あなたへ届け

言の葉綾

あなたへ届け

 小学校、中学校、ずっと私たちは、同じ場所で息をしてきた。引っ込み思案で周囲との関係性が希薄な私を、あなたはずっと、「大丈夫!」と支えてくれた。

「同じ高校に行こうね」

 その約束を胸に、私たちは日々、学校に向かっていたんだ。

 だから、あなたが私を支えてくれたように、今度は私が、あなたを支える番なんだ。

 これは、私とあなたの想いの物語。


「欠席は、百合ヶ丘園だな」

 シュッ、と担任の先生が赤ペンを出席簿に走らせる音が、閑静な教室に響く。その赤ペンが描くのは、欠席を示すバッテン印。記されているのは、34番の百合ヶ丘園の欄。

 私の、大親友。

 園が欠席するようになって、2ヶ月くらいが経つ。最初は出席と欠席を繰り返している様子だったけれど、最近はほとんど姿を現さない。2人で楽しみにしていた修学旅行も、園は来なかった。

 3年生になり、定期テストの勉強と受験勉強の両立がハードになるこの頃。皆が第一志望校決定に悩んでいる中、私は園のことを考えていた。

「同じ高校に行こう」

 私たちは、小学生の頃に、そう約束した。私のお姉ちゃんも、園のお兄ちゃんも、県内でも有数の進学校、言の葉高校に通っていた。園と2人で言の葉高校の文化祭を見に行った際、2人でそう、約束した。

 だが、肝心な時期に園は、学校に来なくなってしまった。私は園と、同じ言の葉高校に行きたい。だから、園には今まで遅れた分を勉強してもらって、なんとかしてでも、言の葉高校を受験してほしい。

 私たちは、ずっと一緒。

 その想いが、肌から離れていってしまうような気がして。

 でも私は、園がどうして学校に来れなくなってしまったのか、その理由が、わからなかったんだ。


 どうして、私はスマホを持っていないのだろう。両親の方針で、私は高校生になってからスマホを与えられることになっている。だから、園と連絡先を交換できていない。

 だが、疑問が生じるのと同時に、スマホを持っていても、きっと悩んだのだろうとも思う。心配過ぎて、不安過ぎて……私は何件もメッセージを送ってしまうに違いない。そうしたら、園にも負担になるだろう。その件を考慮すると、スマホを与えられていなくて正解だったのかもしれない。

 今日も、園は欠席。園の席だけが、虚空を纏っている。目の前の席の優木琴美さんは、授業のグループのペアが出席番号の関係で園なので、長らく先生とペアを組まされていた。

 園の机の中には、たくさんのプリントが溜まっている。定期的に先生が園のところへ持って行っているそうだが、何せ私たちは中学3年生、重要書類がたくさん配られるのだ。だからどんどん、日が経っていくうちにプリントが溜まっていく。

 なんだか見るに耐えられなくなって、私は園の机のもとへ駆け寄り、プリントをまとめる事にした。

「あ、ありがとう高松ちゃん」

 私がまとめていることに気がついた琴美さんが、私のもとに近づく。

「ほんとは席が近い私がやるべきだよね、ありがとう」

 琴美さんとはあまり話したことはない。

「いやいや、私、園とは幼馴染なの」

「そうなんだ」

 琴美さんは私がプリントをまとめるのを手伝ってくれる。トントン、とプリントを重ね合わせていると、琴美さんは私の方をちらりと見遣りながら言った。

「高松ちゃん、百合ヶ丘ちゃんってどうして学校に来れないのかな」

 琴美さんのその言葉は、私の胸の奥にずきりと響いて、歪な音が鼓膜と心臓を突いていく。園が学校に来れなくなった理由。ずっとずっと、一緒にいるのに、私には理由がわからない。核心をつく質問に、心に不安と自分に対する嫌悪感が押し寄せてくる。

「……わからない」

 園は病気をしているわけでもなければ、誰かにいじめられるようなタイプでもない。だから、検討がつかない。

「……心の不調かな」

 琴美さんが小さく呟いた。

「心の不調?」

 私が疑問符を浮かべて尋ねると、琴美さんは不敵に微笑み、「そう」と答えた。

「百合ヶ丘ちゃん、来れるようになるといいね」

 そうとだけ言うと、琴美さんは「じゃね」と言って、去っていった。


 園はどうして来れないのか。琴美さんの質問が、私の心臓に突き刺さったままだった。

 園の溜まっているプリント。まとめ上げるのは少々大変だった。ほぼ毎日、何かしらプリントが配られるので、プリントを数えた分だけ、園の欠席日数を表している。その現実がさらに、私を不安にさせる。

 今、園は何を思っているのだろう。何がきっかけで、休んでしまっているのだろう。どうして、辛いのだろう。園は私に、何も言っていない。しっかり者の園のことだから、余計な心配をかけないようにしているのかもしれない。

 でも私は、園のことを支えたい。園が今、何を思っているのか、私は知りたい。

「……そうだ」

 園のプリントを先生のところへ持っていく間、私はあることを閃いた。


 小学生の頃、当時高校生だったお姉ちゃんが、いつもニコニコしながら、何やら作業をしていた。課題をやっているのかと思いきや、実は違かった。

「お姉ちゃん、何やっているの?」

「文通だよ」

 お姉ちゃんは、高校で文芸部に所属しており、度々各地で開催される大会に参加していた。そこで知り合った他県の友人と、文通をしていたという。

 メールのやり取りでも良いのでは、と言ったが、文芸部ならではの文字へのこだわりが強かったらしい。お姉ちゃんはいつも、笑顔でその他県の友人と文通をしていた。

 社会人になった今でも、続けているのだろうか。現在は離れて暮らしているのでわからないが。

 そんなお姉ちゃんの影響を受けた私は、園に文通の話をしたのだ。その時に、「私と梛奈も文通やってみない?」と園は言った。

 だから、小学生の私と園は、文通を始めた。でも、毎日会えるよね、ということで、文通はたったの1週間で終わってしまった。

 でも今は、園と毎日会える関係ではない。声で伝えるよりも、もしかしたら文字で伝えた方が楽ということもあるかもしれない。

「手紙、書いてみよう」

 私は職員室にいる先生のもとに園のプリントを持っていくのを一旦やめ、教室に戻った。


 園に、なんて伝えよう。

 3ヶ月近く、園に会えていないので、話したいことは溜まっている。

 どうして休んでいるの? でもそのことを直球で聞くのは気が引けてしまう。今までなんてことなく話せていたのに、言葉を選んで話さなければならなくなってしまった事実に、ずきりと胸が痛む。

 慎重に、慎重に考えながらも、思いついたのは、最近起こった出来事についてだった。学校でこんなことがあったよ、最近この曲にハマっているんだ……などなど。園を傷つけないように自分なりに配慮しながら、私は園に今の状況を綴った。

 園への手紙を書き終えた後、私は職員室にいる先生のところへ園のプリントを届けに行った。先生はありがとう、と言いながら、手紙を不思議そうに見ている。

「お、高松、手紙を書いたのか」

「は、はい。ずっと前から一緒にいるんですけど、最近園、学校休んでいるので……」

「そうか。高松と百合ヶ丘は去年もずっと一緒にいたからな」

「あの、この手紙……園に持っていってくれますか」

「ああ。百合ヶ丘にプリントを持って行く時に渡すよ。ちょうどプリントを今日まとめようと思っていたところだったんだ、ありがとうな」

 先生は優しく笑った。職員室の黒板には、欠席している生徒の名前が記されている。「百合ヶ丘園」と書かれているが、長らく欠席しているのでずっとそのままなのだろう、チョークが薄くなっている。

「百合ヶ丘、今大変みたいだからな」

「大変……」

 先生の何気なく発した言葉が、心の奥に引っかかる。

「まあ、次来れる時があったら、優しく見守ってやってくれよ」

 そう、先生は意味深に言う。

 私は失礼しました、と扉の前で告げて、教室に少し重い足取りで戻った。


「高松〜百合ヶ丘から返事きたぞ」

「ありがとうございます!」

 私は先生から園の手紙を受け取る。

 園は相変わらず欠席しており、先生が園に会う頻度もそれほど多くはないため、しょっちゅうではないが、文通は続いていた。何気ない日常の会話をするのが、私の心の癒しでもあった。

 でも、肝心なことは聞き出せないでいた。園は話上手なので、どんどん手紙上でも話を広げてくれる。だが、学校に来れなくなってしまった理由は、未だわからなかった。

 先生曰く、私が初めて園に手紙を書いた時頃から、園はお母さんと一緒に、毎日ではないが保健室や相談室に来るようになったらしい。先生もそろそろ欠席日数が多くなっているため、親も含めて話をするようになったそうだ。

「はーい、志望理由書を渡したが、現時点においての第一志望校と第二志望校を書いて、来週まで持ってくるように〜」

 手元に配られた、志望理由書。私は異論なしに、言の葉高校を第一志望校に書くつもりでいる。お姉ちゃん曰く、部活動数も多く、自由な校風が魅力と聞いたものあるが、何よりも園と一緒に行こう、と約束していたからだ。

 しかし、園が学校に来なくなってから4ヶ月。2ヶ月くらいの時点でもかなり勉強の遅れが生じていると思うが、4ヶ月はその倍だ。今から追いつくのには、相当の気力があるだろう。事実、園とのやりとりの中に、学校や勉強関連の話は、一切出ていない。今、園が勉強面でどうしているのか、私にはわからない。

 果たして私は、園と言の葉高校へ行けるのだろうか。

 急激な不安が私の身を纏い、軽い痙攣を覚える。そろそろ志望校を決めて勉強を始めないと、さすがにまずい状況になる。私は不安に煽られていた。

 先程、先生から受け取った園の手紙を開く。内容は極めて日常的なもの。いつも通り、だ。

 園、私たちは一緒の高校に通えるのかな? そして、どうして学校に来れていないのかな。そろそろ勉強しないと、まずいかもしれないよ? 私、いっぱいノート貸してあげるから、一緒に受験勉強頑張ろうよ…

 いつのまにか、私の園への返事は書き終えていた。文脈に沿わせつつも、私は今のありったけな不安と、想いをぶつけた。

 それが、どれだけ園にとって辛いものなのか、ということも知らずに。


 1週間、2週間経っても、園からの返事はない。先生曰く、学校に姿を現しているようだったが、手紙の返事はない。今まで必ず先生と会った時に返事を書いてくれていたのに、最近はそれがない。

 背筋に走る怖気。園のことを、私はもしかしたら、傷つけたのだろうか。

 あの時の志望理由書は、もちろん言の葉高校を第一志望校として提出した。だが言の葉高校と書き記す際、私の右手は、震えていた。

 園の席。出席番号が1番最後の窓際の席。光が温かくさしかかり、日向ぼっこには最適な席。

 あそこに本来座っているはずの園を、私は傷つけてしまった? ますます辛い境地へ追いやってしまった? 私の想いが、尖った形で届いてしまった?

私1人だけ勝手に焦っていたのが、園にとっては苦しいことだった?

 自問自答しても解のない答えに、私は嫌気が差した。私は一体、どうすればいいのだろう? 園にとって最適なことが、どうして私には出来ないのだろう? ずっとずっと、園のそばにいて、いっぱいいっぱい支えてもらってきたのに、私には何もできない。園に何もできない。園が学校に行けなくなった理由も知らなければ、園の心の奥底を理解することもできない。

 どこまでも無知で、無力だ。

 そう思ってしまうと、私の頰に、涙が伝っていった。自分の想い優先になり、園のことを考えてると言いながら、何も考えられていなかった自分が、酷く醜悪に見えた。

 誰にも見られまい、と涙を拭っていると、とんとん、と私の肩を叩く音がした。

「何泣いてるの、高松ちゃん」

 琴美さんだった。

「何かあった?」

 琴美さんは優しく私のことをさすってくれる。私は服越しから感じる琴美さんの温もりに、ますます涙腺が脆くなる。

 私は事の経緯を琴美さんに一部始終話した。琴美さんはうんうん、と頷きながら聴いてくれた。

「そうかそうか、ずっと約束していたんだもんね、焦っちゃうよね」

 泣きじゃくる私。小学生の頃は本当に泣き虫で、よく園に助けてもらったものだった。

 当時のことを思い出して、ますます目頭が熱くなる。

「高松ちゃん、自分がいけなかったところ、自分でわかっているんだからいいじゃん」

 自分のいけなかったところ。

「いけなかったところ……?」

「うん。学校行けなくなっちゃった子に、学校に行くこととか、将来のことを話したり、強いたりしちゃダメなの」

 私もそうだった、と琴美さんは言った。

 琴美さん曰く、彼女も1年生の途中から2年生の途中にかけて、学校に来れなくなったことがあったらしい。その際、親から学校に行くよう何度も諭されたが、それが精神的ダメージに繋がり、ますます登校することが困難になったと言う。

「私は、親とちゃんと話したんだ。私、辛いから学校行くよう諭したりしないでって。そしたら、あれほど学校行け学校行けって言っていた親も、わかった、ごめんねって言ってくれたんだ」

 琴美さんはその苦い過去でさえも愛おしそうに見つめる目で、私に話す。

「高松ちゃんも、百合ヶ丘ちゃんと一回対面で話してみたら? 学校にちょこちょこ来てるのなら、放課後とかチャンスあるんじゃない?」

 琴美さんの言葉が、なんだか腑に落ちる。そうだ。本当に大切なことは、会って伝えなきゃダメだ。例え本人の温かみを感じる文字であったとしても、本当の気持ちは伝わらない。

 園に会おう。

 先程までの苦痛な面持ちが、自然と引き締まる。

 私はすくっと立ち上がると、琴美さんは驚いた表情をしつつも、にっこり微笑んだ。

「本当に、百合ヶ丘ちゃんが大切なんだね」

「え……そうかな。大切なら、もっと傷つかない言葉をかけられるはずだし、気持ちを理解できるはずだし……」

「いくら親友とはいえ、相手の全てを理解することなんてできないよ。高松ちゃんは、大切な友達を想って、想いすぎるがゆえに涙を流してるんでしょ。百合ヶ丘ちゃんも、きっと涙を流していると思う。それなら会わなくちゃ」

 琴美さんの両手が、私の肩に置かれる。

「一緒に受験しよう、じゃなくてさ、一緒に卒業しよう、っていうのはどう? 中学校は高校と違って義務教育だから、例え長期間学校に通えていなくても、卒業できるんだからさ」

 一緒に卒業する。

「…うん。そうだね」

 私は口角をあげ、琴美さんに「ありがとう」と告げた。

 小学生の頃からの2人の約束。だか今、そのことを園に伝えたら、きっと園は苦しくなるに違いない。

 園は辛い。辛いんだ。

 だから、私は自分のしてしまったことを、謝りたい。


 目の前には、園がいる。

 以前のショートボブより少し伸びて、毛先が肩付近につきそうになっている。

 約4ヶ月半ぶりの百合ヶ丘園。俯き加減で、制服のスカートの裾を握っている。

「じゃあ、先生、少し職員室で仕事をしてくるから。2人で思う存分話しなさい」

 先生がそう言うと、相談室から去って行った。

 沈黙が寸断する。園は前を見上げない。私の手紙の内容に、傷ついたことがここではっきり、証明された。

 ここで泣きそうになっちゃダメ。園を傷つけたのは、私なんだから。

 いつも助けてくれた園。私は園に、自分のしたことを謝りに来たんだ。

「ごめんね、園。園のこと、何も知らないで、勝手に焦って………いつも助けてくれたのに、私は何もできなくて………」

 振り絞って出てきた言葉。いたって平凡かもしれない。でも、声の振動は震えていた。園に伝わって、いるだろうか。

「何もできなくなんか、ないよ」

 かつてより細くなった声で、園は言葉を放った。

「え」

「梛奈、約束、覚えててくれたから」

 園の澄んだ瞳が、私に向けられる。いつにもまして真剣で、鋭い何かを、感じる視線だった。

「梛奈のおかげで、学校に少しでも来れるようになった。私ね、病気になったんだ」

 園の告白に、私は頭が真っ白になる。口は開いたまま、脳内信号でさえも停止し、思考回路も整理がつかなくなっている。

「びょ、病気…??」

「うん。癌とかじゃないよ。そういう類の病気じゃなくて、自律神経失調症って病気」

 自律神経失調症。初めて聞く病名に、首を傾げる。保健の授業でも、聞いたことがない病名だ。

「私ね……誰かにいじめられたとか、そういうことは一切なかったのに、急に生活リズムが乱れるようになったの。ある時、学校から帰ってきたら酷く疲れて、次の日の朝、起きられなくなって……休みたくないから、学校に行く、休むを繰り返して、なんとか踏ん張ってたけど、段々ダメになっちゃった」

 園が私に、話し始めてくれた。かつてのしっかりとしたハキハキ口調ではなく、まるでどこかに迷い込んでしまった幼子のようだった。

「学校行くと、梛奈いるのに、みんな優しいのに、吐き気がするようになったり、だるくなったり、疲れとか疲労が凄かったりして、授業が正直追いつかなかった。あまりにも酷くなってくから、流石にまずいんじゃって思ったママと一緒に心療内科に行ったら、自律神経失調症って診断されたの」

「そう、だったんだ……」

 園は言った。梛奈に心配をかけたくなかった、と。だから言えなかった、と。梛奈には言の葉高校への受験勉強に専念してほしかった、と。

「だからね……いっぱいいっぱい迷って、決めたんだ」

 園の表情が、きゅっと引き締まり、眼差しがますます鋭くなる。

「この自律神経失調症、治らないって言われた。でも、少しでも良い方向に進めるように、普通の生活に戻れるように、病気の治療に専念することにしたの。だから、全日制の言の葉高校には行けない」

 きっと、わかっていたはずだった。園は、言の葉高校には行けないかもしれない、と。

 でも、いざその現実を突きつけられた今、私の背筋は震えずにはいられなかった。涙腺が緩まずにはいられなかった。

 でも、泣かない。

「そ、そっか……」

「うん。通信制の高校に行って、普通の生活を取り戻すことに決めたの。梛奈、応援して、くれる?」

 そんな風に聞かれたら。

「……うん!応援するよ」

 そう、答えずにはいられないじゃないか。

 その後、先生が戻ってきて、軽く話をして、私たちは昇降口に向かった。別れる際、私たちは手を振った。そして、園は小さく、言った。

「ごめんね、約束、守れなくて」

「うんうん、園の道を、応援するよ」

 私たちはの言葉を最後に、別れた。


 なんだか、心はスッキリしていた。園は私に学校に行けなくなった理由、今の状況を話してくれた。そして、園自身の将来を、はっきり伝えてくれた。

 そして、自分のしたことを謝ることが出来た。

 園が決めたことは、応援したい。そう思って、深呼吸をしようとした。

 気管支が、小刻みに揺れている。呼吸をしようとしても、うまく酸素を吸い込むことができない。口元も震え、瞼も痙攣している。

 なんで、今しっかり園のこと、見送ったじゃない、話ができたじゃない……

「あ、高松ちゃん」

 琴美さんがいた。私のことを呼んで、駆け寄ってくる。

「百合ヶ丘ちゃんに会ってきたのかな?」

 うん、そう頷こうとした。でも、頷く体制になった瞬間、私はその場にしゃがみ込んでしまった。

 とめどなく溢れる涙。絶えず流れ出て、地面に染み込んでいく。

「……よく頑張ったね」

 琴美さんは、また、私の背中をさすってくれる。

 よく頑張ったね。その言葉が、心に強く浸透していく。

「琴美さん……園、通信制の高校に行くから、言の葉高校には行けないって……」

 泣きじゃくっているせいで、自分でも何を言っているのかよくわからない中でも、琴美さんはうんうん、と相槌を打ってくれる。

「いっぱい泣いていいよ。待ってるから」

 優しい琴美さんの言葉。心を揺らす、その言葉に甘え、私は涙が止まるまで泣いた。


「高松ちゃん、言の葉高校受けるんだ」

 なんとか落ち着きを取り戻し、教室へ荷物を取りに行く途中、琴美さんは私に問いかけた。

「うん、そうだよ」

「偶然だね。私も言の葉高校受けるんだ」

「え!」

 琴美さんも言の葉高校を受けるという新事実に、私は驚きを隠せなかった。琴美さんが同じ学校を受けるとなると、この先の未来が安堵できるものになりそうな気がする。

「うん。百合ヶ丘ちゃんの代わりにはなれないかもしれないけれど……」

「そんなことないよ! 琴美さん、園の件でいっぱい助けてくれて、ありがとう」

 琴美さんには、たくさん助けてもらった。手紙の内容のアドバイスをしてくれて、背中をさすって私のことを安心させてくれた。

「いいえ、こちらこそ。あと琴美ちゃんでいいよ。私も梛奈ちゃんって呼ぶね」

「うん!ありがとう!」

 私たちは2人、お互いの手を握った。

 新たな友情の、出発地点のような気がした。

「一緒に受験勉強、頑張ろうね」


 季節は過ぎて行き、受験も過ぎて行き。

 数学の二次関数、英語のリスニング、国語の古典問題、理科の気象問題、社会の年代整序に苦戦しながらも、なんとか言の葉高校への受験を終えた。

 今日は、卒業式。

「おはようございます〜。いやーもう卒業ですよ。皆さん、よく頑張りましたね、3年間」

 クラス中を見渡す。誰1人欠けていない。クラス総勢34人、出席していた。

 窓際、1番後ろの隅っこの席の少女……百合ヶ丘園も来ていた。

 3年生の間、教室に姿を現さなかった園。でも、卒業式だけは、来てくれた。

 琴美ちゃんも園と仲良さそうに喋っている。

 卒業式。祝辞、校歌斉唱などが難なく過ぎ、いよいよ昇降口での写真撮影。

「園」

 私が園の名を呼ぶと、園は振り返る。

「今までありがとう」

 前みたく、涙腺が脆くなることは、なかった。これからは、お互いの道を、歩んでいく。

「こちらこそ。同じ学校、楽しかったよ」

 園の笑顔は、心の底から笑っている、ということがはっきり伝わってきた。

「今日は梛奈と同じ学校に通える最後の日だから、来たんだ」

 園が、てへへ、と笑う。その表情が、園が毎日学校に通えていた頃のものであり、私は懐かしさと同時に愛おしさを感じた。

「園ちゃん、梛奈ちゃん、私、写真撮るよ」

 かなり高額そうなカメラを手にした琴美ちゃんが、私たちに手を振る。私と園は、2人並ぶ。

 この制服を着て、園と一緒に映るのは、これで最後。感慨深い瞬間を、琴美ちゃんのレンズが収めてくれた。

「お、高松、優木、百合ヶ丘。3人で映るか?」

 先生の言葉に甘え、私たちは3人で映ることにした。3人寄り添い合う。

 今日で私と園はお別れだ。でも、心はきっと、ずっと一緒。例え学校が違くたって、いつまでも、仲良くすることはできると思うから。

 園には今までありがとう、そして琴美ちゃんにはこれからもよろしくね、という想いを込めて、私は精一杯の笑顔でピースした。


 百合ヶ丘園へ。

 園、あなたは今、元気ですか? 私は元気です。写真部に入部して、いい写真をいっぱい撮っているよ。もしよかったら、今度園をモデルにしたいな。園がよければで、全然いいよ!

 琴美ちゃんが園も一緒に遊びたい、って言っていたから、時間が合う時今度遊ぼうよ。園の気分転換にもなってほしいな、って思うし。

 中3のあの頃は、園ともうずっと会えないのかな、って凄く不安になっていたけれど、こうして学校が違くても、会えるかもしれないって思うと、とても幸せな気持ちだよ。あの時、園の気持ち、ちゃんと話してくれてありがとう。凄く嬉しかった。

 だから、また会おうね! その時を楽しみに待っているよ。 

 高松梛奈より


「梛奈ちゃん、メールじゃなくて、今も手紙書いてるんだ」

「うん。やっぱり手書きの方が伝わるかなって。大事だなって思うことは、手紙で送るようにしてる」

 言の葉高校1年4組の教室。琴美ちゃんはカメラを窓に向け、景色を収めようとしている。琴美ちゃんは昔から写真を撮るのが好きで、写真部のある言の葉高校に行きたいとずっと思っていたらしい。

「いいね、梛奈ちゃんと園ちゃんのスタンス。私も園ちゃんに手紙書こうかな?」

「いいんじゃない? 遊ぼうって言ったのは琴美ちゃんなんだから」

「そうだね。あ、もうすぐチャイム鳴っちゃう。次の授業なんだっけ?」

「次は物理の移動教室!」

 キーンコーンカーンコーン。チャイムの音が教室中に響き、私たちは慌てて準備をする。そんな何気ない日常が、これからも続いていく。

 

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