おんぶで見ていく親友特集

鳥路

そうだった。本屋さんに行かないといけなかったんだ

高校三年生の五月下旬


授業が終わったと同時に、僕は最前列真ん中の席から、一番後ろの席へ向かう

そこで今日も呑気に眠りこけている彼を起こすところから、僕の放課後は始まっていく


「ねえ、陽彦はるひこ。起きて。授業もホームルームも終わったよ」

「すぴぴ・・・」

「陽彦。締切、迎えちゃうよ。もうすぐ日付が変わっちゃう」

「嘘だろ!?」


やっぱり。締切はもう少しだって言っていたもんね

日付のことを聞いたら、こうも、簡単に飛び起きるなんて・・・


まあ、疲労の原因はわかっている

昨日も夜遅くまで執筆作業をしていたし、どうやら授業中も隠れて執筆をしていたらしい。立てた教科書の裏には原稿用紙が積まれていた

授業中に何をしているんだい・・・まったく


疲れていることは知っている。このまま眠らせておきたい気持ちはある

けれど、このまま教室で寝かしておくわけには行かないのだ


「・・・おい、たける

「何かな、陽彦」

「ここはどこだ」

「学校だね」

「・・・携帯の着信履歴、消したか?」

「機械関係が苦手な僕が、君の携帯を不用意に触るわけがないじゃないか。むしろどうやって履歴を消すのか、教えてほしいぐらいだよ」

「じゃあ締切の話は嘘だな。寝る」

「今寝られたら困るんだよ。陽彦が寝続けているから、教室の掃除ができないんだよ?当番の子たち、凄く困っているんだから」

「そうか」


先程と同じように、腕の中に頭を埋めようとする陽彦の両肩を掴み、寝るのを阻止する


「なに自分は関係ないみたいな流れでそのまま寝ようとしているの。おんぶしてあげるから、帰る準備をしてくれるかい?」

「ヤダ。尊がやって」

「・・・わかった。でも、原稿用紙とかぐちゃぐちゃにして鞄に入れちゃうよ?それでもいいの?」

「いつもぐちゃぐちゃだ。適当に鞄へ突っ込んでおいてくれ」

「・・・」


鞄の中へご要望通りに原稿用紙と教科書を突っ込む・・・わけにはいかない

これは後から編集さんに提出する「清書用」のほうなのだから

字が汚すぎる陽彦しか読めない、下書き用なら良かったのだが・・・流石にこれはぐちゃぐちゃにはできない


原稿用紙はきちんと束にして、彼が愛用しているケースファイルの中に入れ込む

一緒に教科書も鞄に入れ込み、自分の鞄と陽彦の鞄をそれぞれ肩にかけたら準備は完了だ


「よいしょっと」

「・・・嘘だろ」


彼をおんぶして、掃除当番になっていたクラスメイトに軽く謝罪を入れてから教室を後にする


「おい、尊。冗談だよな?」

「何が冗談?僕はいつだって本気だよ」

「俺も鞄も重いだろう?」

「重いけど、許容範囲内かな。まさか、本当におんぶして帰るとは思ってなかったの?」

「・・・」

「思ってなかったんだね」


都合が悪いことがあるとすぐに黙りこくる

陽彦の悪い癖だ。昔から全然変わらない


「高三になってまでおんぶで帰宅なんざ羞恥プレイのそれだ。眠くとも歩いたほうがマシ!さっさと降ろせ!」

「はいはい。わがままだね。陽彦は」

「好きに言え」


やっと目覚めて普段の調子を取り戻した陽彦

けれど、先程までの横暴な態度を簡単に許してしまうのは・・・流石にどうかと思うのだ


「・・・おい、尊」

「何かな?」

「なぜ降ろさない。いつもならすんなり降ろしてくれるだろう?」

「今日は、僕が降ろしたい時に降ろそうかなって」

「はぁ?」

「最近の陽彦はちょっと、いやかなり横暴がすぎる。たまには痛い目というか、恥ずかしい目にあってもらおうと」

「冗談じゃない。一人でやれ。俺を巻き込むな」


「今日はこれから本屋さんに行こうと思うんだ。今日出たばかりの新刊を書いたくてね」

「降ろしてから一人で買いに行けよ。話聞け馬鹿」

「さ、陽彦。行こうか」

「降ろせぇ・・・!」


背中の上で必死に暴れるけれど、陽彦は体力もなければ腕力もない

抵抗したって、僕には全然影響がないのだ


この天才小説家様という生物は、万年筆より重いものは持ちたくないし、持ててもすぐにへばってしまう

正直、その辺にいる幼稚園児のほうが強いんじゃないかなって思うぐらい、普段の陽彦は小さくて、弱々しい生き物なのだ


・・


目的地の本屋さんに到着した僕は、陽彦をおんぶしたまま本屋さんを回っていく

周囲からの視線はやはり好奇のそれ

けれど僕は気にしない


店員さんには、おんぶした状態で入店していいかしっかり確認している

陽彦自身も本屋さんという環境で騒いではいけないことぐらいわかっているようだ。背中に顔を埋めてはいるけれど、静かにしてくれている

そう。これはどこからどうみてもおかしいけれど・・・悪いことではないし、問題のある行為ではないのだ。堂々としていればいい


目的の小説の新刊を見つけた後、それを陽彦に持たせ、僕は本屋さんをぐるぐる回っていく


本屋さんは好き

騒がしくなくて、本を見て回るだけでも数時間は余裕で過ごせる


図書館とは異なる本の山

真新しく、新鮮な香りで包まれたこの空間で、新しい出会いを探すのもまた一興だ


「・・・へえ、この先生の新刊出たんだ。チェックするの忘れていたなぁ」

「お前もそんな大衆向けの娯楽小説を読むんだな」

「読むよ。僕はとりあえず色々読む派だから」

「・・・そうか」


読書も好き

僕らが住んでいる児童養護施設は、あまり娯楽がない上に・・・数少ない娯楽はすべて年少の子たちに取られてしまう


その為、僕ら年長組は限られたお小遣いで自分の娯楽を買って過ごすのが、暗黙の了解状態になってしまっている

僕の娯楽は、読書

あまり多くは買えないから、同じ本を何度も読み返したり、図書館で借りてくることで成り立たせている

でもまあ、お小遣いの使い方を考えられるし、悪いことばかりではない


「しかも作者買いって・・・お前をそこまで魅了する作品を書ける人間って存在したんだな」

「うん。めちゃくちゃオススメ。描写が緻密でね。陽彦も読んでみない?」

「・・・自分の作品に影響されるからヤダ」

「もったいないなぁ」


残念。野坂先生は繊細なお方らしい。影響されやすい性質とも言えるだろう

それがわかって、あえて他者の作品に触れないのは・・・賢いやり方かもしれない


僕は誰かの作品を読んでも、自分で作品を書いたりはしない

強いて言うならば、読書感想文程度

物書きの事情なんて全然わかりやしないのだ


僕は彼に「僕が好きな作品なんだ。陽彦も読んで」と、強くは言えない

読んで欲しい。作品の話がしたい

けれど、陽彦の為を思うのならば・・・その言葉は押し込めておかないといけない

それは、小説家「野坂陽彦」の首を絞める行為になるのだから


けれど、もったいないぐらいは言わせて欲しい

そういう事情だから、他者の作品に触れないのはわかるけれど・・・面白いものを知れないのは、もったいないことだと僕自身は思うから


「俺は、自分の色を大事にしたいんだよ。自分の色だけで、作品を書き上げたい」

「陽彦の気持ちはわかったよ。けれど「いい作品」は、互いに影響を与え合うことで出来上がるものじゃないのかな?」

「それは大衆の話だ。俺は違う」


「物書きにも色々な種類があるんだね」

「そういうことだ。物書きの数だけ書き方がある。文句なんて言うなよ。技法の押しつけもするな。俺は、俺が書きたいように書きたいものを書くんだからな」

「はいはい。言われなくても邪魔なんてしないよ」


書いている時の陽彦は、とんでもない集中力を発揮している

邪魔なんてしようと思っても、邪魔なんてできやしない


その時だけは、命を削っているかのような覇気を出しつつ、陽彦は原稿用紙に万年筆を走らせているのだから

何をしても無反応。体に触れても驚くことなく、ひたすら万年筆を走らせる姿は・・・関心を覚えると同時に、恐怖を覚えたのは言うまでもない


それほどまでに、野坂陽彦という人間にとって物語を紡ぐ行為というのは命とか、魂を入れ込む行為なのかもしれない


「そろそろ本屋さんを一周する頃だね。陽彦は、何か気になる本はあった?」

「特に無い」

「参考書は?」

「大学進学しないって、この前話したばかりだろう」


「辞書は?」

「高校で買わされただろう。英和辞典と和英辞典と国語辞典」

「ラテン語辞書とか、創作にはよさそうじゃない?」

「・・・今、書いている作品の時代は現代だ。だから、そういうのは必要ない。英語さえあればどうにかなる」

「そっか」

「でも、次にファンタジーを書く時は参考にしてやらんこともない」

「そっか。じゃあその時は、僕も一緒にラテン語勉強しようかな」


「ラテン語も将来的に学ぶべきだと思うけど、お前は先にドイツ語を学べ」

「なんで?これから先、ドイツ語を学ぶ機会なんて無いと思うけど・・・」

「・・・お前が第一希望に入れている大学の医学部、ドイツ語が選択科目に入っていたからな。助言だよ。助言。きちんと聞いとけ」


驚いた。学校パンフレットの中に書いてある情報だよ、それ

まさか陽彦から出てくる助言とは思わなかった


「うんうん。聞いておくね」

「そうしろ」

「けど、学校パンフレットの中に、小さく書かれていた程度の情報をよく覚えていたね。受験する予定すら無いのに」

「別に。お前の進学先がどうなのか気になったとかそういう訳じゃなく、お前が進学しても上手くやっていけるよう、今のうちに助言できることは助言しておいてやるという俺の小さな優しさだ。お前は変なところで抜けてるからな!俺がいないとダメダメなんだからな!滅多に出さない優しさなんだから、きちんと!しっかり!貴重だという事実を踏まえて!受け取れ!」

「はいはい。ありがとうね、陽彦」


陽彦がいないと、ダメダメってことはないけれど・・・むしろ、陽彦は僕がいないとダメダメだよね・・・なんて、言ったら彼を怒らせるので、何も言わないでおく


小さい頃から一緒に暮らしてきた大事な親友は、大学には進学しない

僕は、県外の大学を受験する予定。合格したら、無事に大学生になる

陽彦とは、別々の道を歩むのだ


寂しいと思うことはあるけれど、これからもきっと、連絡を取り合う関係を続けられると思うし、離れていたってきっと大丈夫

・・・寝坊上等。カップ麺大好き!徹夜は日課な陽彦の生活と健康は、かなり心配だけど。きっと大丈夫と思いたい・・・


「ほら、尊。そろそろ施設は晩御飯の時間だぞ」

「もうそんな時間?かなり長い時間いたねぇ」


本屋さんの壁にかけられた時計は、午後六時を示している

後一時間で、晩御飯の時間だ

ここから大体三十分ぐらいで施設には帰れるし、今、切り上げれば問題なく晩御飯の時間に間に合うだろう


「さっさとこれ買って帰るぞ。この羞恥プレイも終わらせたいし、原稿だって終わらせないといけない。後、ご飯が残飯以下になっちまう」

「それは大変だ!」

「お前はただでさえ無駄にでかいんだから、食事量も無駄に多い。おかわりできなくなる前に早く帰るぞ」

「そうだね。じゃあ、そろそろレジに行こうか」


おんぶをしたまま、レジの方へ向かう

その途中に、「それ」はあった

思わず足を止めて、それを凝視する


カラフルなポップには、店員さんのおすすめ文

平積みされて、全著書全巻を網羅しているそのコーナーは、レジ近くの目立つ場所に設置されていた


「・・・」

「どうしたの、陽彦。僕の背中に隠れちゃって」

「察しろ馬鹿」


僕より一回り小さい陽彦は僕の背中に隠れて、それを直視しないようにしてくる

こんないいものなのに、見ないなんてもったいない


他の人の小説を読むように強要はしないけど、これはしっかり目に焼き付けておくべきだと思うよ、野坂先生


「これ凄いよ。「ナスの妖精」のおすすめ文。読み込んでないとこんな感想出てこないって」

「・・・だからこそ気恥ずかしいんだよ」

「しっかり見てあげなよ、ファンの感想文。ほら、これは書店に来てくれた有志が書いた感想メモだよ」


ナス型の紙には、老若男女問わず色々な文字が走っている

これは全部、小さいけれどすべて陽彦宛のファンレターみたいなものだ

ファンレターの山は、陽彦が施設にある自室の押し入れに大事に仕舞っているのを知っている

彼の手元にあるそれは、その気になれば、何度だって読み返せるものだ


けれどこれは、持ち帰ることができない

特集コーナーを飾る、綺麗な紫の、陽彦宛のファンレターの嵐は、ここでしか見られないものなのだ


「しっかり読み込んだら、原作者。特集コーナーがなくなったら読み返せなくなるよ」

「・・・確かに、そうだけども」

「気恥ずかしい気持ちはわかるから。ほら」

「・・・わかった」


一つ一つの感想を、陽彦が見やすいようにコーナーに近づく

背中に、陽彦が顔をぐりぐり埋めてくる

気恥ずかしいのだろう。わかるよ。どこを見ても、優しい感想ばかり

作者としては、嬉しいものばかりだと思うから


ナスの妖精。その空気からは想像できないが、これは陽彦が書いた児童向けの絵本だったりする

小学生から絶大な人気を誇り、親御さんからは「子供がナスを食べるようになりました」と感謝される素敵な児童向け小説

子供向けでも、しっかり考えさせられるその本

非の打ち所なんてものは一切存在しない・・・表面上は、だけど


「・・・やっぱり」

「この感想が多いね」

「ファンレターもだいたいこれだ。例えばこの子。「ナスが食べられるようになりました」だろう?」

「そうだね。この本のお陰でナスが好きになりましたって子が多いね」

「どれも一緒だ。親御さんは助かるだろうけど・・・」

「原作者は未だに食べられないの、どうなのかな?」

「・・・」


そう。これを書いた張本人はナスが食べられない

ナスの妖精なんて本を書いておきながら、だ


全国の親御さんが悩んでいた子供のナス嫌いを直す手助けをしている本を書いているのに

陽彦は、小さい頃から今に至るまでナスが食べられないのだ

ちなみに食べたら吐いた。多分、好き嫌いの問題じゃないような気がするから、無理して食べろとは言わない

それに・・・


「あはは。尊。馬鹿にしやがって」

「そんな覚えはないよ」

「お前もナス食えない癖に、俺がナスを食えないってこと、よく言えたもんだよな」

「げっ・・・覚えていたんだ」

「お前の数少ない弱点だ。覚えているに決まっている」

「で、でもそれ、陽彦の弱点でもあるよね?」


「・・・早く本を買ってこい」

「あ、強制的に終わらせた」


これ以上はどうやら都合が悪いので会話すらしてくれないらしい

仕方がないので、おとなしく本を買って今日のところは退散しよう

晩御飯も待っているからね!


本を購入し、それと同時に所用も済ませた後、本屋さんを後にする

本屋さんから施設に戻る道中で、先程からずっとだんまりだった陽彦がやっと口を開いてくれた


「なあ、尊」

「なに、陽彦」

「もうすぐ、新刊が出る」

「この前、提出していた原稿の?」

「ああ。そしたらまた、あのコーナーに新刊増えてくれると思うか?」

「増えるさ。陽彦が書き続けてくれる限り、あの本屋さんには陽彦のコーナーがあり続ける。僕はそう思っているよ」

「そうか」


地元に住んでいる小説家として、盛り上げるためにこれからもあの書店は陽彦の特設コーナーを作ってくれるだろう

流石に、小説を書くのが好きな陽彦が筆を折るような事態はそう簡単に起こらないと思うし・・・きっと、あの場所はこれからも色々な好きが集まる場所であってくれるはずだ


背中の中に顔を埋めた陽彦は、すぐに眠り始めてしまう

安心?それとも疲れたから?

わからないけれど、施設に到着するまではのんびり寝かせて置いてあげよう

今の僕にできることは、一時的な休息を取る野坂先生を、無事に部屋まで送り届けることだ


「新刊、楽しみにしているね、陽彦」


実は「作者買い」という言葉を覚えたのは、陽彦のお陰だ

実は、こっそり買って・・・こっそり読んで、こっそりファンレターを送っているのは、陽彦には内緒の話

陽彦には・・・筆跡でバレていないことを、祈るばかりだ


「新刊の情報は知っていたよ。情報誌で最初にチェックするのが、陽彦の新刊情報だからね」

「発売日に手に入れたいから、予約もさっき済ませてきたよ。安心してね」

「・・・しっかり読めよ、尊」

「ん?陽彦、今何か・・・」

「・・・」

「気のせいだよね。陽彦、寝ているんだから」


先程、本を買うと同時に陽彦の新刊を予約してきた

発売日は、まだ遠い


けれど、あっという間にその日は来てくれるだろう

陽彦と過ごす時間はあっという間に過ぎさる、とても楽しい時間なのだから


寝息をたてる彼と共に、帰路を歩く

今日の放課後は、ずっと僕の背中で過ごしていた親友「野坂陽彦」

帰って目覚めた彼は、どんな物語を紡ぐのだろうか

いつかは必ず知ることができるそれを知る日は、まだ遠い未来の出来事だったりする

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