ホントウノスガタ

もやしいため

第1話

 季節は夏。雲一つない晴天。

 当然のように太陽は高く、空気すら揺らめいているほどの熱気を感じる。

 目的地の中継地である駅前は、多くの人々が行き交うにも関わらず、誰にも関心が向いていない。

 そう、誰しも『モブ』には興味がない。

 自分の目的地かスマホの画面が視線を独占しているのだ。

 そんな中――


「うわっ、何あれ?」


「ほんとだ。あざとーい」


 女子高生二人がくすくすと笑う。

 彼女たちが視線を送るのは、看板プラカードを掲げて二足歩行する一匹のクマ……要は着ぐるみだ。

 見た目は言うことはない。

 クリっとした赤茶の丸い目に、もふもふの丸い耳。

 テーマパークに居ようものなら、ものの数秒で撮影会が開始されるほどに愛くるしい。

 そしてその看板プラカードには、デザインセンスバリバリで――『Free Hugs!』と書かれていた。


 大前提として季節のチョイスが最悪だ。

 この炎天下で、誰が好き好んで毛布・・に抱き着こうというのだろうか。

 まったく、よくやるものである。


 それにしても、いつから居たのだろうか。

 歩き慣れない子供のように、よちよちと無言で看板プラカードを掲げて相手を探す姿は、さしずめゾンビのようだ。

 彼女たちは『あざとい』と笑ったが、その姿に気付いた他の者の多くは『中の人は無事なのか』と気にし始めた。


「は、ハグお願いしますっ!」


 可愛い見た目に反し、謎の狂気を感じるからか。

 近寄り難い雰囲気が溢れるクマに女性が声を掛けた。

 ある意味での勇者の登場に、周囲の視線が釘付けになる。

 どうなるのか――固唾をのんで見守る聴衆の前で、どういうわけかクマは雷に撃たれたようにプルプルと小刻みに震えだした。


 その反応に、彼女は「え……」と絶句する。

 それはそうだ。『怪しそう』から、『不審者』にランクアップしたのだから。

 しかし炎天下の中で看板プラカードを掲げていたクマからしても、その反応は本望ではないのだろう。

 急いで看板プラカードを立て掛けて、身振り手振りで「ばっちこい!」と表現する。

 その暑苦しさに聴衆たちの背には、知らずに脂汗が滲むほどだった。


 そうして女性が一歩前に出て――怪しいクマと抱き合った。


 わーっと謎の歓声と拍手が上がり、誰もがスマホを向けてきた。

 最初の女性は弾き出され、ずらりとハグの列が形成される。

 そのまま代わる代わるハグが続く。

 10分が過ぎ、15分が過ぎ、30分が――そして誰かが言った。


「いい加減にしないと熱中症になるぞ!!」


 駅から出たばかりの人々は、駅舎内の冷房と薄着だから問題なかった。

 何なら肌寒さを感じていた人は、この熱波でさえも気持ちいいと考えていただろう。

 しかし、あのクマは違う。

 この炎天下の中でもう何十分も過ごし、動き、抱き合っている。

 どう考えても人の活動限界を超えている。

 熱中症の主張に、誰一人反論の余地はなく、改めて視線がクマに集中し――一瞬震えてパタリと倒れた。

 騒然となる観衆たち。


「倒れたぞ!」


「水と氷を!」


「早く救急車を!」


「それより先に脱がすぞ!」


 口々に言い合いながら、連携を取っていく。

 背中のファスナーを勢いよく下して『中身』を引きずり出す。

 男女を問わず、野次馬たちの黄色い歓声が飛び交う。

 逆に至近距離で介助に当たる者たちは絶句する。

 現れたのは、気味が悪いほど美しい男だったからだ。


 Tシャツにパンツという、海外セレブのような服装。

 灼熱の着ぐるみに入っていたわりに、汗一つかいていない。

 目が閉じられているにもかかわらず、その異常なまでの造形が人々を魅了する。


 ふ、っと目が羽ばたきのように開く。

 ブルーダイヤのような透き通った目が、すべての人の意識を引き寄せる。

 人だかりの中、静寂が場を満たす。


「だ、大丈夫、かな?」


 誰かが、問う。


「大丈夫です。ご心配かけました」


 静かな水面に波紋が広がるように、そんな言葉が息をのむ聴衆の耳目を満たす。

 現れた時からその存在感が、おかしかった。

 整い過ぎた顔立ちは超然としていて、身体もがっちりとしていて、銅像のような理想の体型だ。

 最早『作り物』と言われても納得してしまうほどに、彼は美の化身であった。


「すみません、ハグは終わります」


 一言言い終え、クマの着ぐるみを小脇に抱えて一目散に逃げだした。

 余りのことに誰もが呆気に取られる。

 周囲を取り囲んでいたはずの野次馬までもが反応できない。

 3秒、5秒と空白の時間を置いて、思考の再起動が果たされた者から順に、彼の後を追いかける。

 当然、スマホの動画はONされたまま。何ならライブ配信をしている者さえいる始末。


 瞬く間に情報が拡散していく。

 『こんな馬鹿な奴が居るぞ』から『やばいくらいの男前が現れた』に上書きされて。

 しかし彼の姿は何処にもない。まさに煙のように消えてしまった。

 いいや、ある者が『脱ぎ捨てられた着ぐるみ』を発見した。

 どうやら本気で逃走したらしい。


 彼を見れば誰もが振り返る――ばかりか、注視する。

 それほどに人の視線を奪うのに、どういうわけか忽然と消えた。その存在を疑うほどに。

 いいや、だからこそ彼は視線を避けるために『クマを着ていた』のだ。


 そうして数十メートル離れただけで目撃証言は皆無。

 SNSを通じた情報収集も空振り。トレンドは『駅前の彼はどこへ消えた?』が染め上げた。

 多くの情報が彼の存在を証明するが、誰一人見つけられない。

 そう、誰一人、見つけ出せない。


 ・

 ・

 ・


 まさか着ぐるみの背中を開けられるだなんて。

 ましてや引きずり出されるだなんて思いもしなかった。

 思わず死んだふり・・・・・をしてしまったのはご愛敬だろうか。


 いやいや、余りのことに動揺し、駅前から慌てて逃げ出したのはよくなかった。

 ついでに路地裏に飛び込んだのも、やましさ・・・・の証明ともいえるだろう。

 きっとすぐにでも追いかけてくる人も出て、さっきのように秘密を暴かれる……。

 こんなに『珍しいモノ』であれば、飛びつかない方が不自然なのだから。


 そうしてがたがたと震える背中を割って中から出てきたのは――クマのぬいぐるみ。

『彼』は、重すぎる着ぐるみを捨て、美しすぎる変装道具・・・・を小脇に抱えて走り出す。

 誰もが真実にはたどり着けない。

 そう、当人でさえも、勘違いしたまま――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ホントウノスガタ もやしいため @okmoyashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ