伯爵家の大書庫

二枚貝

伯爵家の大書庫

 そういうわけで、ルフェルディ伯爵家は長年に渡り「本屋」と、口の悪い宮廷人からは囁かれていた。事情を知らぬ者たちも、歴代当主の書痴っぷりを見れば、それが理由かと納得した。

 その、「本屋」ルフェルディ伯爵家が、である。なんとこの度蔵書を手放すことにしたという。数多の稀覯本、奇書、禁書を溜め込みながらも一族外にはけしてそれらを出してこなかったあの家が、いったいどのような風の吹き回しかと、好奇心混じりに宮廷人たちは噂した。

 きっと書物を購いすぎて借財がかさんでいるのだ。

 いいや、亡くなった夫への恨みが積もった、伯爵夫人の憂さ晴らしだろう。

 だいたい、かび臭い紙束の山に興味を示す者がどれほどいることやら、と――。



「――まったく、たいそうな賑わいぶりじゃないか。君にこんな商才があるとは思わなかったよ。どうやってこれだけ、客を集めたんだい?」


 笑いながら歩み寄ってきた青年貴族に話しかけられ、館の主人は退屈そうに窓の外へやっていた視線を引き戻し、来たのか、とつぶやいた。

 元ルフェルディ伯爵爵夫人カトライア。笑みのひとつでも浮かべるだけで国を傾けられそうな美貌だというのに、そのまなざしには険がある。だがその表情すら、彼女のうつくしさに瑕瑾すら与えない。書痴一族の当主が、四十以上も年下の軍人の娘を後妻に迎えた時は、王宮でもそれなりの噂になったものだ。

 あれから三年、彼女のうつくしさは落ち着くどころかいや増すばかりだ。


「冷やかしなら帰ってもらおう。正直、予想以上に人が集まりすぎて、館の使用人だけで捌けなくて困っているところだ」

「待てよカティ、僕は客だよ。かの有名なルフェルディ伯爵家の蔵書を譲り受けに来た」

「お前が? 嘘をつくな、本など読まないくせに」


 青年の気安さを跳ね除ける口調の強さで、カトライア夫人――厳密には未亡人だが――は言った。対し、青年は眉尻をほんの少し下げて、苦笑してみせる。


「確かに僕は本を読まない。――読めないけれど、欲しい本があるんだ。それとも君は、客を選ぶのかい?」

「……相手は、選んでいない。求める者に求めるものを与えろと、伯爵からは言われている」

「それが遺言? ずいぶんと、まあ」

「それで。タイトルは」


 強引に話を打ち切ろうとした夫人に、穏やかな声で、青年はとある書物の題を告げた。

 それを耳にした瞬間、夫人は眉を跳ね上げて、怒りを隠そうともせずに青年を睨んだ。彼女のうつくしい空色の瞳はみるみる濃さを増す。

 だが、夫人はなにも言わず、手のひらをきつく握りしめると後ろを振り向き、使用人にその書物を探してくるようにと伝えた。


「昔みたいに、殴られるかと思ったよ」

「そうしてやろうかと思ったが、お前の面の皮の厚さでは、私の手が傷むだけだ。――――なぜあの詩集が、ルフェルディの書庫にある?」


 それは、宮廷人ならば知らぬ者はいないと言われるほどに有名な稀覯本である。王家の桂冠詩人がはじめて出した詩集であり、狂おしいほどの情熱的な恋をうたったその書物によって、彼は一躍注目を集めることとなった。

 だがそれは、世に五冊しか存在しない詩集である。世に出回っているのは非公式につくられた写本ばかりで、原本の在処は一冊をのぞき、すべて明らかになっている。

 ひとつは作者の手許に、ひとつは国王の書庫に、ひとつは先の桂冠詩人の蔵書のなかに、そして――もうひとつは、カトライア・アーキヴィエル=ルフェルディが自らの手で焼き捨てた。


「決まってる、僕は伯爵に送りつけたのさ。僕の初恋の人を奪った、憎い恋敵にね」

「………………」

「君は、絶対に怒るだろうけれど。あの時は僕も、やけになっていたんだ。僕の求婚が断られたのは、てっきり世渡り下手な貧乏貴族だからだと思っていたのに、君が嫁いだのは僕と負けずとも劣らない貧乏な変人伯爵のところで。それを聞かされた時、僕がどんな気持ちだったか、君に想像できるかい?」

「腹が立った、だろうな。私に、裏切られたと思って」


 はきだすようにつぶやいて、夫人は目を細める。対し、詩人はへにゃりと笑ってみせた。


「僕は、それでも君を恨めなかったよ。悲嘆に暮れて、絶望して、それでも、君が事情もなくこんな不義理をするわけないと分かっていたから――」

「もういい。もう、いい!」


 常に落ち着き払っていて、冷淡に見せるほど冷静だという評判だった夫人が、声を荒げた。ちょうどその時、命じられた詩集を見つけて戻ってきたところであった使用人が、女主人の剣幕にすくみあがった。哀れな彼は、夫人にその薄い書物を渡すと、逃げるように部屋から退出する。


「さあ、目当てのものだ! 持って早く出ていけ!」


 ずい、と突き出された詩集を懐かしそうに青年は見下ろして、しかし受け取ろうとはしなかった。しびれを切らした夫人は、詩集を持つ腕を大きく振り上げて、床に叩きつけようとする。

 だが、できなかった。まるで天の雷に打たれた罪人のように、動けなくなる。


「――――カティ、君は、今でも僕の作品を愛してくれているんだね」

「知ら、ない、そんなもの」


 瞬間、夫人の脳裏を走馬灯のように過去の記憶がよみがえった。泣きそうな気持ちで幼馴染ではなく自分の祖父のような年齢のルフェルディ伯爵に嫁ぐと決めた日、伯爵に輿入れしあたたかく微笑まれて死んでしまいたくなった日、そして幼馴染から送られてきた詩集を一ページも開かずに焼き捨てた日――すべてが、今となっても夫人を苦しめる。

 夫人は震える腕を下ろし、再びかつての幼馴染へと押し付けた。だがそれでも彼は受け取らなかったから、強引にその上着の合わせ目へ突っ込んだ。

 そのまま踵を返して部屋を出て行こうとした彼女を、青年が呼び止める。


「待って。対価を支払わなければ」

「お前のものを、お前に返す、それだけだ。対価など、いらな――――っ」


 追い縋った青年が、力任せに夫人の腕を引き、振り向かせた。驚く彼女の顔を両手で挟み込むように上向かせ、おきのように熱が見え隠れする瞳で、愛する人を覗き込む。


「求める者に求めるものを、ねえ、与えて? カトライア」


 吐息混じりに囁いて、青年はゆっくりと顔を近づけた。求める者のくちづけを、カトライアは、今度は拒まなかった。

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伯爵家の大書庫 二枚貝 @ShijimiH

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