本屋さんでの運命の出会い演出

川木

運命の出会い

 本屋と言うのは苦手だった。まず本が苦手だ。文字がずらっと窮屈そうに並んでいて、それだけで目が滑っていく。そんな本がこれまたずらっと、アホみたいに並んでいるのだ。本屋さんに行くとそわそわして落ち着かなくて、何だかトイレに行きたくなってしまうし、とにかく苦手なのだ。

 だけどそんな本屋に行くようになったのは、シンプルな理由だ。好きな人ができた。


「……」


 高校生になった私は電車通学するようになった。そこで乗り合わせる様になった他校の女子。私でも名前を聞いたことのあるお嬢様学校で、ちょっと古めかしい感じのセーラー服がよく似合う、文学少女と言う言葉を擬人化させたかのような人だ。いつも同じ席に座っていて、いつも同じドアから乗り込む私にはいつも目について、綺麗な人だなって見かけて意識していたけど、それだけのはずだった。

 だけどそうして見ていると、いつも本を読んでる真面目そうなところとか、私じゃ気が付かないような妊婦さんとかにすぐ気づいて気遣っている姿とか、お年寄りに席を譲るのにためらわないところとか、いいなって思うところがたくさんあって、何だかもっと彼女のことを知りたくなってしまって、好きだなって気づいてしまった。


 一緒に乗り合わせる区間はそう長くない。私だってそう遠いところに通わないから当然だ。私が乗車するところから、複数の乗換線はまじわる大きな駅までの二駅。乗換駅で降りた時、たまたま彼女を見かけた私は思わず彼女をつけてしまった。

 それから一週間。どうやら彼女は帰りにいつもここで降りて本屋に寄っているらしい。と言うのを突き止めてしまった。何やってるんだろう。ストーカーだ。と思いつつ、彼女の後ろ姿を見つめてしまう。


 大型商業施設の三階にある本屋さんはそこそこ広い。エスカレーターで遮られた反対側にはテイクアウトの軽食店があって、買っても買わなくても使えるテーブル席がある。本を買った日はそこで飲み物を買ってゆっくり飲むようだ。

 声をかけるチャンスはなくはないと思うのだ。昨日なんてほぼ席が埋まっていたので、相席いい? なんていけるのでは? なんて思ったりもした。だけど結局勇気が出なかった。


 そこで思いついたのが、同じ本をとる作戦だ。少女漫画でありそうだし、趣味が同じってことで好印象持ってもらえそうだし、これなら自然なはず! 少女漫画読んだことないけど。


「!」


 いまだ!


 私は彼女がいつも特に念入りにチェックしているコーナーに行ったところで自然に近づいていき、横目に様子を見ながら彼女が手をのばしたタイミングに合わせて手を出した。


「え?」

「あっ、す、すみませんっ」


 しまった! 目的が本じゃなかったので普通にがっつり手を握ってしまった!

 慌てて手を離して謝罪する私に、彼女はくすっと笑った。うっ。真正面のこんな近くから顔を見たのは初めてだけど、ほんと、美人だなぁ。


「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。私、この本をとろうとしたんです。あなたは?」

「わ、私も、それ、です」


 それに意識を持って行かれそうになったけど、本を一冊手に取って微笑んだ彼女になんとか同意する。


「そうなの。これ、面白いわよね。新作楽しみにしていたの」


 ちらっと小説を見る。なんかちょっと難しそうな、時代物っぽい表紙の小説で、とってもわかりやすく二って書いてあって二巻なのがわかる。


「そっ……す、すみません。ちょっと間違ったみたいで、違う本でした。でも、面白いなら是非読みたいですっ、その、私、最近読書に興味が出てきたところでして」


 そうですよね、面白いですよね。と話を合わせようかと思ったけど、それではすぐぼろが出てしまう。嘘をついて気に入られたって仕方ないのだ。

 そうなの、と私の言葉にちょっと残念そうにしながら頷く彼女に、私は勇気を振りしぼる。


「あの、よかったら、おすすめの本とか、読みやすい本とかあったら、教えてもらえませんか?」


 私の言葉に、彼女はちょっとびっくりしたみたいに瞬きしてから、ゆっくりと微笑んでくれた。


 こうして、私の恋は一歩目を踏み出した。









 昔から本が好きだった。特にどのジャンルと言うわけではなく、端から端まで読んでいくような雑食タイプだった。学校の図書室や地元の図書館は目についたものは全て読んだので、本屋に通って新刊をチェックするのが日課だった。

 読まないような辞書コーナーから端から端までじっくりチェックするのが楽しい。だけどそんな本の虫の私にも、最近気になる人がいる。


 基本的に本ばかり見ているので私は周りに疎い。さすがに本の前にマタニティマークやヘルプマーク、杖が出てくれば気が付くけど、そうじゃなかったら没頭して駅を乗り過ごしてしまうくらいはよくあることだし、友達で通学の電車はいつも同じ人が乗ってるから覚えたなんて言っていたけど、覚えるなんてことは一切なかった。

 でもそんな私も目の前の人が怒鳴り声をあげた時はびっくりして顔をあげた。


 全然気が付かなかったけど、どうやら痴漢騒ぎがあったようだ。私と同じ高校生の女の子が痴漢らしい男の人の腕をつかんでいて、背中に女の子を守っている。被害者の女の子には悪いけど、まるで物語みたいな展開に私はちょっと興奮した。堂々としている彼女は格好良くて、お姫様を守る騎士のようでドキドキした。

 でもどうやら私の目の前で起こっていたのに気づいてあげられなかったようで申し訳ない。私は興奮しながらも反省した。こういうところが、周りが見えていないとよく怒られるのだろう。昔クラスメイトが大喧嘩して席をなぎ倒していたのに、私の横まで転がってくるまで気づかなかったこともある。


 もう少し周りを見るようにしようと決意した。それからしばらくして、その時の彼女の顔を覚えた。いつも私と同じ電車にのっているらしい。帰り道、友達と一緒にいるのを見かけた。名前を知った。いつも元気ではきはきしていて、よく目が合う。


 あれって思った。なんだか彼女、私のことをじっと見ている気がする。時々、こういうことはあった。全然知りもしない人が、いつも見ていましたと告白をしてくるのだ。同じ学校の人のこともあったし、そうでもないこともあった。

 それをどうとも思ったことはなかった。だけど、何だか彼女の目はくすぐったかった。それによく目が合うのは、私も彼女を見ているからだ。自分でもそれがわかった。


 こういう気持ちは初めてだったけど、悪くない気分だった。好きな作者の新作の情報を手に入れた時のような、無条件でこれからに期待するような、わくわくするような気持ちだ。


 とりあえず、彼女と私は声を交わしたこともない仲だ。何かきっかけがないものか。と思っていたある日、彼女が私の後をついてきた。もしかして声をかけられるのかな? と期待したけれど、そんなことはなかった。

 いくじなし、と言いそうになって、だけどじゃあ私から声をかけると思うと、自分から彼女に近づいただけでドキドキして、とてもじゃないけど顔をあげることもできなかった。


 どうすればいいんだろうか。そう悩みもするけど、でもこのもどかしい距離感も悪くはなかった。私を見て、後をつけて、それでもためらってしまう。

 あんなに格好良くて凛々しかったのに、私に近づくのには子供みたいにもじもじして、なんて可愛いんだろう。そんなに私の事を意識してくれてるんだ。私はなにもしていないのに。

 どうしよう。私、変じゃないかな。と言うか、嬉しいけど、お話したら思ってたのと違ったとか思われないかな。そう考えるとますます私から話しかけるのに勇気が必要になってしまう。


 そんな風にドキドキしていると、今日はいつも以上に彼女は私に近づいてきた。隣に並ばれた。本棚の配置的に彼女が比較的近くに来てくれるし、他の人の少ない場所なのでひそかに滞在時間をのばしていたのだけど、ここまで来てくれるなんて。

 ドキドキする。顔をあげて、偶然を装って、もしかして電車で同じ人じゃないですか? って話しかけてみる? ああああ、駄目! 顔があげられない!

 ちょ、ちょっと深呼吸、なんてしたら不審すぎる。ちょっと、ここは一旦、適当な本をとって離れよう。


 えっと、これは図書室で読んだことがある。結構面白かったけど、新作でてたんだ。じゃあこれで。


「え?」


 突然、手を握られた。その熱に、力強さに、私はあっけにとられて自然に顔をあげた。

 真剣な彼女と目があう。


「あっ、す、すみませんっ」


 ドキ! と心臓がはじけそうになった瞬間、彼女ははっとして真っ赤になって慌てたように私の手を離した。

 その様子に、呼吸さえ忘れていたのを思い出し、私はゆっくり息をする。きっと私と同じように、何かきっかけが欲しくて勇気を出してくれたんだろう。なら、今度は私が勇気を出す番だ。大丈夫、落ち着いて。今年の春から電車通勤を始めたと言うことは彼女は高校一年生。私の方が年上なんだから。


「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。私、この本をとろうとしたんです。あなたは?」


 とりあえず、あなたのことを知っているし、気になってます。あなたも気になってるでしょ? なんてことは言えるはずもない。だから彼女にのっかる。偶然の出会いのふりがしたいんでしょ? わかる。だって、その方がきっと素敵な恋ができるだろうから。

 だけどちょっと、選択を間違えたなと思う。だって二巻だから、彼女が一巻を読んでないと話がおかしくなる、と思ったけど彼女は頷いてくれた。


「わ、私も、それ、です」


 本当に? 結構マイナーな時代小説だ。少なくとも友達で読んでいる人を見たことない。学校の図書室で読んだけど、そのコーナーに人がいるのを見たことがない。

 彼女も読書が好きなのだろうか。見た目からしてスポーツをしてそうな爽やかですらっとした体型だ。そんな期待をしていなかったけど、趣味が同じならもちろんうれしい。


「そうなの。これ、面白いわよね。新作楽しみにしていたの」


 と言っても買うほどではなく、その内図書室に入ってきたら読もうかな、くらいだけれど。


「そっ……す、すみません。ちょっと間違ったみたいで、違う本でした。でも、面白いなら是非読みたいですっ、その、私、最近読書に興味が出てきたところでして。あの、よかったら、おすすめの本とか、読みやすい本とかあったら、教えてもらえませんか?」


 思わずリップサービスをしてしまう私に、彼女は一瞬言葉を詰まらせてから、そう真剣な顔で言った。

 ああ、好きだな。そう素直に思った。適当に話をあわせることもできたのに。私に対して、誠実でいようとしてくれてる。読書に興味が出たと言うことは日常的に本を読まないと言うことなのに、私に合わせようとしてくれてる。そんな彼女の全部、好きだなと思った。


 改めて、恋に落ちた。その衝撃にびっくりして一瞬声が出なかったけど、私は心のままに微笑んで頷いた。


「いいですよ。私、佐々岡読子です。高校二年生。あなたは?」

「か、片岡忍です。一年です」


 彼女のフルネームを知れた。これで、名前を呼べる。ドキドキする。


「忍ちゃん、って呼んでいいかな?」

「は、はい!」


 ここから、何もかもが始まるんだ。私は震える胸を抑えながら、忍ちゃんに何をお勧めしようかと考えるのだった。


 このあと実は読書が苦手な忍ちゃんに、私が子供のころから大好きな絵本をお勧めたし、後日私のお部屋に来てくれた時は手持ちの絵本を朗読してくれたりして、読書が苦手なりに私に寄り添ってくれる忍ちゃんと一緒にいればいるほど好きになっていったし、忍ちゃんも私といても幻滅したりはしなかったみたいで、ゆっくりと恋人になる時間を育んでいくのだった。


 おしまい。

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本屋さんでの運命の出会い演出 川木 @kspan

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