

「……わかりました。どうかご無事で」


 店員さんは涙ぐんでいた。とはいえゾンビが来なければ人間を守る必要はないので、実際は客から本を守ることになるだろう。私がゾンビになってしまわない限り。この場を言いくるめられればそれでいいのだ。


 4階に降りてみると誰もいなかった。ゾンビもまだ来ていなかった。階段が狭いので1階から2階に登る時点で詰まるだろうという予想は当たったらしい。


 手洗い場で空のペットボトルに水を詰める。蛇口をひねる僅かな時間が惜しい。早く空気から水を生む魔法を覚えたいものだ。物を浮かせて移動させる魔法も。


 更に3階まで降りて、下から上へ一段ごとに水をまきながら凍らせていく。一気に凍らせるならコップ1杯分が限界だが休憩をある程度挟んでいけばなんとかなる。ただし、もちろん時間はかかる。4階に到達する頃には、この店に入ってから1時間半が経とうとしていた。


 不意に。階下から足音が聞こえた。


 カツカツカツカツ……。


 馬鹿な。はやすぎる。想定していた時間より早いのもそうだが、何より歩行速度が速すぎる。スピーディーな個体が単独で上がってきたのだろうか。とにかく応戦しなければと武器になりそうなものを探していると、小さな悲鳴と何かが落ちるような音がした。どうやら罠が成功して足を滑らせたらしい。しかし声に聞き覚えがあったような……?



「し、師匠!」

「ああ、やっぱりお前か」


 おそるおそる踊り場まで降りて3階を覗き込んでみると、我が師匠が腰をさすりながら大変不機嫌な様子で立っていた。ちなみに結構な高齢のはずだが外見は銀髪の美青年である。羨ましい。じゃなくて。


「すみません師匠。ゾンビ用のトラップのつもりだったのですが……」

「うん、わかってる。それはもう僕が解決したから」

「え?」

「協会から要請が来てさ。闇魔法使いが暴れてるからなんとかしてくれってんで僕が片付けた」

「さ、さすが師匠……仕事が早いですね」

「ウイルスじゃなくて概念付与だから術者を押さえるだけですんで助かったよ。誰もゾンビを殺そうとしなかったからみんな無事に元に戻ったし」

「なるほど……」


 師匠いわく、ゾンビは弾丸で撃ち抜いたり刃物で頭を切り落としたりすると普通に死ぬらしい。もし身を守るために戦っていた人たちがそのような凶器を使っていたらと思うと背筋が寒くなる。


「ところで師匠、お家からどうやってここまで来たんです?」

「僕ぐらいになると転移魔法で一瞬なんだよ」

「お使いの意味、ありました?」

「……緊急時以外は使わないようにしていてな。お使いも修行のうちだしな、しょうがないしょうがない」

「釈然としない……!」


 というか、師匠が転移魔法使えるんだったら適当に来たバスに乗って逃げた先で師匠に迎えを頼むという手段だってあったのに。


「ま、これも経験。結果的に無事で済んだなら、学んだことを他で活かせばいいさ。上の人たちに解放しに行くぞ」

「は〜い」


 何はともあれ、事件は解決。めでたしめでたし。


 (了)

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