グレーのアイマスク

あじさい

* * *

 以前、ふとした気まぐれで平和堂の100円ショップに行ってみたら、ワイヤレスイヤホンが1100円で手に入って驚いた。

 充電器は550円、充電ケーブルは110円らしい。

 おそらく家電量販店のものより性能や品質は落ちるのだろうが、使いもせず文句を言っていても仕方ないし、失敗だったところでさして痛手にはならない値段なので、一式買うことにした。

 それ以来、なるべく100円ショップに行ってから物を買うようにしている。


 その日は、姉の結婚祝いで東京に行く準備のために、仕事帰りに100円ショップに足を延ばした。

 こういう遠出のとき、私は夜行バスで行くことに決めているのだが、運が悪いと、いびきのうるさい客や、夜中までスマホをいじっている客が気になって眠れなくなる。

 そのため、耳栓みみせんやアイマスクを手に入れておこうと考えたのだが、ネット通販や薬局で入手しようとすると100円を優に超えたため、ひとまず100円ショップでも探してみることにした。


 行ってみて驚いたが、ちゃんとそういうものがあった。

 しかも、トラベルグッズと称し、耳栓とアイマスクがセットで税込110円だった。

 安易にネット通販で買わなくて良かった。



 店を出た私は、せっかくここまで来たのだからと、同じ平和堂にある書店にも立ち寄っておくことにした。

 地元の書店である。

 高校の1、2年の頃には、足しげく通った。

 ただ、大学受験中は読書どころではなかったし、大学入学以降はマンガ・アニメばかりに時間を取られていた。

 それに、私が大学を卒業する頃には、ネット通販だけでなく、無料マンガアプリ、動画配信サービスなども充実してきた。

 だから、その書店に行くのは久しぶりだった。


 今でこそ原付を使っているが、高校時代、この平和堂に来るには自転車を30分ほど漕ぐ必要があった。

 それでも、当時の私は体力があり余っていたのか、気が向くごとにその書店を訪ね、本の詰まった本棚から本棚へ、2時間も3時間も歩き続けた。

 今となっては不思議なくらいだが、夏目漱石とか、芥川龍之介とか、太宰治、星新一、椎名誠、小川洋子、山田詠美、柳美里、伊坂幸太郎、宮部みゆきなど、そういう「知っている名前の作家」のタイトルを確認するだけで、めちゃくちゃに楽しかった。

 大半は読んだこともなく、今後読むとも分かっていない本ばかりなのに、そんなことは関係なかった。

 自分がまだ見ぬ世界、豊かな新天地、先人たちの偉業の数々が、この手がすぐ届く場所に広がっているという、その単純な事実が、青年期に入ったばかりの私を何よりも興奮させていた。


 あの感覚は何物にも代えがたかったはずなのに、どうして今の今まで忘れていたのだろう。

 ふと嫌な予感に襲われた。

 もし、あの書店がすでに潰れていたらどうしよう。

 私はエスカレーターに乗りながら上階に目を向けた。

 当然、何も見えるはずがなかった。



 到着してみると、書店はちゃんとそこにあった。

 私はひとまず安堵した。

 田舎だ、田舎だと自虐してきたが、平和堂の書店を守ることはできたようだ。


 この書店には、入ってすぐの所に広いスペースがあり、そこのテーブルに旬な本が広げられている。


 まず目に入ったのは文藝春秋だ。

 芥川賞の受賞作が決まったらしいが、その題字の下に、「老化は治療できるか/防衛費大論争」というテーマと共に、与党議員の××氏の名前があった。

『あれ、この人、たしかカルト宗教との関係が……』

 と思ったが、文藝春秋に右派的な記事が多いのは今に始まったことではない。


 見るとそのすぐ近くに、亡くなった元首相の『回顧録』と、彼についておそらく好意的に書かれた本がいくつか置かれていた。


 断っておくが、私は別に彼をうらんでいるわけではない。

 新型コロナ対策は多少まずかったかもしれないが、彼の政策によって私個人の生活が逼迫ひっぱくしたとは思っていない。

 仮に彼以外の人間が首相だったら、あるいは彼ら以外の政党が与党だったら、今の日本がどうなっていたか、私には分からない。

 ただ、彼が残したいくつかの疑惑の真相が、きちんと究明されないままうやむやにされるとしたら、仮にそれが彼の人柄や境遇によるものだとしても、法治国家として、あるいは民主主義国家として健全ではない気がするだけだ。

 充分な検証の結果として、彼が清廉潔白で、公明正大で、何の落ち度もないならそれでいい。

 それに越したことはない。

 うやむやにされていることがあるとしたら、もやもやするだけだ。


 もちろん、そういうことは書店を歩いていれば、それだけである程度見えてくる。

 2010年代前半には――考えてみればそれも一昔前のことになるが――、新書コーナーには安全保障や地域振興に関する本を多く見かけた。

 私が立ち寄った書店がたまたまそうだっただけの可能性もなくはないが、ともかく、その手の議論が活発だったということだ。

 私は歩を進めて、現在の新書コーナーに進んだ。



 パッと見て、あれ? と思った。


 仕事のできる人がやっている習慣

 ストレスを溜めないための脳科学

 「やる気」を出すためにあなたがやめるべきこと


 そんなタイトルばかり並んでいると思ったら、別の棚には株や投資の指南書が平積みされている。

 あるいは、戦国武将がどうの、新時代のリーダーがどうのといった文字が目に入る。

 気分が悪くなって、目をらした。


 その先にある文庫本コーナーにまで足を進める気にならず、私はそそくさと店を出た。



 これはどうしたことだろう?


 今、日本社会がんでいることは周知の事実だ。

 病んでいる人が多いだけでなく、社会が病んでいる。

 ブラック企業もうつ病も、パワハラもセクハラも、クレーマーもモンスターペアレンツも、新型コロナも社会保障も、エネルギー問題も食料自給率も、政治家の不祥事や問題発言も、そしてもちろんカルト宗教の問題も、ものによっては改善されつつあるとはいえ、この社会全体の課題であり、国民的な議論のもとに、政治的に取り組んでいく必要がある。

 それはろんたない、はずだ。


 それなのに……何だ、あのラインナップは?

 この社会の生きづらさを、個々人の習慣や思考方法の問題だとでも思っているのか?

 「失われた30年」と揶揄やゆされる貧困問題を、個々人の工夫によって解消すべきと説くのか?

 社会全体をおおう閉塞感を、リーダーの個人的な資質によって打破しようというのか?


 この書店は、そういう思想を振りまく場所だったのか?


 そういう場所になってしまったのか?


 そして、私は思い出した。

 あの大手出版社KADOKAWAが、東京五輪の汚職にからんでいた。

 今、出版業界はそういう状況なのだ。



 結局、その日私は再びその書店に入る気にはなれず、そのまま帰路にいた。


 家に帰り、100円ショップで買ったトラベルグッズをキャリーケースに放り込みながら、私は考える。

 先述したように、書店は地域を写す鏡だ。

 ならば、私は再び、書店に行くべきであるに違いない。

 あの書店もそうだが、他の書店も見にいくべきだ。


 今も昔も、それが望ましいものか、美しいものか、心地よいものかはさておき、そこには私がまだ見ぬ世界が広がっている。

 広がっていないとしても、それを確かめることはきっと有意義に違いない。

 この国の憲法によって選挙権を認められた有権者として、この社会の現状を直視せねばならない。



 私はふと顔を上げた。

 本棚にあるのはマンガとライトノベルばかりだった。

 大学時代に買った本は、段ボールの中に眠っている。

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グレーのアイマスク あじさい @shepherdtaro

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