あの角を曲がったところにある小さな古本屋にて
清泪(せいな)
恋をしている
「あのさ、この作家の前の小説無い? いつもの探偵シリーズじゃなくてさ。題名ド忘れしちゃってさ、探せないの」
常連客のお姉さんに声をかけられたのは、これが初めてだった。
物心ついた頃から存在は知っていた地元の小学校への通学路の途中にある古本屋にてアルバイトを始めてみたものの、これほど客の接点が無い接客業も無いな、と思う程会話の無い仕事だと思い知った。
いらっしゃいませ。
ありがとうございました。
あとは値段とお釣りを言うぐらい。
店主の爺さんから教えられた仕事いえばこの程度で、人見知りする僕としては大変ありがたい仕事だったが、気になる人に声をかけれないという点にぶち当たった。
推理小説が好きな常連客のお姉さん。
十六年と生きてきた僕は人生で初めて、一目惚れというモノをした。
そして、それからというものこの好機をずっと待ちわびていたのだ。
「その作品なら、あちらの本棚の二段目にありますよ」
「ホント? ありがとう」
待ちわびた好機は、一瞬で終わった。
僕が指差した方向にお姉さんはすぐ振り向いてしまい、目が合う暇すら無かった。
いや、目を合わせるなんてとてもじゃないが出来やしない。
なんだよ、もっと上手いことやれよ、僕。
ただアルバイトが案内したってだけじゃないか。
またいつものレジ業務だけが、繰り返されるんだ。
探していた本を手に取り、お姉さんは嬉々としてレジ前に戻ってくる。
おめでとうございます、なんて余計な言葉は挟まずに僕は本のバーコードを読み取った。
お釣りを渡す時、お姉さんは僕の手を握った。
ドキッとした僕の戸惑いを余所に、お姉さんはブンブンと僕の手を振る。
「ありがとう。君のおかげで今日は助かった。またコレを読み終わったら来るよ」
お姉さんは可愛いらしい笑顔を僕にくれて、購入した本を上機嫌に振りながら帰っていった。
良かった、アルバイトやってて良かった。
良かった、推理小説を勉強してて良かった。
手の感触を忘れずにいよう。
あの角を曲がったところにある小さな古本屋にて 清泪(せいな) @seina35
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