海と少女とエゴイスト

雪待ハル

海と少女とエゴイスト




そこは、うつくしいところ。

どこまでもどこまでも深くまで沈んでいける、やさしい居場所。

誰にも会いたくなかった、誰とも話したくなかった私に打ってつけの海。

私は世界の終わりまで、ずっとここにいるのだ。

ずっとここで、ただゆらゆらとたゆたっているだけでいい。

それだけで――――よかったのに。


「起きなさい、シュテル」


しゅるりと音を立てて、朝顔のつるが私の首に巻きつく。

苦しくはないが、だいぶうっとうしい。

話しかけられる事も、だいぶ。


「うるさい。話しかけないで」


「貴女を助けに来たのです。早くここを出ますよ」


「またそれ・・・」


私はため息を吐いた。

朝顔の姿をしたグロウはきらきら輝く氷みたいな色をしている。その姿はうつくしいと思うけれど、言ってる内容はうつくしくない。


「何度も言ってるけど、私がここから出るとこの世界は滅ぶのよ」


「何度も言っていますが、そんなのどうでもいいんですよ。貴女が自由である事の方が大事だ」


「私は皆が笑って毎日を過ごせる事の方が大事ね」


「その皆が貴女一人の幸せを踏みつけにして笑っているとしても?」


「・・・・。それは」


「さあ出ましょう行きましょうレッツゴー!!」


「待ちなさいよバカ!!!!」


海の外から伸ばされた朝顔のつるがしゅるしゅると音を立ててますます私の体にきつく巻きつく。

その気になればいつでもこんなつるちぎってしまえる。でも――――

礼儀正しい口調。穏やかでやさしい声。頑なな意思。

何度も何度も、私が拒絶してもめげずに毎日やって来る。


(どうしてそこまで)


私には分からない。

私の事など見て見ぬふりをして、忘れ去って、自分の人生を生きていった方が幸せだろうに。

それが、この世界で生きるモノの幸せ。

それを守り続けるのが私の役目。

だから私はここにいるのに。

どうして私を連れ出そうとするの。

どうして自分の幸せを捨てようとするの。

私には分からない。


「グロウ。貴方は怖くないの?」


「怖いですよ」


「ッ、なら!」


「“貴女をすりつぶす事でのうのうと生き永らえる僕たち”が恐ろしくて仕方がない」


一瞬、息が止まった。

何も――――何も言えない。

私には何も。


「シュテル。だからこれは別に貴女のための行為じゃない。ここに人柱にされていたのが貴女以外の誰かだったとしても――――僕は同じことをする」






自分が、自分自身に胸を張れる人間であるために。






「だから、これは僕のエゴなんですよ」


「・・・・・・・分かったわ」


彼にとって、自分の幸せよりも自身を誇れる事の方が大事なのだ。

たとえ、それで命を落としたとしても。


「よく、分かったわ」


ぶちっ。

私はためらいなく朝顔のつるをちぎった。


「・・・・シュテル」


ちぎられたつるが少しずつ形を失って、私から離れていく。

つるが完全に消える前に言ってやる。


「誇りなんてどうでもいい。自分の命を、幸せを大事にしなさい」


「・・・・・・・」


返事は返ってこなかった。




















あれから数か月。今日もこの海はうつくしい。

けれど自分は、


「・・・・きっついなあ・・・・」


どんどん弱っていく。

私の持つ膨大な魔力が日々、少しずつ少しずつ世界に吸われてゆく。




『魔女なんだからいいよね、人柱にしちゃって』


『世界の電池になってもらおう』


『あなたのおかげでみんなが幸せになれるよ、誇っていいよ』


『だからそこでずっと大人しくしててね』




はい、大人しくしています。

私は悪い魔女だから。

ああ、呼吸をするのが辛い。

いっそ永遠に眠り続けられたなら――――


「シュテル!」


しゅるしゅると音を立てて朝顔のつるが上から降りて来た。

おい。


「・・・・何やってんのよアンタは・・・・」


「そんなの決まっているでしょう。貴女を助けに来たのですよ」


「違うでしょ、自分を助けるんでしょ」


「そうとも言います」


「開き直るな」


「自分の事も、貴女の事も。大事なものは全部守ります」


「・・・・」


「この数か月、僕は探しました。貴女を人柱にしなくてもこの世界を維持する方法を」


「・・・なかったでしょう」


「はい。ありませんでした」


きらきら輝く氷みたいな朝顔はきっぱりと言った。


「だから思ったんです。こんなクソみたいな世界滅んじまえ、って」


「やめて」


「だって貴女、苦しそうです」


「いいの、それでいいの、それがいいの」


だから放っておいてよ。お願いだから。

膨大な魔力を持った魔女なんて、世の中に出たらきっと、力を持て余して暴走するだけなのだ。

だからここで一人で苦しんでるのがお似合いだ。

だから放っておいて。私は誰の事も傷付けたくない。

世界を滅ぼすなんて。


「それが貴女の望みですか?」


「え?」


「僕はこんな世界はどうでもいいと思いました。だって貴女を踏みつけにしているから。でも」


貴女はこの世界を愛しているのですね。

朝顔からそんなしみじみとした声が聞こえた。


「じゃあ、予定変更です」


「グロウ?」


「僕ね、こう見えて隠れ魔法使いなんですよ。膨大な魔力を持った」


「・・・ッ!!グロウ!!」


私は息を呑み、相手の名を鋭く呼んだ。――――いけない。


「まさか私の身代わりになるなんて言わないわよね、言ったらそのつる全部ずたずたにしてやるから!!」


「言いませんよ」


「ぶっちぎって、ずったずったに・・・え?」


「言いません」


「あっハイ」


「言いませんが、別の事は言います。今僕の本体は別の場所にいて、そこから遠隔操作でこの魔力で編み出した朝顔を操っています」


「・・・・」


「そこで」


彼がそう言った瞬間。

目の前で彼の声を朗々と響かせていた朝顔が突然まばゆい光を放った。

私は思わず目を閉じる。


「・・・・。・・・・・・・・・・・・・?」


しばらくしてから恐る恐る目を開けると、相も変わらず綺麗な朝顔がそこにいた。

朝顔がしゃべる。


「この朝顔に今、僕の魂をまるごと移しました。この朝顔はこれから僕そのものです」


「・・・・!?はあ!?」


私は目を見開いた。


「ちょっと貴方、何してるの!早く元に戻しなさい!」


「戻せませんし、戻す気もないです」


「何を言って・・・・ッ」


「貴女のそばにいる事にしたんです」


朝顔はとんでもない事をさらっと言って、しゅるりとつるを伸ばしてきた。

それはやさしく私の首に巻きつく。


「この海は貴女以外の人間の存在を拒む。それなら僕はこれでいい」


私は彼の言葉を聞いている内に、いつの間にか先程までの魔力を世界に吸われる苦痛を忘れていた。

その代わりに、どうしようもないくらいの激情におそわれて泣いた。

そんな私に朝顔になってしまったグロウがすり、と寄り添う。






貴女はこの世界を愛しているのですね。






彼は私の望みを守った上で、自分の望みも叶えたのだ。

私を無理矢理助け出す事をせず。

私を踏みつけにして生きる道も選ばず。

――――ああ、


(こんなに我が強い人、見たことない)


これから世界の終わりまで、私は彼と共にここでずっとたゆたうのだ。

そう思った時、ようやく自分は、本当はずっと寂しかったのだと気付いた。

その事に気付かされた事が、悔しい。

だから言ってやった。


「貴方は、馬鹿よ。大馬鹿よ。私と一緒にいたってつまらないに決まっているのに」


そうしたら、朝顔の姿をした男の子はこう言った。


「僕が馬鹿なのは認めますが、貴女と一緒にいるのは楽しいですよ。自分を悪い魔女だと思い込んでいる心優しい人」







こうして魔法使いの少年は海をたゆたう朝顔となり、魔女と呼ばれた少女に寄り添う道を選んだ。

それは決して愛ではない。

ただ彼は己が願いを叶えただけ。己の誇りを守り通しただけ。

世界の果てまで貴女と二人、誰にも邪魔されずに唄い続けましょう。

それはきっと、彼にとっての穏やかな未来。





おわり

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海と少女とエゴイスト 雪待ハル @yukito_tatibana

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