本屋さんのはなし。
眞壁 暁大
第1話
* *
本屋さんという仕事は昔からあったわけではない。
もとへ、大都市であれば昔から商売が成り立つ事はあったであろう。
しかしながら明治の御代から大正へと時代が移りつつあるこの現代におけるほど、本朝の全国津々浦々に本屋という職業が栄えたことはおよそありえなかった。
如何にして現代のような本屋が成立するにいたったか。
一人の典型的な男の生涯を例に、その歴史を語りたいと思う。
* *
与太郎には夢があった。
上京し立身出世の果てに内閣総理大臣となり本朝史上初の車上交尾を果たさんという壮大な夢である。当然のようにその夢に破れ、いま与太郎は田舎に引っ込んでいる。
とはいえいまだ識字率が低い時代。
小学校を出た後に高等小学校に進み、そこから紆余曲折を経て親の脛をしゃぶり尽くして上京してさらに上位の学校にまで進んだ与太郎は、周囲では並ぶもののない「インテリ」であった。
そんなインテリ与太郎に適した職はこの田舎では数えるほどしかなく、しかもそのその数少ない職のうち空いていた実業学校の職も「カラダ動かすのがかったるい」という与太郎らしい理由で蹴っ飛ばした後は、残された道は一つしかなかった。
与太郎は両親が残した家を改築し、村でニワカの講談師をはじめたのである。
本物の講談師は居ないのだから上京して見物したものを見様見真似でやってみても村人にはバレることはない。
講談の種本も読めるものは村には居ない。
他に目立った娯楽のない村で、日が暮れてから暇を持て余した村人はこぞって与太郎の家に集まり、その与太郎の下手くそな講談調を面白おかしく聞いていた。
そんな具合で与太郎の商売は繁盛し、スネかじりの穀潰し与太郎と村に聞こえた評判はすっかり薄れ、村一番(一人しか居ないが)の名講談師与太郎と持て囃されるまでになった。
与太郎も元々お調子者であるからこのように褒められると講談を演じるのにも熱が入る。
街に講談本を仕入れに行くたびに足繁く講談の高座に通い、時には講談師に教授をつけてもらうこともあった。
そうして長年の訓練を重ねるうちに、ニワカ素人の中でも下手の部類だった与太郎の講談が、他所に出しても恥ずかしくない程度には玄人はだしの芸にまで達した頃。
隣の村からもわざわざ与太郎の講談を聞きに来る客まで出来てきた頃に、与太郎は壁にぶち当たった。
与太郎の息子が講談の種本を読めるようになっていたのである。
そもそもが小学校卒業程度の課程を修めていれば読めるように書かれているのが講談本である。
小学校を終えた息子が読めるのは当然であった。
息子は父親の書斎の種本を読み漁り、あまつさえは学友にまで貸し出す始末。
今や明治も末。遅々として進まなかった義務教育も、ぎりぎり小学校だけならば過半数の子供が通えるようになった時代である。識字率も昔年とは比べ物にならないほど上がっていた。
わざわざ与太郎の講談を聞くまでもない、自分が好きなように読めばよいではないか、と考える村人がじわじわと増えていった。
与太郎の講談を少なくないカネを払って聞くよりも、自分の子供に与太郎の蔵書の種本の講談を読み聞かせしてもらうほうがリーズナブル。
与太郎の講談座は右肩下がりで売上を落としていった。
息子が貸し出していた種本はいずれも取り上げて二度と貸さないように厳しく言いつけたものの、今度は村人から文句が上がった。息子が借りてきた種本を聴けばタダなのに、それを取り上げるとは何事か、という話である。
与太郎にしてみれば商売の根幹に関わる話で譲れないところだったが何しろ相手にする数が多すぎた。最後には音を上げてついに、与太郎は種本を貸すのではなく、売るのであれば良い、と妥協した。
これが転機だった。
与太郎の講談を聞きに来ていた村人たちは、こぞって与太郎の講談の種本を買い求めた。仕入れる先からどんどん飛ぶように売れていく。
与太郎は鍛えた喉を披露する機会がめっきり減ったのとは対称的に、講談本が売れまくって以前にも増して商売が順調なのを複雑な思いで受け止めていた。
講談と、講談本の販売の二つを商売の軸とした与太郎だったが、講談の方はそのうち自然廃業となり講談本の販売が主力となった。
やがて講談本に限らず書物と呼ばれるものなら何でも仕入れるようになり、与太郎は村ではじめての「本屋」として成立するに至る。
雑誌・書籍を消費できるだけの大衆が、それだけの高い識字率を誇る大衆が誕生したがゆえに成立したのが与太郎の「本屋」であった。
識字率の低い村人相手に講談師として商い、識字率が上昇した後には本屋として商売する。与太郎は業態の転換に成功した稀有な商売人と見れなくもない。
山も谷もあったが、人生を通じて小さな財産も築くことが出来、与太郎の人生は充実したものであり、成功を収めたといっても良かった。
そんな与太郎が生涯悔いていたことが一つある。
あれは絶対に世に出さんでくれ、と遺族にも申し伝えた、一冊の講談本を執筆したことだ。
支離滅裂で荒唐無稽なのは凡百の講談本と大差ないものの、とにかく面白くなかった。書いた与太郎自身がびっくりして腰を抜かすほどの面白くなさ。
講談本なら何でも買うイナゴのような村人たちさえも一通り目を通した後に平台に戻すというろくでもない本だった。
講談師としてコツコツ築き上げ、いままた本屋として成功しつつある与太郎のこれまでをただ一冊で吹き飛ばすほどのできの悪さ。
出版された一〇〇部ほどのうち大半は回収して焼却したものの、ごく少数がどこに行ったのかわからない。
晩年の与太郎は、その究極の駄本の残りを追い求め悔いてばかりの人生であったが、それでも時折は人が変わったようにその駄本を褒めそやしてぜひともまた書きたいなどと言っていたという。
臨終の際。
与太郎は言い残した。
「生まれ変わってもまた、本屋をやりたい。今度は講談作家をやりながら本屋をやりたい」と。
本屋さんのはなし。 眞壁 暁大 @afumai
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