読まれずの怪異

阿斗 胡粉

怪異の行く末

「爺さん、あんたがここの店主か?」

「あ、ああ……お前さん達は?」

「通報を受けて来た灰崎と神野というものだ。警官じゃあないが……まぁ、似たようなものだと思ってくれていい」



 草木も眠る丑三つ時、閑静な住宅街の中に佇むボロ家屋の前に、一人の寝巻の老人、そしてスーツに身を包んだ一組の男女が集まっていた。



「それで?私達は場所を伝えられただけでね、状況を教えて欲しい」

「そうじゃな。この店は二階にわしの家があるんじゃ。下の階から物音がしたもんで、初めは泥棒の類かと思っていたんじゃが……」



 先に店の状況を確認していた老人は、その額から汗を流しながら、僅かに体を震わせている。



「そうではなかったと」

「その通り。中に入ろうとしたら、わしの見慣れた店はそこにはなかった。そこに広がっていたのは全く別の場所……まるでジャングルのような光景が広がっておったのじゃ」

「別の場所、本屋が突然ジャングルに、と」



 老人の証言を聞いているうちに、男女の目つきは真剣なものへと変わっていく。



「確認するがご老人、貴方の店は古本屋で間違いないな?」

「ああ、そうじゃが?」

「……良かったな神野、大当たりだ」

「大外れの間違いだろ。世界改変級なんて二度とやりたくねぇと思ってたのによ……」



 気だるげな声を挙げながらも、神野は鋭い目つきで古本屋の扉を見つめる。傍らの灰崎も同様だ。違うのは、口角が少し上がっていることくらいか。



「爺さん、俺達が今から入って、中を元の古本屋に戻す。こんな時間に辛いだろうが、戻ってくるまでは絶対に中に入らないでくれ」

「……元に、戻せるのか?」

「それが私達の仕事だよ。だが、場合によっては本を傷つけることになる。なるべく被害は抑えるように努めるが、予め了承願いたい」

「分かった」



 シャツの裾を捲り、扉を開ける。



「……大丈夫だとは思うが、一時間経っても戻ってこない場合、もう一度通報してくれ」

「うむ……よく分からんが、気を付けてな」

「ああ」



 中に入ると、そこにはおびただしい数の古本……ではなく、視界を埋め尽くす程の木々が広がっていた。周囲からは得体の知れない動物の鳴き声が鳴り響き、形容し難い不気味さを演出している。



「さてと、主人公はどこにいるのかねぇ」

「私達は物語の異物、すぐに向こうの方から……来たぞ」

「KYUWOOOOOOOOO!!」



 周囲の木々を薙ぎ倒し、空中から出現したのは、巨大な蝶の怪物。降り立った時の凄まじい防風で、倒された木々はまるで小枝のように吹き飛ばされた。



「……あれが主人公?」

「馬鹿者、上に乗っているのがいるだろ」

「………」



 灰崎の言う通り、蝶の上には全身を黒いローブに身を包んだ人間の姿が見える。手には大鎌が握られており、その様はまるで死神のようだ。



「どっちにしろ主人公感はないな」

「黒ローブに蝶の怪物……流石にあり得んか」

「ん……?」

「何でもない、始めるぞ」

「ああ、分かった」



 いつの間にか、神野の手には鎖が、灰崎の手には剣が握られていた。ジャングルのど真ん中に、スーツを身に纏い、金属の武器を持つ二人の姿は、まさしく『異物』である。



「私はあの黒ローブをやる、お前は蝶と仕上げを頼む」

「了解だ」



 言うやいなや、灰崎は大きく跳躍し、体を空中に投げ出す。



「まずは場所を変えようか。虫は嫌いじゃないが、流石にこの大きさは鳥肌が立つ」

「……!」



 黒ローブと灰崎は、火花を上げながら互いの武器を擦り合わせる。競り合っていたのは一瞬、黒ローブは大きくのけ反った後、灰崎の痛烈な蹴りによって蝶の上から引きずり降ろされた。



「……!」

「おっと!」



 そのまま追撃を加えようとした灰崎を、今度は黒ローブの反撃が阻む。自身の鎌で周囲の木々を切り倒し、それを飛ばして物量で圧し潰さんと攻撃する。



「おいおい、君が創り出した世界じゃないのか?その凄まじい切れ味には感服するが、君の手で壊してしまっては本末転倒だろうに」



 次々と飛んでくる大木を剣で切り伏せながら、灰崎は黒ローブへと肉迫する。



「あまりご老人を待たせるわけにもいかんのでな、早急に終わらせるとしよう」



 そこから、剣と鎌の激しい剣戟が開始された。両者共に達人の域に至っていることが誰の目にでも分かる腕前だが。



「ふむ……技量の割に随分非力だな」

「……」

「その上で言葉は発しない、と……少し嫌な予感がしてきたが、まぁいい。神野」

「はいよ、こっちは終わったぞ」

「KYU、KYUWOO……」



 いつの間にか蝶の怪物は全身を鎖で縛られ、弱々しい声で助けを求めている。



「仕上げの方も、準備完了だ」

「よし。ならそろそろ切り上げると、しようか!」



 大きく剣を振りかぶった灰崎は、その勢いの流れのままに跳躍し、神野の元へと着地する。



「悪いな。俺はこの世界、嫌いじゃないんだが……仕事なんでね」

「KYU、KYUWOOOOOOO!!」



 突如として蝶の怪物が悲鳴を上げたかと思うと、全身から炎を吹き出し始めた。その炎は蝶を燃やし尽くしても勢いを止めず、そこら中に生える大樹へと燃え移り、世界全体を燃やしていく。



「止めるか?主人公」

「………」



 黒ローブは一度大鎌を構えたが、やがて頭を左右に振ると、その武器を投げ捨てる。



「そうか……すまないな」





♢ ♢ ♢





「ふぅ……無事に戻ったか」

「みたいだな。何事も無くて何よりだ」



 それからしばらく、二人の視界から鬱葱と生い茂っていた木々は姿を消し、今度はびっしりと並べられた本の数々が映っていた。



「ほえー。個人経営の古本屋で、ここまでの店は初めて見たな」

「恐らく、ご老人の蒐集も兼ねているのだろう。でなければ説明がつかん」

「だろうな。となると、これは少し悪いことをしちまったか」



 並べられる本の中で、地面に落ちている本が一冊。表面が焦げたその本が崩れないよう、丁寧に手に取る。



「流石にこれは無理だな。読めはするが、これじゃ売り物にはならん」

「全く、やりすぎだ」

「相手は世界改変級だぞ、下手すりゃこの一帯がジャングルになってたことを考えれば、やりすぎくらいが丁度いい……うん?」



 中を読んでいた神野は、何かに気付くと、本をパタリと閉じる。



「どうした?」

「ちょっとな……とりあえず、爺さんを呼ぼう」




「おお!わしの店じゃ!」

「御覧の通り、店は元通りだ。なんだが……」

「済まない。本を一冊、燃やしてしまった」



 黒焦げになった本を見て、老人は目を丸くした。



「なんと、燃えたのはその一冊だけなのか?」

「ああ、他は大丈夫なはずだ。燃え移っているということは絶対にない」

「そうか……本は惜しいが、ここは一冊で済んだことを喜ぶべきなのじゃろうな」



 そう溢す老人の本を見つめる目は、それにただの売り物以上の価値を見出していることを物語っている。



「あー、それでなんだが……この本、俺に買い取らせてもらえないか?」

「む?」

「ほう?」

「中を読んでて気付いたんだが、こいつは俺が長年探してた本なんだよ。まさかこんなとこで出会うとは思ってなかった」

「……そういうことなら、そいつは持っていけ。店を助けてもらった礼じゃ」

「そいつはありがたいが、これは俺達の仕事だ。ちゃんと代金は支払うよ」





♢ ♢ ♢





「それで?お前にそんな探し物があったなんて初耳なんだがな」

「そりゃ、お前には言ってなかったからな」



 スマホのライトを本に当て、歩きながら器用に読み進める神野に訝し気な視線を送りながら、灰崎はその隣を歩く。



「というか、お前も薄々気付いているんじゃないか?」

「……」

「これ、前に話してたお前の作家時代の作品だろ」

「……はぁ」



 額に手を当て、やれやれといった表情を隠しもしない灰崎は、やがて諦めたように口を開いた。



「登場人物と物語の舞台、一つ一つは特段珍しいものじゃないが、どう考えてもそれぞれに親和性が無い。まさかとは思っていたが……」

「良かったじゃないか、まだ残っていて」

「良いわけがあるか、私にとっては黒歴史だよ」



 神野のライトを消した灰崎は、そのまま言葉を続ける。



「作家時代にも大して売れず、こうして誰にも読まれることなく怪異になり果てた。これを黒歴史と言わず、なんと言えばいいのだ」

「まぁそれに関しちゃ同情するが、俺はずっと読みたかったんだぞ。お前の本」

「……何だ、上司にゴマすりか?」

「俺がそんなことをするわけがないだろ」

「それを言い切るのはどうかと思うぞ……とにかく、それを貸せ」



 本を奪おうとした灰崎の手は、それをひらりと躱した神野のせいで空を切った。



「やなこった。これは俺が買い取った俺の本だ。上司に自分の購入物にまで文句を付けられる筋合いはないね」

「……はぁ。もういい、好きにしろ」

「ああ、読み終わったら感想文送るな」

「斬られたいのか?……まぁ、楽しみにしておこう」




 誰にも読まれず、埃を被った本達は、やがて人間を、世界を蝕む怪異となる。だがそうなったからといって、必ずしも未来が尽きるわけではないのだ。

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